牧口先生は罰論で戸田先生は功徳論と昔から言われますけども。
罰論と功徳論の決定的違いは「(生命の)具体的目標」の有る無しが大きいです。
その具体的目標は価値判断基準の明確化にもなって『自信』にも繋がることで、昔の活動家がよく言っていた『確信』にも繋がります。
脱会するかしないか以前に「価値判断基準」を得るのが先と私は思います。
「価値判断基準」を得た上で脱会するか組織に残って内部で戦うか、どちらも一長一短ありますから。
脱会したところで政権与党の一角を担ってる公明党もありますから完全に無関係ということでもないんです。
脱会すれば確かに「打ち出し」に従う義理も義務もなくなるけども。
そのかわりよくも悪くも「自由」がありすぎて何を生きる指針にしたらいいのか途方に暮れてしまうんです。
だから人によっては別のところ、やや似た系列の宗門や顕正会に移る人や世界的に有名で広まってるキリスト教に移ったりとか。
大石寺は僧俗差別、法主絶妙論が危ない‼️
顕正会は人権無視の違法レベルな強引な勧誘で徹底的人間関係の破壊で功徳どころか罰の論外。
キリスト教は方便を駆使した宗教のようだから仏性の印象・イメージ的に近いから移る気持ちはわからないでもないけども。
現代科学がこれほど進んだ今はやるべき宗教ではないと思います。
仏性の真実を教えず説かずに方便を駆使するキリスト教よりも、単刀直入に宿業に切り込み仏界に目覚めさせる真実そのものストレートを求める日蓮仏法のほうが遥かに高度で現代的宗教と思います。
いずれにせよ仏界・感謝の境界に目覚めてないまま他の宗教に移ったところで仏界・感謝の境界に目覚めるのはさらに困難でしょう。
だからって無宗教でということならほとんど無理です。
結局のところは脱会するとかしないとか以前に仏界・感謝の境界に目覚めるのが先なんです。
その「価値判断基準」を得た上で本人のその判断基準の自由意志の元で脱会するも内部で戦うもよし、本人の意思・使命でその辺りは変わるでしょうから。
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