石ころ

てるてるぼうず 2016年9月22日




 しんどくて・・夜も昼も寝ていた。うとうとうとうと・・ふらつきと脱力感がひどくて立っている力がなかった。
たぶん台風の所為でもあるのだ。昔から台風が反れるか来るかは体でわかった。しょうもないことに敏感で・・。

そもそも最近食べものが不味かった。連休で帰っていた息子に「ごめんね、不味いね」と作り方を間違えたのかと誤ったりしていたが、彼は「いや、別に・・美味しかったよ」とぺろりと平らげていたから、私の味覚が変わっていたのだろう。
それでアイスクリームなどを食べていたら胃が痛みだした。

夜昼なくうとうとと寝て、目覚めると適当に口に入れられるものを少し食べて、直ぐに横になると寝入ってしまって・・、そんなこと1~2昼夜ほど繰り返していた。
エリヤが、カラスが運んで来たものを食べてはまた寝た。聖書の記述を思い出していた。

 昔、膵臓癌の疑いがあると言われ検査の続く中、無理やり退院した後に体重が増えていったことに深い安心を覚えたことがある。
退院は信仰に拠ったけれど癒されるという確信があってではなく、主に委ねた大きな賭だったのだ。

だから私は体重が健康のバロメーターなのだ。この値は世間とはまったく違うが・・。動きにくくなったと感じるとそれなりに減らすけれど、内臓脂肪だって標準値であり、見た目がどうであろうと私が元気に動くためには、このままが大切だと信じて疑わないのだ。


 此処に引っ越して来て得た友とは、お茶碗を持って行って「ごはん一杯入れて」「ソース貸して」「あのソース賞味期限が切れていたよ」なんて互いに言い合える仲だった。毎日行き来して毎日笑っていた。

その彼女があっという間に癌でどんどんやせ衰えて行ったとき、私はお見舞いにも行けなくなってしまった。彼女が亡くなったとき、人目もはばからず声を上げて泣いて仕舞ったけれど、とうとう最後のお別れもできなかった。

ただ、楽しさの中に過ごしてしまって、イエスさまを伝えきれていなかったことが悔やまれた。もちろん一緒にお祈りもしたのだから、主にお任せすることなのだと分かって居るけれど・・、痩せて行く姿とともに痛みとなって残って居るのだ。

 だから体調を崩して体重が減るのは恐いのだ。私は体調を崩すとあっという間に1~2キロは落ちる。たぶんそれは筋肉とか水分が減るからだろうとは思うのだけれど・・、そうなるとふらふらと動けなくなる。

だから体調が悪くても不味くても、一生懸命に目覚める度に食べられるものを口に入れ、飲めるものを飲んで寝た。
先日買った座椅子がゆったりふかふかで、手元でリクライニングの調整ができたから、微妙な調整をしながら眠ると腰も痛まず、いくらでもうつらうつらと眠ることができた。昼の間は此処で寝ていた。


 私はめったに寝込むことなどないので、たまに病むとそれだけで気弱になる。体が普段通りに動かなくなって自由が失われると、やはり歳には逆らえないと普通に不安になる。動けない日が来たのかと考えてしまうのだ。

その時、「私にとって生きることはキリスト、死ぬこともまた益です」みことばが浮かんできて一瞬に不安は消えた。
「ああ、まったくそのとおりだ。キリストに在って生き、キリストによって御許に召してくださる。どちらも主の最善、御国は私の喜び」と瞬間に深い平安に包まれた。

いずれその日が来る。いずれ動けなくなる。でも、此処を通過してイエスさまの御顔を見ることになるのだ。
すべては主が最善に備えていてくださる。生きるも死ぬもみこころのままに・・。

 その後はすっかり身を任せて、台風のニュースを流し続けるテレビをうつらうつらと・・、風の音に目覚めたけれど雨の音を聞きつつまた寝落ち・・、お陰で台風を恐れる間はまったくなかった。

食事をして少し元気が出てみことばを読み・・またうつらうつら、少しお菓子をつまんでうつらうつら・・
イエスさまの眠っておられる舟の中で眠っているように・・。


 主人が「癌が全身にちらばっている」とかかりつけ医に突然告げられてから、召されるまでの一年半とても静かに落ち着いて生きたことに、改めて気づいた。
検査検査の通院をしながらも、畑仕事や洗礼の学びに教会へ通った。死を恐れたり、狼狽して取り乱した姿を見たことは一度もなかった。

亡くなった後でご近所さんに、「なぜ、急に・・」とびっくりされるほど、病気であることに誰も気付かなかった。癌が主人を支配することは無かったから、口にするタイミングもなかったのだろう。
私にさえ愚痴を言ったり恐れを口することはなかった。ただ、入院だけは拒んだけれど・・。

入院をして取り乱した主人を見たとき、すぐに「帰ろう」と決断できたのも、それまでの主人の落ち着いた様子を知っていたからでもある。
これはよほどのことなのだと・・病院でがんじがらめになって、一切の自由を失うことは死ぬよりも嫌なのだと察したからであった。

事実帰って来て、「ああ、気持ちええなぁ・・」と畳の上で手足を伸ばしている姿は幸せそうでさえあった。
それから20日間ほど・・何も食べられず点滴のみでだんだん弱ってゆくばかりだったけれど、お医者さんも驚くほど、苦しみはない様子で静かに静かに寝ていた。

顔を拭いたり口をゆすいだり、そんな当たり前のことさえ「ありがとう」「ありがとう」と言いながら、最後まで自分でトイレに行こうとした。
本当はちょっと気を使い過ぎだ。もう少し我が儘も言って欲しかったけれど・・。

 今回、私も主人のように死ねたら幸せだと思った。最後に「もうええ、もうええ。ありがとう。ありがとう」声がでなくなったら手話で言っていた。
主人の時は、友の時に受けた痛みはなかった。最後までなぜか幸せそうでさえあったから・・、私は主人の内に居てくださるキリストを見ていたのだろう。

 孫から手紙が届いた。このタイミングはとても嬉しかった。
ユニークな手作り「ばあちゃんカード」が入っていた。自分のマークの「花丸音符」が書いてあって、おばあちゃんもじぶんのマークを書くと、「これを見せれば、ばあちゃんとわかる」と書いてあった。これは便利と早速自分のマークを作った。

ウサギの小さな人形やてるてるぼうずも入って居たから、ふらつきながらもさっそく窓辺にぶら下げた。
今、天気予報には欠片もなかった太陽が「てるてるぼうず」を照らしている。久しぶりの青空の下生乾きの洗濯物がからりと乾いた。ありがとう!
もう、しゃんと立って深呼吸。

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