昔から「奈良のお水取りが終われば、暖かくなる」といわれてきた。
そして、それは実感として正しかった。
だとすれば、東大寺二月堂のお水取りは三月の十三日のことだから、あと十日は寒いことになる。
ところがどうだろう、今日のこの暖かさは。
さらに「暑さ寒さも彼岸まで」ともいわれてきた。
彼岸の中日が二十一日。
その前後3日間を彼岸と呼んでいるから、彼岸の入りはというと十八日。
ここまではまだ二週間もあることになる。
この二つの言い習わしはもう通じないのか。
完全な異常気象だ。ところが人々にはあまり危機感がないようにみえる。
人間の「慣れ」は恐い。何にでも慣れてしまうのだ。
うん十年ほど前、我が家には風呂がなくて、銭湯に通っていた。
貧しかった訳ではない。当時、それが当たり前だった。
冬1,2月の夜、タオルを振り回して帰ってきたら、カチンカチンに凍っていた。
建て付けの悪い家屋ではあった。水道が凍結して、濡れ雑巾がまるで石のようだった。
慣れといえば、このようなことを思い出す。
来る日も来る日も、雑穀のカユにサツマイモを入れたものを食べた。
この粥はサラサラっと喉を通り抜ける。
サツマイモだけが歯ごたえがあるのだ。たくあんもなければみそ汁もない。
これが当たり前の食事だと思って食べたのだった。
しかも、食事の前は両手を合わせて「頂きます」と云ってきっちり頭を下げた。
いま飽食に慣れ、異常気象に慣れ、殺伐とした人間関係に慣れ、報道される悪事に慣れ、
何にでも慣れてしまって良いのだろうか。
楽チンな事には すぐに慣れる生き物です(汗)
苦しい事には中々慣れないのに・・・
今年は世界規模での異常気象です
エルニーニョと言われていますが
やはり地球温暖化現象も 影響しているんでしょうね
先進国は エコ推進を叫びますが
後進国は そうは行きません
やはり 人間って
自分勝手な生き物ですね
きっといつか しっぺ返しを受けるでしょう・・・
2本の足をしっかりと川の中に下ろして獲物を狙っていますね。
慣れるって事は恐ろしいですね。
この暖かさにもう慣れっこになってしまって、北アルプスの雪もとても少なくてアイスクライミングが危なくて出来ないそうです。
これでは真夏の水不足は必至かも知れませんね。
報道される悪事にも慣れてきましたね。
またか!と思ってしまいます。
昔も悪事はあっても報道されなかったからかもしれませんが…
私はサギさんになれてもいつも感動です。
有難うございます
それにしても最近どうなってるのでしょうか?
何で毎日、今まで考えられないようなものが盗難にあうのでしょうか?そして聞いてる方も「又か」と思ってるだけです。ところが一昨日親しくしている友人の家が旅行中に泥棒に入られて、全て持っていかれてしまったそうです。玄関のドアの鍵に針金を突っ込んで明けていたそうです。出かけるからと金庫に大事な物を入れておいたらその金庫ごと盗まれ、部屋も荒らされてしまったそうです。鍵を全て閉めて出かけたにも関わらず、これからどうすれば良いのでしょうか。
本当に嫌な世の中になってしまいました。
お友達の人はおそらく、腹が煮えくり返るほど、怒っていることでしょう。私も昔泥ボーに入られたことがあります。幸い大きな被害はなかったけれど、部屋中引っかき回されて、難儀しました。金庫ごと持ち出すとは大胆不敵。一人の仕業ではないでしょう。
poloさんの御意見身の引き締まる思いで読みました。
一人一人が意識すべきことですね。
私自身に言い聞かせることを怠らないように心掛けます。
咲くにはずいぶんと早い!
雪は降りそうもないし、もう春かな。
異常気象、危機感をもっと感じなければいけませんね。
自宅の小さな浴槽に一人で入るのは寂しい心を作るような気がします。
仕事の厳しさに慣れれば、それが当たり前になり、
楽な仕事に慣れれば、またそれが当たり前だと思ってしまう。
人間はついつい安きに流されてしまう動物のようです。これはいかんと反省しながらの毎日です。
地球の温暖化は確実に進んでいることは確かです。子供の頃の大阪と現在の大阪。外気温が全く違います。今では歯の根が合わずガチガチ震えるほど寒い日はありません。纏う服の違いを引いてもそれを感じます。
でも去年は近年にない寒波でした。ところが今年は一転して暖冬。身体も慣れませんし頭も慣れません。
こんな異常気象が繰り返しあると、これも慣れてしまうのかもしれないと思うと怖さを感じます。
今日、大阪城の梅を見てきました。一部の遅咲きを残して散り始めた木が多かったです。桃が咲いていました。桜も今月の20日頃には咲くとの予測です。
なんだか季節に追いかけられているような錯覚を覚えました。