一夜城の石垣跡
こちらも桜が見事でした
一夜城に登る道
国指定史跡の看板
結構な規模の山城だつたようです
山頂の城跡
石垣山の高台に築いた一夜城の本丸跡地から小田原城を望む
21万余の豊臣全軍が一望できる位置に密かに城を築いて、一気に前方の樹木を切り倒したので小田原城から見ると山頂に『昨日まで無かった城がある!』と驚愕したのも頷けます。
※石垣山は石切り場としても活用されて、江戸城の石垣もこちらの石切り場から掘削されたものだそうです
小田原北条氏または相模北条氏とも呼ばれて関八州で240万石(家康の豊臣家家臣トップ当時でも132万石)の一大版図を支配し、越後の上杉謙信や甲斐の武田信玄さえ侵略できなかった関東の覇者
北条氏の8万の軍勢が21万5千の豊臣軍勢の猛攻に耐えていましたが眼前に突然現れた山城に士気が落ちたところに黒田官兵衛の指揮官さえ自害して開城すれば部下の大名たちの命は助けるとの降伏勧告に従い氏政は切腹しました。
北條氏・五代の墓所 (箱根・早雲寺)
北条氏政の墓 五代の墓石で唯一、大きな傷が入っています
合 掌