江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

三年坂と三年峠ー4(教材「三年峠」は授業でどのように扱われるのか)

2021-03-24 | 随想
 前回、「三年峠」の話のルーツが京都清水寺に続く「三年坂」にあると考えられる、ということを述べた。
これは、ちょっとビックリである。少なくとも、教科書ではこの話を「朝鮮の民話」として読むことになっているからだ。
今は「指導書」(教科書会社が編集する教員向けの手引書)がないので、そこに、どう書かれているかは不明なのだが、教科書にある児童向けの学習の手引きには、次の項目が記されている。

▼「三年とうげ」を読んで,おもしろいと思ったことや心にのこったことを発表しま しょう。わけもいっしょに話しましょう。/友だちと自分の考えをくらべておなじところやちがうところを見つけましょう。 言葉 ▼「三年とうげ」には,声に出して読むと調子のよいところがたくさんあります。さ がして,読みましょう。 たいせつ  おもしろさの発見  お話のおもしろさは,いろいろあります。  ・登場人物―行動や人がら/・出来事―ふしぎなこと,意外なこと/・時代や 場所  ・物語のすじ―場面のうつりかわり/・言葉の使い方や書き方,文章の調子  ・心にのこる言葉や文/・絵など

また、ホームページには、授業に役立つ情報として次のように書かれている。

小学校三年上に掲載されている「三年とうげ」は朝鮮の民話です。朴民宜(パク・ ミニ)さんが描かれた「三年とうげ」の挿絵は,その細部にわたり,朝鮮の伝統的な 暮らしを伝えてくれます。いったい,わたしたちのお隣の国はどのような文化を築い てきたのだろう。どんなものを食べ,どんなものを着て,どんな家で暮らしてきたの だろう……。挿絵から隣国の文化を少し勉強してみましょう。


 少なくとも、この記述を読んで、この作品は「朝鮮・韓国の民話」であることを前提にして、授業が実施されるはずである。
児童は「朝鮮・韓国の民話」であることを、微塵も疑わないのではないだろうか?
だが、「三年坂」の地元である京都の子どもたちはどうだったのだろうか?
「先生!この話、三年坂とようけ似ておらんかな?」とか、言わなかったのだろうか。
また、京都の学校の教員はどう思ったのだろう。
(付け加えるなら、東京にも数ある「三年坂」の地元の学校では?)

 この問題は置いておくとして、自分が驚いたのは、植民地支配を受けていた時代の朝鮮で、小学校の教科書にこの作品が掲載されていたことだ。
朝鮮総督府はいったいどのような意図を持ってこの作品を取り上げたのだろう。

 「三年峠(サンミョンコゲ)」が教科書に載るのは、1933年のことだが(黒川論文による。吉村・中河論文では1928年。)、「朝鮮語読本」の審査委員の中に、あの「温突夜話」の著者である田島泰秀がいたというのは、偶然とは思えない。
(「三年峠をめぐる政治的コンテクスト」三ツ井崇 佛教大学総合研究所紀要別冊 京都における日本近代文学の生成と展開より)
さらに当時は、現在のような「物語の面白さを感じ取る」「言葉のリズムを楽しむ」といったこととは、全く別の意図があった。
それは、物語の終末の違いにある。


 
 いかがだろうか。
朝鮮総督府の意図とは、おせっかいにも朝鮮の子どもたちに「迷信を信じることは恥ずべきことだ」ということを教えることにあったわけだ。
それが、植民地経営に資すると考えたからだろう。
そこから10年も経たないうちに、日本政府自体が「神州不滅、八紘一宇」などと、カルト化して世界との戦争に突入していったのだから「何をかいわんや」である。


 三年坂と三年峠をめぐる話も、これでおしまいである。
東京教組は、長年に渡って「日朝教育交流の集い」を開催してきたが、今年は、コロナウイルスの影響で開催が見送られてしまった。
来年はぜひ、この話を朝鮮学校の先生方としてみたいものだと思っている。


-K.H-


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