宇宙における森羅万象はエネルギーによって生じている。通常、私たちはこの世界(三次元)における物理法則下にあるエネルギーしか認識しないが、実はさらにその上に、星々の諸力によって生み出される四次元の未知なるアストラルエネルギーが存在する。
「無からは何も生じず」(ex nihilo, nihil fit)と言われる通り、私たちの認識する世界内においては、全ての出来事はその原因や素材となる「何か」から生み出される。この「何か」の主たるものには、先述した物理法則で知られるエネルギーの他に、私たちにとっては未知のものであるアストラルエネルギーがある。私は、この何かを「有を生み出す有、有以外で有り得ぬもの、有であり続けるもの、万有の有」(エヒエ・アシェル・エヒエ)、あるいは、単に「マナス」と呼んでいる。
たとえば、私たちが自らが望む願望や目標を達成しようと思えば、この「マナス」がその都度必要になる。なぜなら、「無から有を生み出す」ことは誰にも出来ないからだ。このマナスはエネルギーなので、他の如何なるエネルギーとも等しく「無限」ではなく「有限」である。また、その他の如何なる存在物と同様に、それは「無規定」ではなく「規定」である。よって、それはコードロジーシステムの中では「コード」とも呼ばれる。
以上に挙げたマナスの性質からも解る通り、マナスは使われればその分だけ減るし、出来事の実現に関して及ぼすマナスの力もまたそれに伴って減少するのである。
だから私たちが、自らが望む物事の実現を常にはかり続けようと思うのであれば、このマナスは絶えず増大させられ続けなければならない(なお、これはマナスの量に関する話であるが、出来事の現象化の質を可能な限り高めるために、私たちは同時にマナスの質の向上についても配慮しなければならない)。
では、具体的にはどうやってマナスの増量を行うのか?
以下にその二大方法を列記する。
・苦しみや困難に喜びをもって耐える。
・善のベクトルを持った「快」を楽しむ。
この二点を日々心がけて行けば、三次元と四次元の世界内で私たちが使用できるマナスの量は確実に増大する。
しかし、マナスの増量によって「物事の実現力」がどれほど高まろうとも、四次元のアストラルコードによって最初に規定されている現象化のスペクトルそれ自体を変化させることは出来ない。
つまり、物質と心魂からなる私たちという存在(三次元と四次元の間にいる存在[中有])は「予め設定され、許された範囲の中でしかエネルギーのゲームを行うことは出来ない」のである。
だから、仮に自分のマナスがどんなに増大を続けたとしても、残念ながらそれによって全ての出来事の生成を私たちが自在に操作できるような日が訪れることはない。
エネルギーと同じく有限性に規定された私たち人間存在の前には、エネルギーのコードという「不可能性の壁」が永遠に立ちはだかっているのである。
しかし、このコードは元々は今ある私たち自身が望んで作り出したものではない。それは偽の神性(簡単に言えば悪魔)によって作り出されたものであり、その存在のアストロDNAから継承されてきたもの(すなわち、カルマ)なのだ。
もし、私たちがこのエネルギーのコード、不可能性の壁、闇のアストロDNA、カルマを越えようと本気で願うのなら、その目的のために私たちが普段使用している三次元と四次元のエネルギーを使うことによってでは全く歯が立たないことを、先ずは良く理解すべきだろう。
なぜなら、コード、壁、闇のアストロDNA、カルマといったものは、その三次元と四次元のエネルギーで出来たエネルギーの宇宙的容器そのものだからだ。
簡単に言えば、水で水を変化させることは出来ず、火で火を変化させることは出来ない、ということである。
では、その宇宙的容器(アカシャの卵)を変化させるには、一体どうすればいいのか。
その方法は唯一つ。すなわち、熱烈なる神への信仰と帰命を通して、マナスの中でも究極のマナスであるところの《エヒエ・アシェル・エヒエ》(=生命の樹の最上位ケテルの神名)との内なる絆を回復し(この回復はティフェレットと呼ばれる調和のセフィラにおいて成される)私たちに授けられる無限にして無規定なるこの神の力によってコードの有限性とその限定(=つまり、エネルギーの牢獄として機能している宇宙的受容器、アカシャの卵)を破壊し、それを突破するしか無いのである。
この術式は、エヒエ・アシェル・エヒエの数543それ自体を通して私たちに示されている。
つまり、五次元の〈神の力〉によって、四次元と三次元をコード(支配)すること。
そして、これが私の言う「上からの革命」というあの言葉の真意なのである。