サンチョパンサの憂鬱

皆と夢見た時代、独りで夢見る未来

想像の中に確かな手応えがあった昔、想うだけでそこに連れて行って貰える様な時代の力ってものがあった。
今より豊かになり、今より楽しくなる?といった具体的なイメージが描けていた時代が確かにあった。

今想えばそれはなんの根拠もない思い込みだったけれど……。

そんな時代の力というものを信じられない今となっては想像するための手掛かりというものが無い。

だから人々は身近で手近な小っちゃなモノを羅列して自分を慰めているのだと思う。
それはディズニーランドで過ごす1日だったり、グルメっぽいお店で暫し味わうディナーだったり……。

しかし『皆という保証』なんて最初っから無かったのである。皆が努力無しに行けると信じた桃源郷が嘘だった様に……灰色の未來何てのもまた何の根拠もない思い込みなのだということだと思う……。

勝ち組と負け組、富裕と困窮、支配者と被支配者といった二者択一的な価値観をまんま受け入れる必要なんて無い。
『皆の思い込み』に従って合わせて生きていると現実はその思い込みに従って作られていく。

自分で考える事をもう少し評価してやる事が……楽しく生きてく決め手なんだと思う。
自分の人生は自分が責任とるしかない。
バブルの時も、無責任な評論家は何一つ責任を取らなかった。

しかしながら未だに皆の言う事をバイブルにしてしまうのは何故か?不思議なモノである。考え方を自分仕様に『変える事』はそれだけ恐怖なのだと思う。

何が旨いか?どの店に行くか?まで皆のイイねの数で決めてる。
『皆というものの奴隷』となってる自分に気付く事から……『私の人生』は始まるんだと思う。

90年代迄の音楽を聞いていて、そんな事を思った。
今日という一日。
自分の意思によって決められた事が幾つあるか?もしかしたら何を食べるか?迄が自分じゃない皆という存在によって決めて貰ってるかもよ?……。

思うのは只である。
まさしく……我想う故に我は在るんだと思う。
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