失われた瞳に残された光☆

左眼を失ってから22年

本義眼までの流れ

2024-12-18 08:59:50 | 日記

2003年2月10日 医大を退院する

 

退院後は、しばらく仮の義眼をしたまま眼帯生活しました

 

会社落ち着くまで 休んで良いと言われていたので、ニートのような生活を送っていた気がします

(正直、22年も前の記憶はバラバラ.....)

 

両親は共働きで、当然私は家の事をしながら毎晩"どんな夕食を作って晩酌しようかな?"と、

意外にも家での療養楽しんでいました

 

 

さて、本義眼を作るには1番近い義眼屋に行かないといけません、医大出張に来られていた義眼屋さんだと近くが愛知県にあります

1時間半位かけて1週間1度程通うことになりました

まず、最初出向いた時は あまりにも怪しい建物すぎて何回出たり入ったりして確認したぐらいです,,,

建物古~い総合アパートビル?といいましょうか... 

その11階の1〇3号室となってます

周りビル立ち並び 日も当たらず、なんとも暗~いビル内

人の出入りもなくて、11階まで何事もなく辿り着くのか?

 ミュータントとか住んでないか?!

 

って ぐらい怪しい...

 

ホームページで見た住所のドアの前着きました、ちょっと記憶が曖昧ですが...看板もなく社名ドア明記されてたかも覚えてません

そっとドアを開けると、小さな1メーター四方玄関があり、すぐ前に4人掛けぐらいの、また古い長ソファが置いてあります

その奥によく病院でみる幅が狭めパーテーションがあり、その奥から

(店主)「どうぞぉー。」

(私)「はい、お邪魔します...]

(店主)「今日は?初めてですか?」

眼鏡優しそう白髪おじぃさんが迎えてくれました

パーテーション側へ行き、左にグレーの事務机に簡単置き鏡ティッシュ箱が置いてあり、その横対面椅子が2脚あって、そこに座り一通り経緯を説明して、仮義眼を外し義眼師さん席を立の見えない作業場に行き、ジャラジャラジャラと音がします

きっと義眼がゴロゴロと沢山あるんだろうな..."

奥から戻ってきた義眼師さん2,3個義眼はめて取り出しを繰り返し、1つ決めた所でまた、奥へ戻り、しばらく作業をしている様子です

結構な時間だったと思います20分ぐらいかな...

奥から戻ってきて義眼をはめました、義眼師見るように指示され後を追い正面に止まりジッと両目を見て

(義眼師)「どうかな?鏡で見てみて?」

(私)「はい。」

緊張と、不安両手に持って自分の顔を覗きました

 

 

” 私だ ”

 

 

黒目がちゃんと合うだけでこんなに人の顔印象違うのか!!ってぐらい、私の顔近づいていました

じんわりとしてると

(義眼師)「無眼球だから大きい義眼を入れなきゃいけないのだけど、上瞼の膨らみを出そうとすると 下瞼が重みで引き込まれ 下がって まつ毛も上に向いてしまうんだよね。だからある程度の大きさで我慢しないといけなくなるんだよ、義眼が落っこちてしまっても駄目だからね。」

 

義眼師さんとの端折りますが、義眼部分右目よりだいぶと凹んでしまってるから膨らみ欲しいけどそれは限度がある

とゆう事です

 

どこかで妥協しないといけない......

 

この言葉本義眼作成が決まりました

 

義眼にも沢山あります、のように無眼球のタイプだと大きな義眼だし、眼球が残ってたり義眼台がある人は薄目の義眼(大きなコンタクト)タイプになります。

はそこの義眼屋さん特許マイ・ウェットとゆう乾きにくい加工をしてある義眼に決めました

保険利きます一部なのでかなりお高くなりますhttps://www.atsuzawa.jp/product.html#shin(↞興味あったら見てください)

 普通義眼だったら保険でまかなえると思います(ちなみに、保険は2年経つとまた使えます)

この22年間他の会社義眼屋作った事もあります

が、やっぱりマイ・ウェット自分には合う実感したので、またここに戻った次第です

 

複雑な気持ち本義眼作成に進み、次回の時受け渡しとなりました

 

本義眼が出来てからは普段の生活に戻り、人の目過剰に気にしつつ  T君との関係終止符迎える事になるのです

 

 

次は義眼になってから(片目)のお話を思い出しながら綴りたいと思います

コメント
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