紫の落書き帳

唯、思った事を書き殴ってる丈の馬鹿馬鹿しいブログです。読者受けやアクセス数は全く意識してません。

タンタン追悼式Youtubeより

2024-05-10 15:16:32 | 地元意識・都道府県
抽選には落ちましたが仕事休んで良かったです。見入って仕舞いました。
飼育員の御二人は勿論、加古園長も途中で洟を啜ってました。
一般参列者は殆ど普段着でした。
不祝儀なのに、関係者は何故か赤白の胸章を付けてました。

(14:00〜15:01)
開式の辞


加古園長挨拶


メモリアルムービー上映


弔辞
(吉田飼育員)


(梅元飼育員)
「如何かタンタンを悲しい思い出とせず、楽しい思い出として下さい」


(楊獣医師)


園児に拠る歌と弔辞


献花(一般参列者含む)


閉式の辞


タンタンの葬式、残念乍ら落選しましたorz

2024-05-01 09:45:23 | 地元意識・都道府県
昨日、久し振りに王子動物園のサイトを見たら、
『タンタンの追悼式の抽選結果は当落に関わらず全て御返事しました』
と書いて有りました。
応募してからはメールは毎日穴の開く位チェックしてるのに返事は来てません。
水曜日にでも質問状だそうかと思ってさっきメールボックス開けたら
『迷惑メール』の所に届いてました。
(昨日迄も『迷惑メール』を含めてチェックしてましたが来てませんでした)
届いたのは『木曜日』となってたので、王子動物園が言った25日ですが、実際にはメールボックスに届いて無かったので襤褸スマホか何かの所為でしょう。

返事は以下の通りです。落選しました。


仕方有りません。
タンタン亡き後も王子動物園にはちょくちょく通おうとは思ってます。
何せ、600円と言う超良心的な入場料‼️此れは行きたくなります。

王子動物園のタンタンに献花して来ました

2024-04-13 22:29:00 | 地元意識・都道府県
水曜日に高熱が出て、木、金も熱が引かず、2日も休んで仕舞いました。
今日は久々に仕事に出ましたが、私の具合を気にして下さった上司の南⚫️さんの計いで昼に帰らして貰いました。
正直、今現在でも咳と痰が収まりませんが、半休貰ったので、(南⚫️さんには申し訳無いですが)予てからやりたかった、王子動物園のタンタン(旦旦)の献花に行って来ました。
万が一、事故でも起こして王子動物園に行ってた事がバレたら大目玉なので、絶対に事故らない様に何時もより慎重に運転しました。
若し半休が無かったら、明日の日曜日の弩早朝に行く覚悟でした(私の平日の休日の水曜日は休園日、そして、土・日・祝は死ぬ程混むので車では無く公共交通機関で来て下さいと、動物園は言って居ます)
献花台が設けられたのは4月2日で、其の日の夕方のNHK『リブラブひょうご』の広坂安伸アナウンサーが「私も今日、献花に行って来ましたが、係員さんが『午前中は入場券買うのに1時間待ちの時が有った』と言って居た」抔と言うので、

インドゾウの諏訪子のお別れ会の時の異常な渋滞を思い出し、況してやパンダなので、若しかして、今日は入れない!?と覚悟しつつも、近くのスーパーで税込437.8円のガーベラとメモ帳を買って王子動物園に向かいました。
所が、意外にも待たずにすんなり入れました。タンタン死亡から日数が経って居るのと午後だったのが幸いしたのかも知れません。

入場券も直ぐに買えました。

字は駐車場に入ってから書きました。車の後で書いたので下手クソな字です。
『かきむしる』は『掻き毟る』なのは知ってましたが、一発勝負で万が一間違えたら恥ずかしいので平仮名で書きました。

入口の看板。『OJI』の『O』のパンダは何れ無くなるのでしょうか(T ^ T)

勿論パンダ館を目指します。

パンダ館の南側の西の端。パンダが来た頃は凄い行列で何重にもロープ張ってて、此処に辿り着く迄凄い掛かりました。


屋外展示場の西側半分は嘗て居た雄のコウコウ(興興)のスペース。

真ん中に塀を挟んで東側半分が雌のタンタンのスペース。


パンダ館入口。



廊下の両脇にずらりと花が。今迄献花された花でしょうか。

王子動物園はパンダを長い間『アライグマ科』として居た筈ですが、何時の間にか『クマ科』に改められて居ました。

屋内展示場。献花台の長いテーブル。
展示場にはコーベコーキの体重計が有ったのですが、見当たりません。撤去されたのでしょう。




献花台の右端の空いたスペースに献花しました。


パンダ館の出口にタンタンの訃報が貼って有りました。

パンダ館の北側。南側は皆んな写真を撮りますが、北側の写真を撮る変わり者はそう居ないかと。




パンダ館から南に伸びて居る通路の端の立札にもタンタンの訃報が貼られて居ました。



動物園に入った時、入口の係員のお姉さんから「4:30迄再入場出来ます」と言われたので、折角だから他の動物等を見ました。
ジャガー(黒豹みたいですが、黒いジャガーです)

説明板の横に『ジャガーミシン』の広告。


旧ハンター邸。

今日は入らして貰える日ですが、以前入ったので外観のみ見ました。

通路を挟んだ対面の河馬舎。

其処にはアスファルトフィニッシャー等の道路機械で有名な範多機械の広告が。


『ハンター』と『範多』。此方は洒落や冗句では有りません。
旧ハンター邸のエドワード・ハズレット・ハンターは、範多機械の前身で有る、範多商店の創業者です。

私が確か小学生の頃から有るD51。

其の後のヨ6000とヨ5000は後から来たと思います。
再塗装の後でインレタで態々形式や電略等を再現して呉れてます。



趣きの有る遊園地。然し、無粋な『王子公園再整備計画』に因って潰されると聞いて居ます💢






私が多分幼稚園児の頃から有る(?)ぞうさんのすべりだい。



王子動物園のパンダ『タンタン』死ぬ

2024-04-01 21:20:45 | 地元意識・都道府県
先程、王子動物園のホームページ見たら、ニュースの欄が無かったので嫌な予感がしてNHKのホームページ見たらタンタンは死んだそうですorz

御冥福を御祈り致します。


《本文》
兵庫県神戸市の王子動物園で20年以上親しまれてきたメスのジャイアントパンダ、「タンタン」が3月31日夜に死にました。
人間では100歳ぐらいに相当する、国内で飼育されている最高齢の28歳でした。

「タンタン」は、1995年、支那・四川省にあるパンダの繁殖センターで生まれ、4歳となった2000年に阪神・淡路大震災からの復興などを願って、つがいとなるオスのジャイアントパンダとともに、支那から神戸市灘区にある市立王子動物園に貸し出されました。
元気にささを食べたり寝転んだりする愛くるしい姿が人気を集めました。
貸し出しの期間が2度延長され、2020年7月を期限に支那に返還される予定となりましたが、支那肺炎の影響で返還先への直行便の欠航が続いたため動物園にとどまりました。
2021年には心臓の病気が見つかり、最近は一般公開を取りやめて投薬の治療を受けていましたが、去年10月以降は食欲や運動量が少なくなり、身体機能が低下していたということです。
3月13日からはほとんど寝ている状態となり、飼育員が監視カメラなどで24時間態勢で様子を見守っていましたが、31日夜、呼吸が弱くうつ伏せになっているのを見つけ、蘇生処置を行いましたが、およそ2時間後に死んだということです。
加古裕二郎園長は「震災のあと間もない時期にやってきて、神戸市民に勇気をくれて復興を見届けてくれました。見た人、会った人を笑顔にしてくれる太陽のような存在でした。私も感謝のひと言です。ありがとうございました」と話していました。
動物園では4月2日から園内に献花台を設けるほか、お別れの会を検討するということです。

【来園者「ゆっくり休んで」】
ジャイアントパンダの「タンタン」が死んだことについて、王子動物園を訪れていた神戸市の60代の女性は「ことばが出ないです。タンタンが体調を崩してからずっと見守っていました。頑張っていたのを知っているので、ゆっくり休んでほしいです」と話していました。
大阪府大阪市から来た60代の男性は「元気な時から知っているので、すごく寂しいです。新しいパンダが来るかどうか分からないけれども、タンタンはタンタンしかいないので残念です」と話していました。
東京から来た60代の女性は「一般公開が中止されたときもそこにいると思うとうれしくて、桜を見にきたり自分の誕生日に来たりしました。いつも励まされてきたのでありがとうと伝えたいです」と話していました。

【「タンタン」の来歴】
神戸市灘区にある市立王子動物園のメスのジャイアントパンダ「タンタン」は、1995年9月16日に支那・四川省で生まれました。
その年に起きた兵庫県南部地震からの復興を後押ししようと、「タンタン」は4歳になった2000年7月、3歳のオスの初代「コウコウ」とともに中国から王子動物園にやってきました。
元気にささを食べたり、寝転んでくつろいだりする愛くるしい姿は、たちまち人気を集めました。
もう1つの目的である繁殖・研究のため、「タンタン」は、2年後に来日した2代目の「コウコウ」との間で人工授精による出産も試みてきました。
しかし、2007年には死産し、そのよくとしには赤ちゃんが生まれましたが、3日後に死にました。
当初10年だった貸与期間は2度延長されましたが、2020年7月15日を期限に支那に返還される予定となりました。
ところが、支那肺炎の影響で返還先の四川省とを結ぶ直行便の欠航が続いたことから動物園にとどまりました。
2021年3月には検査で心臓の病気が見つかり、投薬治療を受けて体調は一時改善しましたが、一般公開を取りやめて治療が続けられてきました。
去年(2023年)10月以降は食欲や運動量が減り、体内に水分がたまりやすくなるなど身体機能が低下したことから、日中双方の専門家が「長時間の移動に耐えられない」という意見で一致し、返還期限はことし(2024年)の年末まで延長されていました。

NHKニュース