コップ立てを洗っていて、本当にこれは丈夫で扱いやすいなぁ・・といつも感謝をする。裏を返して見てみるとやはり「Made in Japan」。買ってからもう30年近くなるはず・・・。塩素消毒も簡単に出来る。
こんな製品を作っていた人たちは、きっとこのような生き方をしていたのだろう。学校を卒業してすぐに小さな町工場に勤め、真面目によく働く青年で、近所のかわいい女性と知り合って、社長に仲人になってもらって結婚をして、やがて子ども達も就職をして親元を離れてゆく。そんな普通の穏やかな人生の様子を思い浮かべることができる。
しかし今、河原の掃除をしていると、そこには大量のゴミが捨てられてあり、それらの中にはバーベキューの道具一式や、布団などがそっくりそのまま捨てられていたりする。それらはあまりに安く手に入るから、買った人にとってはわずかなお金の価値だけの物であり、楽しんだ後は邪魔になるだけなのだろう。そこには、作った人との関係は何も無い。
昔は何処に行くにも、お重箱に料理を詰めてそれを持って行き、家族で母の手作りを楽しんだ。いつもだいたい同じような料理でそれがお袋の味だった。何も言わなくても、みんな母が早くから起きて作ってくれた物であることを知っていたので、綺麗に食べて、残り物はちゃんと持って帰って夜も食べた。家のお重箱は大切に親から子へと代々使ったものだった。そこには、物にもその家族の生活や人生が染みついていて、懐かしくもいとおしく、ゆったりとした時の流れが刻まれていた。
今は、グローバル化か何だか知らないけれど、どこからかいろいろな物が溢れるように、押し寄せてきて、何が何だかわからなくなってしまって、物からも感じることができた「人」が完全に失せてしまって、すべてはお金の価値でしかはかられなくなってしまった。
コメント一覧
石ころ
イチゴ
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事