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石ころ

種は腐らない ⑧


 共にみことばを読んだり祈ったり・・・。
先週に続いてマルコ26章、イエス様のゲッセマネの祈りを中心にお話した。どうしてもはっきりとさせたい罪と十字架のこと。

「鰯の頭も信心から」ということわざを用いて、イエス様の十字架の購いをお話しした。何を信じるのかということが大切。私たちの救いには、神の御子のいのちという罪の代償が支払われていると・・・そこで、「鰯の頭も信心からは駄目なの?」と聞き返されて絶句する。また、初めからやり直し、主よ助けて下さい!!

 それでも、「夜寝るときに何時もお布団の中で、『天と地を造られた神様、今日もありがとうございます。』とお祈りをして寝るのだと、トイレで祈るのはすまないけれど、長い間苦しんでいた便秘がすっかり良くなったことを感謝する。また、人前に出なければならなかったときに、今まではあがって失敗したことがあるけれど、祈ってからだったら、なんかとっても自由で楽しい。」彼女の証はいつも喜びに溢れている。

「今一番の悩みは、ついつい主人に偉そうに言ってしまうこと。イエスさまに助けられたのにこんな事をしていたら罰が当たると思うのに、箸の上げ下ろしまでいちいちイライラしてしまう。もっと頑張って優しくなろうとしているけれど、どうにもならない。主人を大事な人と思っているのに。」

私はその時ついつい笑ってしまった。分かりすぎるから・・・。彼女は、24時間ご主人と顔をつきあわせてずっと一緒にいるんだから、ストレスがあることがとてもよくわかる。「頑張って優しくなることは無理だから、頑張ることはやめた方がいいですよ」と言ってしまった。「イエス様にお祈りをしてお任せしたら?何か言いたくなったとき『イエス様助けて!』って・・・私たちにはどうにもならないから」

 私も彼女との間にストレスを覚えることがある。私にはどうすることもできない限界を感じて悩んだり、笑ったり・・・でも、主が私たちの真ん中に居て下さっていることが分かるから、頑張るのではなく、案外面白がって待てばよいのかも知れない。

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