常識中の常識だからこそタブーとなっているのだがそれを犯す事に慣れると日常化し当たり前となっていく。
そうやってある一定期間過ぎると、流石に様々な支障がその人の生活に顕在化してくる。そりゃまあ基本中の基本を犯す訳だから当たり前なのだが……。
しかしその人に取ってはバレても只の偶発的出来事が重なっただけで『運が悪い・ツイてない』話として理解される様になるのである。
最初こそ何かチクリとする良心の呵責なんぞも感知すれどソコをエクスキューズでやり過ごす。次には仕方ないではないか!と居直りやがては何てツイてないんだと被害者意識に変わっていくという運び……。
若い人達はその自分の現状の位置の地図が見えない人が多い。(気がする)
別に悪い意味なんかじゃなく、浮くことを恐れやって来てる為に自己肯定感覚が極端に乏しいからだと思う。
だから何時も得体の知れない不安に囚われている。
自立すれば当たり前の日常なのに、その一つ一つが過剰な不安となって反応をしてしまい結果としてはパニック的に『人の法』を犯しているパターンが多く見受けられる。
営業職の若い男が、会社からのノルマ要求にパニックとなり結果……架空伝票でホントの地獄へ足を踏み入れたパターンもある。何故?真っ当な内にと思うのだが後の祭りとなってからの相談が結構あった。
若い女に共通なのは……自信がないからお付き合いのタブーを犯して男を確かめるパターンがある。それでも許してくれるか?と試すと言うのである。要は浮気してみるのである。
それをわざと露見させる……。
そんな事をされて……良いとも!なんて許す男なら魅力ないでしょ?と問えば保険としてキープしときたいのだと言うのである。何よりこの男には『自分は捨てられる事はない』と安心出来ると……。どんだけ自分を見限ってるんだろう?……と思うけど。
そんなプロセス踏んでおいて、自分は男と長続きしない?……なんて言うのである。
そんな男との向き合い方で次々とキープしといては結局、面白くないからと次々と男を渡り歩きどんどん自信喪失を深めていく。
常識のタブーは犯しても犯されても、そのまま放置すれば自己信頼を食い潰していく。
犯されたなら毅然と相手に対してNO!と言わねばならない。
当の女は自分の地獄への無限ループに自らが……強い意志でダメ出ししなきゃ抜けられなくなる。
NOを言わない『扱い易い子供』を演らせておいてとても理解不能な大人に仕立て上げたんじゃね?……と今更ながらに思うのである。
一見利にさといと見える若い人達がそうやって大損をチョイスしてるのは見るに忍びなくなる。
『一人術?』とでもいうものを磨くしかないと思う……。
一人で考え一人で過ごす事を寂しいと翻訳する人は多い。そんな人達に限って一人で過ごした事がない。
一人を確立し一人を楽しめない人が自信喪失のまま人と交わり……人に対する礼節を犯してしまうのは……ある意味仕方ない事なのかも知れない。
『上手く演る事』として、人としてのそんな振る舞いを推奨し威し付けて自分を考えない様に教え育てたのは僕達の年代の大人達なのだから……。