職場から風邪を引いて帰宅している次男に、「どや、私は元気やろ」って自慢していたが、昨日から喉に痛みとだるさが・・チラッと回りが鈍いだけなのかも・・と思ったが、病気に敏感である必要なぞない。
昨夜はゆっくり祈って、彼の薬をもらって寝たので今朝は少し楽になった。
先日、医院に付いて行った時「この風邪は今とても流行っていて、治るまでに1ヶ月くらいかかる」と言われていたけれど・・、
先ほどバイクでスーパーまで走っても辛くはなかったので、大したことはないだろう。息子も私よりも重症だったけれどずいぶん楽そうになった。
世では生身の古い体を引きずって生きざるを得ないけれど、それさえも信仰の成長の餌食にはなるものだと思う。
主は癒し主。時に薬も主に在ってよく働き、害を受けることもない。
パウロ達が破船はしたけれど無事に島に上陸したとき、「島の人々は非常に親切にしてくれた」とある。
しかし、まむしがパウロを噛んだ時彼らはパウロを罪に定めた。
島の人々は、この生き物がパウロの手から下がっているのを見て、「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ。」と互いに話し合った。(使徒28:4)
それが彼らの善悪の基準なのだ。
パウロがなんの害も受けないとわかったとたん今度は、「神さまだ」と手厚くもてなしたとある。
パウロの内に居られるのはまさしく神さまであり、彼が害を受けなかったのは神さまのわざであるが・・。
人は持ち上げたりたたき落としたり、それぞれの善悪の基準や好みで人を計るものだ。一々反応して良い証しを立てなければ・・などと慌てる必要はない。
主が証しを準備してくださるまで待てばよいのだ。
私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。(ローマ8:16)
コメント一覧
ムベ
電気屋
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事