石ころ

和解

 7月に書いていた『義人はいない』という一文を見て、「わたしのこと?」と尋ねて来てくださった。「ある方から教えられて知った。」と言われて・・・

 彼女とこのことがあったのは冬。そう、雪が降っていたことを思い出した。そして、文に現したのは夏。
その半年の間に私の中でふくらんでいったものがあったのだ。悲しみや、怒りや、いらだちなどの罪が、ふくらんでいった。

そして、私の書いた言葉は、彼女が言った言葉とは違っていた。
「私が正しいことを・・とは言わない。」と彼女は言われた。ずいぶん以前のことなのに次々と思い出されて、
「ああ、そうだった。確かに『正しいこと』なんて言わなかったね、ごめんなさい。『間違っていないことを・・』そんな感じだった。」
「そう、そのときあなたは『違う、違う』って言っていた。」
「なんかが微妙に違っていたから。それがちゃんと伝わらないと、言葉が通じていないと感じ続けていた。だから私はすぐに、『閉め出された』と感じ『失った』と思った。」
「閉め出したんじゃない。私は忘れて出かけただけ。でも、そのままにしておいて本当にごめん。ずっと謝りたいと思っていた。けれども、イエス様を信じている者はみんな、十字架は共に味わっているでしょう。」
「確かにそう・・。それは私が間違っている。ごめんなさい。でも、なぜそう思ってしまったのかなあ。私の中で膨らんでしまったものがあったから・・・だと思う。」
それから、沢山話して交わり、祈ってから、振り返り、振り返り帰って行かれた。

 尋ねてきてくださった彼女を見て、私はとても嬉しかった。正直「もう知らない」と思っていたのに、顔を見た途端にそんなことは消えてしまった。でも、私の愛はもろい。私の器はとても小さくて、すぐに受け入れることが難しくなってしまう。
今朝祈りの中で、和解は十字架によるものなのだと知ることが出来た。十字架は無限だ。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

石ころ
十字架は無限だ!
ある方に、「十字架は深いですよ。」と教わりました。その時はわからなかったのですが、
その深みに一歩踏み出させて頂いたのだと思いました。
私がこだわらなければならないものなんて何もありませんでした。
Koji
「十字架は無限だ」、本当にそうですね。実感がこもっていてジーンと来ました。芸術家が「芸術は爆発だ!」言うように、我々は「十字架は、無限だ!」と言うべきですね。人が無理と思うところを簡単に軽々と解決されますね。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事