「漂泊の西行」アマゾン電子書籍紹介」。角川電子書籍・BOOK★WALKER電
西行(1118~1190)平安後期から鎌倉初期の歌人。父は藤原氏北家藤成流、左衛門尉佐藤康清。母は監物源清経の女。鳥羽院の北面武士を務めていたが、1140年(保延6)23歳で出家。法名円位。出家後しばらく東山や嵯峨野辺りにとどまっていたが、初度の陸奥への旅にを終えたのちは高野山に居を構えた。約20年の高野山の修行には中国・四国地方にも赴いている。1180年(治承4)頃、高野山から伊勢へ移住。その後1186年(文治2)東大寺復興のために砂金勧進を目的として再度陸奥に旅した。無地旅を終えたのち嵯峨野に庵に居を構える。伊勢神宮に奉納するために『御裳濯河歌合』『宮河歌合』の自歌合を編み、藤原俊成・定家に加判を依頼。1190年(建久元)2月16日「願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」という生前の願い通り河内国弘川寺で没した。西行の生涯とその詠歌は当時の人々に深い感銘を与えた。その後成立した『新古今和歌集』には最大の94首が選ばれた。