主人が視るTVは殆どがBS、地上波では偏向?NHKに偏っている。しかも録画が多く滅多に生では視ない。NHKは、受信料こそドブに棄てるつもりで払っているが、大嫌いなのだ。にもかかわらずNHKを視るのは、地上波の民放が酷すぎるということ。

今日は余りに寒く炬燵を求め居間に行くと、主人「いいとこに来た。いっしょに視よう」ということで、先夜放送されたBS朝日「歌え!青春のフォーク」の録画を視た。富士山麓、河口湖畔の小さなホールで歌われる過ぎし青春に思いを馳せつつ・・・。

【武田鉄矢と海援隊】 母に捧げるバラード 贈る言葉
『僕にふる里はなくなったけど、一つだけ残るふる里があるとすれば、お母さん、それはあなたです』。毎月介護帰省する主人『僕には今もふる里がある。紫深き大山、蒼く広い日本海。けど、一つだけなくなったふる里・・・それはお母さん、あなたです』。
武田鉄矢のトークは・・・臭い。『僕は不安なことは一切考えない。バカみたいに単純に明日は今日よりもっと良いことがある!と思っている』。彼の母親は、12歳の時に母親に棄てられ親戚にひきとられた。その母親のメゲナイ哲学を受け継いだと言う。

【杉田二郎】 戦争を知らない子どもたち 風
主人の学生時代、1972年5月15日、沖縄が日本に返還された。沖縄出身の友人が「ビザがいらなくなるなぁ」とポツリ洩らした由。杉田二郎は、返還後の沖縄公演で「戦争を知らない子ども達」をプログラムから外した、『沖縄の人に叱られそうで怖くて』。
総て歌い終えるとアンコールの嵐。まったく歌う気はなかったのにアンコールに吸い込まれるように「戦争を知らない子ども達」を歌った。会場は総立ちの Sing out!で応えた。杉田二郎は『感激して涙も震えも止まらなかった。歌って良かった』と。

【イルカ】IUCN なごり雪
「IUCN」とは国際自然保護連合・・・国境をこえて自然保護活動をする国際組織。その日本におけるテーマソングをイルカが歌う。『 ICUと間違えないでね、それは集中治療室です』と笑わせていた。西城秀樹「YMCA」っぽい歌詞、メロディーも似ている。
この人はやっぱり「なごり雪」。都会に出た学生が卒業を迎え帰郷したり就職先へ向かう・・・駅のホームでこの歌に似た情景が数知れずあっただろう。それにしてもこのサビ「いま春がきて君はきれいになった/去年よりずっときれいになった」はGood!

【さとう宗幸】青葉城恋唄 水仙華
さとう宗幸は、東北以外では殆ど公演しない。だから『遠く関西からもファンの方が公演に来られます』。「青葉城恋唄」は 2011.3.11の大震災より前、宮城県沖大地震(1978年)の頃に歌い始め、以来『いつも変わらない歌をいつものように歌ってきた』。
皇后さんが被災地を訪ねた際、家族も家も失くした主婦が『そんな我が家の庭に今年も水仙が咲きました』と皇后さんに水仙を贈った。その水仙が羽田のタラップを降りる皇后さんの手にあるのをニュースで見た人々の感動が「水仙華」の歌になった。

広瀬川(仙台)・・・by QP
【トワエ・モア】虹と雪のバラード
「虹と雪のバラード」は 1972年札幌冬季五輪の主題歌。白鳥英美子の言う『北海道の人々には今でも特別の歌』であり、もし北海道が独立したら「国歌になる」と言われている歌だ。作詞は「翼をください」の村井邦彦。やはり書くべき人が書いている。
『ぼくらは呼ぶ/あふれる夢に』。右肩上りの時代、今や死語の「3C(カー・カラーTV・クーラー)」がまだ珍しかった時代。「明日は今日よりずっと良い明日」「オリンピックはカラーTVで見よう」「来年の夏はクーラーを」「いつかマイカーを」。

【ぼくらがともに通ってきたところは“反戦”】
最後に全員で歌うとき、司会の小室等は『きょう歌った人は各々のキャラクターがあるけど、ぼくらがともに通ってきたところは “反戦” だった。反戦の意地は貫き通したい』。そのとき主人『だから南こうせつはここに居ないのか』と呟いた。
ボブ・ディラン「風に吹かれて」


【過去ログ目次一覧】
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
かんわきゅうだい http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0


今日は余りに寒く炬燵を求め居間に行くと、主人「いいとこに来た。いっしょに視よう」ということで、先夜放送されたBS朝日「歌え!青春のフォーク」の録画を視た。富士山麓、河口湖畔の小さなホールで歌われる過ぎし青春に思いを馳せつつ・・・。


【武田鉄矢と海援隊】 母に捧げるバラード 贈る言葉
『僕にふる里はなくなったけど、一つだけ残るふる里があるとすれば、お母さん、それはあなたです』。毎月介護帰省する主人『僕には今もふる里がある。紫深き大山、蒼く広い日本海。けど、一つだけなくなったふる里・・・それはお母さん、あなたです』。
武田鉄矢のトークは・・・臭い。『僕は不安なことは一切考えない。バカみたいに単純に明日は今日よりもっと良いことがある!と思っている』。彼の母親は、12歳の時に母親に棄てられ親戚にひきとられた。その母親のメゲナイ哲学を受け継いだと言う。


【杉田二郎】 戦争を知らない子どもたち 風
主人の学生時代、1972年5月15日、沖縄が日本に返還された。沖縄出身の友人が「ビザがいらなくなるなぁ」とポツリ洩らした由。杉田二郎は、返還後の沖縄公演で「戦争を知らない子ども達」をプログラムから外した、『沖縄の人に叱られそうで怖くて』。
総て歌い終えるとアンコールの嵐。まったく歌う気はなかったのにアンコールに吸い込まれるように「戦争を知らない子ども達」を歌った。会場は総立ちの Sing out!で応えた。杉田二郎は『感激して涙も震えも止まらなかった。歌って良かった』と。


【イルカ】IUCN なごり雪
「IUCN」とは国際自然保護連合・・・国境をこえて自然保護活動をする国際組織。その日本におけるテーマソングをイルカが歌う。『 ICUと間違えないでね、それは集中治療室です』と笑わせていた。西城秀樹「YMCA」っぽい歌詞、メロディーも似ている。
この人はやっぱり「なごり雪」。都会に出た学生が卒業を迎え帰郷したり就職先へ向かう・・・駅のホームでこの歌に似た情景が数知れずあっただろう。それにしてもこのサビ「いま春がきて君はきれいになった/去年よりずっときれいになった」はGood!


【さとう宗幸】青葉城恋唄 水仙華
さとう宗幸は、東北以外では殆ど公演しない。だから『遠く関西からもファンの方が公演に来られます』。「青葉城恋唄」は 2011.3.11の大震災より前、宮城県沖大地震(1978年)の頃に歌い始め、以来『いつも変わらない歌をいつものように歌ってきた』。
皇后さんが被災地を訪ねた際、家族も家も失くした主婦が『そんな我が家の庭に今年も水仙が咲きました』と皇后さんに水仙を贈った。その水仙が羽田のタラップを降りる皇后さんの手にあるのをニュースで見た人々の感動が「水仙華」の歌になった。


広瀬川(仙台)・・・by QP
【トワエ・モア】虹と雪のバラード
「虹と雪のバラード」は 1972年札幌冬季五輪の主題歌。白鳥英美子の言う『北海道の人々には今でも特別の歌』であり、もし北海道が独立したら「国歌になる」と言われている歌だ。作詞は「翼をください」の村井邦彦。やはり書くべき人が書いている。
『ぼくらは呼ぶ/あふれる夢に』。右肩上りの時代、今や死語の「3C(カー・カラーTV・クーラー)」がまだ珍しかった時代。「明日は今日よりずっと良い明日」「オリンピックはカラーTVで見よう」「来年の夏はクーラーを」「いつかマイカーを」。


【ぼくらがともに通ってきたところは“反戦”】
最後に全員で歌うとき、司会の小室等は『きょう歌った人は各々のキャラクターがあるけど、ぼくらがともに通ってきたところは “反戦” だった。反戦の意地は貫き通したい』。そのとき主人『だから南こうせつはここに居ないのか』と呟いた。
ボブ・ディラン「風に吹かれて」



【過去ログ目次一覧】
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
かんわきゅうだい http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
いつも暖かいコメントを下さりありがとうございます
> 平和で穏やかな介護帰省だったと伺い、
> 私もホッと胸をなでおろしました。シマ君よくやったね
ありがとうございます
母も少し弱った(弱気になった?)所為かもしれません。
そう思うと母が可哀想になりますが、
久しぶりに母の笑顔を見ることができて・・・良かったです。
> 「戦争を知らない子どもたち」
> 杉田次郎さんのコンサート、20代の始め頃行きましたよ。
> 最初はジローズで歌ってらっしゃいましたよね。
ジローズのメンバーの一人は我々同様、One Purpose!だったと思います
それにしても、あの!時代にステージを愉しまれたとは・・・羨ましいです。
なお、5~7日、学生時代の同期の友8人で山口・広島を旅します。
同期の一人の7回忌のお墓まいりを兼ねて・・・。
お墓(柳井市)の前で One Purpose を歌ってまいります。
> 武田鉄矢さんは海援隊のときにコンサートに行きました。
> 会場がガラガラであまりにもお気の毒でね、
> 友達とふたり一所懸命手をたたいてエールを送りましたよ
彼の「ファミリーヒストリー(NHK)」の中で
海援隊時代について「数人の会場で歌った日々もあった」と語っていました。
もしかしてRarudoさん達が行かれたステージ!だったのでしょうか・・・(笑)
> 音楽が大好きなデ某さんのおかげで、
> いつも懐かしい青春時代にプレイバックさせてもらっています
Rarudoさんがいつもそのように仰ってくださるので、つい調子に乗って!(笑)
また、おつきあいくださいね。
私もホッと胸をなでおろしました。シマ君よくやったね
「戦争を知らない子どもたち」
杉田次郎さんのコンサート、20代の始め頃行きましたよ。最初はジローズで歌ってらっしゃいましたよね。
武田鉄矢さんは海援隊のときにコンサートに行きました。
会場がガラガラであまりにもお気の毒でね
友達とふたり、一所懸命手をたたいてエールを送りましたよ
音楽が大好きなデ某さんのおかげで、いつも懐かしい青春時代にプレイバックさせてもらっています
いつもコメントありがとうございます
> 定例の介護帰省お疲れ様でした。
> お父様、お母様おかわりありませんでしたか?
お蔭様で今回はかつてなく平和で穏やかな帰省となりました
父の認知レベルは確実に下降し、医師の診察中もウトウト・・・。
でもいつものようにニコッと微笑んでは周りを嬉しい気持ちにさせてくれます。
母はいつもは「父を(家に)帰せ」と言い張り諍いになりますが、
今回はなぜか・・・殆どそのことに触れませんでした。
シマの様子に笑ったり、お土産のお菓子を「美味しい」と歓んだり・・・。
これで母がグループホームなど施設に入ってくれれば安心なのですが・・・。
> イルカのなごり雪 流行りましたねぇ~♪
> せつない歌詞が胸にグッとくる歌です。
> 3月くらいに雪が降ると必ず思い浮かべます。
この歌を聴くと、四十数年前、京都駅のホームにて・・・
「寝台特急「日本海」で函館に帰る妻を送ったことを思い出します。
長距離特急の発着する駅のホームには四季を問わずそこはかとない趣がありました。
> 武田鉄矢さんの母に捧げるバラードは、
> 海援隊をはじめて知った曲だったような記憶があります。
この曲がヒットしたことで武田鉄矢の今日が始まりました
この曲がダメだったら郷里に帰り教師になっていたと・・・彼自身が語っています。
> 歌は、その時々のことを思い出す不思議な心の鍵のようですね
ほんとうに・・・。歌は世につれ世は歌につれ・・・
時代の風が3~4分の詞と曲に乗り移り流れ広まります。
> 明日から、グッと寒くなるようです。暖かくしてお過ごしくださいね
ありがとうございます。SORAさんもね!
お父様、お母様おかわりありませんでしたか?
イルカのなごり雪
武田鉄也さんの母に捧げるバラードは、海援隊をはじめて知った曲だったような記憶があります。
歌は、その時々のことを思い出す不思議な心の鍵のようですね
明日から、グッと寒くなるようです。暖かくしてお過ごしくださいね
嬉しいコメントありがとうございました
> 聴けばつい口ずさんでしまいそうな歌ばかり、懐かしいです。
「われらの時代」と言いますか、時代の風を共に全身に感じた一体感がありますね
> NHKの家族の歴史を調べて本人が視聴する番組に武田鉄矢さんが出ていました。
その番組、私も見ました
桂文枝(三枝)さんのたいへん劇的な展開からこの番組を視るようになりました。
番組では、さすが!武田鉄也の今日をつくったのは彼のお母様だと、改めて思いました。
> 彼も老けましたね。大学の先輩ですが・・・あまり尊敬していませんでした。
> 偉大な母のメゲナイ哲学を受け継いだのでしょうね・・・今は尊敬できます
若い頃よりはるかに顔!が良くなりました
歌手は顔ではありませんが、生きざまが端的に顕れるのはやっぱり顔ですから・・・。
真摯に生きてこられたのだと思います。
> シマちゃんが日だまりでくつろいでいる写真。
> 幸せそうで私にも分けて欲しいくらい。
シマもちょっとトシをとりましたかねぇ・・・
此の頃はとりわけ居眠りする時間がふえました。
「シマになりたい」と言いますと、「なれるものならなってみにゃ」と言います(笑)
幸せ・・・写真から幾らかなりおとりくださいまし
> 私はどちらかというと左側のシマちゃんの心境に近い毎日を送っているのかも。
これって瞑想中のシマです
え? 迷走中と? おや!おや!
シマに訊きましたら、「まずはよく寝ること!」と申しております。
ごゆるりとなさってくださいね
コメントありがとうございました
> この番組観たかったですね。
> 一応フォークソング全集ってのは持ってます。
これまでナツメロ!フォークとは一味or半味ほど異なる雰囲気が印象的でした
敢えて記せば「よりフォークの原点に還った」とでも言いましょうか・・・。
南こうせつさんには彼なりの良さがありますが、彼には出し得ない味でありました。
> しまじろうさんのご主人と私のだんな良く似てるかも~(笑)
そうかも!です
お酒がカラキシだめなところとか、細君がとびきりベッピンなところとか・・・
お仕事でお疲れのところコメント下さり有難うございます
定例の介護帰省をしていたためレスが遅れ申し訳ありません。
> 沖縄返還時当時とかは、物資は不足していたけど「心」は豊かだったかも・・・
> 今は物資は満ち足りているのに「心」は貧しいと感じるのは私だけでしょうか・・・
沖縄返還は1972年、「人類の進歩と調和」を掲げた大阪万博の翌々年でした
高度経済成長の真っ只中、「物」は既にあふれていた時代でした。
成長の光と影・・・一方では光化学スモッグなど環境汚染が進み、
PM2.5が蔓延する現在の中国に似た状況がありました。
前記「進歩と調和」のスローガンが生まれる所以でもありました。
> あなたのブログを読めるときは時間にゆとりある時だけ・・・
> それだけ「コク」のあるブログです。
お褒めいただいたものと受け取っていいのでしょうか?
できるだけ簡潔に!と心得ていますが・・・世間?では冗長!と思われるでしょうね。
> デ某さんから見た今の日本はどう写ってますか?
> まあ、冷戦時代よりは世界はマシになったと思いますが・・・
難しいご質問・・・容易に答えられません
ただ国債(国の借金)残高は約1千兆円、年間予算の10倍もあります。
年収500万円の人が5千万円の借金を抱えた状態に等しく、破綻寸前です。
破綻すれば、戦後日本の数々の奇蹟もいっぺんに崩壊することでしょう。
円のほかドルもユーロも元も・・・世界の通貨に信用不安が起きつつありますから
世界経済に関しては「冷戦時代よりマシ」だとはとても思えません。
> 我々の悩み・課題は尽きませんね・・・。
はい、そう思いたくはありませんが、仰る通りだと思います
> 私が仕事している設備職人の扱う「配管」とおなじく
> 目に見えない「心」というのはまったく大事ですね・・・
身体の中をくまなく巡る配管!が血管であるように
配管は、目に見えずとも(見え難いからこそ)最重要の設備、
まさに「心をこめた・・・細心の技術」が求められましょう。
お仕事にいつも最高の誇りをもって臨んでいらっしゃるmasahiroさんに敬意を表します
> いかんいかん、またつぶやき場所になってしまった。
いかん! 私もまた冗長、過剰なレスになってしまいました(笑)
> 「デ某茶屋」にてほっと一息のお茶とつぶやき失礼つかまつった。
> 拙者masahiroブログにてまた、さすらうでござる。では
出某守直々に差配せし茶屋にてひととき御寛ぎ賜り恐悦至極に存じ奉りまする
いずれ貴殿ブログに参上奉りご高説伺う所存にて本日の処は此れにて御免!
先日NHKの家族の歴史を調べて本人が視聴する番組に武田鉄矢さんが出ていました。彼も老けましたね。
大学の先輩ですが、母に捧げるバラードを歌っている頃はあまり尊敬していませんでした。
偉大な母のメゲナイ哲学を受け継いだのでしょうね、その道を立派に進まれて、今は尊敬できます(^O^)
シマちゃんが日だまりでくつろいでいる写真。幸せそうで私にも分けて欲しいくらい。
私はどちらかというと左側のシマちゃんの心境に近い毎日を送っているのかも。
一応フォークソング全集ってのは持ってます。
しまじろうさんのご主人と私のだんな良く似てるかも~(笑)
今は物資は満ち足りているのに「心」は貧しいと感じるのは私だけでしょうか・・・。
それともそう思う私の「心」が貧しいのかもしれません・・・。
久方ぶりです、デ某さん。あなたのブログを読めるときは時間にゆとりある時だけ・・・。それだけ「コク」のあるブログです。
デ某さんから見た今の日本はどう写ってますか?まあ、冷戦時代よりは世界はマシになったと思いますが、環境破壊と資源枯渇が次の課題ときてる・・・。我々の悩み・課題は尽きませんね・・・。
私が仕事している設備職人の扱う「配管」とおなじく目に見えない「心」というのはまったく大事ですね・・・。
( ̄□ ̄;)!!いかんいかん、またつぶやき場所になってしまった。
では!デ某さん。人生をかけた「心・技・体」の鍛錬のブログ旅路の道中、「デ某茶屋」にてほっと一息のお茶とつぶやき失礼つかまつった。拙者masahiroブログにてまた、さすらうでござる。では!
体調がすぐれないときに・・・コメントありがとうございました
> 知らなかった歌やアーティストもいるけど
> 武田鉄矢とかイルカや青葉城恋歌はすっごく懐かしい(*^^*)
「懐かしさ」という感覚には、生きとし生ける者に共通する優しみがありますね
ママン~さんと懐かしさを共にできて嬉しかったです。
> 河口湖って 何年かに一度は富士五湖あたりに行ったりしてるので
> 馴染のあるところも懐かしく感じました!!
> あの辺から見る富士山もとても綺麗です
関西に住んでいると、あのあたり・・・は飛び越えて東へと行ってしまいます。
なのに、新幹線から富士山の姿を見ては胸を躍らせるのです。
ゆ~っくり、富士山を眺める旅をしたいなぁと思いつつ・・・。
> しまじろー
お声をかけていただきシマも感激しています
・・・と言いたいところですが、もう寝てしまいました(笑)
> 猫といえば、こたつとみかんのイメージだわ(笑)
> デ某さんはじめ、ご家族もしまじろーも暖かくして
過ごしてくださいね
ありがとうございます
夜は、炬燵にミカンに干し柿にシマジロウ・・・です(笑)
此頃はシマの配慮なのか、一日おきに私の布団と妻の布団にもぐりこんで寝ています。
ではでは・・・
ママン~さんも消化の良いものを召し上がられ暖かくお過ごしくださいね
久しぶりのコメント楽しく読ませていただきました
> 同じ空気を吸っていた(笑)
「団塊」の端くれ世代!ですよねぇ・・・
この「団塊」を「ダンコン」と読まれた偉い方がいらっしゃいました。
しばらく笑いをこらえるのに苦労いたしました。
> 違ったのは反戦に対する思いはそんなになかった。
反戦あるいはプロテスト!ソングとして歌っていたのはごく一部だと思います
いつの時代も、そういうものだと思います。
> ただ青春時代が楽しかった。
五木寛之の詞に加藤和彦が曲をつけた「青年は荒野をめざす」、
「幸せに背を向けて・・・青年は荒野をめざす」と・・・。
様々な青春があってこそ青春でしょうか・・・。
今や「老年は荒野をめざさない」ですけどね。
> いろいろ語り合ったし徹夜もしたけど
> 分かったような事言って装っていただけかもしれない。
> 本当はなにも分かっていなかったのかもね
背伸びするのも青春の特質かな。
なかなか現実に背丈がついて行けなかったですけど・・・。
> 私は洋楽の反戦歌の方が興味あったかな。
反戦は洋の東西を問いません
でも各々の国において若者を見る眼、法制度、環境・・・は異なりますから
各々の闘いを反映した反戦歌があるのはごく自然なことだと思います。
尤も日本の反戦歌は簡単に商業ベースに呑みこまれました。
その意味では、私も洋楽の・・・ですけどねぇ。
いつもコメントありがとうございます
> この辺りの曲ならかなり知っています!教科書にもあったりとか・・・
と仰いますけど、このあたりの曲ってみんな '70年前後に生まれた曲ですよ
「教科書に・・・」となると、ちょっと・・・(ダンマリ!)したくなりますけど。
> 反戦だったんだあ・・・直接歌詞にないものはあまり考えていませんでした。
仕事から生まれた歌、祈りから生まれた歌、闘いから生まれた歌・・・
「Cotton Fields」などは仕事から、「Amazing grace」は祈りから、
そして「Blowin'The Wind 」は反戦の闘いの中から・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=7GDqvnGai50
> 懐かしい曲をゆっくり聴いてる時間は良いですね!
> その時代がよみがえって・・・色々なその時代のことを思い出せますよね(*^^)v
はい、仰る通りですね
車の中でも「あの時代」に思いを巡らせながら聴いたり・・・。
> 私はサッカーをスカパーで見るので、テレビ=有料です。
> NHKのBS1はスポーツの放映が多いですよね。
CATVにスカパーがセットされていますから、私もいつでも視れるのですが、
この時期にスカパーで専ら視るのはラグビー中継です。
地上波もBSも殆ど放送しませんし・・・。
概ね一週間分、いろいろ録画しても視るのは1/3くらいでしょうか・・・。
なお、BS1は、スポーツより寧ろドキュメント(BBC制作など)が貴重ですね。
> 河口湖って私は富士宮出身で近いから何だか懐かしい!
> 車で夕方ちょこっとドライブしたりした距離でした(^○^)
富士宮のご出身ですか・・・
出張で一度だけ訪ねましたけど、富士山が大きくて近いのにビックリしました。
さすがAnneさん、気高い良いところのお生まれでいらっしゃいます。
> 与論島のお土産屋さん・・・のお嫁さんが河口湖町からお嫁に来ていました!
> お嫁さんは河口湖町から富士宮の方の高校に通っていたので、
> 話が弾んで楽しかったです(*^。^*) 関係ない話まですみません
こういう横道にそれたお話が大好きです、もっとぉ~!です(笑)
もっとぉ~!って書いたら・・・終わってましたァ
早速にコメントくださりありがとうございます
> 忙しくはないが暇ではない日々を過ごしておりまして・・・
実に巧みな表現ですね、私もまさにそんな日々です
> 貴殿のブログにコメントを入れるのもついつい後回しになっております。
お気遣いをいただき恐縮です
後回しで大いに!十分!ありがたく存じます。
> 青春フォーク大会に行ったとのことですか。
> それもテレビの取材が入っていたのですか。
シマジローの書き方が拙かったようで(笑)、TVを見て記したものです
取材!どころか仕事としてテレビ界に関わるご縁はありませんでした。
その昔、或る放送局の試験をいいところ?まで行って落されましたけど
はい、ウラミもツラミもございません(笑)
> 青春のフォーク皆それぞれ思い入れがありますね。
> 私も歌好きで・・・200曲は歌詞をそらんじ歌えていたのを自慢にしておりました。
> 歌好きには妙に歌詞とメロディーが心に染みいるもので・・・
思い入れを超える!入れ込みではありませんか
フォークは・・・カントリー、ポップス、時にロックと相互に影響しあい変遷しました。
しかしフォークの原点はやはりプロテストソングだ!と思っています。
200曲の中で、北親爺さんの心に残る歌と思い出など
また貴ブログ「北親爺の独り言」に書いてくださいまし。
> 今振り返ると自分の滑稽な人物像が浮かんできて気恥ずかしいような気がします。
若い頃の思い出は、「ほろ苦さ」より「気恥ずかしさ」が優りますね
私も思い出しては「削除」したくなることがたくさんあります(笑)
或る女性には羞かしくて卒業以来一度もお目にかかっていません
> 昨今は歌がパフォーマンスやリズムに特徴付けられて少しばかり残念です。
> 日本語の美しさを歌う歌がもっともっと出てきて欲しいものです。
リズム!に関しては埋め難いジェネレーションギャップを感じます
まぁ認めあわずとも厭わない寛容は求められますね。
歌詞の一つ一つにメロディが重なるのが日本の歌だと思いますが、
歌詞と無関係にメロディがつくようになって日本の歌が変りました。
歌詞のみに日本語の美しさを求めても空しいかもしれません。
> デ某さんには冬に向かい体調にご留意を。
ありがとうございます
北国は既にこちらの真冬以上の厳しさかと存じます。
北親爺さんこそどうかお身体大切にご活躍されますようお祈りいたします
知らなかった歌やアーティストもいるけど
武田鉄矢とかイルカや青葉城恋歌はすっごく懐かしい(*^^*)
それに河口湖って何年かに一度は富士五湖あたりに
行ったりしてるので馴染のあるところも懐かしく感じました!!
あの辺から見る富士山もとても綺麗です
しまじろー
寒くなってきたね。
猫といえば、こたつとみかんのイメージだわ(笑)
デ某さんはじめ、ご家族もしまじろー
過ごしてくださいね
だけど・・・違ったのは反戦に対する思いはそんなになかった。
ただ青春時代が楽しかった。
いろいろ語り合ったし徹夜もしたけど
分かったような事言って装っていただけかもしれない。
本当はなにも分かっていなかったのかもね
私は洋楽の反戦歌の方が興味あったかな。
この辺りの曲ならかなり知っています!教科書にもあったりとか・・・
テレビでも懐かしい曲で唄われたりしてますよね。
反戦だったんだあ・・・直接歌詞にないものはあまり考えていませんでした。
懐かしい曲をゆっくり聴いてる時間は良いですね!
歌って、その時代がよみがえって来やすくて、色々なことを思い出されるから、歌に関係ないことでも、色々なその時代のことを思い出せますよね(*^^)v
私はサッカーをスカパーで見るので、テレビ=有料です。
でも、ヨーロッパのサッカーをライブで見られるから、本当に有り難い時代だなあ・・・ってつくづく思います。
NHKのBS1はスポーツの放映が多いですよね。ワールドカップではお世話になりました!
プレミアは一週間遅れだから惜しい(ー_ー)!!
河口湖って私は富士宮出身で近いから何だか懐かしい!
車で夕方ちょこっとドライブしたりした距離でした(^○^)
そう言えば、与論島のお土産屋さんで出身を聞かれて、富士宮市って答えたら、そこのお嫁さんが河口湖町から与論島にお嫁に来ていました!
お嫁さんは河口湖町から富士宮の方の高校に通っていたので、話が弾んで楽しかったです(*^。^*)
関係ない話まですみません<m(__)m>
相変わらず忙しくはないが暇ではない日々を過ごしておりまして、つい貴殿のブログにコメントを入れるのもついつい後回しになっております。ようやく一段落したところであります。お許しを。
ところで青春フォーク大会に行ったとのことですか。それもテレビの取材が入っていたのですか。前もって知っていればテレビを是非見てみたかったです。
青春のフォーク皆それぞれ思い入れがありますね。私も歌好きで、若い時には80曲歌えればプロと言われていた時代
200曲は歌詞をそらんじ歌えていたのを自慢にしておりました。
今振り返ると自分の滑稽な人物像が浮かんできて気恥ずかしいような気がします。それでも今でも歌える歌はいちいち
説明が付きます。何故か歌好きには妙に歌詞とメロディーが心に染みいるもので、それが心に体感で刻まれるのだと思います。
昨今は歌がパフォーマンスやリズムに特徴付けられて少しばかり残念です。由紀さおりが言うように日本語の美しさを歌う歌がもっともっと出てきて欲しいものです。
デ某さんには冬に向かい体調にご留意を。