江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

わが故郷(4)ー変わってしまった水田風景ー

2024-10-24 | 随想
わが集落では減反に応じる農家が少なかった。

それは、減反助成金を得るより水田を荒廃させることなく維持したかったからだ。
我が家の様に小規模な農家ほどその思いが強かったように思う。


しかし、時は流れ兼業農家の担い手たちが高齢化し、若者たちは農家を継ぐ者がほとんどいなくなった。
そこに現れたのが蓮根栽培企業だ。

耕作者のいなくなった水田を次々に買い取り、改修して蓮田に変えてしまったのである。

蓮根の栽培には常に大量の水が必要であり、水田を深く掘り下げ泥田を維持するのだ。
夏には一斉に花が咲き美しく見栄えがするが、米作りの水田の季節に応じた風景の美しさにはとうてい及ぶものではない。

それに、大雨の際に水田が持つダム機能は持ち合わせていない。
唯々、会社が利潤を上げるための耕地となってしまったのである。






辛うじて我が家は父がEM農法で維持してきたが、さすがに90歳を前にして止めざるを得なかった。
現在は定年退職した弟が手間のかかるEMこそ行わないが、多様な農機具を導入して米作りを引き継いでいる。
高いコストに見合うほどの収穫はないものの、先祖から伝わる水田を守りたい一心で行っているという。


郷愁の念とはよく言われる言葉だが、私が記憶を遡って行き着く地点は、のどかに流れる集落の川で遊んだ風景だ。
ドジョウや雑魚、それにシジミを捕ったこともある。
また、竹竿を使って川を飛び越えたり、流れをせき止めてダムづくりもした。
家の池ではザリガニ釣りをして、茹でてもらっておやつとして食べた。
ウナギを捕ったのも鮮明に覚えている。

川の源流を探して知らない土地まで歩いて行ったこともあるが、記憶の糸はそこで途切れている。     



<夢現代>
 

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