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原田創価邪教カルト一派は哀れな裏切り者!

2021-11-27 15:10:32 | 日記
 ルソーの思想は、こうした仏法の人間平等観に接近したものであった。また彼の同時代人であり、同じフランスの文学者ボルテールも、こう言っている。
 「人間はみな同じ泥から生まれたのだ。幼い時は誰でもみな弱い。富めるも貧しきも、強きも弱きも、みな同じように苦から死へと行く」(竹内謙二『十八世紀のフランス思想界』東京学術出版会東京大学出版会)と。
 生老病死という苦は、誰人も避けられない。その意味で完全に平等である。しかして、その「苦」を平等に救い切っていくのが妙法である。ゆえに妙法の功力を、全人類に教え伝えていかねばならない。
39  ボルテールは、また「幸福」について、こう述べている。
 「なんじ一身のために賢なれ、此のはらからに同情的なれ。つまり汝の幸せを他人の幸せによって造れ」(同前)と。
 汝の幸せを他人の幸せによって造れ――とは、けだし至言である。仏法の自行化他の実践にも通じる。自分のみの幸福を追うエゴイズムの中に真の幸せはない。友の幸をこそ願い、真心から励んでいく実践の中に、我が身の幸福も実現していく。ゆえに、その行動こそ、自分自身にとって最も「賢」なのである。
 御書には「劣れる者に慈悲あれとは我より劣りたらん人をば・我が子の如く思いて一切あはれみ慈悲あるべし」と御指南されている。
 諸君は、将来いかなる立場になろうとも、無名の庶民を尊敬し、悩める人、貧しき人、苦労している人をこそ、最大の真心で包んでいける人であってほしい。慈愛という現実の行動の中にこそ、大聖人の仏法の精髄は躍如と輝くからだ。
40  身近な実践、振る舞いほど重要なものはない。そこにこそ人間の真実が光る。
 ルソーは言う。「書物のなかで遠大な義務を説きながら、身のまわりにいる人に対する義務を怠るような世界主義者を警戒するがいい。そういう哲学者は、ダッタン人を愛して、隣人を愛する義務をまぬがれようとしているのだ」(前掲、今野一雄訳)
 深遠な哲学論議もよい。遠大な理想も大事である。すばらしい御書講義もよいだろう。しかし、口に人類愛を論じながら、身近な周囲の人も大切にできぬ悪しき観念論者であってはならない。現実の労苦もなく、高邁こうまいな弁舌に自分が酔っている人は、我高しと傲っていても、実は最も下劣な人間なのである。
 遠きを愛するはやすく、身近な現実に生きるのはかたい。諸君は広布という壮大な理想を掲げつつも、その具体的実践は身近な一人の生命をかかえながら、また二人の友を抱きかかえながら、広宣流布へと向かわしめゆく日々であっていただきたい。これが現実の布教という修行であり、労作業である。
41  確かに社会には、物質的に富める人もいる。有名と人気の二字に包まれている人もいる。権力と権威の座にあぐらをかいて尊大ぶっている人もいる。世間という舞台にあって幸福そうに見える幾多の人々。不幸の流転の姿を演ずる人々。それらも、三世永遠の次元から見れば、一切は幻のごとき仮諦けたいの領域であり、はかなき変化の連続である。本有の妙法から見れば、世間のすべての富みも幸も無常をまぬかれえない。
 真に富める人、それは″永遠なるもの″をたもつ人である。その永遠なるものは、妙法であり、信心しかない。その上で、現実は現実である。社会は社会である。生活は生活である。諸君は決して敗北者になってはならない。
 ゆえに、永遠なるものの境涯の大地に立って、変化しゆく現実の生活を、勝利で飾っていただきたい。その現実の実証への努力が、また再び、永遠なる信心の領域での原動力となっていく。ここに信心即生活、仏法即社会という正しき歩みがある。
42  「生命の世紀」を広布と人生の勝利で飾れ
 本日はナポレオンを通して、種々、所感を述べさせていただいた。彼は一七六九年生まれ。一八二一年、五一歳で死ぬまで、ヨーロッパ、エジプト、そしてロシアを舞台に波乱万丈の人生のドラマを演じた。まさしく彼は、一八世紀から一九世紀への″世紀の転換″のただ中で生き、戦ったといってよい。
 その心意気は「前進!」の一語であった。私も青年時代、常にこの一念で広布の指揮を執った。戸田先生のもと、いかなる戦野でも日本一の勝利の前進を誓い、その通りの結果を出してきた。
 ちなみに「ナポレオン」という名は、一説によれば″新しい都市の″という意味のギリシャ語に由来する。その名のごとく彼はパリをはじめ、フランスに新しい時代の新しい都市を建設した。しかし私どもの前進は、より深く、新しき時代の新しき″人間″、新しき″生命の都″の建設である。
 一個の生命は立体的、重層的な無限の広がりを持つ。時間的には限りなき過去へ、そして永遠の未来へ。空間的には国土、宇宙とも一体である。仏の生命の本因、本果、本国土を説き、一念三千という完ぺきなる実相を明かしたのが妙法である。
 諸君の生涯の使命である広布の前進は、この法理に基づき、自身という″一人の革命″から全人類の宿命の転換という壮大なるドラマに向かって進む。そして、多くの犠牲者を出したナポレオンと異なり、私どもの運動は、無血革命であり、一人の犠牲者も出さない。また、出してはならないというのが私の固き信条である。
43  ナポレオンは不幸なことに、その最後は敗北であった。花の都パリには、彼の戦勝を記念する凱旋門がある。しかしナポレオンは、自らの人生の最後を勝利で飾り、その門をくぐることはできなかった。
 現在の学生部の諸君は、一番若い世代が一九六九年(昭和四十四年)生まれ。ナポレオンとちょうど二百年のへだたりがある。諸君もまた″世紀への転換″を生きる人達である。
 二十一世紀という「生命の世紀」への転換期を生き、そのを開きゆくのは諸君である。新世紀の″凱旋門″を「民衆の勝利」と「広布の勝利」と「人生の勝利」で飾りゆく使命の人が諸君である。ゆえに私は、妙法の学生部諸君に栄光あれ、晴れやかに生涯永遠の″凱旋の門″をくぐりゆけと心より念願し、記念のスピーチを結ばせていただく。


池田大作氏から資料引用

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