現在、ウェブリブで『異常なる感性』という小説をリリースしています。すでに、第三章”Ωの輝き”、第二章”饗宴”、それに第一章の”回想Ⅰ”の8節までリリースが完了しています。勿論、この『異常なる感性』という作品は全24巻、トータル24000ページほどの超大河小説になる予定なのですが、完成に至るまでにあと何年ほどかかるのか、その見当もついておりません。ただ、言えることは、この小説はこれまで人類が生み出してきたいかなる小説よりもそのスケール、思想、哲学、学門、専門、学際性、宗教性、芸術性、独創性、異常性…といったことにおいて、前人未到の境地を築くものでありましょう。もし、まだご覧になっていないようでしたらご一読をお薦めしております。
さて、本題の精神分裂病と天才との関係ですが、すべての精神分裂病者が天才であるとは限りませんが、逆に、ほとんど全ての”天才”たちは例外なく”精神分裂病者”あるいは”精神分裂的”な気質を内在させている…ということ、このことは疑うわけにはゆきません。実際にそうなんですから。また、一般論になりますが、精神分裂病について論じることは”時間”について論じることを意味するのですが、その場合も通常の”時間論”、”空間論”を遥かに超えた、”超越論的時間論”、”超越論的空間論”といったことを踏まえ、さらに、数学でいうところの”コンパクトHausdorrf空間”の意味あいを含めたところの空間トポロジーを意識した”空間論”を介在させたところの”時間論”というものを考える必要があるのではないでしょうか?
数学において、”帰納的極限”、”射影的極限”といった基本的な概念がありますが、これを拡大解釈させれば、”超越論的超越超限帰納法”あるいは”超越論的超越超限斜影法”といったことが考えられ、このようなあたらしい概念を”意味論的空間トポロジー”という総合的な新しい学門で新たに装いを凝らし、精神病理学への応用へと橋渡しが可能であるか、そのことを考えてみたい。
意味論的空間トポロジーを展開するに先立って、ソシュールの言語学、およびソシュールの記号学が前提とされているが、この認識は当然なものである…ということで省略することにする。
現在、巷ではいわゆる”脳科学”、”神経科学”といった学門がもてはやされているが、このような”底の浅い”学門の行く先は非常に寂しいものを感じるのは筆者だけであろうか? いずれにしても、”意識”の問題、”精神”の問題、”こころ”の問題、”精神分裂病”の問題を論じるには、それなりの”背景”、”前提”、”条件”、”仮説”、”総合的な洞察”…といったものがなければなりません。
はっきり申し上げて、現在の”精神医学”のレベルでは”精神分裂病”の本質に迫るだけのその方法論を展開できるだけの総合的な戦略は皆無である!…と認識しています。
では、どのようにアプローチしてゆけばいいのでしょうか? それを、このブログではこれから長い目で追求しようとしているのです。もちろん、”教育”、”宗教””哲学”、”文学”といったことがらも総合的に含めながら、基本的には”精神医学”、”精神病理学”、”深層心理学”、”異常心理学”および”精神分析学”といったこれまでのオーソドックスな学門の援用を含めての話しですが…。
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第一章 回想
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一 存在の奥義 前半
一 存在の奥義 後半
二 魂の食事
三 出会い 前半
三 出会い 後半
四 変化の兆し 前半
四 変化の兆し 後半
五 世界認識
六 なつかしい人々
七 離別への決意
”八 自問自答”
”九 分厚い封書”
”十 反逆者の内面”
”十一 宗教談義”
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本格小説
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■ 『異常なる感性』
第一章 回想
第二章 饗宴
第三章 Ωの輝き
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論文集
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■ 『信のたわむれ』
■ 『知のたわむれ』
■ 『覚のたわむれ』
■ 『現代のたわむれ』
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関連作品:
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
■ 『インターネットで見た光景』
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関連記事:
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『モツニ自らを語る(その2)』
『モツニ自らを語る(その1)』
『Ωの輝き』 《解説(その2)》
『Ωの輝き』 《解説(その1)』
「産経新聞はアホや」について
「産経新聞はアホや」(つづき)
『一即一切』について
『色即是空』について
「価値なき神」の哲学日記 №209について
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関連ブログ:
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■ ライブドア・ブログ
(世相、時事、哲学、宗教、政治、経済、その他)
■ エキサイト・ブログ
(AI、意味処理、知識処理;脳科学、神経科学;機械翻訳、その他)
■ ウェブリブログ
(文学、小説、哲学、論文、作品、ファンタジー、その他)
■ gooブログ
(心理学、精神医学;脳科学、神経科学;教育、思想、哲学、その他)
さて、本題の精神分裂病と天才との関係ですが、すべての精神分裂病者が天才であるとは限りませんが、逆に、ほとんど全ての”天才”たちは例外なく”精神分裂病者”あるいは”精神分裂的”な気質を内在させている…ということ、このことは疑うわけにはゆきません。実際にそうなんですから。また、一般論になりますが、精神分裂病について論じることは”時間”について論じることを意味するのですが、その場合も通常の”時間論”、”空間論”を遥かに超えた、”超越論的時間論”、”超越論的空間論”といったことを踏まえ、さらに、数学でいうところの”コンパクトHausdorrf空間”の意味あいを含めたところの空間トポロジーを意識した”空間論”を介在させたところの”時間論”というものを考える必要があるのではないでしょうか?
数学において、”帰納的極限”、”射影的極限”といった基本的な概念がありますが、これを拡大解釈させれば、”超越論的超越超限帰納法”あるいは”超越論的超越超限斜影法”といったことが考えられ、このようなあたらしい概念を”意味論的空間トポロジー”という総合的な新しい学門で新たに装いを凝らし、精神病理学への応用へと橋渡しが可能であるか、そのことを考えてみたい。
意味論的空間トポロジーを展開するに先立って、ソシュールの言語学、およびソシュールの記号学が前提とされているが、この認識は当然なものである…ということで省略することにする。
現在、巷ではいわゆる”脳科学”、”神経科学”といった学門がもてはやされているが、このような”底の浅い”学門の行く先は非常に寂しいものを感じるのは筆者だけであろうか? いずれにしても、”意識”の問題、”精神”の問題、”こころ”の問題、”精神分裂病”の問題を論じるには、それなりの”背景”、”前提”、”条件”、”仮説”、”総合的な洞察”…といったものがなければなりません。
はっきり申し上げて、現在の”精神医学”のレベルでは”精神分裂病”の本質に迫るだけのその方法論を展開できるだけの総合的な戦略は皆無である!…と認識しています。
では、どのようにアプローチしてゆけばいいのでしょうか? それを、このブログではこれから長い目で追求しようとしているのです。もちろん、”教育”、”宗教””哲学”、”文学”といったことがらも総合的に含めながら、基本的には”精神医学”、”精神病理学”、”深層心理学”、”異常心理学”および”精神分析学”といったこれまでのオーソドックスな学門の援用を含めての話しですが…。
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第一章 回想
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一 存在の奥義 前半
一 存在の奥義 後半
二 魂の食事
三 出会い 前半
三 出会い 後半
四 変化の兆し 前半
四 変化の兆し 後半
五 世界認識
六 なつかしい人々
七 離別への決意
”八 自問自答”
”九 分厚い封書”
”十 反逆者の内面”
”十一 宗教談義”
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本格小説
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第一章 回想
第二章 饗宴
第三章 Ωの輝き
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論文集
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■ 『拝啓 小学生の皆さんへ』
■ 『拝啓 頭のおかしいおじさんへ』
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『モツニ自らを語る(その1)』
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