あまりに急な叔母の旅立ち
19日、叔母が亡くなったと聞き帰省しました。先月訪ねた時、いつもと変わらず快活にあれこれ話をしていました。つい十日ほど前には、いつものように特に用件もない電話があったばかりです。病気をしていたわけでもなく余りに急な旅立ちでした。
子がいなかったからでしょうか、昔から甥や姪をよく可愛がる叔母でした。話すといつも明るく笑いころげ、居心地の良さに私をはじめ甥や姪は帰省するたびに叔母を訪ねました。料理とお茶のお師匠さんとして近隣の若い人たちにも慕われていました。
12年にわたり家で看病してきたつれあいに4年前に先立たれました。その頃からやや認知症の気配が現われ、十数人いる甥や姪は訪ねるたびに 「施設に入ることを考えようね」 と話していましたが、まだ日々の暮らしに困る程ではありませんでした。
年齢に不足はありませんが...
叔母は、亡くなる前日に腹痛を訴え掛かりつけ医を受診しました。腸閉塞と診断した医師は入院を奨め、渋々ながら甥に付き添われて市内で最も大きな病院に行きました。腸に吸引チューブを挿入し溜まった腸液や食べ物を排出する措置が取られました。
「1週間ほど経過を見ますが、それで退院できるでしょう」 との診断に叔母もホッとしていたようです。しかしその夜、原因は不明ながら挿入したチューブが外れ翌午前11時、付き添った甥と偶々帰省中の叔母(実妹)に看取られ絶命しました。
葬儀は、叔母のすぐ近所に住み最期を看取った甥が方々に連絡・手配を行い、同じく最期を看取った叔母が喪主を務めました。季節柄、時間に猶予がなく、お盆明けの交通事情の中、慌ただしい葬儀となりましたが、親族一堂に会し亡き叔母を偲びました。
享年84。丈夫ではありませんでしたし年齢に不足もありません。しかし余りに無念の思いが残る急な旅立ちでした。焼き場では人の一生の儚さに心乱れるのが常とはいえ、骨上げで小さな壺に納まってしまった叔母にひとしきり涙がとまりませんでした。
いつも大山に見まもられて...
予定を繰上げた帰省となりました。グループホームの父は、殆ど寝たきりでゼリー食を少しと点滴で命を繋いでいます。同じホームにいる母は、通夜・葬式の日、「一緒に家に帰ろう」 と誘いましたが、「お父ちゃんが心配だから」 とホームに戻りました。
冒頭の写真は、帰り途でみた早朝の大山です。夏山らしいやや素っ気ない雄姿と、峰にそって走る夏雲が印象的でした。年々過疎がすすむ郷里ですが、大山はいつも変わらず郷里の人々と暮らしを見まもり、私はいつも大山に見まもられ郷里を後にします。
【過去ログ目次一覧】
かんわきゅうだい http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
応える猛暑ですね。
何が起きるか分からない 併せ持つ老人
六花もその一人だとしみじみ・・
叔母様は みなさんに慕われて
その方で無ければわからない幸せな最期
でしたね。
デ某さんもきっと寂しさの中に居られることでしょう。
たくさん偲び 泣いてあげて下さいネ。
お父様 お母様 何だか幸せそうですね。
きっとお父様はお母様のために生きていらっしゃると思えてなりません。
息子は有る意味 最高のサポーターですね。
年齢に不足はありませんが・・何て書かないで下さい。
あと六花もそう言われるまで5年しか無いのだなぁーと
思って仕舞いました。
最もそれでいいのですがね。
叔母様のご冥福をお祈り申し上げます。
お掛けする言葉が見つかりません。
叔母さまのご冥福をお祈り申し上げます。
コメントありがとうございました
久しぶりに書き 久しぶりに六花さんのコメントに触れ とても嬉しいです。
> 今年は老いた身にはとても応える猛暑ですね。
「老い」には関係なさそうですよ
帰省先の境港(鳥取県)の最低気温は22~23℃でしたが、
関西の最低気温はそれより更に5℃高い27~28℃の「南国の夜」です。
> 何が起きるか分からないを併せ持つ老人 六花もその一人だとしみじみ・・・
やや耳が遠くなり話もくどくなった叔母には 顔を近づけて語りかけていました
ですから 私の感覚の中にまだ叔母の匂いさへ残り 現実感のなさに戸惑います。
叔母は独り身、独り暮らしでしたけど、
六花さんにはご子息もお嬢様もお孫さんもいらっしゃって心強いと思います。
何があってもすぐ!大切にサポートされ 心強いことと思います。
> 叔母様は みなさんに慕われて
> その方で無ければわからない幸せな最期
でしたね。
十数人いる甥と姪は マレーシアにいる甥を除けば全員!揃いました
いつまでも天真爛漫で たくさん愛した分だけ たくさん愛された叔母でした。
> デ某さんもきっと寂しさの中に居られることでしょう。
> たくさん偲び 泣いてあげて下さいネ。
葬式に参列できなかった方が、夜、叔母の家を訪ねると「真っ暗だった」と...
その後 わが家に来られ そう仰られました。
虚を衝かれ...みんな言葉を喪くしました。
いちばん寂しかったのは 亡くなった叔母自身だったのでした。
> お父様 お母様 何だか幸せそうですね。
> きっとお父様はお母様のために生きていらっしゃると思えてなりません。
> 息子は有る意味 最高のサポーターですね。
家族で話し合い いわゆる延命治療はしないことにしています。
そうした中でも 父の命は脈々と繋がれています。
しかし父の亡き後の母については つい思考が停止してしまいます。
「息子」に限らず、遺される者もみな命を分かちあう宿命ではあります
> 年齢に不足はありませんが...なんて書かないで下さい。
> あと六花もそう言われるまで5年しか無いのだなぁーと 思って仕舞いました。
小さい頃ジフテリアに罹り、中学生だった父が病院まで数km背負って行った由
戦後 結核で背中からメスを入れられ サナトリウムで療養したこともあります。
よくぞ生きてきた叔母であり 「年齢に不足は...」と書きました。
六花さんは ご病気などご苦労された分 健やかに長く愉しく生きましょうね
ありがとうございました
デ某さんやご親族のお気持ちを思うと
上手く言葉が見つかりません。
叔母様のご冥福をお祈りいたします。
お父さまを思いやるお母さまのお姿に、
歳を重ねても、いつまでも温かく愛情ある夫婦でいる事の大切さを感じました。
デ某さん、
お疲れが出ませんように
くれぐれもご自愛くださいね。
コメントしづらいブログにコメントくださり ありがとうございます、恐縮です
> 年齢に不足はないとはいえ 親しい人のあまりに急な旅立ちが、
> 残されたものに与える衝撃は計り知れませんよね。
かつて 療養所にいた叔母を訪ねた時 ぱあ~っと表情を明るくし
それはもう嬉しそうに迎えてくれました。
お茶の関係で京都に来る機会も多く 学生時代にはよくご馳走になりました。
いまは寧ろそうした思い出を 私のなかで懐かしく甦らせています。
> 叔母さまのご冥福をお祈り申し上げます。
ありがとうございました
此処でのやりとりも 虹の彼方に向かう叔母への餞と思い ありがたく存じます
コメントありがとうございました
> デ某さんやご親族のお気持ちを思うと
上手く言葉が見つかりません。
> 叔母様のご冥福をお祈りいたします。
そうして悼んでいただき 私は勿論 叔母もよろこんでいることと思います
このブログは 実は来月の「術後5年検診」の報告まで閉じるつもりでした。
叔母はこのブログの存在さえ知りませんが、
旅立つ意思に「書きなさい」の思いもあったのでしょう。
> お父さまを思いやるお母さまのお姿に
> 歳を重ねても、いつまでも温かく愛情ある夫婦でいる事の大切さを感じました。
「家に帰る」ことに執着する母ですから、「ホームに帰る」には驚きました
善いことばかりではありませんが、
父も母も 長く歳をとるなりに 様々な一面を見せてくれますね。
> お疲れが出ませんように くれぐれもご自愛くださいね。
ありがとうございます
mokaさんも この猛暑に負けず 体調を整え 爽やかな秋をお迎えくださいね
そんな心配を姪・甥にしてもらえるなんて、おばさまがどんなに優しく生きてこられたかわかります。
こういう人は迷惑をかけないでいくようにできているのでしょうかね・・・
突然でしかも残念な事ですが・・・
命のはかなさを思い知らされます
ご冥福をお祈りします。
チューブが外れてしまうということがあるのですね。
ご遺族の方にとっては
納得できないような、お心残りのことと思います。
でも孤独な最期を迎えられる方もありますのに
以前から皆様から気遣って頂いたり、
見守られて最期をお迎えになられて、
お叱りを受けるかもしれませんが、
お幸せだったのではないでしょうか。
これもご生前に叔母様が皆様に
尽くされたからかもしれません。
お母様もお父様のことが、とても気がかりなのですね。
だからこそ、ご自身のお気持ちがしっかりされているのだと思います。
デ某さんもご両親さまも
残暑厳しい折、どうぞご自愛下さいませ。
叔母様もがんばって人生全うされたのでしょう。
お父様、ゼリー食が続いていますか。
母も半年そんな食事でした。
いつか神様がお迎えに来る日が
来ることでしょう。でも、
それは本人が選ぶんだと思います。
わたしも、母が旅立って
100日になろうとしているいま、
母が生きてきた道を思い返しています。
尊い命、そう思います。
そして、自分がどう生きるべきかを
あれこれ考えています。
腸閉塞は急激に悪化するので高齢者には怖い病気ですね。
でも叔母様の場合、それほど苦しまれなかったようで、
不謹慎な言い方かもしれませんが、
幸せな終わり方だったのではないでしょうか。
多くの人に慕い慕われ、明るく笑って日々を過ごし、
人さまに迷惑をかける前にサッと姿を消す・・・
カッコいい去り方と思います。
老醜をさらさず、生きかた同様の旅立ちだったかと。
カッコよすぎて残された者は戸惑いますね。
いつまでも偲んであげてください。