あっという間に3週間が経過した。
最後の最後まで彼女らしさを発揮した学校生活だったようだ。
朝6時半、スクールガードの仕事がある私は朝食を食べている。
ところが、彼女は声を掛けられても一向に起きようとしない。
「じいちゃん、来て〜!」
完全に甘え切っている。
母親はじめ他の者が行っても絶対に起きない。
時間がないので仕方なく私が行くことに…。
分かっていて敢えてやっているのだ。
既に彼女は自国での1年間の教育課程が終わり、バカンス期間にも関わらず日本の学校教育を受けている。
彼女の友だちからは、「バカンスなのに、学校行くなんてかわいそう!」と言われて来たそうだ。
そんな背景も理解すると、いくら貴重な体験と言えども少々私の対応も甘くなる。
彼女は私の心理を読んでいるかのようだ。
近所の友だちと一緒に登校しているとのことだが、私が立っている地点を通る時はたいてい一人で来る。
どうやら、途中から一人で走って来てしまうようだ。
スタートはのんびりしていても、沢山の友だちが集まって来るにしたがいどんどんスピードが出るようだ。
本当に逞しいというより自分勝手な娘である。
こんな彼女も近所の友だちと手をつないでやって来た。
そう、今日は登校最終日なのだ。
二人とも楽しそうにおしゃべりしながら歩いて来た。
変わらないのは遠くから「じいちゃ〜ん」と呼ぶ声だ。
最初の頃は周りの子たちから奇異な目で見られていたが、今ではもうすっかり慣れてしまったようだ。
私にしても、今後一生経験しないであろう喜びの瞬間だった。
さて、最終日は下校が早かった。
二期制の学校だから終業式はないが、給食もないので早く下校した。
そうそう、もし三学期制だったら通知表が出ただろうが、彼女にどう対応するか担任は困惑するに違いない。
何しろ、若い男性の担任は彼女に対し最大限の配慮をしてくれていたものだ。
「前歯の乳歯が抜けそうなので固いものは食べられないかも…」という連絡帳を提出したら、その日の給食で出たトウモロコシを食べていなくても「完食マーク」の印をもらったのも一例だ。
熱が出たため一日欠席したことがあったが、夕方、丁寧に様子を伺う電話と共に明日の予定や持ち物を細かく伝えてくれたこともあった。
こんな担任を「わたし、◯◯先生だいすき!」と彼女はいつも言っていた。
中休み、基本的には外へ出て遊ぶべきなのだが、色々な友だちと室内で交流を深めている(であろう)彼女に敢えて外へ出ろとは言わなかったようだ。
初めて彼女に会った日に、「自由な子ですね」と言ったというその担任もきっとこの3週間で何か新しい事を感じたに違いない。
話を戻そう。
下校時に私が迎えに出たが、学校に着く前に向こうから一人でやって来る女の子がいた。
孫っ子だ。
ランドセルを背負い、右手にむき出しの上履き、左手には何やら模様のついた画用紙を持っている。
「ごめん、お迎えが遅れて」と言うと、「わたし、とても悲しかったの。涙が出そうになったの」と元気ない声。
いつもなら、「じいちゃんランドセル持って! 重いから」と言うのに、全く違った対応に驚いた。
左手に持った画用紙をチラッと見て、全てが理解できた。
担任の最後の計らいは、孫っ子に対するお別れのメッセージ作りだった。
1年生のクラスメート全員が一言ずつ温かいメッセージを書いてくれたのだ。
おてんばでおしゃべりで気ままな彼女を、ここまで静かに感傷的にさせてくれたクラスに感謝したい。
(つづく)
<すばる>
最後の最後まで彼女らしさを発揮した学校生活だったようだ。
朝6時半、スクールガードの仕事がある私は朝食を食べている。
ところが、彼女は声を掛けられても一向に起きようとしない。
「じいちゃん、来て〜!」
完全に甘え切っている。
母親はじめ他の者が行っても絶対に起きない。
時間がないので仕方なく私が行くことに…。
分かっていて敢えてやっているのだ。
既に彼女は自国での1年間の教育課程が終わり、バカンス期間にも関わらず日本の学校教育を受けている。
彼女の友だちからは、「バカンスなのに、学校行くなんてかわいそう!」と言われて来たそうだ。
そんな背景も理解すると、いくら貴重な体験と言えども少々私の対応も甘くなる。
彼女は私の心理を読んでいるかのようだ。
近所の友だちと一緒に登校しているとのことだが、私が立っている地点を通る時はたいてい一人で来る。
どうやら、途中から一人で走って来てしまうようだ。
スタートはのんびりしていても、沢山の友だちが集まって来るにしたがいどんどんスピードが出るようだ。
本当に逞しいというより自分勝手な娘である。
こんな彼女も近所の友だちと手をつないでやって来た。
そう、今日は登校最終日なのだ。
二人とも楽しそうにおしゃべりしながら歩いて来た。
変わらないのは遠くから「じいちゃ〜ん」と呼ぶ声だ。
最初の頃は周りの子たちから奇異な目で見られていたが、今ではもうすっかり慣れてしまったようだ。
私にしても、今後一生経験しないであろう喜びの瞬間だった。
さて、最終日は下校が早かった。
二期制の学校だから終業式はないが、給食もないので早く下校した。
そうそう、もし三学期制だったら通知表が出ただろうが、彼女にどう対応するか担任は困惑するに違いない。
何しろ、若い男性の担任は彼女に対し最大限の配慮をしてくれていたものだ。
「前歯の乳歯が抜けそうなので固いものは食べられないかも…」という連絡帳を提出したら、その日の給食で出たトウモロコシを食べていなくても「完食マーク」の印をもらったのも一例だ。
熱が出たため一日欠席したことがあったが、夕方、丁寧に様子を伺う電話と共に明日の予定や持ち物を細かく伝えてくれたこともあった。
こんな担任を「わたし、◯◯先生だいすき!」と彼女はいつも言っていた。
中休み、基本的には外へ出て遊ぶべきなのだが、色々な友だちと室内で交流を深めている(であろう)彼女に敢えて外へ出ろとは言わなかったようだ。
初めて彼女に会った日に、「自由な子ですね」と言ったというその担任もきっとこの3週間で何か新しい事を感じたに違いない。
話を戻そう。
下校時に私が迎えに出たが、学校に着く前に向こうから一人でやって来る女の子がいた。
孫っ子だ。
ランドセルを背負い、右手にむき出しの上履き、左手には何やら模様のついた画用紙を持っている。
「ごめん、お迎えが遅れて」と言うと、「わたし、とても悲しかったの。涙が出そうになったの」と元気ない声。
いつもなら、「じいちゃんランドセル持って! 重いから」と言うのに、全く違った対応に驚いた。
左手に持った画用紙をチラッと見て、全てが理解できた。
担任の最後の計らいは、孫っ子に対するお別れのメッセージ作りだった。
1年生のクラスメート全員が一言ずつ温かいメッセージを書いてくれたのだ。
おてんばでおしゃべりで気ままな彼女を、ここまで静かに感傷的にさせてくれたクラスに感謝したい。
(つづく)
<すばる>