いつの頃から?
これほどまでに「感謝」を多用するようになったのは?
しかも子ども達がね。
おれらが小学生の頃は、そんなあいさつする子どもはいなかった(と思う)。
たとえば選手宣誓。
最近は、「野球ができることに感謝し」などが常套句のようだ。
30年前は所謂絶叫系。
そうだそのころは「高校野球精神」というのが常套句だったのだ。
意味不明だが。
○○精神って説明できないものが多い。
たしか、福井商の坪井主将だったと思うが、彼が怒鳴らない宣誓をした
初めての人だった。
調べてみたら、
福井商の選手宣誓は第66回大会(84年)での坪井久晃主将以来。
この時は従来の紋切り型のフレーズと絶叫調を一新し、自分で考えた
言葉をソフトな語り口で話して好評を博し、それ以来凝った内容の
宣誓がはやるようになった。
とのこと。
桑田&清原が2年の夏(優勝は取手二)なので俺もおぼえているわけだ。
それでも「感謝し」なんて言葉はあっただろうか。
いつからなんだ?
校長先生あがりの方に聞いてみると、やっぱり学校でそういうふうに
教えるようになってきたらしい。
ほんと教育は怖い。
「野球をさせてもらっている喜びやそのことに対する感謝」なんてものが
あるのだとしたら、それはグローブを置いたときとか、大人になってからとか、
オヤジが死んだときとか、ドラフトでプロ入りが決まったときとか、
そんなときに感じるのでないんだが?
「親のありがたみ」とそう変わらないと思うんだけどな。
野球させてもらっているなんて考える小学生は怖いし、
普通は、「野球している」だと思うなあ。
休み時間に、友達との会話で、
「俺、野球さしてもらってんだ。」なんて子どもいねーだろ?
なので、小中高生がそんなことをのたまうと背筋がぞくっとして
寒気がして吐きそうになる(ちょっとウソ)。
そしてこの震災。
ますます日本中で「感謝・感謝・感謝・・・・・・・」
ありえね。
子どもは飯食ってクソして寝てればいいんだよ。
感謝なんて言わせておくな、大人たちよ。
うう、でも絶対今年の夏の甲子園の選手宣誓は、
そういうことになるんだろうね・・・・
親が子どもを育てるのは当たり前なんでね。
子どもがやりたいと思ったことはできうるかぎり
サポートしてやりたいと思うわけでね。
もし本当に感謝する気持ちがあるんなら将来自分の
子どもにすればいいだけでさ。
ジャンジャン!(たけし調by週刊ポスト)
自分振り返ってみても、
「吹奏楽させてくれて感謝」なんて露ほども思っちゃいなかったぞ。
ばあちゃんがラッパ買ってくれたときは嬉しかったけど、感謝まで
してないぞ。今になって(取ってつけたように)感謝の念が湧いてきたけど。
高校選ぶ時も、「南高より興譲館で吹奏楽がやりたいから」って
ゆってオヤジから怒られたし。
子どもから感謝されるような社会であってはイカンよ。
子どもにそんな気を遣わせてどうするんだ大人よ。
おまけにそんなこと思っていない子どもに言わせてるとしたら罪だ。
世の中の先生方、今夏の様々な大会で選手宣誓をすることに
なった主将の原稿に、「感謝」があったら、ばっさり×して
いただきたいなあ。
理想の宣誓ってどんなだろうな。
なんかやめてもいいと思うよね~
だって常套句の
「十二分に発揮して」→本番は頑張っても日ごろの8割程度までしか出せない人が大多数
「正々堂々」→死語?
「全力でプレー」→見る限り全力でプレーしてる子どもっていないっす、だって子どもだもん
「集中して」→意識して集中するもんではない
だべ~?
誓えないこと誓ってどうすんの?
そこに近づくことが尊いんすか?もしかして。
オヤジのソフトとかバレーだと
「けがをしないように」→これが一番です
「ほどほどに」→身の丈を知ってます
「楽しんで」→苦しいのはもう十分です 仕事でも十分苦しいのにレクでまで苦しみたかぁないす
「和気あいあいと」→熱くなって隣のとケンカしたりしません!(でもたまにいる)
「親睦を深める」→直会しっかりやります!(こっちが目的、レクは手段、みたいなとこはある)
ことは誓えるんだけどさ。
結論
やめっぺ 選手宣誓
一般的には、選手の代表がスポーツマンシップにのっとること、正々堂々と戦うことなどを誓う。その起源は、古代オリンピックで選手がゼウスに誓いを立てたことによる[1]。近代オリンピックにも取り入れられ、1920年のアントワープオリンピックで初のオリンピック宣誓が行われた[2]。
私たちは、すべての選手の名において、オリンピック憲章に則り、スポーツの栄光と、チームの名誉のために、決してドーピングをしないよう、オリンピック競技大会に参加することを誓います。
↑ なるほどね。
これならわかる。