江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

わが故郷(2)ー我が家の農業ー

2024-10-17 | 随想
その後、私は家を出て下宿生活を始めたが、就職しても実家には戻らず都市生活者となってしまった。
したがって、私が実家に居た頃の地域の風景の変遷を見ていたのはこの時期までである。

この間にも年老いた父は退職後の趣味として始めたEM農法による米作りを行なっていた。
代々受け継いできた水田が小規模ながら残っていたからだ。
もちろん、農薬を拒否しつつ狭いながらも独自耕作を行なっていたが、周囲はヘリコプターによる農薬散布をしていたため少なからず影響はあったに違いない。



さて、私のルーツを確かめるべく先祖を遡って調べたら、どうやら祖父の代には自作農地が激減したまま受け継がれたようで、祖父は相当に苦労したようだ。
何しろ長男は戦死、次男は養子として親類に入り、三男の祖父が辛うじて家を継いだというから・・・。

戦前には村の名士として村長を務め利根川の改修工事には金銭的にもかなりの貢献をしたという先祖も存在したようだが、その後の没落の様子は凄まじかったようだ。
その辺りの経過をよく知っている曾祖母は幼い私には詳しく語ってくれなかった。


そんなわけで、祖父母は借金をしてまで長男(父)を学校へ行かせ教職に就かせた。
そして、子ども時代から百姓として先祖伝来の田畑を守って来た祖父は、懸命に働き第二種兼業農家の一翼を担った。
稲の収穫後の田んぼを有効活用すべく胡瓜栽培を試みるなど、いつも朝早くから暗くなるまで働く祖父の姿を見て、唯々すごいなぁ~と思うとともに面白そうにも感じていた。

しかし、野良仕事を手伝う私を喜んではくれたが、「おまえは百姓なんかしちゃだめだ。しっかり勉強して大学行って給料取りになるんだからな・・・」と言うのが常であった。
こうしたことから、子ども心にも農業で生活していくのは本当に大変なことだと感じていたのである。


(つづく)



<夢現代>

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