江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

関東大震災から100年 映画「福田村事件」から思う あれこれ(4)

2023-09-28 | 随想
《各地で慰霊や追悼の輪が》

千葉県では100年前の震災後に300人以上の朝鮮人が犠牲となった。
それらの事件の掘り起こしや調査と共に、慰霊祭や追悼式も行われており、朝鮮人虐殺を「後世に伝える」その輪が広がっている。




①検見川事件は100年前の9/5 秋田・三重・沖縄出身のいずれも20代の青年が不逞鮮人
の疑いありとされた。身元証明書を警察に出して嘆願したにも関わらず、
自警団30人は3人を針金で縛りあげこん棒や日本刀で殺して川に投げ込んだ。(9/6朝日)

②滑河事件は100年前の9/4 成田市滑河駅で朝鮮人2人が亡くなった。
行商の2人は成田署に移送される途中、1人は群衆に囲まれた恐怖で逃げ出して滑河駅で機関車にはねられた。
もう1人は木刀で殴打され殺された。(9/6朝日)

③八千代市高津の観音寺では9日朝鮮人虐殺の慰霊祭が行われた。
当時保護名目で陸軍習志野収容所に入れられていた朝鮮人を、軍部が地元住民に渡し殺害させていた。
住民の日記をもとに1998年に殺害現場を掘り起こし6人の遺体を発見し、翌年慰霊碑を建立した。(9/14東京)

④藤岡事件は今の群馬県藤岡市で、同じく9/5~9/6に「朝鮮人が暴動を起こす」といった流言を信じた自警団が警察署に押しかけ、
留置場に保護されていた17人を引きずり出して日本刀や鉄砲で襲った。
慰霊祭は93年以降、日朝友好群馬県民会議など毎年行われている。(9/10東京)

⑤船橋市の市営馬込霊園では3日追悼式が営まれた。
霊園内の一角に「関東大震災犠牲同胞慰霊碑」が建立されている。
この慰霊碑の隣には、船橋町仏教連合会が震災の翌年に建てた「法界無縁塔」と刻まれた碑や納骨堂がある。
この二つの碑は火葬場近くにあったが、移転に伴い63年に今の場所に移設されたが、移設作業時遺骨が無かった。
その遺骨は秘密裏に田んぼに埋められていたことが判明。
推定100体分の遺骨は現在の慰霊碑区画内に埋葬された。(9/14東京)

⑥墨田区の荒川河川敷で1982年から朝鮮人の追悼式を続ける市民団体「ほうせんか」の理事の慎民子さんは虐殺の証言を語り継ぐ活動を30年以上続けている。
民家を語り場した敷地内には慰霊碑も2009年に建立されて、誰でも追悼出来るようになっている。
小池都知事は関東大震災の朝鮮人追悼式典に追悼文を送ることを未だに拒否している。(9/15 朝日)



《おわりに》
偏見と差別感情が入り混じった意識の根底には、異なる他者を排除することで成り立つ村社会が今でも続いていると思う。
ネット上では己とは関係のない他者に容赦ない誹謗中傷や攻撃を加える者は後を絶たない。

個人が特定されないと相手が見えないため配慮もなく、文字の言葉は攻撃的になり暴力や凶器にもなる。
ラジオもテレビも無かった100年前だったが、100年後の今は流言飛語ではなく、入手した偏った情報の発信が「現代版福田村」になりはしないか懸念する。

都合の悪いものは 「資料の確認ができない」「記録がない」などでごまかし、事実としてあったことも「なかった」ことにしてしまう日本の権力者たち。
国家の支配層は何時の時代も国民を欺き騙して、命を奪い取ることに何のためらいもない。

そして世界では終わりなき戦争が今も続き、かけがえのない命が毎日奪われている。
事実を知り歴史から学ぶことの大切さを知らしめてくれた意味でも、映画「福田村事件」の公開の意義は大きいと思う。


以上
                  



<デラシネ>


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