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石ころ

種は腐らない⑤


 ヨハネ1:20~34から準備していたプリントをいっしょに学ぶ。此処を新しい人とするにはちょっと無理があるけれど・・・。と考えたけれど祈って出かける。
預言者のこと。水のバプテスマのこと。聖霊のバプテスマのこと。洗礼のこと。献金のこと。今日は「めくら蛇に怖じず」なんて言われそうなことを次々とお話しする。

 でも、盛り上がったのは先に学んだ箇所「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」のところでお話ししていたこと「神の御子イエスさまが、処女マリヤに宿ってくださった」と言うことだった。「これはすごいことね。私はこのことを知って本当にびっくりする。」と感動して話される。

そうだった!こんな事は人には思いもつかないことだ。彼女の喜びが伝わってきて私も新鮮な感動を覚えた。この感動を彼女に教えたお方は聖霊。彼女は「今、知っているレベルでですが、イエス様を信じます。」と信仰を告白されていたから、「イエス様が共にいて導いてくださっている。」ことをお話しして一緒に感謝のお祈りをする。

「私は今は安心してお任せしている。でも、本当に私の罪はどうしよもないってわかった。自分で良いことを思おうとしても、なかなかどうにもならんことがあって」と話される。イエス様が十字架でなしとげてくださったことだから、主に感謝をして安らぐことが出来るとをお話しする。

「このプリントを何回も読んで今日を待っていた。イエス様のことを知るのは嬉しくてしかたがない。」そのように言われ、「私がしなければいけないことがあったら教えてね。」と献金のことなどを気にされたので、
「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。」(Ⅱコリント9:7)このみことばをお伝えした。そして、「私に関しては『あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。』(マタイ10:8)と言われているからまったく心配しないでね。」と、そのことも付けくわえた。

 彼女は、聖書を持って家々を伝導する宗教の訪問を何度か受けていたことを話された。聖書を使っているからキリスト教だと思っていたけれど、子どもを連れて来て「学校に行かなくても聖書を読んでいるからいい。」などというのはどうもおかしいと思っていたことを話された。私たちは彼らのことを心配するけれど、主は守るべき者を守って居られ、むしろすべてを用いて益としてくださっていることを知る。彼女はそうしたところを通って、主に追い込まれていったのだから。

「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1:37)

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