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実況列伝 2016

飯塚ミッドナイトは5月から

実況列伝 2 師と弟子

2010年02月28日 | 回顧録&日記

季節も10月になると少し寒さが増してくるころです、1993年10月23日、普通開催です、23期は元気よく、浦田信輔、別府敬剛とも初日から8着発進! まっ、早い話がビリです、竹谷隆は6着、重富宣孝は2着と健闘してます。

この時からエンジンの整備に朝から晩まで檄が(シゴキ)ロッカーで飛んでいたと聞きます、走路に練習にでると鬼師匠は恐ろしい眼で浦田の動きを観察してましたね、愛情が厳しさに変わるとき人は鬼となりますよ、ロッカーで生き抜きのゲームをしていたらゲンコツもんです、遊ぶ暇があったら仕事をしろ! 強くなりたいなら練習しろ!

容赦なく大声が飛んでいたと聞きます、まだ若い彼には人生、初の出来事でしたでしょうね、スポンジのように全てを吸収したからこそ、今のパンジャがあるんです。

2日目は出場せず、3日目となります、2Rベテラン金山清司を押さえて、1着となっています、試走3,43 上がり3.494です、レオ!  4日目1R3着です。

そして、最終日、初の自落!【落車】を経験してますね、浦田信輔!、別府敬剛は8着です、彼は後、中村政信の元へ行きます。 優勝戦 タック 桝崎正選手の優勝で幕となっています。 現在のオート界は師弟子と言うよりは仲間同士の整備関係みたいです。


お待ち!

2010年02月28日 | 回顧録&日記

この画像はご存知、飯塚オートです、詳しくは左のリンクを見てね、私が現在、お世話になっている競技場です、福岡競艇や久留米競輪場はよく出すけど、肝心の飯塚オートは出ないと思ったでしょうね? ここですよ、福岡県のヘソは真ん中にあります。

実況列伝2もまだ書き始めですが、怒濤の連載はこれからなんです、列伝2はのち列伝3に変わりますからね、だからバタバタと連載をしないと間に合いません、なんせ17年分ですから! ひ~えっ!て感じです。

53周年記念レースの前に飯塚特集をしておかないと、又何を言われるかわかりませんから!  この前ダート時代の写真を覚えておられますか、本場の御越しのさい、是非立ち寄ってください! 何もありませんが・・・

1993年の7月頃、実況を私,宮本が始めた時期です、今年の正月レース初日ですかね、昔のスタイルを2レースほど実況しましたが、こちらも覚えておられますかね? あのスタイルが1993年の実況なんです、今思えば懐かしさもあり、気の抜けたコーラみたいでもあります、(それが悪いと言う訳ではありません)、あの実況をやったら飯塚オートに電話が殺到したみたいで、関係者の皆さん、ご迷惑をおかけしました。 少し反省してます。 

この写真は正面玄関です、53周年の飾り付けもほぼ終了してます。 実況席から毎レースの書き込みも検討しましたが、環境が不安定なので断念するしかないみたいです、残念です。 あとは天候のみです! てくれ 

 

 

 

 

 


実況列伝 2 獅子王

2010年02月27日 | 回顧録&日記

このころから中村政信がその動きを加速させてきます、10月16日11R試走3.37で上がり3.447 H30から捌き、師匠梅田選手と仲良くゴール、10Rには地元ライバル永富高志選手がこちらも1着、この2人は地元覇権をかけて激しく、激突を繰り返してきます。

この時、浦田信輔は2級車で2日目に7Rに出場、その感性を如何なく発揮し、見事に柴田日出喜選手、ニ田水潤太郎選手を相手に良く戦い、1着ゴール!

2日目に中村政信は着を取りこぼし5着、惨敗するも、3日目は見事に準決をクリアーその射程を優勝戦に向けてきます。最終日、浦田は8Rに古参組の小牧三男、吉田光、大和章義に揉まれ、現実の厳しさを痛感!7着と捌かれます。

優勝はもちろん、政信です! たぶんこのころ、政信の心中には、浦田信輔の活躍が脳裏を掠めていたでしょうし、激突は避けられない時が刻一刻と迫っていることに2人の獅子は・・・気にとめていたのだろうか。

深まる秋が飯塚の山々を赤く染めはじめたころです。


実況列伝 2 始動!23期 レオ

2010年02月27日 | 回顧録&日記

実は重要な事を忘れていました!この年の7月に浦田信輔、別府敬剛、竹谷隆、重冨宣孝が選手登録を終えデビュー

8月21日の開催から順次参加しています、1R別府選手、8着 3R重富選手、8着 22日、3R竹谷選手、6着 4R浦田選手、8着 そして3日目、3R浦田選手、1着です。いきなり2走目でピンですから驚きです、レオ始動の時です、この着を見てかは分かりませんが、あの桝崎さんがこの後、浦田信輔を弟子に取ったのです。

いゃ~この出来事に当時は話が持ちきりでしてね、あの桝崎さんがね・・浦田を弟子にね、弟子を取り≪指導者≫となるとは青天の霹靂です。弟子師匠の関係を、自ら申し出るとは、(普通は順番があるんですが)その過程があの時は無くなっていたのです。

この時からレオの開眼が始まると言っていいでしょう、8月9日、浦田レオ!ピン 13日3着、竹谷選手も負けじと4R1着です、前ブログ雷鳴での出来事なんです。別名、鬼の師匠の異名を持つ、桝崎さんがそのスパルタぶりを浦田信輔に叩き込んでいきます。

私もこの時デビューしています! 運命の出会いですかね、実況とレオ!


実況列伝 2 秋の嵐

2010年02月27日 | 回顧録&日記

9月15日ダイヤモンド開催から息つく暇も無く、18日に早くも次の開催が目白押しです、しかも売れていたんですね! レースを見てみますと11R選抜戦、またもやダイヤ覇者”永富高志選手”が安藤定實選手、桝崎正選手、他5選手を力で押さえます。

この開催は4日間ですので2日目の最終11R特別選抜戦に遠洞文男アブジンスキー伊勢崎が地元、秋吉忠幸、大久保哲司、植木常男、などの猛追をかわし、逃げています。

準決なんですが地元、辻生亘、安部雄造の0線グループが逃げてますが高配当には共になっていません、硬いレースに終始しているようです。あとは吉田光、金山清司、桝崎正、のベテランが枠を埋めます 。

優勝戦は桝崎正選手が試走3.31 上がり3.401で勝っています、この時の桝崎選手は日本選手権の制覇に動きますが、昭和51年、昭和52年、53年、55年(この年の55年は何故か2回選手権が開催されていますね、3月と10月)昭和56年、昭和57年、昭和58年、昭和59年、昭和63年と9回も優出しますが、全て制覇ならず、最高2着なんです。

ここまできたらまさしく、執念です!しかし、取れない!日本選手権なんですが・・・・昭和45年、ニ田水潤太郎以来、飯塚選手が制覇することは無かったんです、平成13年の浦田信輔選手の制覇まで苦難の歴史が続きます。

この平成13年の浦田信輔の日本選手権制覇の戦いが、これまた凄い動きがあったんです。仕掛け人は当然師匠の桝崎正さんです、【今は、まだ記載しません】

10月の開催は9日からです、11R選抜戦1着片岡賢児選手、2着に桝崎正選手です。 2日目11R特別選抜戦、田中守、永富高志のワン・ツ~ 3日目は宮田耕治選手 小関正幸選手が活躍します。優勝戦、宮田耕治選手ビック・アイで幕を閉じています。