彼女とこのことがあったのは冬。そう、雪が降っていたことを思い出した。そして、文に現したのは夏。
その半年の間に私の中でふくらんでいったものがあったのだ。悲しみや、怒りや、いらだちなどの罪が、ふくらんでいった。
そして、私の書いた言葉は、彼女が言った言葉とは違っていた。
「私が正しいことを・・とは言わない。」と彼女は言われた。ずいぶん以前のことなのに次々と思い出されて、
「ああ、そうだった。確かに『正しいこと』なんて言わなかったね、ごめんなさい。『間違っていないことを・・』そんな感じだった。」
「そう、そのときあなたは『違う、違う』って言っていた。」
「なんかが微妙に違っていたから。それがちゃんと伝わらないと、言葉が通じていないと感じ続けていた。だから私はすぐに、『閉め出された』と感じ『失った』と思った。」
「閉め出したんじゃない。私は忘れて出かけただけ。でも、そのままにしておいて本当にごめん。ずっと謝りたいと思っていた。けれども、イエス様を信じている者はみんな、十字架は共に味わっているでしょう。」
「確かにそう・・。それは私が間違っている。ごめんなさい。でも、なぜそう思ってしまったのかなあ。私の中で膨らんでしまったものがあったから・・・だと思う。」
それから、沢山話して交わり、祈ってから、振り返り、振り返り帰って行かれた。
尋ねてきてくださった彼女を見て、私はとても嬉しかった。正直「もう知らない」と思っていたのに、顔を見た途端にそんなことは消えてしまった。でも、私の愛はもろい。私の器はとても小さくて、すぐに受け入れることが難しくなってしまう。
今朝祈りの中で、和解は十字架によるものなのだと知ることが出来た。十字架は無限だ。
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石ころ
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