ど~~も、そのタローです
皆さん、歴史って興味ありますか
なんとなく、難しくて面倒くさい…なんてイメージの方も多いかもしれませんね
でも、意外と身近なところで、歴史と触れ合ってるかもしれませんよ?
さて、この画像、どこのものだと思いますか?
元は商店だったのでしょうか、こみせ状のアーケードをもった大きな建物と
隣にある大きな蔵…
向かい側には、板塀に、お寺の存在を示す看板…
なんだか歴史を感じさせるたたずまいじゃないですか?
画像1 浄土真宗 法林寺 【伝 寛文12年(1672年)創建】
ここは五所川原市内の飯詰(いいづめ)地区。
かつて城下町であった名残が見られる場所のひとつなんです。
「城下町」っていうと…津軽地方でまっさきに思い浮かぶのはやはり弘前城でしょうか?
3層の天守閣があって、お堀があって…
しかし、ここにあった「城」は、弘前城よりもっと古い中世(戦国時代)のもの。
(ちなみに、江戸時代の飯詰には代官所などがあったようです)
この画像の場所より南側にある「飯詰城遺跡」がその城跡で、
今でも、空掘など、人工的な地形の名残が見られます
「五所川原市史 通史編1」によると、この城跡は、
広い領域支配の拠点として機能したもので
浪岡城北畠氏との深い関係があったものと考えられるようです。
画像2 浄土宗 大泉寺 【伝 建保3年(1215年)創建】
オモシロいのは、この辺りの土地の呼び名や道路に、今も古い時代の名残があること
たとえば、画像1~3の3か所のお寺が一角に集中した「寺町」と呼ばれる地区。
明治初期の地図にこの地名がありますが、一番古いお寺・大泉寺は中世の時代に
作られているんです
画像3 曹洞宗 長円寺 【伝 1677年 開山】 有名な梵鐘の伝説が残ります
また、1枚目の画像に写っている、飯詰城跡の東側から3軒のお寺の前を通る
道路は「下之切(しものきり)街道」と呼ばれる近世(江戸時代)の幹線道路です。
この街道も、飯詰にお城があった中世の頃にはすでに存在していたと見られているようです
この道路、面白い事に、「寺町」で最も古くからある大泉寺(画像2)さんの先で、
急に直角に折れ曲がってるんですよ(下の画像の奥)
この道路のつくりについて「五所川原市史 通史編1」では、
「寺町」が特別な聖域性をもっていたことが読み取れよう…と述べられています。
城下町をはじめ、都市には計画的に道路や施設がつくられるもの。
なるほど、理由があったと考えれば、不自然な道路のつくりにも
ちょっと納得できるような気がしますよね
ちなみに、明治初期の地図には「寺町」のほかにも
「上町」「下町」「伝助町」…などという地名が書かれているそうですが、
今でも、この地区では、この土地の呼び名が日常会話で
使われる事があるんですよ~
これはさすがに歴史が生きているって感じで驚きです
普通に生活している中で、
「何だか不思議な土地の名前だな?」
「何だか不思議な道路のつくりだな?」
と、漠然と疑問を感じたりする事はありませんか?
歴史の事を調べると、そこに理由が見つかるかも
わからなくても、普段の生活で困ることはあまりないとは思いますが
知ることは、好きになること
もっと自分の土地に愛着と誇りをもてるようになるはずです
夏休みの自由研究で、ちょっと調べてみるのも…
おもしろいかもしれませんよ
水の飲みすぎでむくみ気味のそのタローでした