2003年2月10日 医大を退院する
退院後は、しばらく仮の義眼をしたまま眼帯で生活しました
会社も落ち着くまで 休んで良いと言われていたので、ニートのような生活を送っていた気がします
(正直、22年も前の記憶はバラバラ.....)
両親は共働きで、当然私は家の事をしながら毎晩、"どんな夕食を作って晩酌しようかな?"と、
意外にも家での療養を楽しんでいました
さて、本義眼を作るには1番近い義眼屋に行かないといけません、医大で出張に来られていた義眼屋さんだと近くが愛知県にあります
1時間半位かけて1週間に1度程通うことになりました
まず、最初に出向いた時は あまりにも怪しい建物すぎて何回か出たり入ったりして確認したぐらいです,,,
建物は古~い総合アパートビル?といいましょうか...
その11階の1〇3号室となってます
周りにビルが立ち並び 日も当たらず、なんとも暗~いビル内
人の出入りもなくて、11階まで何事もなく辿り着くのか?
ミュータントとか住んでないか?!
って ぐらい怪しい...
ホームページで見た住所のドアの前に着きました、ちょっと記憶が曖昧ですが...看板もなく社名もドアに明記されてたかも覚えてません
そっとドアを開けると、小さな1メーター四方の玄関があり、すぐ前に4人掛けぐらいの、また古い長ソファが置いてあります
その奥によく病院でみる幅が狭めのパーテーションがあり、その奥から
(店主)「どうぞぉー。」
(私)「はい、お邪魔します...]
(店主)「今日は?初めてですか?」
眼鏡の優しそうな白髪のおじぃさんが迎えてくれました
パーテーション側へ行き、左にグレーの事務机に簡単な置き鏡とティッシュ箱が置いてあり、その横に対面で椅子が2脚あって、そこに座り一通り経緯を説明して、仮義眼を外し義眼師さんが席を立ち奥の見えない作業場に行き、ジャラジャラジャラと音がします
”きっと義眼がゴロゴロと沢山あるんだろうな..."
奥から戻ってきた義眼師さんは2,3個の義眼を私にはめては取り出しを繰り返し、1つに決めた所でまた、奥へ戻り、しばらく作業をしている様子です
結構な時間だったと思います20分ぐらいかな...
奥から戻ってきて義眼をはめました、義眼師の指を見るように指示され後を追い正面に止まりジッと両目を見て
(義眼師)「どうかな?鏡で見てみて?」
(私)「はい。」
緊張と、不安で鏡を両手に持って自分の顔を覗きました
” 私だ ”
黒目がちゃんと合うだけでこんなに人の顔の印象が違うのか!!ってぐらい、私の顔に近づいていました
じんわりとしてると
(義眼師)「無眼球だから大きい義眼を入れなきゃいけないのだけど、上瞼の膨らみを出そうとすると 下瞼が重みで引き込まれ 下がって まつ毛も上に向いてしまうんだよね。だからある程度の大きさで我慢しないといけなくなるんだよ、義眼が落っこちてしまっても駄目だからね。」
義眼師さんとの話を端折りますが、要は義眼部分が右目よりだいぶと凹んでしまってるから膨らみが欲しいけどそれは限度がある
とゆう事です
どこかで妥協しないといけない......
この言葉で本義眼作成が決まりました
義眼にも沢山あります、私のように無眼球のタイプだと大きな義眼だし、眼球が残ってたり義眼台がある人は薄目の義眼(大きなコンタクト)タイプになります。
私はそこの義眼屋さんの特許でマイ・ウェットとゆう乾きにくい加工をしてある義眼に決めました
保険は利きますが一部なのでかなりお高くなりますhttps://www.atsuzawa.jp/product.html#shin(↞興味あったら見てください)
普通の義眼だったら保険でまかなえると思います(ちなみに、保険は2年経つとまた使えます)
この22年間で他の会社の義眼屋で作った事もあります
が、やっぱりマイ・ウェットが自分には合うと実感したので、またここに戻った次第です
複雑な気持ちで本義眼作成に進み、次回の時に受け渡しとなりました
本義眼が出来てからは普段の生活に戻り、人の目を過剰に気にしつつ T君との関係も終止符を迎える事になるのです
次は義眼になってから(片目)のお話を思い出しながら綴りたいと思います