ああ、
また身内の訃報が届いてしまった。
この曲を聴きながら読んで下さい。
↓
PAT METHENY GROUP: "The Truth Will Always Be"
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オリジナルアルバム『Secret Story』(1992、グラミー賞受賞作)に収録。
自分は“おばあちゃん子”だった。
父が会社員なのはともかく、
母が商店を営み、店を閉めたあとは運良く公務員になって忙しくしており、
幼年時代の自分を実質育ててくれたのは祖母、と言って良いだろう。
「少年ジャンプ」なんかよりも姉の購読していた「りぼん」などの少女マンガを好んで盗み読み、
近所の子が好きだったスポーツよりも音楽が好きで、クラシックギターを始めた。
だから、自分は色々な面で「繊細」なほうだと思う。
そんな祖母と一緒に育ててくれたのが、祖母の姉妹、
すなわち「叔母さん達」だった。
みんな大地に生きる「農家」の家系で、彼女たちが畑で働く姿を見ながら
そこで遊んだりもした。
小学生の頃、自転車を乗ることを覚えて、
サイクリング車を買ってもらうと、遠出をしてみたくなり、
始めの頃は祖母が一緒について来てくれた。
明け方のバイパスのドライブインにあった自動販売機のハンバーガーをおごってもらった
ふやけ気味の味が懐かしい。
しかし、自分が大学に進学した直後の4月下旬に、祖母が脳出血で意識不明に陥り、
2か月後の6月下旬にまだ70歳でこの世を去る。
青天の霹靂で悲しみに暮れ、1年時は正直大学進学の意味さえ忘れかけた時もあった。
そんな時も、叔母さん達は祖母代わりになってくれて、
笑顔で僕を見守ってくれた。
社会人になると誰もが自分の環境を築くのに一生懸命になり、
彼女たちとの間もだんだん疎遠になっていった。
お彼岸・お盆に親戚の家を訪問することはもっぱら父がしてくれたから、
よけい疎遠になってしまった。
しかし、自分が40になってくると、彼女たちも高齢になってゆき、
一人、また一人と入院したり認知症で老人ホームに入って、
やがてこの世を去っていった。
そして、叔母さんはこの世に一人残った「祖母の妹」だった。
近年はデイサービスセンターに通ったりして、
小学生や幼稚園みたいだが漢字の勉強や塗り絵などを楽しんでいた。
さすがに高齢化したので、たまに母を連れてクルマで叔母さんを訪ねたら
弱弱しくも笑顔で迎えてくれた。
そんな叔母さんがやはり好きでいてくれた父が亡くなった時、
もう体が弱って通夜も告別式にも参加できず、
後日なんとか娘夫婦に連れられて、お線香を上げに来てくれた。
近年、電話を母のところにかけてくる事があった。
「もう、友達も親しい人もみんないなくなっちゃったよぉ」と
弱音を吐く時があった。
でも、彼女が生きていてくれる事が、僕にも母にも救いだった。
そんな彼女の笑顔を見られたのは、このお盆が最後になった。
自分も2日だけで親戚を廻りきろうと思い、また彼女の家には別の客がひっきりなしに訪れ、
「また来るから」と言って早々と退席してしまった。
8月下旬、心臓に水が入って急きょ入院。
自分と母が訪ねた時はもう意識がなかった。
90代、年齢的にももう抵抗力がないのは誰にもわかっていたが、容態を取り戻すと信じていたかった。
しかし、9月に入って、叔母さんの訃報を知った。
とにかく、母も自分も日常を忙しくしてなんとか気を紛らわしていた。
しかし、この通夜と告別式に参列すると、やはり淋しさが襲ってくる。
叔母さん。
大地と共に生きてきた叔母さん。
淋しいよ。
ほんとに淋しいよ。
僕と母を見守ってくれた叔母さんたちは、もうこの世にいなくなってしまったのだから。
でも、生きなきゃ。
日常をしっかり過ごして、叔母さん達の生きた証しをしっかり感じて行かなきゃと思うんだ。
どうか僕等、あなたの子供や孫たちを見守っていてね。
合掌。
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カズン「おばあちゃんの誕生日」(1997)
作詞・作曲:カズン
ベストアルバム『カズン 二重唱~夢色ノート盤』に収録
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↑ 初出『ふたりのSomeday』(現在廃盤、中古盤か配信のみ購入可能)
歌詞:J-Lyric.net
http://j-lyric.net/artist/a00281a/l011f27.html
また身内の訃報が届いてしまった。
この曲を聴きながら読んで下さい。
↓
PAT METHENY GROUP: "The Truth Will Always Be"
オリジナルアルバム『Secret Story』(1992、グラミー賞受賞作)に収録。
自分は“おばあちゃん子”だった。
父が会社員なのはともかく、
母が商店を営み、店を閉めたあとは運良く公務員になって忙しくしており、
幼年時代の自分を実質育ててくれたのは祖母、と言って良いだろう。
「少年ジャンプ」なんかよりも姉の購読していた「りぼん」などの少女マンガを好んで盗み読み、
近所の子が好きだったスポーツよりも音楽が好きで、クラシックギターを始めた。
だから、自分は色々な面で「繊細」なほうだと思う。
そんな祖母と一緒に育ててくれたのが、祖母の姉妹、
すなわち「叔母さん達」だった。
みんな大地に生きる「農家」の家系で、彼女たちが畑で働く姿を見ながら
そこで遊んだりもした。
小学生の頃、自転車を乗ることを覚えて、
サイクリング車を買ってもらうと、遠出をしてみたくなり、
始めの頃は祖母が一緒について来てくれた。
明け方のバイパスのドライブインにあった自動販売機のハンバーガーをおごってもらった
ふやけ気味の味が懐かしい。
しかし、自分が大学に進学した直後の4月下旬に、祖母が脳出血で意識不明に陥り、
2か月後の6月下旬にまだ70歳でこの世を去る。
青天の霹靂で悲しみに暮れ、1年時は正直大学進学の意味さえ忘れかけた時もあった。
そんな時も、叔母さん達は祖母代わりになってくれて、
笑顔で僕を見守ってくれた。
社会人になると誰もが自分の環境を築くのに一生懸命になり、
彼女たちとの間もだんだん疎遠になっていった。
お彼岸・お盆に親戚の家を訪問することはもっぱら父がしてくれたから、
よけい疎遠になってしまった。
しかし、自分が40になってくると、彼女たちも高齢になってゆき、
一人、また一人と入院したり認知症で老人ホームに入って、
やがてこの世を去っていった。
そして、叔母さんはこの世に一人残った「祖母の妹」だった。
近年はデイサービスセンターに通ったりして、
小学生や幼稚園みたいだが漢字の勉強や塗り絵などを楽しんでいた。
さすがに高齢化したので、たまに母を連れてクルマで叔母さんを訪ねたら
弱弱しくも笑顔で迎えてくれた。
そんな叔母さんがやはり好きでいてくれた父が亡くなった時、
もう体が弱って通夜も告別式にも参加できず、
後日なんとか娘夫婦に連れられて、お線香を上げに来てくれた。
近年、電話を母のところにかけてくる事があった。
「もう、友達も親しい人もみんないなくなっちゃったよぉ」と
弱音を吐く時があった。
でも、彼女が生きていてくれる事が、僕にも母にも救いだった。
そんな彼女の笑顔を見られたのは、このお盆が最後になった。
自分も2日だけで親戚を廻りきろうと思い、また彼女の家には別の客がひっきりなしに訪れ、
「また来るから」と言って早々と退席してしまった。
8月下旬、心臓に水が入って急きょ入院。
自分と母が訪ねた時はもう意識がなかった。
90代、年齢的にももう抵抗力がないのは誰にもわかっていたが、容態を取り戻すと信じていたかった。
しかし、9月に入って、叔母さんの訃報を知った。
とにかく、母も自分も日常を忙しくしてなんとか気を紛らわしていた。
しかし、この通夜と告別式に参列すると、やはり淋しさが襲ってくる。
叔母さん。
大地と共に生きてきた叔母さん。
淋しいよ。
ほんとに淋しいよ。
僕と母を見守ってくれた叔母さんたちは、もうこの世にいなくなってしまったのだから。
でも、生きなきゃ。
日常をしっかり過ごして、叔母さん達の生きた証しをしっかり感じて行かなきゃと思うんだ。
どうか僕等、あなたの子供や孫たちを見守っていてね。
合掌。
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カズン「おばあちゃんの誕生日」(1997)
作詞・作曲:カズン
ベストアルバム『カズン 二重唱~夢色ノート盤』に収録
↑ 初出『ふたりのSomeday』(現在廃盤、中古盤か配信のみ購入可能)
歌詞:J-Lyric.net
http://j-lyric.net/artist/a00281a/l011f27.html