ども、イーストMです。
先日の11月6日(日)に行われた尚巴志ハーフマラソンに参加してきました。
今年の最大の目標である那覇マラソン1ヶ月前、自分の現在の実力を計るには最適のレースです。
完走はできました。
しかし、結果はかなりショックでした。
タイムは2時間59秒と2時間は切れないまでもあと一歩で2時間をきれるところまで来ていたし、種目順位でも476位と
かなりいいのではと思います。去年の同タイムの人の順位は747位ですので今回のレースは去年よりは厳しいレースだったかもしれません。
問題はレースの内容でした。
レースはスタート直後は予想通りやや早いペースとなりながらも抑えキロ/5分40秒ほどのペースで進み、最初の難関である新里坂へ(高低差150m、距離1.2キロの心臓破りの坂)
こちらも、自分の想定どおり8分から9分くらいで登りきる。
自分の想定と違ってきたのがここからでした。
新里坂を登り切り呼吸は乱れペースも一時、キロ/6分30秒へと落ち込むそこは予想していたのだけど、その後の玉城自転車道で呼吸を戻し落ち着かせる予定が
意外とここでも登り坂がありペースも呼吸も戻せない、それどころかみぞおちまで痛くなる始末。
佐敷、つきしろでは応援も多く水分補給もこまめにでき、呼吸、ペースともに戻る。ここからはペースをキロ/5分30秒~10秒へアップ。残りは下り坂がほとんどなので
流れと勢いにまかせ平均5分30秒ペースで押し続ける。
ここからが試練の時でした。
16キロ地点まではキロ/5分30秒ペースを維持していましたが、ここから一気に足が重くなり、ペースが落ち始めるのを感じる。この頃からは周囲を見る余裕もない。
かろうじて腕にはめたGPS時計でペースと距離を確認していただけ…
18キロ~20キロもう、ここは精神力が試される気力の見せ所であり、動かなくなった体をいかに奮い立たせペースダウンを最小限に抑えることができるか大切なところです。
『がんばれ自分』 『お前はまだできる、まだまだ走れる』 と自分に言い聞かせ走り19キロ地点から20キロまではややスパート的にペースを上げて走れた。ところが、がんばりもここまで
20キロ地点からまたペースダウン。ここから負の自分の声が聞こえ始める 『もう無理だ』 『これ以上は無理だ』 『歩くか?』
心が折れ掛かっていました。
21キロ地点。ここでも予想外のことが…腕の時計は21キロを表示しているにもかかわらず何かおかしい。ふと前を見ると300m先ほどに21キロの看板。
ガーン!そうです、GPSウォッチの誤差です。気がついた時には体も心も満身創痍。GPSは平面的には強いようですが高低差では認識があまく誤差がでやすい。
16キロ地点以降、周囲を見る余裕もなく誤差を確認していなかった。どうにか最後まで走りきりゴールはしたものの。ゴール後は無様に芝生にダウンその後も意識朦朧。立ちくらみが続きへろへろ状態。自分が情けなくなりました。(理想?予想ではゴール前2キロでラストスパート、それでも余力があること)でした。
結果としては、自分にはキロ/5分30秒で走る、走力も気力もなかった。
ショックですが那覇マラソンでは目標ペースを落とすしかないようです。
残された日数でどれだけの上積みが見込めるかはわかりませんが再度トレーニングに励みます。
悔いは残したくない…やれるだけのことはやります。
そして、この大会では懐かしい先輩に再会することができました。
その人は末松隆二さん(今大会の優勝者です)、スタート前に末松さんを見かけ声をかけると『お~。元気だった?北海道に永住してると思ってたよ。』
末松さんとは札幌大学の先輩後輩の仲。会ったのは18年ぶりくらいかな。札大では各学年に一人だけの沖縄出身とあって覚えててくれてました。
その懐かしい末松さんが優勝したとの号外の記事をシャトルバスの待合所で見たときは心から嬉しかったです。
人との出会いは大切だなと感じました。18年ぶりの再会も末松さんの5年ぶりの優勝も偶然とは思えない(考えすぎですかね(^_^))
なんにせよ尚巴志ハーフマラソン出て良かったです。(ちなみに自分はサッカー部で陸上部ではありません)マラソンも今年からいや、今年だけやってます(^^;)
さあ、ここからが長い一日の後半戦。
レース後の体力の回復もそこそこに自分は帰りのシャトルバスへ、自分がハーフマラソンを走っている頃糸満では
糸中OB40才以上野球大会が行われており我々イーストメンバー含む39期生はみな大会の審判団として各会場での審判および進行をまかされていました。
サバニレースも諦めあちこちに声を掛けるも野球の審判しかも球審なんて…中々協力してくれる同級生は集まらず。
自分も尚巴志は諦めて審判やると言ったのだけどウケとミーボーはレースに行ってこいと言ってくれた。自分はレース終了後、午後から手伝うことにした。
12会場に分かれそれぞれの会場で4試合それを11月の第一日曜日、第三日曜日と2日間かけておこなう大きな大会です。
自分が居なかった為、一人で3試合の審判をこなした“ひーろー”
ひーろーとは実家も近くで幼なじみである。ひーろーは小さい頃から野球が好きで今も少年野球の監督もしてます。
そのジャッジは大リーグの審判並み。しかし、そのひーろーもスコールの後のサンサンと降り注ぐ太陽で体力の限界のよう。
自分は無謀な走りの後で立ちくらみ連発。そんな二人でも力をあわせ自分が3試合目から戻り球拾いとスコア係、そして4試合目の審判をしてどうにか
無事に終わらせることができました。
各会場でも色々あったようだけど無事に試合が終了したみたいだし、みんな頑張ったようです。
その後の慰労会は残念ながら自分は体力の限界で参加できませんでしたが、みんなやりきった達成感があったはずです。
自分はこういう仲間を大切にしていきたいしこういう仲間を増やしていきたい。
辛いことから逃げることではなく、辛いことを乗り切る方法を子供には教えていきたい。
それには一緒に乗り越えていける仲間や親友は大切です。
まだ大会2日目も残っています。11月20日(日)第三日曜日です。
そして、糸中39期生への情報ブログもあります。このブログのブックマークにもあります。
サンキューヨンマル
まだまだ協力してくれる仲間がたりません。周りに糸中卒業の39期(46年~47年生まれ)が居れば声かけお願いします。
集まれ糸中39期!