はっきり言って、私には文才がない上に、次に語る話は人生の機微に触れる事柄なので
そのあらすじを書ききることができるかどうか、まずもって心配だ。
でも、このことは書き残さなければならないという使命感のもとに書こうと思う。
光男と健ちゃんは山で育ち川で学ぶという幼少期を送っていた。二人は同学年で
山奥の尋常小学校の分校に通っていた。太平洋戦争たけなわの頃である。
光男は学業優秀であったが、健ちゃんはまるで駄目だった。帰る方角が同じだから
毎日まいにち居残り勉強をさせられる健ちゃんを光男は日が暮れるまで待つのだった。
当時は、まだ灯火管制中だったから、二人は真っ暗な道を帰った。体力に自信のある
健ちゃんは光男のランドセルを肩にかけて持ち、山道を手を引っ張ってやるのがせめてもの
罪滅ぼしだと幼心に思っていた。光男は幼い頃から心臓が弱くて、体育の時間はすべて
休み、教室に居残って読書をして時間をつぶすのだった。運動会も一度も出たことがない。
それほど、心臓が弱っていた。70年も昔のことだから、不治の病として漢方薬で凌いでいた。
それしか、手の打ちようがなかったのである。光男は、一人息子だから、当然跡取りでもある。
母親は、八方手を尽くしてみたけれど、「光り」をつかむ手がかりさえ見つけられなかった。
それどころか、医者は聴診器で心臓音を聴いて「この子は15才まで生きられないだろう」と
宣言したという。もちろん、そんなことは、光男も健ちゃんも聞かされてはいない。
でも、健ちゃんは「光男が死んだらどうしよう。なんとかしなければならない」とは思っていた。
子供心に、直感でしょうか、重いものを感じていた。
でも、その「なんとか」が何であるのかが、まるで分からなかった。
光男は小学校を成績一番で卒業した。健ちゃんも、卒業だけはできた。
二人はそれぞれにふさわしい中学校に進み、高校へも進んだ。
時が過ぎ、二人とも成人を迎えた。
それから数日後に、「光男が死んだ」との知らせが届いた。通夜、告別式、初七日と慌ただしく
過ぎで、49日がやってくる。隣近所や親戚が集まるその日を避けて
健ちゃんはその明くる日の夕方一人で行った。大勢の前で涙を見られたくなかったからだ。
手を合わせて光男の写真を見ていると、堰を切ったように涙があふれ出てきた。
一時過ぎて、両親が呼ぶ声で我に返りお膳に座った。光男のお母さんは「光男は不憫だ、
可哀相だ。何のために生まれてきたのか分からない」と言って、泣き伏せた。
健ちゃんは、「俺、光男を花街へ連れて行ってやったよ。光男は女を知っているよ」と
ぽつりと言った。
一瞬、両親は息を飲んで、健ちゃんを凝視した。が、すぐに我に返った両親は、
健ちゃんに近づきそれぞれ手を取って「それ、本当かえ!それ、まことか?」と念を押した。
健ちゃんは一言「本当だよ、ごめんね」と頭を下げた。父親は健ちゃんの肩を叩き、
母親は健ちゃんの膝の上に泣き崩れて、何度も何度も「ありがとう、健ちゃん」と言った。
私に理解出来なかったのは最後の部分でした。
「俺、光男を花街へ連れて行ってやったよ。光男は女を知っているよ」
これ、そんなに大事なことなのでしょうか?
もし光男が光代で、「男を知っているよ」だったら、ご両親はやはり感謝したでしょうか?
何となくしっくりしない読後感でした。
verdavojetoさんが書いていらっしゃるのと同じ気持ちをもちました。
文章も凄くお上手です
これは実話ですから、「もし光代だったら」という仮説は立てないで下さい。
論理的な話でも倫理的な話でもありません。また、男女七歳にして
席を同じゅうせずと教育をした時代の話です。映画「風立ちぬ」http://blog.goo.ne.jp/3578181jik/s/%B5%DC%BA%EA%BD%D9
の最後の写真をご覧下さい。当時の男児が抱いていた女性への憧れが
どのようなものだったのかお分かりいただけるでしょう。
「一度だけ、たった一度でいい、女性の肌に
触れることができたら、
いつ死んでも良い」とまで、思い詰めて、旅だった特攻隊員。
「いいか、お前は生き延びろよ、これは私の全財産だ、
きみにあげる」と言って、今の金額にして数千万の預金通帳と印鑑を手に
握らせて、突撃していった若き兵隊。もちろん、女性は現地人です。
光男にとって、健ちゃんの誘いはいわば、男子の本懐を遂げる行為だったのです。
汚らしい淫らな行為では決してありません。そのことは、健ちゃんから
直接聞き取っています。このコーナーの読者は女性の方が多いので、
どうかな、とは思ったのだけれど、言い残さねばならないとの思いから、
書いた次第です。ご理解下さい。
私も、この話を書いていて、自分でも恥ずかしいほど涙が出てきました。
これは実話です。わたしは、健ちゃんとは友達だが、光男くんのことは知りません。
健ちゃんの行いは、決して責められることではありません。これしか選択がなかったのです。