江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

「デジタル教科書」が導入される前に考えよう!

2025-02-22 | 随想
中教審の作業部会が、デジタル教科書を紙の教科書と同様に検定や無償配布の対象となる正式な教科書に位置づけることを公表した。
実施時期は小学校の学習指導要領が改訂される2030年からとしている。
現在でも一部デジタル教科書を使用しているが、その内容は紙の教科書と同じもので、タブレット端末で読めるようにしたものだ。小学校5年から中学3年までの英語・算数・数学で、一部の学校で使っているようだ。

因みに現在の紙の教科書でもほとんどがQRコードを掲載しており補助的資料として使われているが、これは「教材」であって検定の対象外となっている。
そのため、デジタル教科書ではQRコードの先も「教科書の一部として認められるコンテンツに限定されるべきだ」と明記している。即ち、今迄は「教材」の一つだったものが検定に含まれる「教科書」の一部に位置づけられようとしている。

2019年に「GIGAスクール構想」が文科省の教育改革案の一つとして掲げられ、その後のコロナ禍の中で急ピッチで導入されたが、これによってICT教育に拍車がかかり関連業者も恩恵を受けたものである。
学校に行かなくても学べる云々とどちらかといえばこの流れに肯定的な論調が主流であったが、その問題点を指摘する声も少なくはなかった。しかし、課題に上がったものの解決に向けた具体的な取り組みはあまり重要視されてこなかったように思う。

私が見る限りでは、一人一台のタブレット端末を配布された子どもたちの様子は当然ながら今までとは大きく変わって来たように思う。
使わせる教員によっても異なるが、生身の声による対話が大きく減ってきたように感じる。見方によっては黒板を背にした教員と子どもたちが正対するのではなく、子ども同士がグループで向き合いつつ学習するような形態を評価する声もあるが、子どもによってはほとんどの時間をタブレットを見て過ごしているような場面も見かける。

私たちが「対話型授業」を標榜して「聞き合い話し合う」学習は、まさに生身の関わり合いで学ぶものだったが、タブレットの活用は個々の意見(情報)を能率よく認識する合理性を優先してアナログ的な面倒くささを切り捨ててしまった。

もちろん教員側がデジタル化した資料を子どもたちに見せ(共有させ)たり、子どもたちが個別にデジタル資料で調べたりするには便利ではある。しかし、その良し悪しはまた別の問題として論議が必要だと思う。

このように現在でさえデジタル化された授業には課題があるのだが、そこに教科書までがデジタル化されるとなると、子どもたちが今まで以上にタブレットと向き合う時間が増えてくるのは必至だ。少なくとも現段階でのICT教育の成果と課題を広く論議しつつ検証してから次へ進むべきだろう。

たしかにデジタルのメリットを生かしつつアナログな授業をすることも可能である点は否定できない。しかし、それには明確な視点と方法をもってあたる必要がある。デジタルの有効活用の視点がともするとアナログを軽視した上に設定されがちな現状をふまえなければならない。


今、北欧やヨーロッパでは教育のデジタル化に疑問や問題点が様々な形で顕在化してきたという情報もある。
例えば、IT先進国と言われるスウェーデンでは、2006年に子どもたちに一人一台のタブレットを配置して教科書を含めたデジタル化が始まった。しかし、集中力が続かない、考えが深まらない、長文の読み書きができない等の弊害が出てようだ。
そこで、2023年から全国の学校で、紙の本を読む時間や手書きの練習時間に重点が置かれ、タブレットを使ったりキーボード操作のスキルに割く時間は減らされた。また、6歳未満の子どもたちのデジタル学習を完全に止める計画を発表したという。

フランスでは2024年5月、マクロン大統領が11歳未満のスマートフォン使用と15歳未満のSNS利用の禁止を政府に求めたという。尚、9月の新学期から全国の中学校でスマホの持ち込み禁止を試験的に始めた。生徒は教室へ入る前に所定の棚にスマホを預けるようにするが、自治体によってはこの専用棚の設置に難色を示すところもあるようだ。
しかし、その一方、教員側からは「タブレットを生徒に配布してデジタル環境下で宿題を出す等、明確な理由付けのないままデジタル教育が義務付けられている」と不満が出ているともいう。


時代の趨勢からICTとは無縁ではいられないが、事教育に関しては現状をしっかり見つめ深い洞察力をもって対処すべきであろう。
ほとんど生身の会話がなくタブレット上で先生や友達とやりとりするスタイルにその典型を見るが、モジモジしながら自分の言葉で話す友だちや皆を笑いに誘いこむような発言をする友だち、緊張して声が容易出ない友だちの話を懸命に聞き取ろうとする子どもたちの姿、そんな風景が見られなくなっては寂しいものである。
少なくとも、私だったらデジタル教育全盛の学校では納得する仕事ができないばかりか、子どもたちとの良好な関係も築けないだろう。そんな気がする。
デジタルは単なる一つの道具であり、そんなものに主導された教育なんてありえない。まるでAIに指示されて動くような仕事(授業)は断固拒否したいもだ。


<すばる>




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