『なんだかなぁ』と思う一瞬がある、猫も人間も。最近よく言われる「違和感」とはやや異なる。「なんか勘違いしてませんか?」と言うのでもない。主人、些細な『なんだかなぁ』で少し休養をとっていたが、8月も間もなく終わりそろそろ帰ってきそうだ。
主人は90歳超の両親のもとに毎月帰省する。一時は一週間余滞在したが、最近は2~3泊。ショートステイ(短期入所生活介護)ではなくただの短い帰省。老老介護(病老介護?)について2回にわけ、主人の郷里の「妖怪」と併せてご紹介する。
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主人の郷里境港「水木ロード」
異変!の始まり
主人が父親の異変に気づいたのは10年余前、父親80歳の頃。当時まだ車を運転しているのが母親の自慢だったが、帰省した或る日、父親の車に同乗した主人は危険!を感じた。後続車からやたらクラクションを鳴らされ、車庫入れには10分余を要した。
母親の抵抗
「トシをとったなぁ」と思い「運転は無理」と説得して廃車に踏み切らせた。本人も既に運転に自信がなかったようで、案外!簡単に同意した。が、母親は 「お父ちゃんをボケ扱いするな」と泣きながらに訴え、「田舎では車がないと暮らせない」と抵抗した。
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(左)悪魔くんとメフィスト (中)かみぎり (右)石見の牛鬼
ボート、箪笥、篆刻、楽焼、反射望遠鏡
父親は手先が器用で、手作りボートで海釣りを楽しみ、箪笥・下駄箱・食卓など父親の手作り家具が今も使われている。また篆刻に凝ったり、窯を造って楽焼に取り組んだり、反射望遠鏡をつぎつぎ作っては学校に寄贈したこともあった(反射鏡も自分で研磨)。
手作り水冷クーラー
エアコンがまだ珍しかった時代(昭和40年代初め)、古い車のラジエータと扇風機を組合せ井戸水を使った水冷式クーラーを自作、居間に置いた(さすがに今はもうない)。PCが世に出始めると即購入(NEC)、家計簿や菜園の作業プロセスにPCを利用した。
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(左)父親製作の反射望遠鏡&台座 (中)座敷童子 (右)カシャンボ
アルツハイマー型認知症
7~8年前、父親の誕生日に主人はデジカメのプリンターを贈った。が、簡単な操作が覚えられず、父親がこれを使うことはなかった。その後、認知症では?と地元医大の診察を受けた。結果は「お気の毒ですが、アルツハイマー型認知症です」の診断だった。
「恥をかかせてはならない」
母親は「ちっともおかしくない」「医者が間違ってる」と。プライドが許さなかったのか、本人には勿論、親類・友人・ご近所にも一切!内緒にした。遂には「恥をかかせたくない」と、町内会・老人会の会合に父親が出ることも「止めさせる」に至った。
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(左)商店街は今や土産物店街 (右)水木しげる記念館にはいつも着ぐるみが・・・
「治す」のではなく 「進行を遅らせる」
認知症に効果的な治療法、薬は残念ながらない。簡単な算数の問題の繰返しとかアリセプトという有名な薬も、病状の進行を少し遅らせる程度だ。そうした積み重ねのお蔭か父親の病状は比較的ゆるやかに進行したが、勿論!進行を止めるには至らなかった。
幻想、妄想、徘徊
吾輩が主人の家にきた4年前、深夜に電話がかかり始めた。母親から「お父ちゃんが、出かける!と言ってきかない」と。「〇〇に呼ばれた」「仕事に行く」と深夜に家を出ようとする。母親の力では止められない。幻想・妄想が現れ世間にも隠せなくなった。
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【過去ログ目次一覧】
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
かんわきゅうだい http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
毎月の介護帰省、大変ですね。ほんとうにお疲れ様でした。
わたしも、
30代~40代の12年間 義父母の介護をしていたので
デ某さんのご苦労、ご心痛が手にとるようにわかります。
いろいろ大変でしょうが、
あまり無理をなさらず、ご自身の健康にも留意されてくださいね
最近は認知症のことも情報が多くなってきたけれど、
以前は病気としてはそんなにポピュラーではなかったような・・・
お母様もお辛かったんでしょうね!
それでも90歳越えるお年は素晴らしいです。
私の父は心臓の弁膜症で55歳まで生きられなかったので!
まあ、生まれつきで本人にとっては長生きだったようですけど。
あまり無理をなさらないでくださいね。
気温が下がったと思ったら、また暑くなるようなので(*^_^*)
もう書けないよ~~~
そして在介センタは県では初めてのモノでその在宅介護支援センターに11年務めていました。
父親の介護、その前に自身の大腸癌手術で一年後退職しました。
丁度介護保険導入時で毎日残業残業の日々に精神的にも
参つての退職でした。
「自分人生はなんだろう?」と考えてしまいました。
半身麻痺の奥さんを75歳のご主人が介護
東京から盆暮れに息子さんが奥さんと帰省されます
運転がおかしいと気が付き息子さんに伝えるも
「プライドの高い父には言えない」と拒否
私がやんわりやんわり止める方へお話を・・・・
その辺りでご主人の息づかいがおかしい事に気が付き
受診をしていただきました。
肺癌で即入院。
ここで車の話は没になりました。
父親は自分がその仕事をしていながら何も受けるサービスが
ありませんでした。
退職を申し出ましたが休暇をとれとのことでひと月家で看ました。
幸い掛かりつけ(大きな病院ですが)が友人でしたので
水分が取れない、血圧が計れないようになったら救急車で行く約束になっていました
介護する側、介護する側それぞれの思いがあります。
一まとめに介護と言っても、幅が広く奥が深い。。。。
色々の想いが交錯して複雑です。
デ某さんの心中お察しいたします
どうぞご自身の身体を第一に考えられて下さいね
おはようございます
明るい陽ざし 窓から爽やかな風
8月も今日で終わりですけど まるで晩秋の朝のようです。
> 戻ってこられるのを、今日か明日かと待ちわびていましたよ。
ありがとうございます
毎日が日曜日にあって それでも貴重なお休みとなりました。
> 毎月の介護帰省、大変ですね。
昨年までは姉とは別の時期に各々一週間ほど帰省していました
しかし姉が「もう私一人ではよう帰らない」と凹み・・・。
今年に入り姉と一緒に帰るようにしました、滞在も短くして・・・。
> 30代~40代の12年間 義父母の介護をしていたので
> ご苦労、ご心痛が手にとるようにわかります。
Rarudoさんも何かとご苦労されたことと思います
愛情をもって十分な介護をするために必要なものは・・・
財力、時間、環境は勿論!大切な要素です。
同時に、要介護に至るまでの本人の心構え(覚悟)と準備。
敢えて言えば・・・介護する側の健康(心身の力)も大きいですね。
> 無理をなさらず、ご自身の健康にも留意されてくださいね
ありがとうございます
明後日の術後3年検診を無事クリアーし
心おきなく・・・頑張りたいと思っています。
Rarudoさんもくれぐれもお身体たいせつになさってくださいね
いつもコメントくださりありがとうございます
プレミアリーグが始まり燃えていらっしゃることでしょう。
> 最近は認知症のことも情報が多くなってきたけれど、
> 以前は病気としてはそんなにポピュラーではなかったような・・・
情報は兎も角、医薬学の進歩としては極めて遅いジャンルだと思います
がんと同様、認知症は一筋縄で括れないところがありますからね。
長寿化とともにますます大きな問題となりましょうが・・・。
> お母様もお辛かったんでしょうね!
母は、実母も義母も最期まで看取りそれはもう苦労した人なのです
ただ、父も母も自身のことに余りに楽観的でありました。
それが・・・残念であり哀しみです。
> 私の父は心臓の弁膜症で55歳まで生きられなかったので!
> 生まれつきで本人にとっては長生きだったようです
そうでしたか・・・。各々に様々の人生・・・ですね。
なにが幸いかはわかりませんけど、
良い人生であったと思いながら虹を渡りたい・・・と。
> あまり無理をなさらないでくださいね。
> 気温が下がったと思ったら、また暑くなるようなので(*^_^*)
今朝の清々しさは心身ともに甦らせてくれました
また暑い日もありましょうが、山はこえた!と思いたいですね。
Anneさんのますますのご活躍を心よりお祈りします
おはようございます
いつも丁寧なコメントありがとうございます。心から感謝申し上げます。
> 在宅介護支援センターに11年務めていました。
> 父親の介護、その前に自身の大腸癌手術で一年後退職しました。
大抵の「困難パターン」を経験して来られたんですね
きっと なんで私ばかり・・・と思われたことでしょう。
> 毎日残業残業の日々に精神的にも参つての退職でした。
> 「自分人生はなんだろう?」と考えてしまいました。
残業、休日出勤の日々は、心身ともにくたくたになりますね。
michiさんが「自分の人生は・・・」と考えられたこと、私にもわかります。
私の妻も早朝から夜遅くまでの勤めをちょうど10年、
「必死によその子の面倒をみ、自分の子をろくに世話できず・・・」と退職しました。
仕事を天職と思い、仕事が好きでしたから、いろいろな意味で可哀想でした。
> 運転がおかしいと気が付き息子さんに伝えるも
> 「プライドの高い父には言えない」と拒否
プライドを失えば容易に充実した仕事、日々を送れませんが、
当たり前の判断を、プライドが邪魔し遮ることの何と多いことでしょう。
そもそも プライドって、なんなのでしょうね・・・
なお、父の廃車手続きに来ていただいた方は父の教え子の方でした。
この方、父のいないところで
「廃車して頂きホッとしました。私から申し上げにくくて・・・」と仰られました。
> 父親は自分がその仕事をしていながら何も受けるサービスがありませんでした。
人生は・・・なぜかいつもアイロニーですね
> 退職を申し出ましたが休暇をとれとのことでひと月家で看ました。
私の勤め先にも「介護休暇」制度がありました
しかし実際に制度を利用される人は少なかったです。
個別に幾ら整えても社会全体がそうした環境、認識にならないと機能しませんね。
> 介護する側、介護される側それぞれの思いがあります。
> 一まとめに介護と言っても、幅が広く奥が深い。。。。
> 色々の想いが交錯して複雑です。
仰ること、よくわかります。
千の人間には、千のケース(条件のちがい)がありますし・・・。
理解する以上に「粛々と総てを認める」ことが肝腎なのかもしれません。
> 心中お察しいたします
> どうぞご自身の身体を第一に考えられて下さいね
ありがとうございます
michiさんもくれぐれもお身体たいせつになさってくださいね
お父様、本当に器用でらしたのですね。
色んなお父様の作品素晴らしいですね。
そんな素敵なお父様だけに、認知症型アルツハイマーとの診断を受けられた時のご家族のショックは計り知れないものだったとお察し致します。
老人介護は本当に大変です。それに加え認知症・・・
これからの時代、介護は私達に大きくのしかかってご存じの通り私は30代の頃には、その問題と直面してきました。
色々と切なくなることも多いと思いますが、介護はゴールも見えませんからどうぞ”頑張らない介護”を。デ某さんご自身のお身体も労わってくださいね。
随分と涼しくなり過ごしやすくなりました。
美味しいものを頂いてパワーUPといきたいですね
よく頑張っていらっしゃると思います。
どうかお体に気を付けて無理なさらないように。
精神的にもお辛いでしょうが、諦めと前向きさをうまく使ってください。
介護の経験もない私がエラそうなこと言えませんが応援しています。
おはようございます(もうお昼前ですけど・・・)
きょうの関西は朝から雨がしとしと・・・。
昨日、ある音楽会場で「広島へ・・・」と救援カンパの呼びかけがありました。
雨になると・・・被災地の復旧、復興を心より祈る日々です。
> デ某さん、おかえりなさい!
「ただいま~!」とは羞かしくてよう言いませんが・・・
すこし・・・心!身を休めました。
> お父様、本当に器用でらしたのですね。
祖父が腕のいい大工の棟梁でしたから、その血でしょうか・・・。
私は父方の血をあまり受け継がず不器用です、手先も生き方も・・・
> 色んなお父様の作品素晴らしいですね。
すべて実用品!と言うところが如何にも父らしいと思います
叔父は逆に絵を描きつづけましたから、
同じ器用でもやはり各々異なる発露があるようです。
> アルツハイマーとの診断を受けられた時のご家族のショックは計り知れないものだったと・・・
祖母もアルツハイマー型の認知症でした
ですから、あり得る!とは本人も私たちも思っていました。
しかし「準備」も「覚悟」も日常に追われ後手!後手!だったのが悔やまれます。
> 老人介護は本当に大変です。それに加え認知症・・・
> 私は30代の頃には、その問題と直面してきました。
> 介護はゴールも見えませんからどうぞ”頑張らない介護”を。
SORAさんはじめ皆さん各々様々な問題に直面されています。
方程式を解くような明快な答は見出し得ませんが、
解を求めて壁にぶちあたる・・・そのこと一つ一つが解!なのかもしれません。
「ゴールが見えない」は、まさに言い得て妙!ですね。
見えないのに日々ゴールは近づいて参りますし、日々道を探しつづけています。
> デ某さんご自身のお身体も労わってくださいね。
ありがとうございます
明日は術後3年検診、すこ~し、否! とっても緊張しています
でもSORAさんはじめ皆さんのクリアー報告に勇気づけられ・・・感謝!です
> 美味しいものを頂いてパワーUPといきたいですね
はい、甘いもの好きで食いしん坊の私、
友人からいただいた「呉羽梨」の甘い香りに癒され、
また「近江藤斉の水羊羹」にも心身ともに歓んでいます。
SORAさんも引き続き腎がん仲間の「スター☆☆☆」でありつづけてくださいね。
ますますのご活躍とご健勝を心よりお祈りします