古天気学 A

明治時代以前の日本のお天気や地震また天文関係の資料を収集中

「弘前藩庁日記」延宝八年十一月五日 天気編

2017-08-11 19:13:09 | 古天気学
「弘前藩庁日記」延宝八年十一月五日 天気編

2017年8月11日 金曜日 天気 曇 

『弘前藩庁日記』は、江戸時代に弘前藩が藩政を記録した日記であり、一級品の史料です。

『弘前藩庁日記』延宝八年十一月五日

「延宝八年十一月五日 雪一尺五寸許(ばかり) 夜地震三度 (申刻より申酉の方にあたり幅二尺長十間余雲のことく白有之 酉の后刻見付之 御前江申上之御書院屯之間にて御覧)」
「延宝八年十一月五日 風雪 (去る五日之ことく雲相見え候に付き御前江申上げる 則御覧 五日より毎夜見え申す由に候えども(はっきり見なかったので記録しない))」の天気十一月十五日~十一月二十一日までを検証したい。

「テータ変換」

年月日 延宝八年十一月五日 → 1680年12月25日 ~
 延宝八年十一月二十一日 → 1681年1月10日

場所 弘前 → 青森県弘前

吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)

延宝八年(1680年~1681年)

十一月五日(12月25日)雪 雲間
十一月六日(12月26日)風雪 雲間
十一月七日(12月27日)風雪 雲間
十一月八日(12月28日)風雪 雲間
十一月九日(12月29日)雪
十一月十日(12月30日)曇雪
十一月十一日(12月31日)曇少雪
十一月十二日(1月1日)晴
十一月十三日(1月2日)晴
十一月十四日(1月3日)風雪
十一月十五日(1月4日)雪
十一月十六日(1月5日)雪
十一月十七日(1月6日)曇雪
十一月十八日(1月7日)曇
十一月十九日(1月8日)風雪
十一月二十日(1月9日)雪
十一月二十一日(1月10日)晴

「検証結論」

延宝八年十一月五日(12月25日)~十一月八日(12月28日)は雲間から彗星が観えたようです。その後も天気が悪く
十一月十二日(1月1日)・十一月十三日(1月2日)・十一月二十一日(1月10日)以外は観えなかったようです

「弘前藩庁日記」延宝8年 11月5日 天文編Ⅱ

2017-08-10 13:07:12 | 天文
「弘前藩庁日記」延宝8年11月5日 新発見の史料か 天文偏Ⅱ

2017年8月10日 木曜日 天気 曇 

『弘前藩庁日記』は、江戸時代に弘前藩が藩政を記録した日記であり、一級品の史料です。

『弘前藩庁日記』延宝8年11月5日

「延宝8年11月5日 雪一尺五寸許(ばかり) 夜地震三度 (申刻より申酉の方にあたり幅二尺長十間余雲のことく白有之 酉の后刻見付之 御前江申上之御書院屯之間にて御覧)」
「12月28日 延宝8年 11月8日 風雪 (去る5日之ことく雲相見え候に付き御前江申上げる 則御覧 5日より毎夜見え申す由に候えども(はっきり見なかったので記録しない))」彗星らしき記事がありこれを検証したい。

「テータ変換」

年月日 延宝8年 11月5日申刻 → 1680年12月25日午後4時頃

場所 弘前 → 青森県弘前

天文種類 申刻より申酉の方にあたり幅二尺長十間余雲のことく白有之 酉の后刻見付之 御前江申上之御書院屯之間にて御覧 → 午後4時頃より西南西の方角に 幅 2度(尺=1度、丈=十尺=10度、間=六尺=6度)長さ60度余の彗星 午後6時ごろ御前へ話し観る。

ネットと古天気学データベース(KTDB)で検証

ステラナビゲータ10で検証
場所指定 青森県弘前 経度 東経 140°27′48.5″
           緯度 北緯 40°36′9.7″

延宝8年 11月5日申刻 → 1680年12月25日午後4時頃

(ステ10)12月25日16時00分 
 → 太陽は、方位 56.3°高度 2.4°光度-26.7等南西と西南西の間の地平線に沈む前 
 → 彗星は、方位 58.9°高度 16.8°光度-1.0等 で彗星が太陽の真上にある。 太陽に光が強く彗星が観えていたか不明。
 → 金星は、 方位35.1°高度 19.7°光度-3.9等 
 → 月は、方位 19.6°高度 34.9°月齢4.2

(ステ10)12月25日17時20分
 → 太陽は、地平線に沈み夜空は暗くなる
 → 彗星は、方位73.3°高度3.1°光度-1.0等 彗星の尾が見えはじめる。 
 → 水星は、方位59.0°高度2.1°光度0.4等  
 → 金星は、方位51.2°高度9.2°光度-3.9等  
 → 月は、方位40.6°高度27.5°月齢4.3  

(ステ10)12月25日17時38分
 → 彗星は、方位76.2°高度0.0°光度-1.0等 彗星の尾が鮮やかに観えて、18時8分に尾が観えなくなる。


キルヒ彗星(1680年の大彗星)C/1680 V1 1680年11月14日にゴットフリート・キルヒが発見しました。近日点で太陽の極めて近くをかすめるように通る彗星である。(クロイツ群)最初に望遠鏡で発見された彗星。17世紀で最も明るい彗星の1つとなった。キルヒ彗星は昼間でも見え、長い尾を引いていたので非常に注目された。

また、日本各地で観測されました。青森・山形・宮城・東京・神奈川・山梨・静岡・福井・京都・宮崎

「検証結論」

キルヒ彗星(1680年の大彗星)C/1680 V1 「酉刻(申刻から修正・17時20分から18時00分)より申酉の方(西南西の方角)にあたり幅二尺(2度)長十間余(60度余)雲のことく白有之」の彗星

ステラナビゲータ10より

青森県弘前市では、16時頃では、太陽の光が強く彗星が観えていたか不明。
太陽が完全に沈んだ17時20分から18時00分の間に彗星の尾が鮮やかに観えた。

日本各地でも観測された
キルヒ彗星(1680年の大彗星)C/1680 V1 最初に望遠鏡で発見された彗星。17世紀で最も明るい彗星の1つとなった。

「弘前藩庁日記」延宝8年 11月5日 天文編

2017-08-09 18:35:43 | 天文
「弘前藩庁日記」延宝8年 11月5日 天文編

2017年8月9日 水曜日 天気 快晴 暑い 

『弘前藩庁日記』は、江戸時代に弘前藩が藩政を記録した日記であり、一級品の史料です。

『弘前藩庁日記』延宝8年 11月5日

「延宝8年11月5日 雪一尺五寸許(ばかり) 夜地震三度 (申刻より申酉の方にあたり幅二尺長十間余雲のことく白有之 酉の后刻見付之 御前江申上之御書院屯之間にて御覧)」
「12月28日 延宝8年 11月8日 風雪 (去る5日之ことく雲相見え候に付き御前江申上げる 則御覧 5日より毎夜見え申す由に候えども(はっきり見なかったので記録しない))」彗星らしき記事がありこれを検証したい。

「テータ変換」

年月日 延宝8年 11月5日申刻 → 1680年12月25日午後4時頃

場所 弘前 → 青森県弘前

天文種類 申刻より申酉の方にあたり幅二尺長十間余雲のことく白有之 酉の后刻見付之 御前江申上之御書院屯之間にて御覧 → 午後4時頃より西南西の方角に 幅 2度(尺=1度、丈=十尺=10度、間=六尺=6度)長さ60度余の彗星 午後7時ごろ御前へ話し観る。

ネットと古天気学データベース(KTDB)で検証

ステラナビゲータ10で検証
時間無く今日はここまで、明日以降に更新予定


「享保日記」享保十年四月十七日 天気編 

2017-08-08 08:51:53 | 古天気学
「享保日記」享保十年四月十七日 天気編 

2017年8月8日 火曜日 天気 小雨 曇 台風の影響で湿気が高い 

「享保日記」享保十年四月十七日

「享保十年四月十七日 ・・・天気朝より曇、晝時少雨ふり候へ共、笠ニも(V)及程也。」を検証する。

「テータ変換」

年月日 享保十年四月十七日 → 1725年5月28日

場所 水戸 → 茨城県水戸市 

天気種類 朝より曇、昼時少雨 → 朝より曇 昼頃小雨

吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)と古天気学データベース(KTDB)で検証

吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)

享保十年四月十七日 → 1725年5月28日

弘前 晴
八戸 晴
盛岡 晴
日光 晴(俄雨)
東京 晴
八王子 晴
伊勢 雨
京都 薄曇
池田 曇(小雨)
津山 雨
鳥取 晴
諫早 晴(雨)
臼杵 雨


古天気学データベース(KTDB)

弘前 快晴

「検証結果」

年月日 享保十年四月十七日 → 1725年5月28日 吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)天気記録有

場所 水戸市 吉村名誉教授・歴史天候データベース(HWDB)水戸市の天気記録無

天気の種類 朝より曇 昼頃小雨

「データ整理」

享保十年四月十七日 → 1725年5月28日

弘前 晴
弘前 快晴
八戸 晴
盛岡 晴
日光 晴(俄雨)
水戸 朝曇 昼小雨
東京 晴
八王子 晴
伊勢 雨
京都 薄曇
池田 曇(小雨)
津山 雨
鳥取 晴
諫早 晴(雨)
臼杵 雨

「検証結論」

四月十七日(1725年5月28日) 日光の天気は、晴(俄雨) 東京の天気は、晴水戸の天気は、朝より曇 昼頃小雨で、また、曇です。

昔の天気は大変面白いですね。

茨城県水戸市での大変貴重な天気資料です。

「弘前藩庁日記」延宝五年十月九日 地震編

2017-08-07 10:59:50 | 地震
「弘前藩庁日記」延宝五年十月九日 地震編

2017年8月7日 月曜日 天気 朝曇 晴  

『弘前藩庁日記』は、江戸時代に弘前藩が藩政を記録した日記であり、一級品の史料です。

『弘前藩庁日記』延宝五年十月九日

「延宝五年十一月七日、十月九日水戸で地震・津波・死者三十六(男三十四女二)・上総の国蓮沼村で死人十三など)」地震の記事がありこれを検証したい。

「テータ変換」

年月日 延宝五年十月九日 → 1677年11月4日

場所 水戸 → 茨城県水戸市

種類 地震・津波 → 地震・津波

ネットと古天気学データベース(KTDB)で検証


延宝房総沖地震(えんぽうぼうそうおきじしん)は、延宝5年10月9日(1677年11月4日)に房総半島東方沖付近で発生したと推定される地震。規模はM8とされている。房総沖地震の一つと考えられている

「検証結論」

数少ない水戸市での延宝房総沖地震の大変貴重な資料です。