戦後間もない1950年~2年半、遠藤周作が留学したリヨンの街。
狐狸庵… コリアン! 韓国人?
遠藤周作が亡くなって20年。私には「狐狸庵」シリーズが最初の出会いでした。最近、「遠藤周作って韓国人?」との疑問には「時代は変わる(ボブ・ディラン)」けど、変わり過ぎ!と…。尤も、私自身ネスカフェのCM「ちがいがわかる男のゴールドブレンド」で澄ましている彼を「タレント作家」程度に思っていましたから、「イエスの生涯」を読んで印象が一変! 別人の遠藤周作がそこにいました。
半世紀近く前の日曜礼拝にて
学生時代、下宿の近くに教会がありました。なぜか惹かれて日曜礼拝に行きました。信者さんの真摯な祈りに心をうたれました。今でも憶えている牧師さんの説教の主題は「神様はなぜ姿をお見せにならないのか」。馬が鼻先のニンジンを求めて走ることを信仰に喩え、ニンジンを食べてしまえば(神の姿が見えてしまえば)馬は走るのをやめる(人の信仰もとどまる)と。勿論?釈然としませんでした。
イエスの唯一の奇蹟
遠藤周作「イエスの生涯」は、その問いに向き合う書でした。「奇蹟など起こせない普通の人」であるイエスと、弱虫でぐうたらな弟子たち。イエスは十字架にかけられ葬られた後、忽然と「復活」します。その時から弟子たちは殉教を怖れぬ神の使徒に生まれ変わります。人々は奇蹟による神たる証しをイエスに求めていましたが、復活!と弟子たちの一変!がイエスの起こした唯一の奇蹟でした。
異論はありましょうが…
弱虫だった弟子たちが一変したのはイエスの復活にリアルに接したからではないか? イエスの唯一の奇蹟に接し「神の使い」に生まれ変わったのではないか? そうでなければ一夜にして弟子たちがイエスの教えを説く強靭な使徒に生まれ変わったことを説明できない。大雑把ながらそれが遠藤周作の推論でした。私自身は今なお信仰!に至りませんが…。まずは「イエスの生涯」をご一読ください。
灘中時代の遠藤周作((上左)と 渡仏時(27歳)のバスポート
フランス留学へ
彼は、あの!灘中に入ったものの旧制高校はつぎつぎ不合格、二浪して慶応の予科~仏文科に進学。言わば劣等生でしたが、卒業後カトリック雑誌の編集に携わりカトリック文学を究めようとフランスに渡航します。船倉で雑魚寝するような2か月の航海中、停泊する港から乗船してくるアジアの人々との交流を通じ、日本はアジアでなぜあんな酷いことをしたのかと改めて侵略戦争への疑問を抱きます。
ルーアンの丘からリヨンへ
暫くはルーアンのロビンヌ家に下宿、フランス語と生活習慣を夫人に徹底的に鍛えられた後、リヨン大学で2年半、学問に没頭します。そうした日々を綴った日記が後に「ルーアンの丘」として上梓され、ロビンヌ家の人々との深い触れあい、神父になることを真剣に考える姿、リヨン大学の寮生活で人種差別と劣等感に苛まれる様子、恋人フランソワーズとの出会いと永久の別れなどが記されています。
(上)ルーアンのロビンヌ家。滞仏中、最初で最大の仕合わせな時間でした。
黄色人種がトイレを使うと...
私だけかどうか...欧州を1週間ほど旅する間、白色人種の人々の東洋人に対するどこか見下ろした眼差しを感じました。かつて日本が起こした戦争の心理的背景にもそうした眼差しがあったのではないかとさえ思います。遠藤周作が寮のトイレで用を足している時、白人の学生の「黄色人種がトイレを使うと便器が黄色くなる」との会話を耳にし深い劣等感に苛まれる様子は、感覚としてよくわかります。
ピーター・フランクルと遠藤周作
数学者で大道芸人のピーター・フランクルさんは世界を転々としてきたユダヤ人です。その彼が日本に定住している理由は『日本(人)にはユダヤ人差別がない』からだと語っていました。差別は態度や眼差しには顕れても言葉にはそう顕れません。厄介でべっとり滲みついた「心の文化」です。戦後間もない時期、敗戦国の黄色人種として渡仏した遠藤周作の心の闇を垣間見、息苦しさを覚えました。
(上左)大家族のロビンヌ家の人々と。(右)カトリック文学を学んだリヨンの街。
別れの時に...
フランスを発つ日が近づいた或る日、彼は恋人フランソワーズと夕食をともにします。周作『もし僕がフランス人ならば君に求婚する。でも僕は日本人だから...』。フランソワ『それは残念だわ。私は一生、老嬢として暮らすわ』。地中海の光が降り注ぐ浜辺を二人が歩いている時、『突然、僕の心にいっぱいの悲しみが襲ってきた』。理由があるよう、なないような、理不尽なほどに悲しい別れでした。
遠藤周作の残した「渡仏日記」の最後のページ
『窓の外が黎明の白い光に射され、海風にカーテンが揺れるまで、我々は時々眠った。月光に照らされたお前の寝顔は余りに清潔で純粋だった。お前を起こさぬよう僕は明け方の窓に凭れ、覚め始めた大都会の入口をじっと眺めていた。今日の午后、僕はお前と別れフランスを去る。長かったこの二年半の日々よ、しかし昨夜、最後の夜すらもお前に触れなかった自分に満足しながら...』
(上)「渡仏日記」。尊敬する或る方の字体に似ていてビックリしました。
伏せられていた最後の半年間を読んだ順子夫人は「幸福そうな表情」だった由。
むすびに...書き急ぐように...
遠藤周作「イエスの生涯」「ルーアンの丘」(下左中)「遠藤周作で読む十二人の弟子」のほか文藝春秋別冊「フランス留学時代の恋人フランソワーズへの手紙」「総特集:遠藤周作」を参考とし、写真は没後10年に放映された「遠藤周作:フランスの青春」より。但し最後の一枚はなぜかシマです。今、些事に心いたみ父の容体に気を病みコメント欄も閉じたり開いたり…書き急ぐように書いています。
【補遺】… 2022.11.6 記
思えば 遠藤周作についてブログでかなり触れてきた。
それほどファンでもないけど 惹かれていたことは確か… だと思う。
不遜にも 文章が巧いとは思わない。テーマ性に惹かれるのかな?
【過去ログ目次一覧】
かんわきゅうだい http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
どうぞ、ぜひ直接聖書を、イエスさまのお言葉が書かれている新約聖書を読んでみてください。
どんな読みかをなさっても結構ですから、興味本位でも読んでみてください。
誰を通してではなく、直接真実を知ることができます。
初めて読んだのは「沈黙」でしたが
中学か高校の初めぐらいでしたので
どこまで理解できたのかです。
が、神や信仰と自分自身の存在を考えることはできました。
大学以降はもっぱら狸里庵シリーズです。
そこから安岡正太郎さん、近藤啓太郎さんなどの犬をめぐった交遊録やエッセーを読んだりしました。
番犬ハナと暮らすようになったのも
そんなことが頭にあったからかもしれません。
ハナが来てから3年目ぐらいに
安岡正太郎さんの「愛犬物語」を単行本で買い直して
いつでも手に取れるところに置いてあります。
遠藤周作さんは、私の犬暮らしにつながっています。(^^ゞ
コメントありがとうございました。
私は、折々にご紹介くださる聖書の言葉に触れては深く心をうたれます。
にもかかわらず聖書を読み始めてもひきこまれことはありませんでした。
家にはたぶん数冊の聖書があると思います。
結構!読みこまれた様子の聖書は息子の本棚の一冊だけだと思います。
中高6年間、ミッション系の学校に通い、
信者でもないのに期末試験の時も鞄に聖書を入れているような子でした。
ムベさんが記された
「キリストは...彼を待ち望んでいる人々のために来られるのです」の一行。
聖書そのものの深さ以上に深く心にとどくことを不思議に思いつつ
お寄せいただいたコメントに心したいと存じます。
コメントありがとうございました。
「沈黙」は学生時代に読んだように思います。
後の「深い河」には少しも深さを感じられず、
「沈黙」の頃の遠藤周作は何処へ行ったんだ? と思いました。
彼が安岡章太郎と交友があったことは知っていましたが、
「愛犬」にかかわることは存じませんでした。
mikihanaさんのハナちゃん、サクちゃんに繋がるなんて...不思議な縁ですねぇ。
遠藤周作さんは私の父とほぼ同世代です。
幾らか格別な思いを抱きながら、
時に親しみをこめ 時に抗うように作品に接してきたように思います。
私だけの勝手な繋がり意識とは思いつつ...。
ご心配で、心此処に在らずといった心境でしょうか?
コメントを控えようかと思いましたが、無理にお返事のコメントをいただかなくてもいいと思い、書かせていただきます。
私も遠藤周作との出会いは狐狸庵先生でした。高校の通学時に、駅のベンチでシリーズ本を読み、たびたび名前の挙がる北杜夫の本も読んだりしました。
おばかさんを読んで、信仰の深さを知りました。他には海と毒薬が印象的でした。
遠藤周作の純文学は読んでいると苦しくなるので、余り読んでいません。
没後20年にもなるんですね。
久しぶりに、遠藤周作を読んでみたくなりました。
コメントありがとうございました
父は 毎日 栄養も水分さえも点滴でしかとれません。
命について医師は「月単位!まで行くかどうか...」。
更に「入院し、胸に穴を開けて栄養を補給すれば1年もつかもしれません」と。
北杜夫さんは 私もよく読みました。
遠藤さんも北さんもよく似た方かもしれません、
シリアスもペーソスもユーモアもシャイも...。
ありがとうございました
それくらいしか浮かんできません
目の前にニンジンをぶら下げる!
そんな会話があったりするんですけど、
牧師さんのたとえ話に出て来るとは
ルーアンやリヨンは行ってみたい街だなあ!
観光と言うより、少しの間滞在してみたいなあ
コメントありがとうございました。
ある事情でコメント欄を途中で閉じ、そのままにしていました。
讃岐さんに叱られ 遅ればせながら改めて開いたところでした。
> 遠藤周作と言うとやっぱり「違いが分かる男」
ノーベル文学賞が期待され、文化勲章受章者でもありますから
「違い」は歴然としています(笑)
芥川賞はかなり嬉しかったのでしょう、ご子息を「龍之介」と命名されています。
> 目の前にニンジンをぶら下げる!・・・牧師さんのたとえ話に出て来るとは
亡くなった私の従姉のつれあいが牧師さんで、しばしば説教原稿を送ってきます。
それを読むと どうも牧師さんには「そういう傾向」があるようですよ。
> ルーアンやリヨンは行ってみたい街だなあ!
> 観光と言うより、少しの間滞在してみたいなあ
ルーアンはパリの近くですが、リヨンはかなり南、イタリアに近くなりますから
イタリアの「アグリツーリズモ」のような施設があるかもしれませんね。
それだと 安~く 長~く滞在できそうです。