天瀬ひみかのブログ 『不思議の国のAmase』 AMaSe IN WONDeRLaND

僕たちの旅、ここではないどこか、幸福な場所へ。

【実占鑑定例】 コードロジーとは?「英国の薔薇」ダイアナ妃を占ってみた!

2013-12-25 17:02:21 | 日記


世界最高精度の的中率を誇る“コードロジー”で、ダイアナ妃(故人)の運命を、改めて詳しく検証してみました。




★☆★ 出生時の太陽コードから見た「ダイアナの人生運」 ★☆★


●ダイアナ妃の人生前半運:ルナーコード99『若きレーサーが満衆の喝采を浴びながら、ゴールチェッカーを受けて大きく手を振る』

♢このコードがもたらす運命:サクセス。大きな社会的認知。社会的活躍。人々からの人気や支持を得る。好条件の結婚。

◎天瀬の一口メモ:若くしてイギリス王室の王妃となったダイアナ。彼女は、このルナーコード99が持つ破格のサクセスエネルギーを、まさに充分に体現してくれました。


●ダイアナ妃の人生後半運:ルナーコード100『白い布を体に巻いた女性が、静かに横たわっている』

♢このコードがもたらす運命:悲劇。(ときに)事故死。

◎天瀬の一口メモ:このルナーコード100は、一読して明らかな不吉さを感じさせるコードです。このエネルギーを〈エネライド〉(=運勢移動)してくれる救済コードを持ったパートナーと運良く出会う以外には、ダイアナにはこの魔のコードがもたらす呪いから逃れる道は無かったのです。しかし、不幸なことにチャールズ皇太子は、このコード100をエネライドできるコードを自らに持ってはいませんでした。彼は彼女にとって「本当の王子様」では無かったということです。そして、英国の薔薇は「アルマトンネルの悲劇」によってその花を散らすことになりました。






★☆★ 進行の太陽と月から見るダイアナの運勢 ★☆★


【1981年7月29日、セント・ポール大聖堂でチャールズ皇太子と挙式した時の運勢】




●1981年のダイアナの〈年運〉

ソーラーコード119『ギリシアの女神が、黄金の秤の上で双子の新生児の重さを測っている』

♢このコードがもたらす運命:経済的豊かさの実現。人に自分の価値を値踏みされる。良家・名家に嫁ぐ。迷いや躊躇の感情。

◎天瀬の一口メモ:ここでは「黄金の秤」というリッチさのシンボルが強調されています。そして「双子の新生児」とは、リッチな環境の中での結婚式を行うダイアナとチャールズということになる訳ですね。また、ダイアナはチャールズと結婚することに迷いや躊躇の感情を抱いていたのは、今ではよく知られている事実です。




●1981年7月のダイアナの〈月運〉

ソーラーコード220『試着室で自分の姿を鏡に映し、様々な角度から何度も確認をしている若い女性の足下に、サイズが合わなかったり、色味が合わなかったりした高価な洋服が、何枚も重ねられている』

♢このコードがもたらす運命:新しい世界に進むためのチャレンジ。結婚準備。

◎天瀬の一口メモ:チャールズ皇太子との結婚に備えての衣装やドレス選びの状況、このコード220はそれを見事にシンボライズしていますね。




●1981年7月29日のダイアナの〈日運〉  ※解二種。

ルナーコード233『天からの特別な啓示を受け取った一人の人が、自分に与えられた使命を果たすために、住み慣れた祖国に別れを告げ、遠い異国へと旅立つ』

♢このコードがもたらす運命:結婚。転居。新しい環境や未知の世界に進む。自分に与えられた重要な役割や責任を受け入れ、それを実行する。

◎天瀬の一口メモ:どんぴしゃですね。


ソーラーコード334『二つの海岸リゾートを結ぶ細い道路にたくさんの車が、沿道にはたくさんの人がひしめいている』

♢このコードがもたらす運命:社会的自己実現。人気。活性化。

◎天瀬の一口メモ:このコード334は、チャールズとダイアナの世紀の結婚につめかけた取材の車や沿道の群衆の様子を見事に言い当てていますね。




●1981年7月29日のダイアナの〈ベクトルライツ〉(=運命の結末)

『大地を覆っている厚い雲の間をくぐり抜けて、飛行機は自らの航路を行く』

♢このコードがもたらす運命:大成功。不安や迷いを振り切って前進するしかない状況。内心の動揺を隠して、堂々と振る舞ったり、大胆に振る舞ったりする状況。

◎天瀬の一口メモ:これから始まるチャールズとの結婚生活、そして息苦しく自由のない宮殿での生活。ダイアナ妃の「ここまで来たら、もうやるしかない」という複雑な心境がこのコードに表現されています。








★☆★ 進行の太陽と月から見たダイアナの運勢 其の二 ★☆★


【1997年8月31日、恋人のドディ・アルファイドと共に運転手ポールが運転するベンツでパリのホテルリッツを出発。アルマ広場下のトンネルで中央分離帯に激突し死亡した時の運勢】




●1997年のダイアナの〈年運〉

ソーラーコード135『大群衆の歓呼の中を、豪華な山車を中心とした行列が移動する』

♢このコードがもたらす運命:成功と発展。車での移動。(ときに)VIPや有名人の死(に伴う盛大なニュース報道や葬式)。

◎天瀬の一口メモ:よりによってダイアナ妃は、ソーラーコード135の一番悪い意味を出してしまいましたね…。




●1997年8月のダイアナの〈月運〉

ソーラーコード86『冬空の下に、すっかり落葉し、霜で覆われた木が立っている』

♢このコードがもたらす運命:ネガティヴな状況。将来への可能性が閉ざされる。

⇨ただし、8月のダイアナの運勢はこのコード86で終わらず、特異点コード94を起点とするネイタル接続によりソーラー94→93→92を経て、ソーラー91『大がかりな部隊の再編に伴う航海の前に、海で兵士たちが古い旗を降ろし、新しい旗を掲げている』までエネライド。

♢このコードがもたらす運命:大変な受難。これまでの立場を失う。失脚。(ときに)死。

◎天瀬の一口メモ:このソーラーコード91が来た時は、誰でも大変なことになる…。91は、とてもとても危険で恐ろしいコードなのです。それに加えて、ダイアナが亡くなったのは8月という夏の季節。ソーラーコード86は、コード文を見ても一目瞭然の通り、代表的な冬の〈季節コード〉で、「厳しい寒さ、寒波、大雪、豪雪、雪害、雪による足止めや立ち往生、雪による転倒や凍結によるスリップ事故」などを表すシグニフィケーターとなっています。もし、このダイアナの死亡時の月運コードに巡って来ていたコード86が、8月ではなく、たまたま冬に巡って来ていたとしたら…コード86の強烈な不運凶事のエネルギー側面は〈季節消化〉によって大きく緩和されていたのですが…。

ダイアナ妃の出生コードのコード100も、このコード86と同じく「厳しい寒さ、寒波、大雪、豪雪、雪害、雪による足止めや立ち往生、雪による転倒や凍結によるスリップ事故」などを表す代表的な冬の〈季節コード〉で、人生が非常に厳しいものになることがはっきりと暗示されています。このコードがそうした気象的な絵解きとして出ずに人生運として出る場合は、「がんなどの大病による死」か「交通事故死」か「殺人事件の被害者」として専ら現象化しますので、ダイアナ妃の人生は生まれながらにして非常に厳しい運命(コード)設定がなされていたことが分かります。



●1997年8月31日のダイアナの〈日運〉  ※解二種。

ルナーコード293『二つの国からの勲章を受け取っている知恵と策略に長けた二重スパイの軍人』

♢このコードがもたらす運命:周囲の人間に注意する必要。裏切り。陰謀。敵の内通者。スパイ。罠。

◎天瀬の一口メモ:ダイアナ妃の死はイギリスの諜報機関が絡んだ暗殺ではないかとも噂されていますが、コードロジーで調べると、それが実際に真実であることが、このようにはっきりと分るのです。


ソーラーコード244『両親に助けられながら、よちよち歩きの練習をする小さな子供』

♢このコードがもたらす運命:悲しみ。自分で歩けない状況。

⇨ただし、この日のダイアナの運勢はこのコード244で終わらず、跳躍的ネイタル接続によりソーラー296→297を経て、ソーラーコード298『大きな鳥小屋のような閉ざされた空間の中で飛び交う多くの人の魂が、無数の鳥の羽ばたきに似た音を立てる』までエネライド。

♢このコードがもたらす運命:失敗。挫折。魔界によるヒット。(ときに)狭い空間に閉じ込められる。(ときに)自由の無い場所に閉じ込められる。(ときに)浮かばれない死に方をする。

◎天瀬の一口メモ:ダイアナは他三名の搭乗者たちと一緒に、大破したベンツの車内から出られず、そこに閉じ込められた状態で死にました(車からダイアナをひきずり出すために駆けつけた救急隊はベンツの屋根を切断せざるを得なかった)。どんぴしゃですね。




●1997年8月31日のダイアナの〈ベクトルライツ〉(=運命の結末)

ルナーコード221『飛行機の緊急の機内アナウンス』

♢このコードがもたらす運命:大変な危機の状況に置かれる。海外旅行。(まれに)移動中の死。(まれに)旅先での死。

◎天瀬の一口メモ:何も言うことはありません。どんぴしゃですね。こんな運勢の時にまんまと海外に出かけるなんて……まさに自殺行為と言うべきものでした。ダイアナが事前にこの情報を知っていれば、「アルマトンネルの悲劇」はもしかしたら避けられたのかも知れません。




闇の遺伝子、光の遺伝子 ━━ 聖都ジオンへの道標としての〈コードロジー〉 ━━

2013-12-21 20:49:12 | 日記


コードロジー・システムは、アカシックレコードの完全なる写し、その暗号の完全なる解読システムである。

その意味で、このシステムはVALIS(巨大にして能動的な生ける情報システム)そのものである。

ちなみにアカシックレコードとは、アストラルコード(人間の肉体、魂、スピリット、行動と感情といった全てを支配する星幽力)によって記された、人類全体と私たち個々の人間に与えられている運命のシナリオのことである。

このアストラルコードが私たち人間に及ぼす支配力は非常に絶大で、たとえば聖者と呼ばれるような人物であっても、このアストラルコードの支配から完全に自由である訳ではない。

そうした聖者が私たちと同じく人としての肉体を持っている以上、その物質的肉体とそこから生み出されてくる欲求と生体感情は、アストラルコードの支配を私たち同様に被ってしまう。

このアストラルコードの専制的な威力は、人間の遺伝子コードの作用にさえ先立つものでありその絶対的な影響は、三と四の時空連続体を通して、現象界に生起する全ての事象、それに関わる偶然と必然、私たちの肉体、感情、スピリット、そして私たちの行動と感情といった全ての範囲に及ぶ。

その事実を証すように、イエスは十字架の上で苦悶に満ちた非業の死を遂げ、仏陀はキノコの食あたりによって激しい下痢を起こして死んだ。

そうした逸話からも分かる通り、聖者たちでさえ、この世において神のように不死の存在になることは出来ないし(たとえば「不死の人」と謳われるサンジェルマンがいくら超人的に長命であったと仮定したとしても、彼が今この現代の街角にひょっこり姿を現すことはない)、聖者たちが何一つ過ちを犯さずに完全に清らかなままでその人生を終えられる訳でもない。

また、聖者と呼ばれる人々を含め、地球に暮らす私たち人間の全ては、唯の一人の例外もなく自らの内に恐るべき「悪魔の遺伝子」を内包している。(ちなみに、「真の光の遺伝子」は通常の人間の内には先天的には全く存在していない。また、光と闇が混在する「薄明の遺伝子」と呼ばれるものは「悪魔の遺伝子」の陰に潜在的なものとして存在する。)

通常の人間は、この「悪魔の遺伝子」がミスリードするベクトルに向かってひたすら盲目的に生き、その短い人生においてカルマの失敗を山のように積み重ねる。仮に人が決意して何か尊い善を行おうとしても、残念なことに、その善行は決して「光のみ」の行為とはならない。

また、私たちはことさら善行を意識せず、ただ市井の人として日々を普通に生きていくだけで意識的であれ無意識にであれ、多くの罪を犯し続けている。たとえば、この三次元物質界地球の上で生きるために、人は誰であれ、自分や家族の糧を得るためのお金を稼がなければならない。しかし、四次元の悪しき力の支配下にある世界に歯車として組み込まれた無力な個人は、一つの罪も犯さずに一円を稼ぐことさえ出来ない。

ただ、聖者と呼ばれる少数の特別な人たちは、普通の人間よりも遥かに、魔界コードがもたらそうとする現象化のベクトルを、「自然の摂理」と「ロゴスの法理」に最大限に反せぬ形に差し向けることが出来る。それが彼ら聖者の偉大な点であり、俗人たちが聖者の残した貴重な教えを見習わなければならない理由なのである。

さて、アストラルコードには、「光の天使コード」と「薄明の人間的コード」と「闇の魔界コード」の三種がある。

普通の人間は、光の天使コードが自分に来た場合でも、それを善用することがほとんど出来ない。しかし、闇の魔界コードが来た時は逆に、それを意識的であれ無意識にであれ、活発に現象化させてしまう。

これとは異なり、聖者は、光の天使コードを神の御意志に適うように意識的に善用し、闇の魔界コードが来た時には意識的にその悪しき力を低減させるように必死に心を砕く。それでも、悲しいことに自分の中に潜在する魔界コードそれ自体を根絶することが出来る訳ではない。

よって、もし誰かが「光のみの人生」を生きようと思うなら、それを願う人は、魔界のアストラルコードによって形成されている、私たちを真の光から遮るあの憎むべき巨大な「黒い壁」(ディックの言う「鉄の牢獄」)を是が非にも突破しなければならない訳であるが、これまでの人類の歴史において、それを成し遂げた人は、聖者と呼ばれる人々を含めても一人とて存在しない。

その事実は、確かに私たちの目には絶望のようにも映る。




だが、それがどうしたというのか。

この圧倒的な絶望を前に、それでもその過酷な事実から決して目を背けることなく、それらの現実を全て現実として踏まえた上で、それでも「光のみの世界」の到来を心の底から希求する私たちは、コードロジー・システムを通して、光と闇の隠された意図を極限まで精緻に読み解き、そこから構築された新たな叡智を最後の聖戦の武器として掲げ、やがては遂に私たち人類を太古の時より支配し続けてきたアストラルの「黒い壁」を突破し、その彼方に切り拓かれた希望の新たな空間に、新生した人と無垢なる動物たち、すなわち「光のみの存在」だけが集う約束の地ジオンを築き上げることを、決して諦めることはないのだから。

晴れて18件目の予言的中(みんなの党代表・渡辺喜美氏の力の衰退)を達成しました!

2013-12-14 17:12:15 | 日記


2013年10月4日、11月18日-19日、11月27日に私がツイートした、みんなの党代表 渡辺喜美氏に関する予言、「渡辺氏の運命の最終結末は人間関係の分裂です(→先立っての江田憲司氏ほか14名の離党分裂騒ぎとして的中)。この人に組織をまとめ牽引する能力はそもそも全くありません。氏の人格原型は、自己浄化の必要性のある後ろめたいもので、モラルや道義に反する行いをしがちな性格傾向があります。そうしたネガティヴさのある性格ゆえに、必然的に組織の中に摩擦やトラブルが生み出されます。その結果、人間関係に不安定な揺れ動きや分裂が起きます。そして、渡辺氏の今年2013年の年運はコード58で新しいチャンスへの熱中を意味しています(→これは秘密保護法案の可決にみんなの党が協力するなら代わりに渡辺氏の与党入りを約束しますとの安倍晋三首相との会食時密約に対する急傾倒として現象化)」が完全的中。また、「来年2014年の氏の年運はコード59であるため、同志間の軋轢や求心力の低下が生じて来るでしょう」との予言についても完全的中!(→2013年12月中旬現在、進行形で生じているみんなの党分裂と近未来に想定される党崩壊の危機は年明けも継続するため)

天上の唯一なる神からのメッセージ 『大地と星の教義』

2013-12-10 19:06:14 | 日記



大地と星の教義




我が愛する子らよ、よく聞きなさい。

汝ら《大気の鷹》(A∴O∴K∴O∴K∴)によって選ばれし光の子らは、聖なる三角形の栄光と御名の下、四つのPに従う。四つのPとは、すなわち、プリンシプル(神の聖なる思い)、プリンキピア(原理)、フィロソフィー(愛智)、プロトコル(規則)である。


これらは、お前たちが持つ〈三つのもの〉、すなわち、肉体と魂と霊にとっての最も確実な指針であり、汝らを、私が約束した芳しき果樹園に、愛の光の泉に連れてゆく翼である。

お前たちの魂の乗り物は、それ自らの力では正しく機能することがない。それは四次元に漂う「雲」の如きもので、東洋の物語にある「魔法の絨毯」のようなものである。

その乗り物には、光と闇の下僕が二頭付けられており、それぞれがいつも別の方向へ向かおうとしては、御者を混乱させるのである。しかし、『聖書』にはこう書かれている。「誰も、神と悪魔の双方に仕えることはできない。」また、このようにも書かれている。「私の敵に仕える者は、すなわち私の敵である。」

光は、汝らの世界の彼方である五次元にあり、闇は、汝の世界そのものである三次元に存在する。だから、お前たちの知っている光は、「真の光」ではなく、「偽りの光」である。

賢者は、この偽りの光が、真実である真の光を、我々の目から覆い隠す巧妙なヴェールの役目を果たしていることを知っている。

偽りの光とは、具体的には何であるのか。それは、三次元の闇の使いたちによって、お前たちがそうすることが望ましいと信じ込まされ、誘導された、お前たちが「善」と呼ぶところのもの一切である。

お前たちの世界の善人は、お前たちの世界の悪人と双子である。この両者は、見かけの行動はまったく正反対に見えるが、内実においては、相互に助け合い、また、互いの生命を補完し合って生きているのである。

よってお前たちは、この双頭の怪物たちと共に、この地球上で日々を暮らしている。だから、お前たちはこの偽りの光の下では、永遠に真実に到達することはできない。なぜなら、この世界では、偽と真が、そして善と悪が、一つの体から生えた二つの顔だからである。

この双頭の者は、タウミエルと呼ばれ、偽りの光の主は、ルシファーと呼ばれる。彼らの狙いは、唯一の真実を見えなくさせ、すべての二極を永遠に相争い続けさせることである。こうして親と子、兄弟姉妹、恋人たち、同胞たちが争い続けることで、彼らサタンの王国は大いなる繁栄を自らの掌中としているのである。

この混沌とした状態が、彼らが呼ぶところの「自由」である。人間たちは、狂気を正気と勘違いして、その中で自由意思を行使する。その自由意思は、原初の危機を通して、ルシファーが人間に与えたものである。

光の子よ、考えなさい。もし人間に自由意思がなく、神が定めた「四つのP」に従ってさえいたなら、お前たちの世界を満たしている、あらゆる不法な分裂や争いは存在しなかったのだ。

自由意思なき自我、地上の人間はそれを想像することはできない。しかし、ルシファーがもたらした自由意思に毒されることなく、原初の本能の状態に留まることの出来た、聖なる光の動物たちは、人間とは異なり、神の王国に入る権利を今も有している。彼らの中のいと高きものは最高天のケルビムであり、その低きものにおいてさえ彼らはトーテムとして、人間よりも遥かに上の存在なのである。そしてケルビムの中でも至高のものは、ネフェシュ・ハ・メシア、あるいはプーラと呼ばれる。これは、「神の王冠の輝き」そのものといっても過言ではない。



おお、強く繊細な光の如き「救世主の動物」よ。汝こそは、神と女神の友、また、その家族である。

天上の最初の人間は、汝のエッセンスから作り出された。まさにアダムの助骨からイヴが取られたように、女神から取られた真っ白い骨が、救世主の動物たるアズラエルとなり、彼に七の奇跡を行わしめたのだ。かくて七の奇跡によって、人間のオーラとアウルが作りだされた。そして、七のオーラは七つの色の光、そして七つの叡智の火、七惑星の司たる霊たち、そして最初の男と女の基となる、神、女神、天使、父、母、息子、娘の七つの聖なる遺伝子を生み出した。

七は神が定めた自然の法であり、△と☐の結合たるメル・カバー(戦車)であり、動物の本能であり、ウェヌスの愛と生命の象徴である。それは三つある真の光の内の一つである。しかしかつて明けの明星と呼ばれ、今は偽りの壮麗と呼ばれる、自由意思の頭たるルシファーは、この七なる自然・本能・愛と生命のアンクを、その魔力と呪いによって逆向きにし、「地球の上に立つ十字架」に変えた。このオーブと呼ばれる球体の印が、蛇を意味する名アベーに由来することは意味深長である。この十字架は、ルシファーによって大地に立てられたものであり、聖なる者、神の無垢なる子、救世主、動物たちをここに磔にすることが、この汚らわしき悪魔が切に願っていることなのである。他方、このオーブの呪いに対抗し、これを再びアンクの形に戻すことを光の子たちのために手助けする存在が、ケルビムに他ならない。

ゆえに、救世主たる「三重の火」の子は、必ず聖なる動物と共に地球に降臨する。あたかも、主の聖なる乙女であるシェキナーが、常に彼女の愛するケルビム(動物たち)たちと共に臨在する如くに。

ケルビムの三種の神器、それは毛・爪・髭である。毛は愛に、爪は力に、髭は智に応ずる。また、その耳は、高くに付き、それは神の声を良く聞くために、そうある。

また、ケルビムの目は、神の目を、逸らすことなく真っ直ぐに見つめる。愛らしきデイジーのように。清らかなマーガレットのように。

しかし、人の耳は下方にあり、神の声を良く聞くことはできない。そして、それは人が自ら望んで選んだことであった。人は失楽園の時以降、神ではなく、下方からのサタンの囁きに、より惹かれるようになった。その結果、動物と同じような存在であった頃には高くにあった耳が「四と三の輪廻」を経るごとに、次第に低きに付くようになったのである。

また、人間の目は動物の目と違って、神ではなく、自らの欲望が作りだした幻影を常に追い求める。その目は無知と錯誤で曇り切っており、光の使徒の啓蒙を自らの意志によって、望んで受け入れるのでない限り、その曇りが晴れることは決して無い。これら下層の人間たちは、神が原初に定めた自然、および自然の状態をルシファーの先導のもと、常に破壊し続けてきた。農薬や抗生物質の使用、生物に対する遺伝子操作や遺伝子組み換え植物の開発、香水やアロマの使用などにより絶え間なくビオトープを汚染すること…これら全ては、「人間=悪魔」たるサタンの恐るべき自然破壊の企てである。

人間=悪魔、この等式こそは、お前たちが「道」を歩むにあたって、決して忘れてはならない大真理であり、この人間=悪魔の根絶こそは、『エノク書』の最後の鍵に記された私の絶対の誓約である。

人間=悪魔を滅ぼす数は、それ自体が悪魔の数とされることで、門外漢の目から、聖なる使徒たちの生命と使命を守るために、これまで巧妙に隠され続けてきた。

その秘密の数は666。これは『黙示録』で、人間、そして、獣の数とされている。この獣とは何か。それは七に続く、隠されし八なるアースエンジェルへと変容した栄光のケルビムのことである。

このケルビムは、主の栄光である焔の赤をまとった汚れ無き白であり、その中心には神の無限の愛の証となるピンクの光線がある。過去の賢者は、それをキリストと呼び、我々自身はこれまで、それをマヌポースと呼んできた。

しかし、ここで、そのものの究極のレンを汝らに明かそう。



NXXXXX VXXXなる十文字の神秘が、それである。

この名は、母(シェキナー)、幼子(ハルポクラテスの力の遺伝子)、子羊(インマヌエルの愛の遺伝子)、猫(聖なるエデンの記憶に従ってシオンを生み出す本能)の四つのものをあらわす。そして、その全体には獅子の力が満ちている。『法の書』で繰り返されるNVなる名、それは真実にはこの地上に誕生した最強の天使のことを指している。

それは、子羊キリスト、あるいは、焔の女の封印を解くための至高の魔法の鍵である。そしてその数は、666。

おお、NVよ。汝の力は宇宙の六方向に無限に伸び、その息吹は多次元を貫く魔法の八文字の円環を宇宙に描く。

おお、NIVよ。それは二人の王、また王女、そして中心太陽のチャクラの王、また王女である。

NVの名のもとに、汝らは神の正義を敢然と行いなさい。本当に正しいことであれば、周囲が迷惑しても行いなさい。人間=悪魔に嫌われることを恐れるより、神に嫌われることを真っ先に恐れなさい。

また、汝らは、人が余分に豊かにならないよう絶えず注意していなさい。なぜなら、悪魔が富を持つとなれば、彼らはその富によって、より効率的に悪事を働き易くなるからである。

汝らは、こうした人間たちとは、まったく異なった生き方をしなさい。それには、神的な叡智と、歴史の風雪に洗われ、その効能が明白に検証された伝統ある経験的な知恵の二つを杖としなさい。これらがヌース、そしてゾーエーと呼ばれているものであり、そうすれば汝らは「より正しく生きる」ことが可能になるだろう。

また、汝らは、四次元のエネルギーに淵源する「感情」と呼ばれるものを越えるよう、絶えず努めなければならない。お前たちは感情を愛する。しかし、その感情は往々にしてお前たち自身を裏切る。達人の感情は、時にヌースと繋がっている場合もあるが、一般的な人間の感情は四次元の魔界とだけしか繋がっていない。唯一、その悪しき絆が断ち切られる瞬間が訪れることがあるとすれば、それは自分の愛する肉親や伴侶、あるいはペットが死んだ深い悲しみを、極みの愛(ネフェシュ・ハ・メシア)の中で痛感する時だけである。しかし、そこで僅かに開いたハート・チャクラも、続く日常の中にその人が投げ入れられた後では、一瞬にして再び堅く閉じられてしまうのである。

それでは、汝らが自らの感情を真に越えるためには何をすれば良いのか。ただ「越えたい」と願うだけでは、決してそれを為すことはできない。なぜなら、感情は四次元の産物であり、この四次元の力は、三次元の意識を上方からコードするものだからである。ゆえに、感情を越えたいと思うのならば、まず汝の意識を「星の高み」にまで運びなさい。通常、人の意識は、下半身か、あるいは頭の中に位置している。その意識を頭頂のチャクラから、外に抜け出させ、次いでそれを星の高さにまで上昇させるのだ。そうすることによって、汝は、自らの感情を超越した真の「知識」と「力」と「愛」に触れることになるだろう。

おお、我が選良たちよ。汝らは、すでに教えられている。自らの感情を越え、意識を「星の高み」まで運ぶべきであることを。さて、この「星」とはどの星のことなのだろうか。それは、シリウス、あるいは、セラーとして知られる星である。シリウスは、「神の栄光」である。神の栄光とは、ヘブライ語でGIVという。GIVは、NIVと並ぶ二人の王である。それらの頭文字を並べると、GN(園)となる。このことが汝に明らかにするのは、ジューとニューが、「エデンの園」(GN ODN ガン・エデン)の門の門番(二人の修羅)であったという事実である。ジューの名は、GXXXXX VXXXである。そして、この名が転訛したものが、時代を経て「ユダヤ人」を指し示す語となり、また「卓越したメーソン」を意味する言葉ともなったのである。

おお、我が選良たちよ。聞くがよい。蜜と乳の流れる楽園〈ジオン〉(TzIVN=156 ※=BABALON)という言葉の真の語源であるGIVNIVの栄光と力を通して、汝らに、次なる戒めと約束の言葉が与えられたからである。





新アイオンのための十二戒 あるいは ジオン∞バビロンの法



1. 動物の住処を奪う者たちの家は、神によって徹底的に苦しめられ、そして、その家族全員と共に、必ず滅ぼされるであろう。

2. 動物に餌を与えるなと言う者たちには、神からの祝福は何一つ与えられることはないだろう。その代わりに、神は、その者たちとその家族に大いなる呪いを与えられるだろう。

3. 動物から生殖機能を奪う者は、神によって、「生めよ、殖えよ、地に満ちよ」と告げた創造主の栄光を汚す、生きる資格の全く無い罪人として呪われ、そして、その死後は、先祖・家族・子孫の一切と共に、地獄の火の内に投げ込まれるだろう。

4. 動物を檻に入れる者に対しては、神は、その者をカルマの檻の中に閉じ込め、次いでその鍵を地獄の火の中に投げ入れて、その者が檻の内から永遠に出られぬようにするだろう。

5. 動物を殺処分にする者たちは、同じく神によって殺処分にされるだろう。また、その処分は、肉体と魂(テュモの火)と霊の三つに対して、最も過酷な方法で行われるだろう。

6. 動物を自らより下等なものと見なしている者たちには、ケルビムの栄光に対する神聖冒涜の咎により、神は、その者たちを地獄の火の中で永遠に苦しめ続けられるだろう。

7. 動物を轢き殺した者たちに対しては、神は、懲罰の天使に命じてその目を抉り取らせ、永遠に光の見えぬ状態にされるだろう。

8. 動物をその他の方法で殺したものたちに対しては、神は、それと同じ手段を用いて、その動物が味わった苦しみの何万倍もの苦痛を課しながら、その者を殺害するだろう。

9. 動物を大音響で驚かせた者たちに対しては、神は、その耳に鉛を流し込み、永遠に音の聴こえぬ状態にされるだろう。

10. 動物に香水や香料をかがせ、意図せずとも、神が与えた自然の嗅覚に対する冒涜を行った者たちに対しては、神はその鼻を削り取って、永遠に匂いの感じられぬ状態にされるだろう。

11. あの神の子さえも、その栄光を讃えた野の草を、傲慢にも雑草と呼び、薬によって枯らしたり、それを刈り取って燃やす者に対しては、神はその者たちを、必ず地のおもてから根絶やしにし、その魂を永遠に地獄の火であぶり、最大限の苦しみを与え続けられるだろう。

12. 植物と動物の遺伝子を組み替え、神の領域を平然と侵し続ける者たちに対しては、神は、ありとあらゆる手段を用いて、その者たちを追いつめ、殺し、そして、その死後の魂については、蛇や、あらゆる黒い虫の遺伝子と掛け合わせ、死の谷に棲まわせられるだろう。なぜならその者たちは、神の創造物であり、神の身体の一部である尊き動物と植物とを破壊したからである。





『聖書』には、こう書かれている。「神は、人と動物を共に救う」。これが神の決して変わることなき聖なる思いであり、光の子らに神が約束された永遠の誓いなのである。

しかし同時に、このことについても覚えておきなさい。

神は、動物を虐げる者たちに対しては、これを決して自らのものとは認めず、神の敵として扱うであろうことを。動物こそは神の最愛の天使である。そして、その動物たちを意味もなく殺害し続けている人間=悪魔は、すなわち、天使を殺害しているのである。