「じっとしていても良くないので、これから主人と買い物に行くの。」久しぶりのお電話に弾んだ姉妹の声。
「えっ。もうそんなことが出来るの?」
医師の退院予定を何日も早めるほどに、順調に回復されていたことは聞いていたけれど、この間大きな手術をされたご主人と、もう外出ができるってことに驚いた。
「嬉しいのはね主人には言えないけれど、体が良くなったことだけではないのよ。」
私にはすぐに彼女の言いたいことがわかった。
顧みて下さった主が嬉しいのだ。
体の癒しは腕の良い医師によっても得られる。でも、それは必ず終わりが来る仮のもの。主に信頼して顧みられた嬉しさは、主のみことばに生きて、主に愛されたストーリーがある。そしてそれは永遠につながっているもの。
先日彼女のお宅で、御交わりの集まりを持たせて頂いた。
計画の当初は、ご主人の入院中にお邪魔することに対して内心忸怩たる思いがあった。だから私は主にお委ねした。実行は主がゴーサインを出してくださるまで待とうと・・。
しかし計画に平安が与えられ、彼女は近くの駅までわざわざ迎えに来てくださった。
なにしろ私はとんでもなく方向音痴であり、平日なので息子に送ってもらうことも出来なくて、ご親切に甘えざるを得なかった。
そうしてでも、とても、とても行きたかった。出不精の私が、中から突き上げるように出かけたくなって、本音は待っている半月ほどの間ずうっとワクワクとしていたのだ。
電車を降りて、中央改札まで行けば必ず出会える手はずも整っていたのに、やはりやらかした。下りなくてもよい地下に人波に紛れて下りてしまってウロウロ・・側を通りかかった駅員さんに教わって引き返し、晴れて出会えた時は大笑い。でも、残っているだろうな彼女の中に「?」
乗り換えの電車の中でも嬉しくて、おしゃべは止まらない。途中でもうひとりの姉妹とも合流してお久しぶりと感動。
彼女のお宅に着いたとき、庭先のジャスミンの香りが迎えてくれた。玄関に入ると「さあ、自由にして!」 何よりのご馳走の言葉。
たわいもない話をしつつ、ハーブティなど次々と頂いて沢山のご馳走をつまみながらワイワイ・・。
でも、ひとりの姉妹の詩篇23篇の賛美によって、私たちは主に集められて行った。主だけを喜ぶ喜び・・詩篇を読み・・賛美をして、霊でも知性でも祈る。
一人ひとりが主だけを見ていて、歌っていても静かで、感動していても落ち着いていて、主に表現することは底抜けに自由だった。
絶好のタイミングでお宅を後にして、姉妹はご主人の病院へ向かわれ、私は先ほどのホームまで間違えないようにと送って頂いた。本当に感謝がいっぱい。
帰りの特急電車の中で、彼女からお借りしたニーの「権威と服従」を開く、少し読み進んで、「ああ、これだ!」って、私はこのことをはっきりと確認したかったのだ。確かに先日からこのことばかりが内にあった。
標準をぴたりと定めるための絶好の本に出会ったと、まったく今日はなんと備えられた日なのだろうと、主が嬉しくて嬉しくて、家に帰ってもおしゃべりが止まらなくて・・幾度か目覚めても喜びは続いていた。
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