それから半年?一年くらい?
宮沢税調会長を筆頭に、兵庫県県議会や少年少女の命の問題さえそっちのけで『今迄に固執する』教育委員会の人達の行状を観ていると、大きなお世話なれど……彼等の行く末を案じざるを得なくなる。
その『彼等のあはれ』が現実社会の中でとうとう表面化して来た気がする。
既得権益の毒にメンタルを蝕まれた人間・組織は過去の歴史の中でこうやって潰えて行ったのか?……江戸末期の守旧派になぞらえて何度か書いたけど……もう現実となった感ありである。
変化しながら『進化発展していく』のは元来、人間の権利の領域にある方法論の筈なんだけど。
彼等の心理状態は何時の間にか『変化すること』が何やらペナルティかの様なニュアンスとなり、やがては自分の存在をかけて抗わねばならないといった判断領域に追い詰められていく。
宮沢税調会長の顔を観ていると、もう世の中で起きている事の音も風景もかれの脳神経には届いていないかの様な虚ろな表情である。
少しばかり気の利いた身内の自民党の中から彼はもう葬り去らねば、我々が持たない?そんな怨嗟の声さえ上がり始めた……。
欧米のレベルで言えば日本の『年収の壁』はおおよそ半分以下のレベルが頑迷に立ちはだかっている。
『財政破綻?』なぁ〜んて今となってはコケ威しにさえならない『何時もながらの脅迫のお積もり』の時代錯誤の悲しいセリフも変わらない、変えられないお姿……嗚呼!おいたわしや!である。
自分のメンタルが生き生きと自分の人生の重要なテーマと戦わなくなるのは何故か?
『従順はカネと安心をくれる』からである。
人間は賢くそして愚かである。
演るべきをやっていない?という『後ろめたさ』はやがて頑迷を招き、自分の客観的位置情報を見失っていく。
ただひたすらに、『同じ様式・図式を繰り返す生き方』に魂を売り渡した人達は気付けないのである。
今日の自分は二度と『繰り返して生きれない』ということを。
メンタルも頭脳も新陳代謝できなくなり『そんなことさえ』わからなくなっちまう。
余りに悲し過ぎる生き様である。
『気付き』はコレからの人生のエンジンなのである。
ただ生存し、命をひたすら繋ぐのは寝たきりになって意識を失ってからでも十分間に合うのです。
起きて歩ける間は……『人の役に立てる』ことを目指したいものですね……?
老人イコール頑迷ではない。
青少年のかなりの部分に『頑迷病は蔓延』してしまっている。
正面から怒って貰える内が人間の華の時期なのである……。