旦那の成長記録

心が弱い旦那の日々の一喜一憂を記録します。

やっぱり家を出たい

2016-12-25 12:07:16 | 日記
子どもが産まれて、私が入院中

旦那は両親と3人。

始めは仲良くやっていけるかと

思っていたが、その期待は脆くも

崩れた。




旦那は毎日イライラしていたし、

表情も暗い。






その前からも何度も義夫と衝突して

鬱になり、「家を出たい。この家に

いたくない。」と言った。



そして、眠れず夜な夜なネットで

近隣の物件を探しては、昼間に視察に

行ったりもした。



結局「お金がない」「借りられない」

「家から遠い(義母の近くにはいたい

ので、実家から歩いて行ける距離に

家がほしい)」などの理由で実家に

留まり、気分の上下を繰り返してい

た。




そして今回も。




「家を出たい。」

最近家の近くに新しく土地が売り出さ

れ、条件も良さそう。

旦那はいっきににテンションが上が

った。





不動産屋に電話し、視察に行き、

建てたい家の業者に会いに行き

丸一日設計や借り入れなどの話しを

した。




行くときはテンションがMAX。

しかし、帰ってくるときは最悪。




転職して1年未満、資金もなし。

おまけに心療内科の通院歴が

ひっかかり、どこも融資してくれる

ところなどない。





そんなことは、前から分かっていた

ことだと思うが、今の旦那には通用

しない。

融資がうけられないなら、「手元に

お金があれば…」と言いだした。

自分は散々パチンコにお金を使い、

自己資金を使い果たしているくせに

私や両親のお金を当てにするような

言い回し。




今家を建てることが最善なのか?

本当にそうなのか?



私はそうは思わない。

また、別の問題が生じ旦那はおかしく

なるだろう。

建てたところで、ローンの返済に

行き詰まるだろう。




そんな目先の事がみえず、旦那は

ひとり抑うつ状態になり、

また「もう生きていたくない。

子どものことよろしくね。」と

言い出した。




私は、子どもを抱え怒りに震えながら

必死で怒りを隠していたが、限界を

迎え、旦那の両親を起こし、「旦那が

死にたいと言っている。」と話した。





旦那は結局「会いたくない。」と

ひとり布団に潜りこの経緯を義母から

義父に説明。

旦那が義父を嫌いなこと、家を出たい

ことを話した。







始めの1週間

2016-12-12 09:27:49 | 日記
私が退院するまでに、旦那は役場や

職場に出向き事務手続きを済ませて

いた…




はずだった。





しかし、退院して1週間経ったころ、

(生後2週間)職場から電話が…。






「お子さんの保険証は作りますか?」








はぁ!?



今頃何言ってるの!?

旦那も一瞬何のことか?と頭が混乱。

よくよく話を聞くと、旦那が職場に

行って手続きを終えたと思っていたが

保険証の申請はされてなかった…と。





そんなことがあるのか?

旦那は子どもが産まれる前から何度も

事務所に出向き、育休の申請やら

なんやらと手続きをしてきた。



子どもが産まれたらまず申請すべきは

保険証の交付と扶養手当や児童手当

だろう。




ましてや、私は今無職で旦那の扶養に

入っているわけだから、子どもも当然

旦那の扶養に入る。



事務所の人は、子どもが産まれたら、

社員がどれとどれの申請をするか

わかっているはずだ。

…とこちらは思う。





しかし、手続きされたのは扶養手当

だけ。保険証の申請手続きは



「部署が違う」



という理由で、なんのアナウンスも

されなかった。

旦那はそれを知らず、全ての手続きを

終えたと思っていたため、怒り爆発!





そりゃ、そうだ。

電話越しに、事務の人に怒鳴って

いた。



怒るのはそれだけの理由ではなく、

こちらの言い分を一切聞かず、自分の

言い分だけを押し通してくる向こうの

対応。



私は端から見てて笑いそうになるほど

「ちょっと聞いてください。」と

旦那が何度も制止しようとしても

いっこうに話しを止めず、結局自分の

言い分だけを言い切った。

(ある意味スゴイ。)





結局、この事務員の上司に電話を

変わり、上司が平謝り。

再度職場に出向けと始めは言っていた

が、郵送で手続きできることには

なった。



旦那の怒りは3日くらい治まらず。












不運なことは重なるもので。

これに加え、別の問題も併走していた

ため、旦那の鬱状態が最悪になって

いく。

産まれた!

2016-12-07 15:39:47 | 日記
結局、予定日より6日遅れての出産

だった。

…お産が始まったのは、予定日の

4日後。産まれたのは6日後。

ほぼ丸2日かかって、我が子は

世に出る決心をしてくれた。






分娩に至るまでの、丸2日間、

旦那は私と共にずっと病院に泊まり

込んで立ち会い分娩をした。





…波乱がないわけもなく、

痛みに悶え、絶叫する私を見かねて

旦那もおかしくなった。

病院のスタッフは2~3時間平気で

来ない。

私と旦那だけ陣痛室に取り残された。





義母が応援に来てくれると、

旦那は「もうこの場から離れたい」

と怪訝な顔をして車に行ったり、

部屋を出たり、挙げ句の果てには

私が苦しんでいるベッドの横で眠って

いた。




あぁ、もう一人で頑張るしかない。

人間は、境地に立たされると案外

なんとかなるもんだ。



私は一人、暗闇で声を殺して陣痛と

闘った。








なんだかんだで、我が子が産まれた

後も、旦那のメンタルは不安定だっ

た。





産まれた日は、皆ヘロヘロで、

直ぐ眠った。


私はそれでも3時間おきに起こされて

わが子に授乳の練習。





翌日からは母児同室のため、ずっと

わが子とともに、泣いたら飲ませるを

繰り返す1週間。




出産翌日は、私の両親も駆けつけ、

両家がそろった。

私以外の義父母、旦那、両親の5人で

お祝いの夕食をしに行ったのだが、

そこでも一波乱あったようで…。





義父の義母に対する態度の悪さを

私の両親の前で見せられ、子どもの

祝いの席のはずが険悪ムードに。




旦那はその日以来、また義父と距離を

おくようになった。






旦那は育休をとったため、仕事は休み

になったが、事務手続きなどで、私の

入院中も毎日忙しかったようだ。




とはいっても、朝早く起きるわけでも

ない。私がお願いしていた犬の散歩を

朝晩してくれるわけでもない。

すべてが中途半端。




自分でやらなきゃ!と思うことだけだ

頭がいっぱいで、それ以外のことが

できないのだ。





結局、毎日面会にきても「疲れが取れ

ない」「眠れない」といい、

心の中では「私の方が眠れないし

疲れとるわっ!」と思いながらも

ぐっとこらえた。





それでも産後特有のマタニティブルー

に陥ったときは、それを分かってくれ

ない旦那とケンカしたりした。





毎日面会にきては、家での愚痴を

聞かされていた私は、退院後また

その家に戻るのが憂鬱で憂鬱で

たまらなかった。




実母が入院中は通ってくれて、退院日

は、泊まってくれたので、それまでは

なんとか穏やかに過ごせたのだか、

実母が、帰宅してからはまた

憂鬱な毎日が、始まってしまった。






今までとは違う。

守らなければならない、赤ちゃん

の存在を抱えながらまた旦那は

壊れていく。