銀の人魚の海

日々の思いを好きに書いています。映画、海外ドラマ、音楽、本。
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イコライザー THE FAINAL ★★★

2024-05-15 | wowow鑑賞19年6月から あ行~さ行

シリーズものとしらず初見。

デンゼルワシントン。Dファニング。

14年が初、この3作目で終わり。

イタリア、シチリア、チンピラミニミニマフィア対、

元CIAのデンゼルが対決する。とにかく悪を見ると

殺したい、興奮状態になる。(笑)

冷静ではないがイタリアミニ一人「ゴッドファーザー」風。

カトリシズム満載で、ラストは祭事?

何だろう?行列が続く。その最中に悪を殺す。

デンゼルが強すぎ、チンピラが弱い。(笑)

かなり残酷な殺し方で、血が吹き出る。

デンゼル68歳、アクションまあ健在。


クラシックの庭 広津留すみれ

2024-05-15 | ラジオ FMなど

午後のFM、新聞にピアソラとあり、聴こうとつけたら、

ゲストが羽鳥さんのコメント。

バイオリニスト、広津留すみれだった。一押し、曲などを聞けた。

Mリヒターアレンジの四季が録音できたは嬉しい。

リヒターのクラシックアレンジ。こんな風になるのね。

「冬」もおすすめと。

広津留は、大分生まれ。両親共に音楽好き。2歳位から習う。

記憶にないほど。

当時周りにお手本はなくCDが先生だった。

バイオリンはピアノより費用がかかり教師も少ない。

買い替えが必要。大分ではわかる。

やめたいと思ったことはない。

弾き拍手がもらえるのが嬉しかったと。

バイオリニスト、川井郁子は香川生まれ、60歳くらいか?

当時、確か東京あたりまでレッスンに通ったと読んだ。

広津留は、ハーバード卒。ジュリアードで学ぶ。

英語が初めは大変だったと。

とてもメンタルが強いと感じた。

チェロのヨーヨーマと共演した曲も。世界各地で演奏。

初めてアルゼンチンへ行きBネオン奏者とタンゴの録音。

タンゴが大好き。南米のタンゴ奏者は弓の使い方が自由。

まだ20代、ジェイコブ・コリアーの衝撃のライブを聞いた。

300位の声を重ねている。ライブでは観衆と一緒に

即興し曲を作ってしまう。これはNYでかな・・

特集「ワタシノイチオシ」廣津留すみれ(バイオリン)を迎えて

〇無伴奏バイオリン・パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004から「シャコンヌ」 廣津留すみれ(バイオリン)

作曲: バッハ (14分24秒) <fine NF NF-29601> メモリーズ ヒラリー・ハーン(バイオリン) 、コリー・スマイス(ピアノ)

〇作曲: 大島ミチル (3分56秒) <Deutsche Grammophon UCCG-1642~3>

〇「四季」から「春」リコンポーズド バイ マックス・リヒター

ダニエル・ホープ(バイオリン) 、マックス・リヒター(シンセサイザー) 、

ラファエル・アルパーマン(チェンバロ) 、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団(管弦楽) 、アンドレ・デ・リッダー(指揮)

作曲: ヴィヴァルディ (9分40秒) <Deutsche Grammophon UCCH-1037>

〇明日に架ける橋 ジェイコブ・コリアー(プロデュース) 作詞: ポール・サイモン 作曲: ポール・サイモン (5分52秒) <DECCA UCCM-1273>

〇ラ・カモーラⅢ アストル・ピアソラ(バンドネオン) 、ザ・ニュータンゴ・クインテット(演奏) 作曲: ピアソラ (11分3秒) <Nonesuch WPCS-10200>

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Jリーグの日 31周年

2024-05-15 | サッカー

野球、大谷だらけだが、サッカー、欧州もやっている。

6月決勝か。少しみている。

Jリーグ、今夜は放映ある。

当時はまだサッカーに興味はなかった。

家族が中学に入り、ゴンちゃん、磐田サポになり、

一人で行かせるのは、とお付き合いで国立へが初。

その後磐田のサポ女性たちと友人になった。

ウサギがペットの女性のHPをみたりした。

昔は10チーム、今は下部まで60くらいか・・

私のお付き合いは減ったが、サッカーは時間が決まり

しっかり見てないとゴールを見逃す。制限あるスポーツ、

ケンカもたのしい(笑)ので唯一みるスポーツ。


福島モノローグ 2011~2024 NHKスペシャル

2024-05-15 | ドキュメンタリー NNN、Nスぺ、ガイア、BS世界のドキュメンタリー~など

良いドキュメントだった。制作、NHKエデュケーショナル。

ディレクター女性。カメラ、音楽もよかった。

福島、富岡町に住む、M氏現在64歳。

爆発後、20キロ圏内は避難指示が出て、入れなくなった。

多分父母と3人暮らし。彼は一人、家に残った。

父母は避難先で亡くなる。帰りたいと言ったがかなわなかった。

「高卒後、福島原発の建設ブーム。給料は東電単価で高い。

出稼ぎなしですんだ。だから皆働いた。

おらにも責任はある。原発を作ったんだという。

爆発は東電の責任だが。

納得できない保証金は受け取らず、寄付、貯金でここから

出ず暮らしている。国への抵抗、国の不始末の生き残りだ」

世界にも彼の行動が発信、仏などの新聞、雑誌に写真が掲載、

「福島のサムライ」とあった。

彼の信念が強く出たドキュメント、考えさせられた。

方言なので字幕いり。一人で自身、光景をカメラで撮影のシーンもある。

初めは1週間で終わると思った。

犬ねこ牛、350匹以上を助けた。

犬を置いて逃げられなかった。

餌がなくあばらの犬、鶏舎ごとニワトリ全て餓死。

一人で惨状、悲惨な光景を多数みた。

道に死んでいる動物。犬、ねこ、牛、ダチョウなどを埋めた。

牛を助け飼ってきた。17年9割が解除され人が戻った。

高齢者、若い家族も少しいる。

政府は田を除染というが、掘ると石ころが出てくる。

これで除染かよ~~100年かけて開墾した田。

新潟からの開拓民だった。農業、畜産でがんばって生きた。

ヤマ、と言うロバはペットで、最後まで牛と一緒にいたが

ヤマも死んだ。

17年町は解除された。新年に決意。

また米を作る!初日の出を見ながら一人でがんばると誓う。

作業員は岡山、茨城県からもきている。

町が死んでいる感じ。人をみない。

田畑の多くは農業をやめ、メガソーラーが設置されている。

M氏、昔は小学校700人。もう思い出せない。

無農薬で米を作る。石ころを除き、稲を植える。

稲は見事に育ち、90歳の男性に、よくやったといわれる。

一人では食べきれない。10表はあるか・・

普通の食事はご飯と梅干、塩をかけ質素。

できたコメを近くの帰還した家に配る。

家は平屋、しっかりと建っている。

放射能さえなければ、普通の光景。

昔は31日に早朝から餅つきをみなでした。

大正時代の脱穀機を出し、修理して使用。

23年1月、もち米ができ、餅つきを久しぶりに

おばさんのような女性と一緒。M氏、嬉しそう。

震災後初めて赤飯をたき、90歳の家に餅と配る。

「のどにつまらせないように」

13年経過、3月11日、富岡町広報のお知らせが流れる。

黙祷。14時46分。

M氏「九州、能登地震があり、明日は我が身の日本。

私もかわった、立ち向かい生きていかないと。

一人で生きていく。ここで」

ラストは夜の桜並木を歩く姿。

~力強い心、ずっと独身か?震災時、50代だったので身体も丈夫。

何でもこなすスキルがあった。

私も東日本大震災から、考え方は変わった。

お元気で、帰還した人たちと

故郷でゆったり過ごすといい。

政府に対する思いも語る。静かなドキュメントだった。