2008年4月1日。2014年4月2日。桜咲く日・・・知り合ってそう長くない二人の女性がこの世を去りました。そう長くない日々とはいえ、私にはぎゅっ!と凝縮された濃密な日々として、生涯忘れ得ぬ人として、いつまでも記憶に、心に、とどまります。
2007年7月、Nさんは仕事中に急に腹痛を訴え救急車で搬送されました。その後の検査で「ステージⅣの副腎がん」「余命半年」と告げられました。その年12月「もはや有効な治療はない」と職を辞し、翌2008年4月1日、帰らぬ人となりました。
2012年7月、私のちょうど一年後にMさんは腎がんの手術を受けました。しかし術後3月検診で転移が判明します。いつも明るさを失わないMさんでしたが、「私、死ぬ気がしないんですけど」のブログ記を最後に、2014年4月2日、旅立ちました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/a9/2dbfde0ffadafb791673f90307b54590.jpg)
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Nさんは、娘の出産と同時に離婚、兄弟姉妹はじめ親族とも一切の縁を絶った厳しい身ながら、希望して「荒れる中学校」に赴任します。退勤後、娘を連れて職員室に戻る彼女をツッパリ達が慕う一方、校長・教委は「問題教員」として厳しい目を向けました。
その彼女が教委の管理職となり、中学校長に抜擢された経緯について私は存じません。娘さんの短い生涯を一冊の書として上梓、その話題を報じた朝日新聞の記事で私は彼女を知りました。それから数年後、彼女が職を辞した最期の仕事を私が引継ぎました。
亡くなる僅か一か月余前、彼女がかつて校長だった中学校から「生命」をテーマに授業を!とのオファーがありました。残された総ての力を注いだ「最期の授業」は、朝日夕刊で大きく報じられました。その最期の授業から一か月余、彼女の命が燃え尽きました。
以下 Nさんの葬式における友人代表(某大学長)の『弔辞』より
Nちゃん、今日は頑張って泣かんと言うから、マジメに聞いてくれ。
Nちゃんが一時退院して入ったホテルのスウィートルーム、なんちゅう豪華な部屋やったんや。一晩でええから泊めてくれ!言うたら、あんた、ベッドがない!言うたな。 それでオレ「あんたのベッドで寝てやるから」って言うたら、「私にはその気はない」って。「オレかてその気はない!」言うて、あとは二人で大笑いやったなぁ。
夜、急にNちゃんに会いたくなって、「今から行ってもええか?」って電話したら、 「来てもええけどイチゴのケーキ買って来な、部屋入れへんで!」って。
去年のクリスマスイブ。例によってオレの家でやるパーティにNちゃんも来てくれたな。ええんか?言うたら、ええねん!って。その日、アンタいっぱいみんなと写真とってたな、ニコニコ笑いながら。お別れ写真のつもりやってんなぁ。
Nちゃんの部屋で開いた忘年会。オレ行けへんかった。すると夜中に「早よ来い」「お酒が足りんからワインと焼酎もってこい」って。オレ、ビンテージもんのワインと幻のナントカ言われる焼酎もって行った。あたりまえやけど、ちっとも惜しい思わんかった。
・・・中略・・・ ここで話したいことはなんぼでもある。なんぼでもあるけど、それより何よりもう一回、Nちゃんと話したい。ここでなんぼ話しても尽きないし、なんぼ話してもむなしゅうなるだけやから、もうやめにする。あとは、オレかて、早く行きたいとは思わんけど、いずれそっちに行くことになるんやから、その時また語り合おう。それまでのお別れや。ありがとう。ほんまにありがとう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/85/460d46195d92dac2d52783274ef4563d.jpg)
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一方、Mさんは2012年7月に腎がんを手術、術後の病理診断は「6cm。境界明瞭な腫瘍。淡明細胞。腎実質内に留まり腎盂側も被膜内に留まる。脈管侵襲なし」のステージⅠでした。Mさんも心から安堵したものの術後の体調は余り芳しくありませんでした。
そして10月、両肺に2cm程のがん転移を告げられ、ブログに『こんなことになるなんて思ってもみませんでした』と。スーテント(分子標的薬)治療が始まると『大丈夫、大丈夫、と何度も念じています。でもやっぱり怖い』と不安が隠せないMさんでした。
それでも闘病しながら仕事を続けます。経過が良いと『ちゃら~ん。異常なしの診断です』。オフ会に出て『なんてエキサイティング!』。同窓会では『皆に、変わらないね!と言われ気を良くして帰宅』と。ご主人の『ず~っと一緒にいるよ』に歓ぶMさん。
しかし翌年夏頃から厳しい闘病が続きます。サイバーナイフ治療。スーテントからインライタに変薬。『この先どうしていいか不安』ですが、ご主人のお母さまに『Mちゃん、がんばるんだよ』と励まされ二人抱き合って涙します。そのようにして秋を迎えます。
11月『肺CT・・・増大。腹部CT・・・腸腰筋に再発』。更に『転移の数が多すぎてサイバーナイフの対象にならない』『咳や痰、呼吸困難の症状がでる前に何とかしたい』。それでも単位をとるために聴講している大学に行き『今日は試験を受けてきました』。
2014年を迎え『退院して家にいるはずでしたがまだ病院にいます。モルヒネの一つ下の痛み止めを一日4回・・・痛いのはつらいな~』。そんな中、2月には娘さんの結婚式、『人生で素晴らしい日を迎え胸いっぱいです』『涙がポロポロ自然に流れてきます』。
『診察後のランチはレストラン〇〇のグリルでハンバーグステーキ、ボリュームたっぷりほくほくのじゃがいもが添えてあって美味しかったです。満足、満足。娘はグレープフルーツゼリー、私はイチゴのムース。美味し~い』(Mさんの最後から二つ目のブログ記より)
以下、Mさん最期の日記「久しぶりなのは」(2014.3.18)
『実は先々週、病院の外来で大変なことを言われました。
一週間の休薬の間に肺の腫瘍がものすごい勢いで増大してると・・・。スーテントを始めた2週間で腫瘍が小さくなっていたからでしょうか、リバウンド激しいみたいです。
主治医は言いました。このままではいつ呼吸が停止してもおかしくない、末期医療について確認しておきましょう、と。意識がなくなった場合・・・血圧が下がって意識が・・・等々質問され、気が動転して、意識がないなら何もしないでいいです、死なせてください、と言ってしまった。次に口を開いたのは、先生!私死ぬ気がしないんですけど、元気です。
こんな死の宣告をうけましたが、生きています、元気です大丈夫です。でも緩和ケアなどを考える良いきっかけになりました。色々調べいざという時に備えたいと思います。
今日はまた近所のパン食べ放題サンマルクに〇さんのお友達と行ってきました。たくさん食べて、たくさんおしゃべりして楽しかったね』。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/c3/37877b2de24478e6fd7825cca7ac5d5c.jpg)
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この季節にふさわしい映像と音楽 ・・・「パッヘルベルのカノン」をおくります。
Nさん、Mさん、お二人を偲び そのお心がいつまでも安らかでありますよう祈りつつ・・・
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【過去ログ目次一覧】
吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
吾輩も猫である~80 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/dce7073c79b759aa9bc0707e4cf68e12
吾輩も猫である81~140 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/f9672339825ecefa5d005066d046646f
吾輩も猫である141~ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/b7b2d192a4131e73906057aa293895ef
人生の棚卸し http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/ddab58eb8da23a114e2001749326f1f1
かんわきゅうだい(57~) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/20297d22fcd28bacdddc1cf81778d34b
かんわきゅうだい(~56) http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a0b140d3616d89f2b5ea42346a7d80f0
閑話休題 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/c859a3480d132510c809d930cb326dfb
腎がんのメモリー http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/bee90bf51656b2d38e95ee9c0a8dd9d2
旅行記 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/23d5db550b4853853d7e1a59dbea4b8e
新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
2007年7月、Nさんは仕事中に急に腹痛を訴え救急車で搬送されました。その後の検査で「ステージⅣの副腎がん」「余命半年」と告げられました。その年12月「もはや有効な治療はない」と職を辞し、翌2008年4月1日、帰らぬ人となりました。
2012年7月、私のちょうど一年後にMさんは腎がんの手術を受けました。しかし術後3月検診で転移が判明します。いつも明るさを失わないMさんでしたが、「私、死ぬ気がしないんですけど」のブログ記を最後に、2014年4月2日、旅立ちました。
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Nさんは、娘の出産と同時に離婚、兄弟姉妹はじめ親族とも一切の縁を絶った厳しい身ながら、希望して「荒れる中学校」に赴任します。退勤後、娘を連れて職員室に戻る彼女をツッパリ達が慕う一方、校長・教委は「問題教員」として厳しい目を向けました。
その彼女が教委の管理職となり、中学校長に抜擢された経緯について私は存じません。娘さんの短い生涯を一冊の書として上梓、その話題を報じた朝日新聞の記事で私は彼女を知りました。それから数年後、彼女が職を辞した最期の仕事を私が引継ぎました。
亡くなる僅か一か月余前、彼女がかつて校長だった中学校から「生命」をテーマに授業を!とのオファーがありました。残された総ての力を注いだ「最期の授業」は、朝日夕刊で大きく報じられました。その最期の授業から一か月余、彼女の命が燃え尽きました。
以下 Nさんの葬式における友人代表(某大学長)の『弔辞』より
Nちゃん、今日は頑張って泣かんと言うから、マジメに聞いてくれ。
Nちゃんが一時退院して入ったホテルのスウィートルーム、なんちゅう豪華な部屋やったんや。一晩でええから泊めてくれ!言うたら、あんた、ベッドがない!言うたな。 それでオレ「あんたのベッドで寝てやるから」って言うたら、「私にはその気はない」って。「オレかてその気はない!」言うて、あとは二人で大笑いやったなぁ。
夜、急にNちゃんに会いたくなって、「今から行ってもええか?」って電話したら、 「来てもええけどイチゴのケーキ買って来な、部屋入れへんで!」って。
去年のクリスマスイブ。例によってオレの家でやるパーティにNちゃんも来てくれたな。ええんか?言うたら、ええねん!って。その日、アンタいっぱいみんなと写真とってたな、ニコニコ笑いながら。お別れ写真のつもりやってんなぁ。
Nちゃんの部屋で開いた忘年会。オレ行けへんかった。すると夜中に「早よ来い」「お酒が足りんからワインと焼酎もってこい」って。オレ、ビンテージもんのワインと幻のナントカ言われる焼酎もって行った。あたりまえやけど、ちっとも惜しい思わんかった。
・・・中略・・・ ここで話したいことはなんぼでもある。なんぼでもあるけど、それより何よりもう一回、Nちゃんと話したい。ここでなんぼ話しても尽きないし、なんぼ話してもむなしゅうなるだけやから、もうやめにする。あとは、オレかて、早く行きたいとは思わんけど、いずれそっちに行くことになるんやから、その時また語り合おう。それまでのお別れや。ありがとう。ほんまにありがとう。
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そして10月、両肺に2cm程のがん転移を告げられ、ブログに『こんなことになるなんて思ってもみませんでした』と。スーテント(分子標的薬)治療が始まると『大丈夫、大丈夫、と何度も念じています。でもやっぱり怖い』と不安が隠せないMさんでした。
それでも闘病しながら仕事を続けます。経過が良いと『ちゃら~ん。異常なしの診断です』。オフ会に出て『なんてエキサイティング!』。同窓会では『皆に、変わらないね!と言われ気を良くして帰宅』と。ご主人の『ず~っと一緒にいるよ』に歓ぶMさん。
しかし翌年夏頃から厳しい闘病が続きます。サイバーナイフ治療。スーテントからインライタに変薬。『この先どうしていいか不安』ですが、ご主人のお母さまに『Mちゃん、がんばるんだよ』と励まされ二人抱き合って涙します。そのようにして秋を迎えます。
11月『肺CT・・・増大。腹部CT・・・腸腰筋に再発』。更に『転移の数が多すぎてサイバーナイフの対象にならない』『咳や痰、呼吸困難の症状がでる前に何とかしたい』。それでも単位をとるために聴講している大学に行き『今日は試験を受けてきました』。
2014年を迎え『退院して家にいるはずでしたがまだ病院にいます。モルヒネの一つ下の痛み止めを一日4回・・・痛いのはつらいな~』。そんな中、2月には娘さんの結婚式、『人生で素晴らしい日を迎え胸いっぱいです』『涙がポロポロ自然に流れてきます』。
『診察後のランチはレストラン〇〇のグリルでハンバーグステーキ、ボリュームたっぷりほくほくのじゃがいもが添えてあって美味しかったです。満足、満足。娘はグレープフルーツゼリー、私はイチゴのムース。美味し~い』(Mさんの最後から二つ目のブログ記より)
以下、Mさん最期の日記「久しぶりなのは」(2014.3.18)
『実は先々週、病院の外来で大変なことを言われました。
一週間の休薬の間に肺の腫瘍がものすごい勢いで増大してると・・・。スーテントを始めた2週間で腫瘍が小さくなっていたからでしょうか、リバウンド激しいみたいです。
主治医は言いました。このままではいつ呼吸が停止してもおかしくない、末期医療について確認しておきましょう、と。意識がなくなった場合・・・血圧が下がって意識が・・・等々質問され、気が動転して、意識がないなら何もしないでいいです、死なせてください、と言ってしまった。次に口を開いたのは、先生!私死ぬ気がしないんですけど、元気です。
こんな死の宣告をうけましたが、生きています、元気です大丈夫です。でも緩和ケアなどを考える良いきっかけになりました。色々調べいざという時に備えたいと思います。
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新聞・TV・映画etc. http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/a7126ea61f3deb897e01ced6b3955ace
ごあいさつ http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/7de1dfba556d627571b3a76d739e5d8c
桜満開で浮かれていたこの頃でした
デ某さんには、忘れ得ぬ女性お二人との別れの季節だったんですね
お言葉のかけようもありません
Nさん、Mさん、お二人とも気丈な方ですね
生き様が『男前』 に見えました
某大学長さんの大阪弁の弔辞、余計に涙を誘われます。
こうして思い返される事が、きっと ご供養になると思います。
優しいデ某さん、素敵です。
Mさんと同じく闘病中だった瞳さんが、Mさんの状態を心配し私にメールをしてきたこと。「Mさん大丈夫だよね・・」と2人でMさんを案じていた時に「きゅうっ。。」と小さな不思議な音が何度も耳元で聞こえてきた時のことを思い出しながら読ませていただきました。
一緒にMさんを案じた瞳さんも今はもう居ません。寂しいです。
デ某さんが、お元気でいてくれて嬉しいです。
デ某さんが綴られたMさんの言葉のひとつひとつが鮮明に蘇り切ないです。
デ某さんと一緒に
Nさん、Mさん、お二人を偲び そのお心がいつまでも安らかでありますよう私もお祈りしています。
仲間の旅立ちを見送るのはとても寂しく辛い事ですね…
ましてや桜の季節と重なるとなおのこと…
私も同じく、桜の季節に思い出す旅立ちが心の中にあります。
今年のお花見会をする事が出来なかったのも、その事が関係しているのかも知れません
昨日は夫と2人で京都の夜桜を見に行きました
花吹雪の中、色々な事を思い出したと共に、今年もまた穏やかに桜は季節を迎えられたこと…幸せに思いました
そしてデ某さん、私ごとですが、
今月からブログの引越しをしました
詳細はgooブログに記しましたので、よろしけれはお訪ねくださいね。
これからも変わらずよろしくお願いいたします
ふじのりんごさん
コメントありがとうございました
リコメが遅れ申し訳ございません。
> 桜満開で浮かれていたこの頃でした
満開の桜の華やかさ 散りゆく桜の儚さ
そして 彩やかな緑が目にしみる葉桜へと...。
桜花は 様々な姿で心に迫ってまいりますね。
> 忘れ得ぬ女性お二人との別れの季節だったんですね
Nさんとは一年に満たないおつきあいでした。
Mさんにはお目にかかったこともありません。
にもかかわらず....のお二人ではありました。
> Nさん、Mさん、お二人とも気丈な方ですね
> 生き様が『男前』 に見えました
垣間見るお姿は様々ながら
そのいずれもが 真実のNさんでありMさんであったと思います。
> 某大学長さんの大阪弁の弔辞、余計に涙を誘われます。
以前にもブログに記したのですが、
もともと「弔辞」の原文はなく録音・録画もありませんでした。
葬儀後すぐ記憶の確かなうちにペンを走らせた「聴き書き」です。
彼女の遺志がそうさせたのでしょうか、
メモした私自身 驚くほど 実際!に近いものだと思っています。
> こうして思い返される事が、きっと ご供養になると思います。
不思議なご縁ではあります。
その不思議さもあってか...忘れ得ない人になりました。
良いお天気がつづきますね。
光あふれる季節
SORAさん
コメントありがとうございました
> Mさんと同じく闘病中だった瞳さんが、Mさんの状態を心配し私にメールを・・・
> 2人でMさんを案じていた時に 「きゅうっ。。」と小さな不思議な音が何度も耳元で・・・
SORAさんのその想ひでについて 私も印象深く憶えています。
SORAさんにはいつも何か不思議な現象が起きます。
大安寺についてもそうですし、私には違和感なく 寧ろいつもリアルな出来事に思えます。
> 一緒にMさんを案じた瞳さんも今はもう居ません。寂しいです。
SORAさんのブログに記された2015.5.11の「瞳に映るもの」を改めて読ませていただきました。
瞳さんの最期の言葉
『私はいますか? どこにいますか? 笑っていますか?』
涙がとまらなくなりました。
> デ某さんが、お元気でいてくれて嬉しいです。
嬉しくて・・・嬉しすぎて・・・困ります。
腎がんの仲間の方は殆ど来られなくなり
なんだか距離が広がる寂しさを感じていましたから・・・。
> デ某さんが綴られたMさんの言葉のひとつひとつが鮮明に蘇り切ないです。
Mさんの想ひでを辿りつつ 切なさとともに Mさんが甦り今ここに存在するのを感じます。
毎年!毎年!その感が強くなってまいります。
> デ某さんと一緒にNさん、Mさん、お二人を偲び
> そのお心がいつまでも安らかでありますよう私もお祈りしています。
優しさあふれるコメントありがとうございます
SORAさんがいつまでも健在!
mokAさん
お早うございます。コメントありがとうございました
> 仲間の旅立ちを見送るのはとても寂しく辛い事ですね…
> ましてや桜の季節と重なるとなおのこと…
Nさんは、予め指定された弁護士さんを通じてご遺産を総て寄付されました。
様々な「文庫」などのほか、一般に公開されている或る旧家の庭にも
ご遺産により植樹された桜の樹があり、先日、訪ねてまいりました。
> 私も同じく、桜の季節に思い出す旅立ちが心の中にあります。
> 今年のお花見会をする事が出来なかったのも、その事が関係しているのかも知れません
それぞれに・・・。
それぞれの心にかなう桜であれ・・・と思います。
> 昨日は夫と2人で京都の夜桜を見に行きました
> 花吹雪の中・・・今年もまた穏やかに桜は季節を迎えられたこと…幸せに思いました
『花やすらい風やすらいの幾星霜過ぎて阿騎野の春夕まぐれ』
歌人 道浦母都子さんの歌集「花やすらい」の一首です。
『花や風に安らぎを覚えながら一日一日過ごしてきた日々だった』との思いを託した歌の由。
『生かされている自分の巡りの全てにあらためて感謝』と後記に書いていらっしゃいます。
花吹雪のなかでmokaさんが感じられた幸せに・・・心から共感しました。
> 私ごとですが、今月からブログの引越しをしました
拝読しました。私もまた同様の感じがありましたから、そんな気がしていました。
当方のブログも はからずも gooの方のお訪ねが殆どになっていますが
ぶろぐ村を離れることはあっても 私はここにいます。
mokaさんのますますのご活躍をお祈りします
お二人のご冥福を心からお祈りします。
デ某さまのお心が平穏になりますように・・・
夢子さん
コメントありがとうございました
> ご紹介下さる曲はいつも素晴らしく夢子の心に響きます。
パッヘルベルのカノン....殆ど この一曲のみ! のようなパッヘルベルの代表作、
この一曲だけ!とはいえ これだけ親しまれ多くの人の印象に残る曲を残せたのですから、
パッヘルベルは幸せな音楽家だと思います。
一度聴いたら 暫くこの調べが身体中を巡りつづけますね。
> 目を閉じて聞いているといろんなことが思い出され
> あたたかい気持ちにさせてもらっています。
お母さまや琵琶湖の情景が夢子さんの心を巡られたのでしょうか....。
あたたかい気持ち....とのことですから、きっと愉しく幸せな情景であったことと思います。
> お二人のご冥福を心からお祈りします。
> デ某さまのお心が平穏になりますように・・・
優しいお言葉を ありがとうございます
Nさんが亡くなられて早や10年、
亡くなられる前年の4月の或る日 桜色のスーツをお召しでした。
「春の色で決められましたね」と申し上げましたら
「そうよ~!」と仰って、微笑みながら少しポーズをとられました。
ポーズにつられて ウィンクしましたら 少しビックリされつつ ウィンクを返されました。
Mさんが亡くなられて4年、
一度もお目にかかっていないのに いつもニッコリ!微笑んでいらっしゃいます。
おつれあいが Mさんの旅立ちについて記されたブログ記「ありがとう(2018.4.3)」には
103のコメントが連なり 今なお増えつづけています。
夢子さんにとって 愉しい春の日々でありますよう 心より祈ります