学校の生徒指導の『面倒』を極限まで削り落とすこと命といった『教職員の働き方改革』の現状はどうなのか?
旭川中のイジメ凍死事件の顛末。
結局事の首謀者・実行者は何のお咎めも指導もなく『無事に中学を卒業』していった。
性的嫌がらせも学校の主張によれば、事は『学校外』で起きているのだから『学校に責任は無い!』といったもの。
余りに過重な労働時間の中で、教職員の希望者が激減し、現状の勤務者達にもメンタルを含む健康被害が多発している。
そこで?文科省が主導した『働き方改革の主眼』は勤務時間の削減という短絡発想なのである。
義務感、使命感をもって働く人には何一つ報いを用意せず『タダ働きの強要』を散々続けさせた。
やる気のある人間の義務感に、全てを押し付けておいて、今度はこりゃ改革しなきゃと世論が盛り上がれば、少年達の『健全な育成、成長の為に必要な指導』は『勤務時間が嵩む無駄時間』という短絡的判断で除去して進めたのである。
クリントンを模して『ゼロトレランスだ!』と適当にサンプルを引っ張ってきて、問題行動には即、警察沙汰にして対応?というのだが?
結局、全國で巻き起こるイジメがもたらす『若い命の喪失』は後を絶たない。
『その警察との連携』とやらがうまく機能して死亡を未然に防いだなんて話はついぞ聞けない。
結局、学校の教職員達の業務は軽量化され(結果、仕事しないんだから責任もない)、少年達の指導の根幹を成さねばならない『命の問題』の責任については巧妙を気取るが実に短絡的で稚拙なエクスキューズの根拠を与えただけで、『無責任が垂れ流されている』状態である。
被害者側からの相談の申し入れを女教師が『デートを理由にキャンセル』したってのも背景にそんな事があったのである。
教職員の仕事の主たるものは『教科を教える仕事』と堕して、人一人を追い詰め苛め抜いて殺した青少年達は、『何の反省の機会』も与えられないまんま『卒業させられ』たのである。
アメリカ映画のマフィアの裁判のシーンでも観ているかの様なハァ?となるエクスキューズが加害者の生徒たちも、教職員もそのまんま罷り通って『一人の命が失われた事件』は過去に押し流されていく。
筆者は言う。
子供たちは『大人を一切信用していない・信用出来ないから』……。
被害の対象が『自分でなければ良い』という戦略が『無事に生き抜く最善の策』というわけである。
この事なかれの構図は今やこの国の様々な組織にシャラッとして繰り広げられている。
邪な情報で責め立てている分には余裕シャクシャク、事がバレたら逃げるか誰も聞かないエクスキューズをまくし立てるの図。
兵庫の100条委員会の連中の顔も、旭川の当該中学校の新旧校長、教頭の顔も皆〜な同じ顔してる。
何度も学校に足を運んだ母親の思い……。
本気で変えようとしている玉木君の思いも……宮沢税調会長のシレッとした余りに論外の主張を聞いたら何度も学校に足を運んだ母親の無念の思いの幾ばくかは理解出来たかも知れませんね……?