生の果てには死があるならば
死の先には何があるのだろうか。
死の先に何かがあったとしても、
今生の記憶はどうなるのだろうか。
多分、飴のように端から溶けて
消え去るのだろう。
だが、生まれる前の記憶はないが
今生の私が私であるように、
死の先の私は私なのだろうと思いたい。
死という今生のゴールが見えてきた
この頃、若き日の自分が妙に
懐かしい。劣等感の塊だったが、
それはそれで何かを掴もうと
ギラギラしていたように思う。
霧の中を彷徨い歩き
何も掴み取ることは出来なかったけれど、
今振り返ると、生きている事が奇跡のように
ありがたく懐かしい。
そして、またあの活力のあふれた若き日の
飢えた獣のような自分に会ってみたいと
思うのである。
死の先にまた、何者かとして彷徨うのだろうか。
それもよし、そうでなくてもよし。
町の名も何時しか消えてあの日にはもう戻れない永遠の夏