見た目にも美味しそうな秋大根がやっと安くなったが、
それでも200円を切らないのだから不満が残る。
レタスだって何故か270円にも値段が上がったりして、
貧乏ではあるが生活に困ってないと思っている私でも
気分的に愉快ではない。
・・・ 食物にも課税するのは如何なものか ・・・
消費税に賛成の私でさえも、そう思うようになった。
キャビアの話ではなく、レタスや大根の話ですぞ。
盆暗政治家に期待はできないから、この場で文句を
言って憂さを晴らす。
さて、忘れてならないのは農産物・魚介類の背景には
低賃金で働いてくれている多くの亜細亜人が居る、と
いうこと。
その彼らが、円安で所得が目減りしている、ということ。
今でも心安らかではない筈で、政府が手を打たないと
他国に働きに行くようになるかもしれない、ということ。
建設業・製造業・介護業も同じことで、同じ外国人でも
円安を喜び、爆買いしている観光外国人を取り上げて
いる場合ではないのである。
大根200円で溜息をつくのが一般庶民なのだ。
それが400円でも買えなくなる可能性だってある。
作り手不足になれば、価格以前の問題になるからだ。
だから若い人たちの中に、「農産物は自分の手で」と
田舎暮らしを実行する人たちが増えているのである。
それを「正解な行動」と私は思わないが、予想している
近未来の問題は私と同じである。
だから、ポーッとしている若人よりはマシである。
ここで話題を変える。
金木犀の花の頃もそろそろ終わりに近づいているが、
花の大敵は雨だから、例年に比べれば長く香りを楽し
める松山の秋になっている。
歩いて1分で愛媛県文化会館(市民は別名のひめぎん
ホールとも言う)の真裏に着く。
ぐるりと敷地を囲む樹木には見事に成長した金木犀も
あるし、全く同じ形に選定された金木犀と似ている木も
あるから、当然興味が湧いてくる。
一見そっくりなのに花は白いし、香りも淡いから。
最初は銀木星の一種類と思っていたのだが、正しくは
柊木犀(ひいらぎもくせい)なのだとわかった。
柊も私の好きな植物なので、どちらも私の気を引く訳が
繋がって納得が行くのだった。
そう言えば先々月、新聞に投稿した一首がある。
「たり」でなく「けり」なのは、「けり」は「気付きのケリ」との
意味があるから。ハッと気付いたので「けり」。
この花の名すら知らずに死ぬのかと思ふ心が立ち止まりけり
【写真上】柊木犀の花と葉を撮影
【写真下】手前が金木犀 向こうが柊木犀