石ころ

土の器 2016年8月18日




 職場から風邪を引いて帰宅している次男に、「どや、私は元気やろ」って自慢していたが、昨日から喉に痛みとだるさが・・チラッと回りが鈍いだけなのかも・・と思ったが、病気に敏感である必要なぞない。

昨夜はゆっくり祈って、彼の薬をもらって寝たので今朝は少し楽になった。
先日、医院に付いて行った時「この風邪は今とても流行っていて、治るまでに1ヶ月くらいかかる」と言われていたけれど・・、
先ほどバイクでスーパーまで走っても辛くはなかったので、大したことはないだろう。息子も私よりも重症だったけれどずいぶん楽そうになった。

世では生身の古い体を引きずって生きざるを得ないけれど、それさえも信仰の成長の餌食にはなるものだと思う。
主は癒し主。時に薬も主に在ってよく働き、害を受けることもない。


 パウロ達が破船はしたけれど無事に島に上陸したとき、「島の人々は非常に親切にしてくれた」とある。
しかし、まむしがパウロを噛んだ時彼らはパウロを罪に定めた。

島の人々は、この生き物がパウロの手から下がっているのを見て、「この人はきっと人殺しだ。海からはのがれたが、正義の女神はこの人を生かしてはおかないのだ。」と互いに話し合った。(使徒28:4)

それが彼らの善悪の基準なのだ。
パウロがなんの害も受けないとわかったとたん今度は、「神さまだ」と手厚くもてなしたとある。
パウロの内に居られるのはまさしく神さまであり、彼が害を受けなかったのは神さまのわざであるが・・。

人は持ち上げたりたたき落としたり、それぞれの善悪の基準や好みで人を計るものだ。一々反応して良い証しを立てなければ・・などと慌てる必要はない。
主が証しを準備してくださるまで待てばよいのだ。

私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。(ローマ8:16)

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コメント一覧

ムベ
電気屋さんコメント感謝します
「高慢、自慢」内弁慶なので、息子に限って言いたい放題させてもらっています。
呆けられるよりマシ・・と受け流しているのでしょう。相手にしてくれませんが・・。
歳を取って、自分自身に自慢することで元気になれます。謙遜になんかなったら終わりです。
コントロールは主がなさいますからお任せです。

まず、イエスさまのわざを自慢して、愛されていることの高慢にいつも浸っています。
アハハ・・
電気屋
むべさん どうもです。

私達も久々にルークさんのメッセージを聞きました(特に私)。
紅海とヨルダン川の信仰の歩みの違いとかが私には興味深かったです。

風邪少し楽になれたならよかったですね。
昔も夏に流行っていたかな~って最近よく思います。

『次男に、「どや、私は元気やろ」って自慢』

ユーモアだってわかってますが、敢えての突込みさせて頂けるなら

「愛は自慢せず、、」とか
「高慢は倒れに先立ち、、」など
これはこの世的にも納得する箇所。
しかしそこから霊的な意味を汲み出すキリスト者はどれくらいいらっしゃるのでしょうか。

「出来るなら神よ、我にそれを与えたまえ」

との祈りは敬虔そうに見えても
神にはお出来にならない事はないので
結局、私の問題を教えられます。
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