恒例の箱根町に在る早雲寺の桜見物
今年の桜も見事でした。
彼方に過ぎ去った時空に想いを馳せて
北條氏の居城 小田原城 銅 (あかがね) 門
小田原城天守
小田原城を落とすために豊臣秀吉、徳川家康、織田信雄、蒲生氏郷、黒田孝高、豊臣秀長、宇喜多秀家、細川忠興、小早川隆景、池田輝政、浅野長政、石田三成、高山右近、蜂須賀正勝、大友義統、加藤清正、福島正則など約17万人
水軍として、長宗我部元親、加藤嘉明、九鬼嘉隆、脇坂安治など約1万人
北方隊に前田利家、上杉景勝、真田昌幸。など約3万5千人。
水軍として、長宗我部元親、加藤嘉明、九鬼嘉隆、脇坂安治など約1万人
北方隊に前田利家、上杉景勝、真田昌幸。など約3万5千人。
総勢21万5千の大軍に取り囲まれ、上杉謙信や武田信玄の攻撃にもビクともしなかった名城も流石に3ケ月は持ち堪えましたが豊臣側の黒田官兵衛使者の箴言によって、北条氏政が切腹することで部下を助命するという約束で開城に至ったそうです。
【この辺りが軍部に全責任を負わせて生き延びた〇皇家と違うところです。A級戦犯として連合国に殺された日本の英霊の眠る靖国神社にも〇皇は慰霊に行きませんが一族のルーツである韓神社にはお詣りをしています】
早雲寺の北條五代の墓所
向かって右から北條早雲、一番左が領土を群馬・栃木まで広げた氏直の石塔
どなたかがお花や樒を手向けてくれています。数百年間墓所への献花は絶えたことが無いそうです。