デ某の「ひょっこりポンポン山」

腎がんのメモリー、海外旅行記、吾輩も猫である、人生の棚卸しなど。

吾輩も猫である 118 ( 無縁坂 ・・・ 「名曲断想」番外篇 )

2016-03-01 21:46:52 | 吾輩も猫である
 吾輩の出番がない!ということで「番外篇」なり。出番がないのは、吾輩のファンのことを思えば若干!気になる。鈍感な主人でもそのことに気づいたのか、先の介護帰省で心が傷ついたゆえか・・・「シマ。名曲断想の番外篇をおまえに任す」とPCを渡された。

    

 倍賞千恵子 「鈴懸の径」・・・「昭和」の色濃い時代
 「鈴懸の径(みち)」は昭和17年に作られた。前年に始まった太平洋戦争の最中に歌われたとは思えないのどかな歌詞であり曲である。この雰囲気、この系譜はそれから20年後、ペギー葉山「学生時代」に引き継がれ学生たちに愛唱された。
 『友と語らん鈴懸の径/通いなれたる学舎(まなびや)の街/やさしの小鈴 葉かげに鳴れば/夢はかえるよ鈴懸の径・・・熱き想いを心にこめて/澄んだ眸は青空映す/窓辺の花に頬を寄せれば/夢はかえるよ鈴懸の径・・・月日は移り想い出だけが/今も浮かぶよ別れた友の/若き日の唄 風に乗せれば/夢はかえるよ鈴懸の径』
 主人は高校時代の文化祭で初めてエレキバンドの演奏による「鈴懸の径」を聴いた由。当時のエレキバンドと言えばベンチャーズの全盛時代、「ダイヤモンドヘッド」「パイプライン」などではなく「鈴懸の径」とは・・・渋い。まだまだ昭和の色濃い時代である。

 岡林信康「友よ」・・・団塊の青春
 1960年代末~70年代が主人の学生時代。「フォーク(ソング)」は反戦平和の代名詞のようにこの世代をとらえ、岡林信康、北山修、加藤和彦、井上陽水、財津和夫らが躍り出た。やがて大なり小なり商業ベースにのりその魂も変質?する。
 『友よ 夜明け前の闇の中で/友よ 闘いの炎を燃やせ・・・友よ 君の涙 君の汗が /友よ 報われるその日が来る・・・友よ 昇り来る朝日の中で/友よ 歓びを分かち合おう/夜明けは近い/夜明けは近い/友よ この闇の向こうに/友よ 輝く明日がある』
 車座になって、あるいは肩や腕を組んで歌う。ダサい!と? まあそれがこの時代のスタイルなのだ。いや、スピリットなのだ。彼らにとって明日はいつも輝いていたのだ。そして別れ際にはきまって「今日の日はさようなら」を歌うクサイ?世代であった。

    
       人形作家「与勇輝」に魅せられたQPが その昭和の世界に近づき描こうと試みたPC画。

 中村あゆみ 「翼の折れたエンジェル」・・・新人類の溜め息
 80年代半ばに登場し、まさに新人類世代の歌であった!と言えば中村あゆみに叱られるか・・・。まあ当人たちには迷惑なレッテル貼りであろう。時代のヒーローを競ったのが団塊世代であるとすれば、ヒーローになれなかった、なりたくもなかった世代である。
 『もし俺がヒーローだったら/悲しみを近づけやしないのに/そんなあいつのささやきにさえ/うなずけない心が淋しいだけ/翼の折れたエンジェル/あたしも翼の折れたエンジェル/みんな翔べないエンジェル』

 尾崎豊「十七歳の地図」・・・生きていれば!
 尾崎豊もまたこの1980年代を駆けぬけた世代である。痛々しいまでに傷ついた心は遂にその時代を駆けぬけることなく斃れたのだったが・・・。生きていれば既に50代、初老の尾崎豊はどんな曲をつくり、どう歌っているだろうか。
 『電車の中 押しあう人の背中に幾つものドラマを感じて/親の背中にひたむきさを感じて/この頃ふと涙こぼした 半分大人のSeventeen's map ・・・人波の中をかきわけ壁づたいに歩けば/しがらみのこの街だから強く生きなきゃと思うんだ/ちっぽけな俺の心に空っ風が吹いてくる・・・焼けつく様な夕陽が今 心の地図の上で起こる全ての出来事を照らす』

 主人の帰省について・・・寸描
 父親は 認知症対応のグループホームに居る。もう殆ど喋ることはない。歩くことも服を着替えることも食べことさえ自らの力ではできない。しかし顔色は良く表情は穏やかである。逢えば伝わるものが確かにある。十分立派に生きているのだ。
 母親は、足を怪我して歩行困難になったのを機にいわゆる「サ高住」に入った。設備は申し分なく、医療・看護なども万全である分、かなりの高額でもある。快適の筈なのだが、母親は「家で一人暮らしする方がいい」と・・・。その希望を叶えない主人に、母親は「おまえを人権擁護委員会に訴える」。主人、さすがにガックシきていた。


    
      主人の実家で見つけた旧い写真・・・左・中はいつの時代の誰かさえ不詳、右は数年前の主人一家。

 主人と母親には無縁!の・・・さだまさし「無縁坂」
 『母がまだ若い頃/僕の手をひいて/この坂を登るたび/いつも溜息をついた/溜息つけばそれで済む/うしろだけは見ちゃだめと/笑ってた白い手は/とてもやわらかだった・・・運がいいとか悪いとか/人は時々口にするけど/そうゆうことって確かにあると/あなたを見ててそう思う』
 十五の歳までは、母親に対して多かれ少なかれそういう感慨とか思い出とか・・・そうゆうことってあるものかもしれない。しかし、主人の場合、ほんと・・・そこまで!のようだ。そこからはなんかぎくしゃくして、いつも擦れ違ってきたと言っている。
 『母はすべてを暦に刻んで/流して来たんだろう/悲しさや苦しさは/きっとあったはずなのに・・・運がいいとか悪いとか/人は時々口にするけど/めぐる暦は季節の中で/漂いながら過ぎてゆく/忍ぶ 忍ばず 無縁坂/かみしめる様な ささやかな 僕の母の人生』
 主人が母親の人生についてかみしめる時は、いつだろう・・・。そうゆうことがあるのかないのかさえまだわからない。わかっていることは、それでもまだ毎月、毎月、帰省しては母親と諍いをしながら・・・またつぎの月を迎えるということぐらいだろう。

       さだまさし (クレープ) 「無縁坂」


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吾輩も猫である~40 http://blog.goo.ne.jp/00003193/e/58089c94db4126a1a491cd041749d5d4
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17 コメント

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鈴懸の径 (沙羅)
2016-03-02 08:57:36
先週の「ちちんぷいぷい」の歌碑物語でこの歌の由来を知りました。
明治大学に並木があってそのことがモチーフになっているそうです。
古めかしい曲も好きで、この歌もとても好きな歌です。
とある大きな公園に巨大な鈴懸の並木道があり、ほぼ毎年一人で行って「鈴懸の径」とシューベルツの「風」を口ずさみなす。
まさに[夢はかえるよ鈴懸の径」です。
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介護 (沙羅)
2016-03-02 09:09:39
お母さんとのやり取りを読むと、私も父母・義父・そして進行形の義母の世話や介護を経験してきているのでお母さんの一言にデ某さんがどれだけ心を痛めたか・・よくわかります。
こちらが良かれと理を尽くして説明してもわかってもらえない。
親を思うからこその決断・行動なのにその深いところは理解してもらえず、かえって恨むをかうときがあるはとても切ないことです。

今実の両親を見送って十数年経って思うことは両親の人生のこと、私についてどう思ってくれたかとか、いろいろと。
そしてその時はもっと優しくしてあげればよかったとか、あの時母はこう思っていたのだろうかと、もう取り戻せないことばかり。。
その時は精一杯で余裕はありませんでした。
母とは私もすれ違いばかりでした。

デ某さんがご両親の人生についてかみしめるのはもっとずっと後の事。
今は混とんとしていても客観的に過ぎし日を振り返ったりしみじみ親を思う時親はもういない・・・人生って本当に一筋縄ではいかないです。
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介護 (讃岐おばさん)
2016-03-02 10:17:15
老いては子に従え、こういう風に素直に歳をとれたらいいなぁと思います。
でももし自分が痴呆になったら、どうなるんでしょうね。
神のみぞ知る、でしょうか。
向かいに住んでる93歳の義母は今朝も杖をついて散歩をしていました。
義妹や夫が朝夕に世話をしているので好きにさせてもらって有難いと思っています。
義母は死んでも施設には入らん、と言ってます。

離れている分、気苦労も大変なことだと思います。
期限のない介護、どうぞご自分のお体を大切になさってください。
返信する
Unknown (デスタントドラムス)
2016-03-02 12:51:12
先ほどはコメントいただき
ありがとうございました。
介護・・・・おんなじです。
でも自分の仕事として適当にやってます。
適当でないと続かないから。
気楽にね。口の世話と下の世話、お風呂と洗濯。。。赤ちゃんの世話だと思えばね、何とか今はやれてます。

中村あゆみ・懐かしい。
尾崎も・・・・さださんも・・・・
これから過去記事拝見します。

今日は年休とってだらだらしてます。
返信する
命にかかわる人生は・・・ (デ某)
2016-03-02 15:17:59
沙羅さん
コメントありがとうございました

> 「ちちんぷいぷい」の歌碑物語でこの歌の由来・・・明治大学に並木がモチーフに・・・
蔦のからまるチャペル、鈴懸の葉の舞い散るキャンパス・・・
ペギー葉山さん「学生時代」と共通する雰囲気を思います。
立教大学だったような・・・BORO「大阪で生まれた女」にも立教が登場します。
鈴木章治さんほかクラリネットの演奏にも・・・聴ほれました。

> とある大きな公園に巨大な鈴懸の並木道があり・・・
> 「鈴懸の径」とシューベルツの「風」を口ずさみ・・・[夢はかえるよ鈴懸の径」
鈴懸とかポプラとか銀杏・・・並木、歩いているだけで!ですね
「風」も・・・懐かしい曲です。
ただ風だけではなく 光が躍り樹々の梢が撓み時に人のさざめきも・・・。

> お母さんとのやり取りを読むと・・・
> 深いところは理解してもらえず、かえって恨みをかう・・・
昔はそんなことなかったけどなぁ・・・と思いつつ、
考えてみれば 昔からそんなところがあったなぁ・・・とも。

> 実の両親を見送って十数年経って思うことは・・・もう取り戻せないことばかり。。

皆さんそう仰いますし、実際そうだと思います。
過ぎ去った昔が取り戻せないように 明日は・・・わからないことばかりですね。

> しみじみ親を思う時 親はもういない・・・人生って本当に一筋縄ではいかないです

天使のような父と その対極にいる母・・・
果たして私自身の命がもつかどうかさえ わかりません。
ほんと! 命にかかわる人生は総てが初体験です。

 鈴木章治ほかのクラリネットで「鈴懸の径」を!
https://www.youtube.com/watch?v=4-UoRLSrsHQ
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とことん あなたの子どもでありたいと・・・ (デ某)
2016-03-02 15:42:27
讃岐さん
コメントいつもありがとうございます

> 老いては子に従え、こういう風に素直に歳をとれたらいいなぁと思います。
> でももし自分が痴呆になったら・・・神のみぞ知る、でしょうか。
老いて最も際立つのは「自分を見失う」ことでしょうか・・・
そうなると認識し、そうなる迄に「自身の仕舞い」をしっかり判断しなければと・・・。
なお「認知」の状況は、父の場合はアルツハイマー型、母の場合は専門医も「?」
たぶん神さまにもわからないでしょうね・・・。

> 93歳の義母は今朝も杖をついて散歩を・・・
> 義妹や夫が朝夕に世話をしているので・・・有難いと思っています。

似ているようでも 状況はまさに千差万別であることが最もよくわかりました。
しかし 似ていることを一括りにするのが 
マスメディアであり 行政であり しばしば「ひとのくち」であり・・・

> 義母は死んでも施設には入らん、と言ってます。

「たとえ死が早まろうと施設ではないところで死を迎えたい」と・・・
でも何日もたってから発見される現場とか検死のこととかに思い至らない言葉、
客観的な「想像力」を失うことも 老化の一つの特徴のように思います。

> 離れている分、気苦労も大変・・・期限のない介護・・・ご自分のお体を大切になさって・・・
ありがとうございます
いつまで!と期限はありませんから 如何様であれ ただ肚を括るのみです。

岩崎宏美さんの「秋桜」の一節、
『突然に涙こぼし/元気でと/なんどもなんども繰り返す母 
 ありがとうの言葉をかみしめながら・・・
 もうすこしあなたの子どもでいさせてください・・・』
もし この歌の世界でしたら 「もう少し」ではなく
とことん! あなたの子でもありたいと願うのですが・・・。

岩崎宏美「秋桜」
https://www.youtube.com/watch?v=MmL_39xaF-U
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僕が僕であるために (デ某)
2016-03-02 16:09:05
デスタントドラムスさん
コメントありがとうございました
アフリカの大地で遠く太鼓の音を聴くようなHNですね

> 先ほどはコメントいただきありがとうございました。
通りすがりに偶々短い一行・・・丁寧にコメントくださり恐縮です

> 介護・・・・おんなじです。
> でも自分の仕事として適当にやってます。適当でないと続かないから。
介護は 須らくそれぞれの事情に応じそれぞれに!でしょうか・・・
でも こと自身にかかわっては 感情も愛情も心情も絡みあい・・・。

> 赤ちゃんの世話だと思えばね、何とか今はやれてます。
私には 似て非なる世界に思われます
子育ても介護も同じ様に手探りながら 手の在りかも心の在りかも・・・。
ふきさんブログの話題ではありませんが 愚痴は・・・ですかねぇ 

> 中村あゆみ・懐かしい。尾崎も・・・さださんも・・・
> これから過去記事拝見します。
ありがとうございます
でも 謙遜ぬきに大したことは綴っておりまセーヌ川です

> 今日は年休とってだらだらしてます。
月の少なくとも1/3はダラダラしている身に 現役世代の方はやはり大変!と

中村あゆみ歌う尾崎豊「僕が僕である前に」。
7~8年前、300人程の小さなコンサートで彼女の歌を聴きました。
若い頃より ぐっとパワーに厚みを感じながら・・・。
はい、マイク真ん前のかぶりつきの席で・・・

中村あゆみ「僕が僕であるために」
https://www.youtube.com/watch?v=3IbfXSmG7c4
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Unknown (デスタントドラムス)
2016-03-02 16:33:00
中村あゆみ、たった今きかせていただきましたよ
いいねえ~
尾崎のCDは何枚も持っていますが中村あゆみはないなあ。

デスタントドラムスは、バラの品種の1つです。
このHNならかぶらないだろうと考えてつけました。
個性的なバラです。
返信する
シマ君、お帰り! (Rarudo)
2016-03-02 17:31:10
シマ君の後ろ姿、
大人の風格が漂ってるというか
おとなの悲哀がにじみ出てるというか、渋いです!

その点、アンさんちのケイスケくんは
天真爛漫というかやんちゃというか、
まだまだお子ちゃまで愛らしいですね。

「名曲断想」シリーズで紹介された歌ぜーんぶ知ってます。
と言いたいところですが、それはメロディーだけであって
こうやってデ某さんが書いてくれた歌詞を読んでみると、
出だしとさわりの部分の歌詞しか知らなかったと言うことに気がつきます。
まことにビックリポンでございます(笑)
昔は歌番組でもテロップとか流れなかったですからねぇ。
思い入れのあるオフコースの「さよなら」の歌詞でさえ
「愛したのは確かに」のところを「明日の明日に」
って聴きま違えてしばらくの間うたっていた私です

「学生時代」
詩といい曲といい、センスが良くてロマンティックですよね。
昔の方がおしゃれな歌が多いのはどうしてなんでしょう。

素敵ですね、ご両、息子さんご夫婦そろっての家族写真
あ、もしかしてデ某さんのバックの絵は
叔父様が描かれた「境港の岸壁にて」ではないでしょうか?
お部屋の雰囲気にマッチしてますね。

お母様の一撃、胸に突き刺さりましたね。
デ某さんご自身の病気のこと、お母様はご存じないんですよね。
もしお知りになったら、
そしてそのことを理解おできになる状態だったらどんなにいいかと思ってしまいます。
母親っていくつになっても子供のことが心配でたまらないから、
状況がわかれば
頑ななきもちも和らいで下さるのではないかと考えてしまいます。

そういう私も、93歳になる母親には自分の病気のことは未だに話していないんです。
子供は子供で、年老いた親に心配かけたくないと思ってしまいますもんね。
返信する
妖やかなバラ (デ某)
2016-03-02 21:04:51
デスタントドラムスさん
コメントありがとうございます

> 中村あゆみ、たった今きかせていただきましたよ いいねえ~
でしょ!?
彼女、パンクしてるようで なかなか淑女でいらっしゃいます

> デスタントドラムスは、バラの品種の1つです。
いま 検索してみました
とても妖やかな姿のバラですね
しばらく見とれてしまいそうです
花がお好きと・・・団子が好きな私には「見上げる」存在でいらっしゃいます
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