ども~そのタローです~
アレルギーなのか、昨日からくしゃみが止まらずヘロヘロです(笑)
さてさて、先日おじゃました「楠美家住宅」ですが、
建物のほかにも、もうひとつの「歴史を伝えるモノ」が展示されているんです。
それは、画像の中に見えている蔵の中に展示されてるんですよ~
ど~んと、こちらの蔵も、楠美家の母屋とともに移築されてきたものなんだそうです
アレ?その側の細長い屋根は?…って気になりますが、ソレについてはのちほど
まず、1階部分には、楠美家ゆかりの品々が展示されており、
隣にある大きな邸宅の中で、この品々が大活躍していた時代を偲ばせます。
そして、2階に行くと…
あれれっ… なんかいきなり違う雰囲気に…
それもそのはず、こちらに展示されているのは、一気に時代をさかのぼり、平安時代の遺物たち。
この「楠美家住宅」が現在ある、持子沢(もっこざわ)地区やその周辺に40基ほど確認されている
「五所川原須恵器窯跡群(ごしょがわらすえきかまあとぐん)」
から出土した資料なんです
「須恵器(すえき)」っていうと、学生時代の記憶が残っている方なら、
教科書では、古墳の説明の中で出てきたような?…って思われるかもしれないんですが、
東北北部では、平安時代の後半でも、日常の器としての須恵器を焼いた窯が残っています
「五所川原須恵器窯跡群」は、現在のところ、
日本最北端、県内唯一、そして最後の須恵器窯跡群
であることがわかっているんですよ
平安時代…っていうと、源氏物語とか、十二単とかいうきらびやかなイメージですが、
五所川原を含む東北北部は、当時いわゆる「朝廷」の支配下になかったため
そこに住む人々は「蝦夷(えみし)」と呼ばれ、
朝廷の言う事を聞かない困った異民族…として扱われていたらしいことが、
当時の朝廷側で記された文献ではわかります
でも、五所川原で須恵器窯が発見されたということは…
この地域に住んでいた人の中には、導入以来朝廷の技術であった「須恵器」生産のテクニックをものにし、
実際に器を使っていた人もいる、ということになります
(五所川原に窯ができたのは平安時代後半と見られているので、かなりタイムラグはありますが)
こうなると「異民族」というほど生活のようすが違っていたとは思えない
(ちなみに、須恵器窯の発見だけではなく、当時の集落遺跡の発掘調査の結果からも同じようなことが分かっています)
…ということなどから、この地域について書かれた、当時の数少ない文献の内容は
あくまで朝廷目線で書かれていて、客観的な資料ではないらしいことがわかります
だから土器や遺跡からわかる生活の様子は、この土地に住んでいたご先祖様を知る、とっても大切な情報なんです
なんだか話がちょっと小難しくなりましたが(笑)、
ここでちょっと、五所川原の須恵器鑑賞が少し楽しくなる「ポイント」をいくつか…
まずひとつ、特徴として、 登窯(のぼりがま)で焼かれる前にへらのような道具で付けられた
「へら記号」のついた器が多く見られることがあります(画像の赤丸で囲ったところ)。
中には、漢字が崩れたっぽいものも…何のために付けられた記号なのか
ついてないものとついているものの違いは何? 記号の違いは何?
…まだはっきりとした結論は出されておらず、ちょっとしたミステリーです
探してみると面白いですよ
ミステリーといえば、これらの窯では子供1人入ってしまいそうな「大甕(おおがめ)」も作られていました。
正直、ものすごく重いです 1人では運べないサイズのものも…
窯はほとんどが山奥の谷沿いにあり、特に前田野目(まえだのめ)地区の窯にいたっては、
そこまでたどり着くのさえ、(運動不足のそのタローは特に)大変なくらい
…なのに、これらの製品は、県内各地はおろか、
岩手・秋田県北や、北海道でも発見されてるんです
船にのぜれば…でも、窯から川まではどうやって運んだのか?
…なんて想像をめぐらすのもおすすめです
ちなみに、蔵の隣の細長い屋根は、この須恵器の窯を復元したものでした
さらにこの隣には、津軽金山焼で使われているような構造窯もあり、
実際に陶芸体験ができるようになっています
(作品は、「楠美家住宅」のスタッフさんが窯で焼いてくれます)
料金はお1人¥500からだそうなので、気になる方はぜひとも
「楠美家住宅」までお問い合わせを
楠美家住宅管理人室
tel 0173-29-3575
ちなみに、蔵ももちろん入場無料
気軽に歴史に触れることのできる場所ですのでぜひ遊びに来てくださいね
今日はちょっとアツく語ってみたそのタローでした