第5章ーコミュニケーションの土台~Comunication Platform~
-投獄、倒産、大病ですか。確かにこういうことでもない限り、じっくり考える機会はなかんかないですもんね。
そういう機械があったら立ち留まれるから(笑)でもそこを経験している人って少ないじゃないですか。
-うーん。じゃあ僕だったら本当にお金が無くなってテイクアウトのコーヒー一杯も飲めなくなったり、毎月電話が止まるとか、そういうことがあったから。
うん。だから止まって考えることができたわけでしょう?だから、コーヒーが飲めなくなって良かったねと(わらい)
-電話が毎月止まってよかったねと(笑)
そうです。
-いや「そうです」じゃないですよ、先生。そんな状況になって考えるなんて大変なんですから(笑)だからあれですね、これは。この本を読んでいる方には、投獄y阿藤さんや大病やコーヒーを飲めなくなる前にぜひ、この取る郁美をしていただきたいですね。
そう思うんだけど。まぁ、ね、社会経験としてはいいかもしれないけど。
-そうはいってもね、やっぱりできるうちにできるだけのことをしておくのがいいと思いますよ、僕は。経験者としてね。
ということだそうです(笑)
-だから笑い事じゃyないですって(笑)
まぁ、そうはいってもなかなか難しいですからね、自分でやろうとすると。だから、これを機械的にやる方法というのも開発してみたんですよ。名前をね、Communication Platform(コミュニケーション・プラットフォーム)というね。
-コミュニケーション・プラットフォーム?コミュニケーションの土台、ですか?
そう。
-また、えらく壮大な名前ですね。
うん(笑)でも結局そこだからね。
-それはどんなシステム?装置・なんですか?
うん?そうですね、システムであり、やり方であるというか。まず先にやり方があって、それをプログラムというシステムにしていったという感じですけど。
-どんな内容なのか、お話いただいていいですか?
はい。といいますか、システムを開発するときの設計書のそのまた大本みたいなものがあるからそれをご紹介しましょうか?
-お。それはマル秘文書みたいで興味あります。どんな内容なんですか?
これなんですけどね。
-おお・・・。これは結構、難しい・・・内容ですね・・・。
まぁ、システムの設計書の、そのまた大本だから(笑)
-うーん。まぁ、ゆっくりよんでいけば理解はできるし、理解してしまえば方法論としては使いやすいという感じですか。じゃあ、こういういわばマニアックな文章ですけど、ご参考になる方はご参考にしてくださいという前提で、ご紹介しておきますか。そうですね。基本的には自分の「欲望」を紙やなんかに書き出すだけでもいいんだから。これはこういうのもあるんだねという参考程度でね。
-はい、では、参考にしたい方は参考にしていただいて。あとはマニアックな方はマニアックなマル秘資料として楽しんでいただくと。
はい(笑)
-僕みたいに、「もう内容が難しすぎて、よくわからんわ」という人は、もうすぐ次の章に移っていただいても構わない?
もちろん。これは参考ということでね、だって設計書の大本なんだから。
ーということですので、この部分をおまれる方は、「うーん。わからない・・・」と言ってこの本をポイっと放りなげたりせずに(笑)
(笑)
-スパッと割り切って、次の章に進んでくださいと。
進んでください(笑)
-だってほんとに理解できないもん、僕(笑)
それは困ります、共著者なんだから(笑)
-ごめんなさい。でも、わからない(笑)というわけで、こういう内容だそうです。
Communication Platformのアーキテクチャー
私とはー
人は、一つの体を持ち、一つの名前で呼ばれますが、自己意識は、複数の意識が集まり後世されているものと考えられます。ところがそれらは自己のものでありながら、すべての意識について認識することは、一般的に誰にとっても困難であるという事実があります。そして自己の意識を構成する個々の意識は、意識的、あるいは無意識的に、日々刻々、様々な形で影響しあい、人格の表層に立ち現れます。
Communication Platformは、他者とのコミュニケーションを前提として、自己意識を4つの階層から成る5つの領域(超越自己・理想自己・主体自己・客体自己(複数)・自己内他者(複数)で説明する自己意識も出るです。この自己意識も出るを使って、自己の意識状態を自分自身の言葉で表現することで、自己理解が飛躍的に深まります。
1、自己意識の認識
自己いしきの領域の中で、主体自己については、誰しも比較的明確であると認識しているのではないでしょうか。しかし実際はそうとは言えません。意識の持つ融通性、言い換えれば、どの意識も主体自己(意識)となりえる、という性質が、それぞれの領域を区分けして考えることを難しくしています。しかも、事実を暴露したくないという「原初的な抵抗」も働きます。中でもとりわけ強固な抵抗は、意識と無意識との間の「見えない壁」です。これらの「抵抗」や「見えない壁」の妨げなしに自己の意識を認識する技術がComunication Platformに組み込まれています。
2、Comunication Platformのテクノロジー
2-1。複数連想処理による自己意識分析
(Self-concsiousness analysis by multiple association processing)
無意識に発した言葉には、意識したの情報が含まれていると考えられます。心に浮かんだ2つの言葉を基にして、1つの言葉を連想するという処理を繰り返すことで、より深い意識状態を音場に置換することが可能になります。この意識の複数連想処理により導かれる言葉を、「エッセンス」と呼び、エッセンスを導く端緒となる言葉を「エッセンスパラメーター」と呼ぶことにします。そしてこれら一連の処理を「連想処理」と呼びます。各ユニットで導かれたエッセンスを、互いに組み合わせて連想処理をすると、さらに深い意識が導かれます。この処理を「コミュニケーション連想処理」と呼びます。これらの処理を組み合わせることで、Comunication Platformは成り立っています。
2-2. 自己意識間の相互コミュニケーション
(Мulual sommunication of self-conciousness)
私たちは無意識のうちに、意識と意識を比較したり、結びつけたりして自己意識を変化させていきます(Comunication Platform)では、意識間コミュニケーションと呼びます)。コミュニケーション連想処理は、この処理を意識的に行うもので、導かれたエッセンスを、次の処理を意識的に行うもので、みちびかれたエッセンスを、次の処理のパラメータに設定して連想処理することにより、この機能を実現しています。
2-3 Communication Platformによる自己意識の最適化
(Opmization of self -今s氏負うs根ssbyCommunication Plat form)
自己意識をエッセンスとして言葉に置換することにより、バラバラで不明確であった自己の意識が整理され、秩序を伴ったものに変わります。そして、意識と意識の間の整合性や矛盾について、理解することができるようになります。肥大化や、矮小化していた自己意識はCommunication Platformによって最適化されます。
2₋4 Comunication Platformによる自己意識の変容
(Transformatic of self-consciousness by Communication Platform)
自己意識の概要をCommunication Platformを通して認知したとき、自己意識の概要をCommunication Platformを通して認知したとき、自己意識の変容が始まります。自己意識の変化は、他者理解の変化へとつながり、スパイラルな意識変化の循環が形成されます。Communication Platformは変容する自己意識、言い換えれば自己意識の進化を支援する機能を以ています。
・超越自己₋判断しない→自己内自己(主体自己)→自己内自己In(客体自己)→超越自己
・自己内自己(主体自己)Ⅰ⇔理想自己→自己内自己In(客体自己)→自己内自己I(主体自己
・自己内自己(主体自己)I→自己内他者I→自己内他者→自己内自己In(客体自己)→自己内自己I(主体自己)→自己内他者I⇔他者
第6章 顧客の満足、自分の満足
-僕なんかにとては、結構難しい内容だったわけですけどね、先ほどのCommunication Platformの説明は。(笑)
-でも結局、Communication Platformというのは、じこ内自己の把握のプロセスをシステムにしたという話ですよね。ある意味、プロセス自体はものすごくシンプルであり、機械的でもあるという。
そうそう。だからプログラムというシステムになるわけですよ。
-うーん。じゃあ、自己内自己の把握をするためには、紙やパソコンに自分の欲望を書きだすところから始めてもいいし。
いいし。
-今ご紹介していただいたCommunication Platformというシステムを使うか、システムの基にあるやり方を使ってもいいし。
うん。
-ということなんですね。
はい。
-ふーん。そうやって自己内自己というか、主体自我の内容を把握していったとしてね。ビジネスで成果を出すためには次に何をすればいいんですか?
次は、自己内他者の把握というか、それはすなわち他者への問いでもあるんだけど。
-え?でも、自己内他者はどこまでいっても妄想みたいなものだという話でしたよね?
うん。だから、自己内他者を把握すると同時に他者そのものを把握することになっていく。
-なんだかまたしても高度な話っぽいですけど(笑)
いや、説明の言葉が分かりにくいだけでね、やってみれば簡単です。
-そうなんですか?
じゃあ、その内容を教えていただけますか?
はい。
※他者を理解しようとするならば
前の章まででビジネスで成果を上げるためのスタート地点として、自己内自己を把握するということをしてきました。つまり、自己内自己に対してのナレッジモデリングができた。次にすることは、字おk内他者の把握ですが、これは単純に、ここまでで把握した自己内自己の内容を自己内他者の内容だと仮定してみるということをしていきます。
つまり、自己内自己の内容をそのまま自己内他者に移し歸というか、転写をしてみるということです。もっと簡単に言えば、他者のことを「自分と同じ存在」だと定義してしまうわけです。例えば自己内自己の内容として、AとかBとか、Cとかいう要素があったら、自己内他者もまったく同じ要素を以ていると仮定していみる。
まったく同じ要素ですから、自己内他者はA、B、Cという要素を持つことになりますが、ここでは話を分かりやすくするために、自己内他者が持つAの要素のことをA´(エーダッシュ)じこ内他者が持つBの要素のことをB´(ビーダッシュ)、自己内他者が持つCの要素をC´(シーダッシュ)と呼ぶことにします。ところで先ほど言葉の定義として書きましたが、自己内他者とはあくまでも自分の中で想像している自分以外の誰かのことです。
※ステップ1₋自分の自己内自己の要素を自己内他者の要素であると仮定してみる
自分の思考の枠組み
自己内自己ーA-B-C→転写→自己内他者-A’B’C’
ですのでどれだけ自己内他者を理解したところで、実際の相手である他者についての理解にはなりません。つまり、先ほどの例でいえば、実際の他者が以ている要素はA’B’C’ではなくて、1、2、3だったりするわけです。ところが、この1、2、3という要素は、自分では理解するおkとができません。そこで先ほどのA’(エーダッシュ)、B’(ビーダッシュ)、C´(シーダッシュ)を使うのです。このA’B’C’を使うのです。このA’B’C’を使って相手に聞いてみる。つまり、「私はあなたにはA’という要素があると思っているんですけど、実際はどうなんですか?」と聞いてみるのです。
その結果、相手が「はい。その要素を以ています」と返事をしてきたとしたら、その内容をその他者の情報として受け止めていく。相手が「いいえ。私はその要素を以ていません」と返事をしてきたら、やっぱりその内容をその相手についての情報として受け止めていく。つまり、自分が把握した自己内自己の要素項目をチェックリスト代わりに使って、他者の理解を深めていくのです。
というのも、他者のことを理解しようとするならば、自分と他者との間にコミュニケーションのプロセスが起こる必要があります。けれど、コミュニケーションのプロセスで問いを発するためには、こちらから問いの内容を提供しなければんらないわけです。その意味で、自己な自己の要素項目というチェックリストがあれば、簡単に最初の問を発することができる。こうして、ヒアリングをすることができた結果、相手が持つ要素というものがじこ内他者の内容として反映されていくのです。
ステップ2、相手に「聞いて」「答えを聞くこと」で自己内他者の情報を他者の情報提供に近づけていく
実際はこうかもしれないけど・・・・
自己₋ABC、A’B’C’→他者、1、2、3
↓
他者に聞くことでA’B’C’のリストが書き換えられていく。
実は今ご紹介した手法の土台には、企業向けのコンピューターシステムを開発する時の発送がありました。つまり、システムを開発するときには、ヒアリングを正確にできるかどうかということが大切になるのですが、このヒアリングは、自己内自己を正確に把握している人間がやると正確にできるのです。
つまり、自己内自己を正確に把握している人間にはふたつの利点があるということです。ひとつめは、相手に問いを発する基になるチェックリストを持っているおkと。もうひとつは、自己内自己と自己内他者が違うものであるという認識があること。このふたつめの認識があるために、自分の主観を先行させるのではなくて、相手の言っていることを正確にとらえようとすることができる。その結果として、相手の言っていることを正確にヒアリングすることができる。
企業向けのコンピューターシステムの開発に関して言えば、私はそもそもクライアントさんである企業は、システム開発会社に自分たちの中身の整理を依頼していると思っています。ということはつまり、クライアントの企業さんの中では、自分たちの中身が整理できていないということなのです。そこに、こちらが何のチェックリストも持たずに話を聞きに行っても、結局、どんなシステムを作ればいいのかが分からないということになりがちです。
その結果、クライアント企業さんはシステム開発会社さんに「自分たちの中身の整理」を求めているにもかかわらず、システム企業さんはシステム開発会社さんに「自分たちの中身の整理」を求めているにもかかわらず、システム開発会社さんはそういうことをまったく理解せずに、ただただ、クライアントさんが口にした内容をシステムに落とし込もうとするわけです。すると、クライアント企業さんの中に存在していた本来は不必要な作業も全部繁栄されたシステムが出来上がります。当然、オーダーメイドになりますから費用も掛かる。
その結果、クライアントさんとしては、業務をスムーズにするためにシステムを導入したのに、結局流が何も変わらないどころか、システムを使わなければならないという手間だけが増えるということになる。システム業界ではここ20年ほど、この流れは変わっていないように感じます。こういう状況がある一方で、相手にヒアリングすつためにチェックリストを持っていて、しかも相手の実際のところを知ろうという意志があると、相手のことを知ることができます。その結果として、相手が何を求めているかを知ることができる。相手が何を求めているのか、どんな理由でそれを求めているのかが分かれば、相手が求めているものを提供することは比較的簡単です。その提供の仕方を設計する方法については後述しますが、私が言いたいのは、このような理解をするためには、ビジネスというものの前提になる哲学のようなものが必要なのではないかと思うのです。
例えば私にとってのビジネスの前提は、顧客の満足度も、商品サービスと提供する側の満足度もどちらも100%でなければならないというものがあります。一方で、この資本主義の社会では、多々追えば100%の顧客満足とどいうのはありあり得ないように思われている。だから「ここは譲ろう」とか、「ここは押し通そう」というような考え方が主流になって、相手のことを理解しようという方向には意識が向かないのだと思います。ではなぜ、100%の顧客満足度というのはありあり得ないと考えてしまうのか。なぜ、顧客もこちらも100%の満足をすることはないと考えてしまうのか。それは、つまり、「満足に対する定義」ができていないからだと思うのです。「自分の満足とは何ぞや」という定義も、「顧客の満足とは何ぞや」という定義もできていない。
もうお分かりのとおり、自分の満足とは何ぞやということが定義できていない背景には、自分に対する認識の不足があります。つまり、自分の欲望を網羅できていないのです。これは本書で「自己内自己のナレッジモデリング」という言葉で紹介してきた内容です。一方で、顧客の満足とは何ぞやということが定義できていない背景には、一件一件の顧客に対して、その要望を正確にヒアリングできていないという事実がある。
逆に言えば、本書でご紹介してきたようなプロセス、つまり、まず自己内自己の把握をして、その内容をチェックリスト代わりに使って顧客にヒアリングをしていくというプロセスを使えば、自分たちも顧客も100%の満足を手に入れることができる可能性があるということでもあります。
実際に街に出てみれば100%の顧客満足を目指すというスローガンを目にすることもありますが、つまり目指すという言葉を使っている段階で、それが可能だとは思っていないということも見て取れます。そうではなくて、100%の顧客満足が当たり前であり、同時に自分たちが100%満足することも当たり前であると考えていただければと思いますし、そのための手段もあるとご理解を頂ければと思っています。(七沢)
※なんのための契約書か
・ビジネスにビジネスに対する根本的な理解
私はコンサルタントとして、さまざまな企業さんのビジネスの現場に立ち会うことも多いのですが、実際に自分が仕事をしていくうえで「あれ?おかしいな」と思うようnあことにもたくさん出くわします。おsのひとつが契約書の内容です。今では企業さんの法務部門にもアドバイスを差し上げることがありますが、最初のうちは私もそれはそれはひどい扱いを受けていたことがあるからです(笑)
今、ビジネスというものの善手になる哲学に対する定義ができていないのでhないかというお話がありましたので、それに関連するお話としてひとつご紹介してみます。さて、私がコンサルタントとして活動するときには、有限会社という組織を使っているのですが、例えば上場企業さんからのご依頼をお受けするときには、先方からの契約書を送ってもらうことが多かった時期があります。
そして、この契約書の内容というのが、ものすごく一方的な内容だったりしたのです。例えば「先方からはいつでも契約を解除できる」という項目があるにもかかわらず、こちらからの契約解除については何の記載もないというような具合です。もちろん、先方としてはただ単に雛形の契約書を送ってくださっただけだと思いますが、それはつまり、そのほかの企業(特に中小企業)さんとの契約に際しても同じようなスタンスで臨んでいることの証でもあります。
私がそういう契約書を手にしたときには「うちかrまお契約解除できるように項目を足してください」という話をしていたのですが、このようなことを言うと先方の法務部さんは「えっ!」と言ってものすごくびっくりされるのです。「それはできません」とか「じゃあ、契約はできませんね」とか「それは困ります」とか。そういうやり取りを経て、契約諸を取り交わすということがしばらく続いた時期がありました。私はここに、ビジネスというものをどうとらえるかという理解の違いがあるように感じます。どういうことかというと、そもそも最初に届いた契約書の目的というのは、先方の企業さんが自分の身を守ることに主眼を置いた結果として出来上がった内容であったのではないかと思うのです。不測の事態が起こった時に、自分たちにだけは被害が及ばないようにしよう。そういう意図が見える。もちろん、企業の法務部さんというのは、「不測の事態が起こった時に会社を守るための契約書を作ること」が仕事であるという側面は必ずあります。しかし私からすると、それを前面に出していくというビジネスの仕方に、将来の発展性はあるのかなと思うのです。
私はそもそも契約書というものは何か不慮の自己が起こった時にも、関係する各社の関係が悪くならないようにするために作るものだと思っています。なぜなら、もしも何かがあった時にもお互いの関係が悪くならないようにしておけば、将来のどこかの時点でまた一緒に仕事をするチャンスが訪れるかもしれないからです。ところがもしも、自分だけを守ろうとしていたらどうなるか。結果として、その時には自分は被害がなかったとしても、相手との関係は終わってしまうと思うのです。そうすると、もう将来その相手と一緒に仕事をする可能性はなくなります。私からすると、これはとても大きな損失だと思うのです。私が話題にした雛形契約書は、とにかく目先の被害や損失をなくしたいという内容だと言えます。この場合には、金銭的な被害はないかもしれないけれど、将来の可能性や、もしくは相手からの信頼という、目に見えない対価を支払っている。もちろん、規模の大きな会社さんから見れば、仕事を依頼する先は掃いて捨てるほどあるという論理もあるのかもしれませんが、それが本当かは疑わしいと思うのです。一方で、そんなに規模が大きくない企業さんの中にも、先に書いたような雛形契約書を使っているところもあります。これはこれですぐさま死活問題に直結する可能性もあるわけで。
そういうことをどこまで考えているのか。これは、どちらの世界を見るかという視点の問題でもあり、その視点からでてくる意志の問題でもあると思うのです。つまり、「自分が損をするんじゃなかろうか?」という世界を見ているか、「自分が得をするためには相手も解くをしないといけない」という世界を見ているかの違いだと言えるでしょうか。ここではビジネスの内容についての一般的な理解について、私なりに感じたことを書いてみました。一般的だとされている内容とは少し違う内容を提示したかもしれませんが、ひとつの選択肢ではあると思って、お役立ていただけるようであればとてもうれしいと思っています。
第7章 自分の意志を提示する
-100%の顧客満足ですか。確かにこれが可能だと思っている人は多くないですよね。
そうですよ。だから、いつも心の中にモヤモヤが残っているというかね、
-うーん。この例で言うと、システム開発会社さんというのは、相手の要望をしっかり確認できたという確信がないから、いつもドキドキしながらいs事をしないといけないわけで。
そう。相手の言うことは聞いてはいるけど、その内容が何を指すかわからない。その結果、「理論上、機械的にはなんでもできますよ」という受け答えになってしまうというかね。
-企業さんはかといって、どうすることもでmきないというか、そもそも自分で自分の整理ができないからこそシステム開発会社さんに依頼をしているわけだから。
そうですね。こういう関係の結果として、そのシステム開発会社さんが以ている一番いいものが漏れちゃっているというね。
-あー、痛いですね。とても痛いですね。でもそれ、コンサルタントさんの業界でも起こってますよね。
ええ、起こっているんです。
-ふむ。まぁ、そういう状態を避けるためには、自己内自己のナレッジモデリングをしたうえで、相手にたいしてヒアリングをしてみましょうということですよね。
そうすれば相手が何を望むかわかるから。あと一條さんのお得意の方法で設計図を描いていけばいいわけでしょう?感情論理を逆算していくというやり方でね。
-そうですね。相手が何を欲しいのかが分かれば設計図を描くことは簡単ですけどね。と言いますけど、これが結構難しいみたいですよ。
ああ。それはいわゆる意志の問題でしょうね。ビジネスに何を求めるかという意志の起き方の問題ですよ。
-ん?意志ですか?もう少し詳しくお話いただけますか?
はい。
※「売る」「売れた」「買った」「買ってもらえた」
自己内自己のナレッジモデリングもできた。そのうえで相手に対してヒアリングをしてみた。その結果、相手が何を望むかが分かった。ここまで来ても、ビジネス上の成果が出ないことがあります。これはなぜか?私はこの問題をふたつの段階でとらえています。ひとつ目の段階はそもそも自分の意志を提示することができているか。ふたつ目の段階は、意志と結果を分けてとらえているかということです。
まずひとつ目の段階である「自分音意志を提示できているか」ということですが、なぜ自分の意志を提示する必要があるのか。なんでもそうですが、何かの物事を起こすためには「自分がこう行きます」「こうやります」という意志の提示が必要になる。そうでなければ、まわりに流されてしむことになりかねないからです。まわりに流されている状況では、自分が望む成果を手に入れられるかどうか非常に不確かなことになる。l
これは当然、ビジネスで成果を上げようとするときにも同じです。ですので、自分はどんなことをするのかという意志の提示が必要になるわけです。私はこの意志のことを「主体意志」と呼ぶわけですが、この意志をまず確定できているか。ビジネスで成果を上げようとするときにはこれが非常に大切になると思います。
ちなみにこの内容は何でもいいと思うのです。例えば、「相手を幸せにする」という意志でもいいし、あるいは「たくさん物を売ろう」という意志でもいい。いずれにせよ、自分の意志を確定さえすればいい。この、まず自分の意志を提示することの大切さは、伯家心頭の言葉では「置手」という言葉で伝っています。それに対応して成果を受け取ることを「幣手」という言葉で表すのですが、成果を受け取るためには意志を提示しなければならないということが、ある意味で、コミュニケーションの神髄として、伝わっている。この意志は自己内自己のナレッジモデリングをしていく中で見つかっていくものだとも言えますし、その延長戦上にあるものだとも言えますが、まずは意志を確定する必要があるのだたお理解していただければいいと思います。これが第一段階目です。
自己内自己のナレッジモデリングもできた。そのうえで相手に相手に対してヒアリングもしてみた。その結果、相手が何を望むかが分かったし、自分の意志も提示した。それなのにビジネスで成果が出ないとしたら、ふたつ目の段階を検証するといいかもしれません。ふたつ目の段階とhあ、「意志と結果を分けてとらえているか」ということです。なぜなら、意志と結果を分けてとらえていない人は意外と多いからです。具体的に言うと、こういうことです。例えば「商品やサービスを売ろう」という意志を持ったとします。
この意志の内容自体は何でもいいわけですから、これが良いとか悪いとかいうことはありません。ですがこの次に、「この意志が達成できたかとうかはどうすれば分かりますか?」と質問されたときに、「それは売ることです」という回答をするひとがものすごく多いです。しかし、これはやっぱり意志なのです。つまり、「商品やサービスを売ろう」という最初の意志に対して、その意志が達成できたかどうかを確認する方法は「売ることだ」といって、意志の内容を答えている。つまり、意志で意志を追っているというか、意志がグルグルと巡ってしまっていることになっているわけです。こうなると、先に書いた自己内自己とじこ内他者との際限のない対話のループと同じことで、この中から抜け出せなくなってくる。当然のことながらビジネスの成果が出るはずがありません。
ではどうすればいいのかというと、自分の意志が達成できたかどうかを確認する方法をしっかり考えてみるといいのです。例えば「商品やサービスを売ろう」という最初の意志が達成されたかどうかを確認する方法としては「その商品やサービスが売れたかどうか」を見るという方法があります。こうすると、商品やサービスが売れていれば、意志が達成されたことになりますし、商品やサービスが売れていなければ、意志が達成されていないことになります。いずれにしても、意志を意志で追うようなことはなくなる。このようにしてグルグルの中から一歩外に出てみることが大切だと思うのです。ぐるぐるの外に出れば、状況に対する理解もさらに深まります。
どういうことかというと、例えばあなたが「売る」という意志を持っていたとします。そしてその意志が達成できたかどうかという結果は「売れたかどうか」で判断できるとします。こうなると「売れたかどうかという結果は「売れたかどうか」で判断できるとします。こうなると「売れたかどうか」という客観的な指標を手に入れることができる。「売れたかどうか」を考える先には「売れた」イコール「誰かが買った」という理解に達するかもしれません。「誰かが買った」という理解の先には、「買ってもらえた」という理解があるかもしれません。そして、「買ってもらえた」という理解の先には、「誰かが何らかの理由でそれを買った」という理解があるかもしれません。
今ここでは「商品やサービスを売る」という意志に沿って書いていますが、この場合、結局財布のひもを開いて商品を購入するのはお客さんですから、最期には「そのお客さんはなぜその商品を買ったのか」という理解にさかのぼることができるということになります。そして、この「お客さんがその商品を買った理由」は、先の章でご紹介したヒアリングの手法を使うことで確認することができるのです。つまりこれは、最初に自分の意志を提示しておけば、ヒアリングを通じて手に入ったお客さんの情報を使って、自分の意志を達成するための設計図を描くことができるということでもあります。
ゴルフの世界で、初めてグランドスラムを達成した村上隆さんという方は、まさにこのようなやり方で、ゴルフをプレイしていました。どういうことかというと、まず最初にボールがビンの中に入った状態から考えていくのだそうです。今、こうしてボールがビンに入っているということは、その前の段階ではここにボールがあったはずであり、ということはその前にはここにボールがあったはずであり、という具合にして逆算をしていく。そしてすべての逆算が終わったところで、あとはその逆算した地点にボールを運んでいくということをやっていた。
これはビジネスの営業という側面で言えば、すでに売れたというところから逆算していくということと同じです。それが感情論理の逆算をするということであり、お客さんの情報を使って、自分の意志を達成するための設計図を描くということなのです。
七沢
※効果のない「効果的な営業トーク」
今、「売る」という意志の結果を判断する指標を何にするのかというおお話がりました。その中では「売る」という意志が達成できたかどうかという指標を「売る」という意志に求めるということが起こってしまいがちだというお話がありましたが、私も仕事の中で、これとよく似た状況に出くわします。それは営業研修での出来事です。私はいろいろな業種の会社さんで営業研修をさせていただくことがあるのですが、どの会場に行ってmお毎回ひとりは同じ質問をされる方がいらっしゃるのです。
たいていの場合、その質問をしてくださる方は営業の成績が伸び悩んでいることが多いのですが、その質問というのはこういうものです。「私は効果的な営業トークをしているのですが、成約が取れないんです。どうすればいいでしょう?」そして、この質問を聞いたまわりの参加者さんの多くは、うんうんとうなずいている。そこで私が、ホワイトボードにこの質問を書き留めて、もう一度内容を復唱します。
「効果的な営業トークをしているのですが、成約が取れない」この質問でいいですね?と確認すると、勢いよくうなずかれる。そこで、しつこいですが、もう一度同じことを確認します。
「効果的な営業トークをしているのですが、成約が取れない」この質問でいいですね?と確認すると、また勢いよくうなずかれる。まわりの方も、うんうんとうなずかれています。そこで本当にしつこくて恐縮ですが、もう一度確認する。このあたりで、まわりの方の中には「あっ」というような顔をされる方がでて来ます。が、質問したご本人は早く答えを教えてほしいと、けっこうキラキラしたまなざしを私に向けてくださり続けています。そこで私がホワイトボードに書き加える。そこで私がホワイトボードに書き加える。「効果的な営業トークをしているのですが、成約が取れない」ということは、「効果的な営業トークをしているのですが、効果がない」ということですね。
そう質問すると、もう、だいたいまわりの人たちは、「あ~」という顔をして笑い始めます。ご本人はというと、この時点で氣づく方もいれば、そうでない方もいらっしゃる。そこで私が話を続けていく。効果的なトークをしているけれど、効果がない。「効果的」という言葉の意味は「効果gある」という意味ですよね、と。ということはつまり、質問の文章は、「効果があるトークをしているけれど、効果がない」というものになります。
「効果的なトーク」と「効果のなさ」というのは正反対の内容です。では、どちらが正しいのでしょう?実際にはこれは、正しい、町がテいるという問題ではなくて、どちらを自分にとっての現実にしたいのでしょうか?というおお話なのです。つまり、「お客さんの理解が足りないから、こちらが効果的なトークをしているのに買わないのだ」という解釈をすることもできる。一方で、成約が取れないということは、つまり効果がないということで、ということはその時に使っていたトークというのは効果的なものではなかったのだという解釈をすることもできるかもしれません。どちらの解釈もできるわけですが、どちらの解釈をしたですか?ということなのです。
もしも成約を取ることが目的なのであれば、成約がとれるようトークの内容を変えればいいだけのことです。別に成約はいらなくて、「そのトーク」を使い続けたいのであればそれでもいい。ただい、自分がどちらを得欄だのかは自分で把握しておく必要があります。このようなお話をするわけですが、たいてい、質問した方は照れくさそうに笑って、こう言われます。「私が効果的なトークと呼んでいた内容は、私が「効果的だと思い込んでいたトーク」なんですね」と。
なんだかこうして文章にすると分かりきったことのように見えるかもしれませんが、実は実hあ、このような認識というのはいたるところにある。その一つが、この章のお話にあった、「売る」という意志が達成できたかどうかという指標を「売る」という意志に求めるということであったり、今私がお話ししたような効果的な営業トークということであったりします。私も含めて、人間というのはやはり、このような思い込みをしがちなものだと思うのです。その意味で、自己内自己のナレッジモデリングをしていくということは、思い込みから自由になるためのひとつの方法になるかもしれません。営業トークについて考えるときには、またこの話も思い出していただければと思います。
第8章 強い意志と弱い意志
-ビジネスの成果として何を求めるか。それにはまず自分の意志がどこにあるかをしらなければならないですよというおお話ですね。
そうですね。それに意志でおっちゅとぐるぐるしちゃうから。
-そう考えると、いろんなところでぐるぐるぐるぐるしてるんですねぇ。
うん。だからね、それがビジネスで成果が出ない理由だと思うんです、私は。
-なるほどね。意志ですか。
そうですね。まぁ、歴史的には意志の強いものが結局支配者になるというか、まあもちろんインフラも整ってなきゃいけないんだけど、結局は意志の強い者が勝つというような話があるしね。
-そうすると結局、意志が津陽ないと成果は出ないという風にも聞こえるんんですけどね。すると、「私は意志が弱いからダメだ」とかね、そういう発想になっていきかねないと思うんですよね。
それは意志というものには強い意志と弱い意志とがあるからだと思っているというだけであって、実際はそんなことはないと思うんですけどね。
-ん?強い意志と弱い意志がないっていうのは面白いですね。もう少し詳しく聞かせていただきますか?
じゃ、意志の話をしましょうkあ。
お願いします。
※成果を手にする近道
先ほどの会話では歴史的に見たときにはやはり意志の強い人間が勝ってきたという事実があったというお話をしました。その部分だけを聞くと「私は意志が弱いからダメだなぁ」と思う方もいらっしゃるかもしれません。実際に今の世の中では、意志の強さと弱さというものを、先天的なものとして見ている傾向もあります。これは何も現代に限った話ではなくて、歴史的にもその傾向がある。
例えば性格分析だったり、心理分析だったりというのも、そういう意志の強さや弱さが先天的に決まっているという仮説が前提になっているからです。ただし、その結果はというと、「あなたにはこんな傾向がある」ということをただ言われるだけになってしまう。これはあまり意味がないと思うのです。そもそも、もしも意志ンお強さや弱さが先天t系なものであるとすると、意志の話を持ち出した時点で「ビジネスで個人が成果をあげる方法論」はない、という話になってしまいます。
しかし私はそうは思いません。だからこそ、この本の執筆依頼をお受けしたわけですし、今、意志の話をしているわけです。そこでまずご理解を頂きたいのは、私が先ほどから「意志」という言葉を使ってお伝えしているない湯です。私はこの「意志」という言葉を、主体意志という意味で使っています。つまり、この「意志」とは、主体である自分が自分で自分に命令している内容であるということです。
では、「意志が強い」というのはどういうことかというと、自分の中の欲望などがすっきりと整理されていて、方向性がはっきりしている状態であるがゆえに、自分が自分で自分に下している命令がすっきりと聞き取りやすく、そのために自分自身がその内容に従いやすいものになっている状態のことだと思うのです。
こういう理解をしていくと、「意志が強い」とか「意志が弱い」とかいうのは便宜上の表現であることが分かってきます。つまり、「意志が強い」というのは自分の中の欲望が網羅され、かつすっきりと整理されている状態であり、「意志が弱い」というのは自分の中の欲望が網羅されておらず、したがって整理もされていない状態である。このようにとらえると、「意志が強い」とか「意志が弱い」とかいう言葉に惑わされなくても済むのではないかと思います。
ではこの意志の強さを獲得するためには、大きな努力が必要なのかというと、そうとも思わないのです。なぜかというと、自己内自己を網羅してしまった段階で、それらの内容は半ば自動的に整理されていくものだからです。こうして、自分の世久保湯を網羅して整理ができてしまえば、どこに進むかはおのずと決まってくる。なぜなら、生きているということ自体が、より良い状態になっていこうという働きを持っているからです。ですので、意志が強いとか意志が弱いとかいう言葉に振り回されるのではなく、じこ内自己のナレッジモデリングをしていくというのが、成果を手にする近道ではないかなと、私はそう思っています。
七沢
第9章-ビジネスにおける純粋性
-意志が強い、意志が弱いということが先天的なものではないというのはものすごく可能性が広がる話ですね。
うん。でも実際には、強い意志とか弱い意志というものはないと思うんですよね。ある意味で、ひとりの個人の中にも意志が強い部分と意志が弱い部分とがあるわけでしょう?
-そうですよね。それってつまり自分の中で欲望と言われるものが整理されている分野ではすごく強い推進力を得ることができて、一方で自分の中の欲望が整理されていない分野ではどうも推進力が出ないというようなことが起こっているということですよね。
だからひとりの人間の中にもいろいろな面があるじゃない。
-うん。言われてみればそのとおりで。でもそれをやれ「なんとかタイプ」だとか、「なんとkぁパターン」だとかいう風に分類しようとするから無理が出てくる。つまり、実際の自分が持っている要素というのが見えなくなるのではないかと。
私はそう思いますよ。そういう意味で言うとね、易の六十四卦の一つに天籟无妄という卦がるんですよ。
-ほう。卦ですか?
そうそう。この天雷无妄という卦は、ものすごく強い卦なんですね。
-ほう。
ものすごく弱く見えるのに、ものすごく強いという。だからビジネスで成果を上げようというときには、この卦の内容が参考になるというかね。自分の在り方の参考になると思うんですよね。
-ん?ビジネスの成果と卦ですか。
ちょっとつながりが分かりませんが、どういうことかおお話いただけますか?
-はいはい。これは結構面白いんですよ(笑)
※純粋性と心の痛手
今、人をというか自分自身をタイプやパターンに分類しようとすることで、実際の自分が持っている要素が見えにくくなるのではないかというお話がありました。というのも、タイプ分類やパターン分析というものの背景には、このタイプはこうあるべきだとか、このパターンだったらこうあるべきという、いわゆる縛りがあるからです。縛りというテーマで言えば、これは先にお話ししたような理想の自己有像というものとも共通点があります。
つまり、それらのたいぷやパターンや理想像が既定する枠に自分をはめ込んでいかなければならないということになるからです。こうなると、自分自身の良さというものを認識することもできなくなります。
この一方で、こういう枠から完全に自由でいるという在り方もあります。その在り方のことを、易の六十四卦の中では天雷无妄という卦として表しています。これはどういう状態を指しているのかというと、純粋性というか、生き方として「純粋に在る」ということです。では純粋性のメリットは何かというと、心のエネルギーとしてとても強いものを持っているということがあげられます。一方で、今の世の中では純粋であるというのは、ある面では弱いとみなされることも多いです。つまり、純粋であるということは、沢山の知識や方法論を持っているわけではないというおkとになるからです。すると、やっぱり弱いのではないかと思われがちになる。とろこが、物事に対するときの態度というかスタンスということで考えると、純粋であるということは一番安全であると言えるのです。
なぜかというと、純粋であれば、もし何かを間違えたとしても取返しがきくからです。つまり、純粋に生きるということは、心の痛手が少ないということでもあります。例えばですが何かをしようとしたときに、自分で「これはうまくいかないだろうなぁ」と思いながらやっていると、結果としてうまくいかなかったときには痛手が大きいわけです。「ああ、やっぱりなぁ・・・」というような感じになって、二重にショックになる。だけど、そういう先験的な解釈なしに、純粋にやってみた内容というのは、たとえそれがうまくいかなかったとしても、そんなにショックには感じないわけです。仮にうまくいかなかったという「結果」からは絶望というものを味わったとしても、その絶望がまた次のステップになるというか、むしろ、そういう経験を知識として取り込んでいくことができる。
もちろん、こうして経験を通じてできていった知識が、先験的な解釈を生んでいく面もありますから、自分で意識していないとずっとこの純粋性の中にいることはできないと思います。だから一般的には、若いうちには純粋性の中にいるけれども、年齢を重ねていくうちに純粋ではいられなくなって、あらゆる物事の中に先験的な解釈を見つけたりしてしまう。例えば、つかまり立ちをしようとしている赤ちゃんが、つかまり達をしたんだけど、やっぱりコテンと尻もちついちゃったというときに、「もう立つのは無理だ」といってあきらめることはない。ところが大人になっていくと、同じようなことが起こったときに、簡単にあきらめるようになってしまったりします。ビジネス現場で例えば営業マンがどこかの取引先に見積を出して断られたときに、もう見積りが出せなくなるというケースも考えられる。
そして社内では「あの会社さんはもう行っても駄目だから」というような話をして、他の人も「ああ、そうなんだ」と理解してしまったりします。ところがその会社に新しい営業マンが入社してきて、その人が行ったら契約が取れちゃうことがある。その営業マンに「契約、取れましたけど」と言われて、「ええっ!なんで取れたんだ」ということになったりしますし、その結果、なぜか怒りの矛先がその新しい営業マンに向かっていって「あいつはけしからん」となっていったりする。今、いろいろな会社を見ていると、社内でなんだか雰囲気がおかしかったりするような会社には、だいたいこういうことが起こっているように感じます。
いずれにしても、情緒も自己の発達過程で、必要な情緒の種類が移り変わっていく。だから、適切な情緒を適切なタイミングと方法で使う必要があるわけですけれど、例えば競争心というような情緒を、のべつまくなしに使っていると、本当に社内がギスギスしてきたりしまう。それは発達段階のステップを間違えているということだとも言えます。話を天雷无妄という卦に戻すと、この卦の示す内容である純粋性というものを意識しておくと、ビジネスでも成果につながりがりやすいと思うのです。
天雷无妄という状態は、ある意味ですべてを客観視している状態だともいえるわけです。つまりそこには、これが良いとか悪いという判断がない。判断をしていない限り、何が有っても別に痛手を被ることはありません。もちろんそのときには、他党としてペタンと尻もちをついちゃうという、まわりの人から見たら失敗という風に見えることもあるかもしれないけれど、別にその人本人gはそれを失敗とは見ていない。かといってちゃんと立てたとしても、それをタ成功とも見ていない。もっと淡々としているわけです。だからこそ、タイプ分類やパターン分析からも自由でいられるとも言えると思います。そういう意味で、自己内自己の網羅をした後には、こういう段階に近くなるかもしれない。そう思ってご紹介しておきます。
(七沢)
※心安らかなビジネスのために
-天雷无妄っていうのは面白い卦ですね。
そう思うんですけどね。
-ある意味、この天雷无妄という状況は、自己内自己のナレッジモデリングというか、自己内自己の内容、それは欲望だったりすると思うんですけど、そういうことを網羅していった先に出てくるものという感じがしますね。
そうですね。だから、成果というものを生み出す意志にもふたつあってね。自己内自己の内容をすべて網羅したうえで自然発生的に出てくる意志と、自分が何かを「これだ!」と確信した時に出てくる意志とがあると思うんですよ。
-はいはい。
それでこの「これだ!」という確信を基盤にした方向性というか意志にもそれなりの強い力がある。ある意味では自己内自己の中身を網羅していなかったとしても、それらを網羅した時と同じくらいの推進力を持つこともあるわけです。
-うんうん
ですので、信じる者は救われ鵜ではないですけど、革新というものに至れれば、それなりの力が出る。ただし、自己内自己あるいは自分の欲望というものを網羅しない段階で、革新だけで成果を出した人というのは、どこかで失敗する可能性があるわけでね。なぜなら、自分の欲望の中には二項対立的に相反しているものがあるわけですから。その構造を理解しないままにどちらかの方向に突出したとしてもいずれは自分自身に引き戻されることになりますよね。
-そうですよねぇ。また、こういう確信に従っている場合には、精神的にどこか安定しない部分も出てきますしね。
うん。ですので、可能であればやはり、自己内自己や自分の欲望を網羅して整理するところから始めていただきたいと思うんだけどね。
-確信があれば成果はデルかもしれないけど危ないよと。
うん。
-なぜかというと、そこにさっきの天雷无妄のような内容はなくて。
単なる無謀になりますよと(笑)
-字も違いますよと(笑)だから、あなたがもしビジネスで成果を出したいと言うんだったら、意志というものの力が必要なことが分かったうえで、自分の中にある主体自我の内容を網羅していってくださいねと。
そうです。
-その中で、ひょっとしたら、「あ、これだ!」って、確信できるものがあるかもしれないし、そこに向かって進めば成果が出ることもあるかもしれないけれど。実はちょっと危ないところもあるので、可能であればじこ内自己の網羅の作業は続けていってくださいと。
そうですね。その先には天雷无妄というような状態があるかもしれないし。その視点から見ていくと、一時の成果や悩毎や、契約が取れた・取れないとかそういうところではないところで納得できると思いますよと。
-すると心安らかにビジネスもしていけると。
そう思うんだけどね。
-深いですねぇ。
-投獄、倒産、大病ですか。確かにこういうことでもない限り、じっくり考える機会はなかんかないですもんね。
そういう機械があったら立ち留まれるから(笑)でもそこを経験している人って少ないじゃないですか。
-うーん。じゃあ僕だったら本当にお金が無くなってテイクアウトのコーヒー一杯も飲めなくなったり、毎月電話が止まるとか、そういうことがあったから。
うん。だから止まって考えることができたわけでしょう?だから、コーヒーが飲めなくなって良かったねと(わらい)
-電話が毎月止まってよかったねと(笑)
そうです。
-いや「そうです」じゃないですよ、先生。そんな状況になって考えるなんて大変なんですから(笑)だからあれですね、これは。この本を読んでいる方には、投獄y阿藤さんや大病やコーヒーを飲めなくなる前にぜひ、この取る郁美をしていただきたいですね。
そう思うんだけど。まぁ、ね、社会経験としてはいいかもしれないけど。
-そうはいってもね、やっぱりできるうちにできるだけのことをしておくのがいいと思いますよ、僕は。経験者としてね。
ということだそうです(笑)
-だから笑い事じゃyないですって(笑)
まぁ、そうはいってもなかなか難しいですからね、自分でやろうとすると。だから、これを機械的にやる方法というのも開発してみたんですよ。名前をね、Communication Platform(コミュニケーション・プラットフォーム)というね。
-コミュニケーション・プラットフォーム?コミュニケーションの土台、ですか?
そう。
-また、えらく壮大な名前ですね。
うん(笑)でも結局そこだからね。
-それはどんなシステム?装置・なんですか?
うん?そうですね、システムであり、やり方であるというか。まず先にやり方があって、それをプログラムというシステムにしていったという感じですけど。
-どんな内容なのか、お話いただいていいですか?
はい。といいますか、システムを開発するときの設計書のそのまた大本みたいなものがあるからそれをご紹介しましょうか?
-お。それはマル秘文書みたいで興味あります。どんな内容なんですか?
これなんですけどね。
-おお・・・。これは結構、難しい・・・内容ですね・・・。
まぁ、システムの設計書の、そのまた大本だから(笑)
-うーん。まぁ、ゆっくりよんでいけば理解はできるし、理解してしまえば方法論としては使いやすいという感じですか。じゃあ、こういういわばマニアックな文章ですけど、ご参考になる方はご参考にしてくださいという前提で、ご紹介しておきますか。そうですね。基本的には自分の「欲望」を紙やなんかに書き出すだけでもいいんだから。これはこういうのもあるんだねという参考程度でね。
-はい、では、参考にしたい方は参考にしていただいて。あとはマニアックな方はマニアックなマル秘資料として楽しんでいただくと。
はい(笑)
-僕みたいに、「もう内容が難しすぎて、よくわからんわ」という人は、もうすぐ次の章に移っていただいても構わない?
もちろん。これは参考ということでね、だって設計書の大本なんだから。
ーということですので、この部分をおまれる方は、「うーん。わからない・・・」と言ってこの本をポイっと放りなげたりせずに(笑)
(笑)
-スパッと割り切って、次の章に進んでくださいと。
進んでください(笑)
-だってほんとに理解できないもん、僕(笑)
それは困ります、共著者なんだから(笑)
-ごめんなさい。でも、わからない(笑)というわけで、こういう内容だそうです。
Communication Platformのアーキテクチャー
私とはー
人は、一つの体を持ち、一つの名前で呼ばれますが、自己意識は、複数の意識が集まり後世されているものと考えられます。ところがそれらは自己のものでありながら、すべての意識について認識することは、一般的に誰にとっても困難であるという事実があります。そして自己の意識を構成する個々の意識は、意識的、あるいは無意識的に、日々刻々、様々な形で影響しあい、人格の表層に立ち現れます。
Communication Platformは、他者とのコミュニケーションを前提として、自己意識を4つの階層から成る5つの領域(超越自己・理想自己・主体自己・客体自己(複数)・自己内他者(複数)で説明する自己意識も出るです。この自己意識も出るを使って、自己の意識状態を自分自身の言葉で表現することで、自己理解が飛躍的に深まります。
1、自己意識の認識
自己いしきの領域の中で、主体自己については、誰しも比較的明確であると認識しているのではないでしょうか。しかし実際はそうとは言えません。意識の持つ融通性、言い換えれば、どの意識も主体自己(意識)となりえる、という性質が、それぞれの領域を区分けして考えることを難しくしています。しかも、事実を暴露したくないという「原初的な抵抗」も働きます。中でもとりわけ強固な抵抗は、意識と無意識との間の「見えない壁」です。これらの「抵抗」や「見えない壁」の妨げなしに自己の意識を認識する技術がComunication Platformに組み込まれています。
2、Comunication Platformのテクノロジー
2-1。複数連想処理による自己意識分析
(Self-concsiousness analysis by multiple association processing)
無意識に発した言葉には、意識したの情報が含まれていると考えられます。心に浮かんだ2つの言葉を基にして、1つの言葉を連想するという処理を繰り返すことで、より深い意識状態を音場に置換することが可能になります。この意識の複数連想処理により導かれる言葉を、「エッセンス」と呼び、エッセンスを導く端緒となる言葉を「エッセンスパラメーター」と呼ぶことにします。そしてこれら一連の処理を「連想処理」と呼びます。各ユニットで導かれたエッセンスを、互いに組み合わせて連想処理をすると、さらに深い意識が導かれます。この処理を「コミュニケーション連想処理」と呼びます。これらの処理を組み合わせることで、Comunication Platformは成り立っています。
2-2. 自己意識間の相互コミュニケーション
(Мulual sommunication of self-conciousness)
私たちは無意識のうちに、意識と意識を比較したり、結びつけたりして自己意識を変化させていきます(Comunication Platform)では、意識間コミュニケーションと呼びます)。コミュニケーション連想処理は、この処理を意識的に行うもので、導かれたエッセンスを、次の処理を意識的に行うもので、みちびかれたエッセンスを、次の処理のパラメータに設定して連想処理することにより、この機能を実現しています。
2-3 Communication Platformによる自己意識の最適化
(Opmization of self -今s氏負うs根ssbyCommunication Plat form)
自己意識をエッセンスとして言葉に置換することにより、バラバラで不明確であった自己の意識が整理され、秩序を伴ったものに変わります。そして、意識と意識の間の整合性や矛盾について、理解することができるようになります。肥大化や、矮小化していた自己意識はCommunication Platformによって最適化されます。
2₋4 Comunication Platformによる自己意識の変容
(Transformatic of self-consciousness by Communication Platform)
自己意識の概要をCommunication Platformを通して認知したとき、自己意識の概要をCommunication Platformを通して認知したとき、自己意識の変容が始まります。自己意識の変化は、他者理解の変化へとつながり、スパイラルな意識変化の循環が形成されます。Communication Platformは変容する自己意識、言い換えれば自己意識の進化を支援する機能を以ています。
・超越自己₋判断しない→自己内自己(主体自己)→自己内自己In(客体自己)→超越自己
・自己内自己(主体自己)Ⅰ⇔理想自己→自己内自己In(客体自己)→自己内自己I(主体自己
・自己内自己(主体自己)I→自己内他者I→自己内他者→自己内自己In(客体自己)→自己内自己I(主体自己)→自己内他者I⇔他者
第6章 顧客の満足、自分の満足
-僕なんかにとては、結構難しい内容だったわけですけどね、先ほどのCommunication Platformの説明は。(笑)
-でも結局、Communication Platformというのは、じこ内自己の把握のプロセスをシステムにしたという話ですよね。ある意味、プロセス自体はものすごくシンプルであり、機械的でもあるという。
そうそう。だからプログラムというシステムになるわけですよ。
-うーん。じゃあ、自己内自己の把握をするためには、紙やパソコンに自分の欲望を書きだすところから始めてもいいし。
いいし。
-今ご紹介していただいたCommunication Platformというシステムを使うか、システムの基にあるやり方を使ってもいいし。
うん。
-ということなんですね。
はい。
-ふーん。そうやって自己内自己というか、主体自我の内容を把握していったとしてね。ビジネスで成果を出すためには次に何をすればいいんですか?
次は、自己内他者の把握というか、それはすなわち他者への問いでもあるんだけど。
-え?でも、自己内他者はどこまでいっても妄想みたいなものだという話でしたよね?
うん。だから、自己内他者を把握すると同時に他者そのものを把握することになっていく。
-なんだかまたしても高度な話っぽいですけど(笑)
いや、説明の言葉が分かりにくいだけでね、やってみれば簡単です。
-そうなんですか?
じゃあ、その内容を教えていただけますか?
はい。
※他者を理解しようとするならば
前の章まででビジネスで成果を上げるためのスタート地点として、自己内自己を把握するということをしてきました。つまり、自己内自己に対してのナレッジモデリングができた。次にすることは、字おk内他者の把握ですが、これは単純に、ここまでで把握した自己内自己の内容を自己内他者の内容だと仮定してみるということをしていきます。
つまり、自己内自己の内容をそのまま自己内他者に移し歸というか、転写をしてみるということです。もっと簡単に言えば、他者のことを「自分と同じ存在」だと定義してしまうわけです。例えば自己内自己の内容として、AとかBとか、Cとかいう要素があったら、自己内他者もまったく同じ要素を以ていると仮定していみる。
まったく同じ要素ですから、自己内他者はA、B、Cという要素を持つことになりますが、ここでは話を分かりやすくするために、自己内他者が持つAの要素のことをA´(エーダッシュ)じこ内他者が持つBの要素のことをB´(ビーダッシュ)、自己内他者が持つCの要素をC´(シーダッシュ)と呼ぶことにします。ところで先ほど言葉の定義として書きましたが、自己内他者とはあくまでも自分の中で想像している自分以外の誰かのことです。
※ステップ1₋自分の自己内自己の要素を自己内他者の要素であると仮定してみる
自分の思考の枠組み
自己内自己ーA-B-C→転写→自己内他者-A’B’C’
ですのでどれだけ自己内他者を理解したところで、実際の相手である他者についての理解にはなりません。つまり、先ほどの例でいえば、実際の他者が以ている要素はA’B’C’ではなくて、1、2、3だったりするわけです。ところが、この1、2、3という要素は、自分では理解するおkとができません。そこで先ほどのA’(エーダッシュ)、B’(ビーダッシュ)、C´(シーダッシュ)を使うのです。このA’B’C’を使うのです。このA’B’C’を使って相手に聞いてみる。つまり、「私はあなたにはA’という要素があると思っているんですけど、実際はどうなんですか?」と聞いてみるのです。
その結果、相手が「はい。その要素を以ています」と返事をしてきたとしたら、その内容をその他者の情報として受け止めていく。相手が「いいえ。私はその要素を以ていません」と返事をしてきたら、やっぱりその内容をその相手についての情報として受け止めていく。つまり、自分が把握した自己内自己の要素項目をチェックリスト代わりに使って、他者の理解を深めていくのです。
というのも、他者のことを理解しようとするならば、自分と他者との間にコミュニケーションのプロセスが起こる必要があります。けれど、コミュニケーションのプロセスで問いを発するためには、こちらから問いの内容を提供しなければんらないわけです。その意味で、自己な自己の要素項目というチェックリストがあれば、簡単に最初の問を発することができる。こうして、ヒアリングをすることができた結果、相手が持つ要素というものがじこ内他者の内容として反映されていくのです。
ステップ2、相手に「聞いて」「答えを聞くこと」で自己内他者の情報を他者の情報提供に近づけていく
実際はこうかもしれないけど・・・・
自己₋ABC、A’B’C’→他者、1、2、3
↓
他者に聞くことでA’B’C’のリストが書き換えられていく。
実は今ご紹介した手法の土台には、企業向けのコンピューターシステムを開発する時の発送がありました。つまり、システムを開発するときには、ヒアリングを正確にできるかどうかということが大切になるのですが、このヒアリングは、自己内自己を正確に把握している人間がやると正確にできるのです。
つまり、自己内自己を正確に把握している人間にはふたつの利点があるということです。ひとつめは、相手に問いを発する基になるチェックリストを持っているおkと。もうひとつは、自己内自己と自己内他者が違うものであるという認識があること。このふたつめの認識があるために、自分の主観を先行させるのではなくて、相手の言っていることを正確にとらえようとすることができる。その結果として、相手の言っていることを正確にヒアリングすることができる。
企業向けのコンピューターシステムの開発に関して言えば、私はそもそもクライアントさんである企業は、システム開発会社に自分たちの中身の整理を依頼していると思っています。ということはつまり、クライアントの企業さんの中では、自分たちの中身が整理できていないということなのです。そこに、こちらが何のチェックリストも持たずに話を聞きに行っても、結局、どんなシステムを作ればいいのかが分からないということになりがちです。
その結果、クライアント企業さんはシステム開発会社さんに「自分たちの中身の整理」を求めているにもかかわらず、システム企業さんはシステム開発会社さんに「自分たちの中身の整理」を求めているにもかかわらず、システム開発会社さんはそういうことをまったく理解せずに、ただただ、クライアントさんが口にした内容をシステムに落とし込もうとするわけです。すると、クライアント企業さんの中に存在していた本来は不必要な作業も全部繁栄されたシステムが出来上がります。当然、オーダーメイドになりますから費用も掛かる。
その結果、クライアントさんとしては、業務をスムーズにするためにシステムを導入したのに、結局流が何も変わらないどころか、システムを使わなければならないという手間だけが増えるということになる。システム業界ではここ20年ほど、この流れは変わっていないように感じます。こういう状況がある一方で、相手にヒアリングすつためにチェックリストを持っていて、しかも相手の実際のところを知ろうという意志があると、相手のことを知ることができます。その結果として、相手が何を求めているかを知ることができる。相手が何を求めているのか、どんな理由でそれを求めているのかが分かれば、相手が求めているものを提供することは比較的簡単です。その提供の仕方を設計する方法については後述しますが、私が言いたいのは、このような理解をするためには、ビジネスというものの前提になる哲学のようなものが必要なのではないかと思うのです。
例えば私にとってのビジネスの前提は、顧客の満足度も、商品サービスと提供する側の満足度もどちらも100%でなければならないというものがあります。一方で、この資本主義の社会では、多々追えば100%の顧客満足とどいうのはありあり得ないように思われている。だから「ここは譲ろう」とか、「ここは押し通そう」というような考え方が主流になって、相手のことを理解しようという方向には意識が向かないのだと思います。ではなぜ、100%の顧客満足度というのはありあり得ないと考えてしまうのか。なぜ、顧客もこちらも100%の満足をすることはないと考えてしまうのか。それは、つまり、「満足に対する定義」ができていないからだと思うのです。「自分の満足とは何ぞや」という定義も、「顧客の満足とは何ぞや」という定義もできていない。
もうお分かりのとおり、自分の満足とは何ぞやということが定義できていない背景には、自分に対する認識の不足があります。つまり、自分の欲望を網羅できていないのです。これは本書で「自己内自己のナレッジモデリング」という言葉で紹介してきた内容です。一方で、顧客の満足とは何ぞやということが定義できていない背景には、一件一件の顧客に対して、その要望を正確にヒアリングできていないという事実がある。
逆に言えば、本書でご紹介してきたようなプロセス、つまり、まず自己内自己の把握をして、その内容をチェックリスト代わりに使って顧客にヒアリングをしていくというプロセスを使えば、自分たちも顧客も100%の満足を手に入れることができる可能性があるということでもあります。
実際に街に出てみれば100%の顧客満足を目指すというスローガンを目にすることもありますが、つまり目指すという言葉を使っている段階で、それが可能だとは思っていないということも見て取れます。そうではなくて、100%の顧客満足が当たり前であり、同時に自分たちが100%満足することも当たり前であると考えていただければと思いますし、そのための手段もあるとご理解を頂ければと思っています。(七沢)
※なんのための契約書か
・ビジネスにビジネスに対する根本的な理解
私はコンサルタントとして、さまざまな企業さんのビジネスの現場に立ち会うことも多いのですが、実際に自分が仕事をしていくうえで「あれ?おかしいな」と思うようnあことにもたくさん出くわします。おsのひとつが契約書の内容です。今では企業さんの法務部門にもアドバイスを差し上げることがありますが、最初のうちは私もそれはそれはひどい扱いを受けていたことがあるからです(笑)
今、ビジネスというものの善手になる哲学に対する定義ができていないのでhないかというお話がありましたので、それに関連するお話としてひとつご紹介してみます。さて、私がコンサルタントとして活動するときには、有限会社という組織を使っているのですが、例えば上場企業さんからのご依頼をお受けするときには、先方からの契約書を送ってもらうことが多かった時期があります。
そして、この契約書の内容というのが、ものすごく一方的な内容だったりしたのです。例えば「先方からはいつでも契約を解除できる」という項目があるにもかかわらず、こちらからの契約解除については何の記載もないというような具合です。もちろん、先方としてはただ単に雛形の契約書を送ってくださっただけだと思いますが、それはつまり、そのほかの企業(特に中小企業)さんとの契約に際しても同じようなスタンスで臨んでいることの証でもあります。
私がそういう契約書を手にしたときには「うちかrまお契約解除できるように項目を足してください」という話をしていたのですが、このようなことを言うと先方の法務部さんは「えっ!」と言ってものすごくびっくりされるのです。「それはできません」とか「じゃあ、契約はできませんね」とか「それは困ります」とか。そういうやり取りを経て、契約諸を取り交わすということがしばらく続いた時期がありました。私はここに、ビジネスというものをどうとらえるかという理解の違いがあるように感じます。どういうことかというと、そもそも最初に届いた契約書の目的というのは、先方の企業さんが自分の身を守ることに主眼を置いた結果として出来上がった内容であったのではないかと思うのです。不測の事態が起こった時に、自分たちにだけは被害が及ばないようにしよう。そういう意図が見える。もちろん、企業の法務部さんというのは、「不測の事態が起こった時に会社を守るための契約書を作ること」が仕事であるという側面は必ずあります。しかし私からすると、それを前面に出していくというビジネスの仕方に、将来の発展性はあるのかなと思うのです。
私はそもそも契約書というものは何か不慮の自己が起こった時にも、関係する各社の関係が悪くならないようにするために作るものだと思っています。なぜなら、もしも何かがあった時にもお互いの関係が悪くならないようにしておけば、将来のどこかの時点でまた一緒に仕事をするチャンスが訪れるかもしれないからです。ところがもしも、自分だけを守ろうとしていたらどうなるか。結果として、その時には自分は被害がなかったとしても、相手との関係は終わってしまうと思うのです。そうすると、もう将来その相手と一緒に仕事をする可能性はなくなります。私からすると、これはとても大きな損失だと思うのです。私が話題にした雛形契約書は、とにかく目先の被害や損失をなくしたいという内容だと言えます。この場合には、金銭的な被害はないかもしれないけれど、将来の可能性や、もしくは相手からの信頼という、目に見えない対価を支払っている。もちろん、規模の大きな会社さんから見れば、仕事を依頼する先は掃いて捨てるほどあるという論理もあるのかもしれませんが、それが本当かは疑わしいと思うのです。一方で、そんなに規模が大きくない企業さんの中にも、先に書いたような雛形契約書を使っているところもあります。これはこれですぐさま死活問題に直結する可能性もあるわけで。
そういうことをどこまで考えているのか。これは、どちらの世界を見るかという視点の問題でもあり、その視点からでてくる意志の問題でもあると思うのです。つまり、「自分が損をするんじゃなかろうか?」という世界を見ているか、「自分が得をするためには相手も解くをしないといけない」という世界を見ているかの違いだと言えるでしょうか。ここではビジネスの内容についての一般的な理解について、私なりに感じたことを書いてみました。一般的だとされている内容とは少し違う内容を提示したかもしれませんが、ひとつの選択肢ではあると思って、お役立ていただけるようであればとてもうれしいと思っています。
第7章 自分の意志を提示する
-100%の顧客満足ですか。確かにこれが可能だと思っている人は多くないですよね。
そうですよ。だから、いつも心の中にモヤモヤが残っているというかね、
-うーん。この例で言うと、システム開発会社さんというのは、相手の要望をしっかり確認できたという確信がないから、いつもドキドキしながらいs事をしないといけないわけで。
そう。相手の言うことは聞いてはいるけど、その内容が何を指すかわからない。その結果、「理論上、機械的にはなんでもできますよ」という受け答えになってしまうというかね。
-企業さんはかといって、どうすることもでmきないというか、そもそも自分で自分の整理ができないからこそシステム開発会社さんに依頼をしているわけだから。
そうですね。こういう関係の結果として、そのシステム開発会社さんが以ている一番いいものが漏れちゃっているというね。
-あー、痛いですね。とても痛いですね。でもそれ、コンサルタントさんの業界でも起こってますよね。
ええ、起こっているんです。
-ふむ。まぁ、そういう状態を避けるためには、自己内自己のナレッジモデリングをしたうえで、相手にたいしてヒアリングをしてみましょうということですよね。
そうすれば相手が何を望むかわかるから。あと一條さんのお得意の方法で設計図を描いていけばいいわけでしょう?感情論理を逆算していくというやり方でね。
-そうですね。相手が何を欲しいのかが分かれば設計図を描くことは簡単ですけどね。と言いますけど、これが結構難しいみたいですよ。
ああ。それはいわゆる意志の問題でしょうね。ビジネスに何を求めるかという意志の起き方の問題ですよ。
-ん?意志ですか?もう少し詳しくお話いただけますか?
はい。
※「売る」「売れた」「買った」「買ってもらえた」
自己内自己のナレッジモデリングもできた。そのうえで相手に対してヒアリングをしてみた。その結果、相手が何を望むかが分かった。ここまで来ても、ビジネス上の成果が出ないことがあります。これはなぜか?私はこの問題をふたつの段階でとらえています。ひとつ目の段階はそもそも自分の意志を提示することができているか。ふたつ目の段階は、意志と結果を分けてとらえているかということです。
まずひとつ目の段階である「自分音意志を提示できているか」ということですが、なぜ自分の意志を提示する必要があるのか。なんでもそうですが、何かの物事を起こすためには「自分がこう行きます」「こうやります」という意志の提示が必要になる。そうでなければ、まわりに流されてしむことになりかねないからです。まわりに流されている状況では、自分が望む成果を手に入れられるかどうか非常に不確かなことになる。l
これは当然、ビジネスで成果を上げようとするときにも同じです。ですので、自分はどんなことをするのかという意志の提示が必要になるわけです。私はこの意志のことを「主体意志」と呼ぶわけですが、この意志をまず確定できているか。ビジネスで成果を上げようとするときにはこれが非常に大切になると思います。
ちなみにこの内容は何でもいいと思うのです。例えば、「相手を幸せにする」という意志でもいいし、あるいは「たくさん物を売ろう」という意志でもいい。いずれにせよ、自分の意志を確定さえすればいい。この、まず自分の意志を提示することの大切さは、伯家心頭の言葉では「置手」という言葉で伝っています。それに対応して成果を受け取ることを「幣手」という言葉で表すのですが、成果を受け取るためには意志を提示しなければならないということが、ある意味で、コミュニケーションの神髄として、伝わっている。この意志は自己内自己のナレッジモデリングをしていく中で見つかっていくものだとも言えますし、その延長戦上にあるものだとも言えますが、まずは意志を確定する必要があるのだたお理解していただければいいと思います。これが第一段階目です。
自己内自己のナレッジモデリングもできた。そのうえで相手に相手に対してヒアリングもしてみた。その結果、相手が何を望むかが分かったし、自分の意志も提示した。それなのにビジネスで成果が出ないとしたら、ふたつ目の段階を検証するといいかもしれません。ふたつ目の段階とhあ、「意志と結果を分けてとらえているか」ということです。なぜなら、意志と結果を分けてとらえていない人は意外と多いからです。具体的に言うと、こういうことです。例えば「商品やサービスを売ろう」という意志を持ったとします。
この意志の内容自体は何でもいいわけですから、これが良いとか悪いとかいうことはありません。ですがこの次に、「この意志が達成できたかとうかはどうすれば分かりますか?」と質問されたときに、「それは売ることです」という回答をするひとがものすごく多いです。しかし、これはやっぱり意志なのです。つまり、「商品やサービスを売ろう」という最初の意志に対して、その意志が達成できたかどうかを確認する方法は「売ることだ」といって、意志の内容を答えている。つまり、意志で意志を追っているというか、意志がグルグルと巡ってしまっていることになっているわけです。こうなると、先に書いた自己内自己とじこ内他者との際限のない対話のループと同じことで、この中から抜け出せなくなってくる。当然のことながらビジネスの成果が出るはずがありません。
ではどうすればいいのかというと、自分の意志が達成できたかどうかを確認する方法をしっかり考えてみるといいのです。例えば「商品やサービスを売ろう」という最初の意志が達成されたかどうかを確認する方法としては「その商品やサービスが売れたかどうか」を見るという方法があります。こうすると、商品やサービスが売れていれば、意志が達成されたことになりますし、商品やサービスが売れていなければ、意志が達成されていないことになります。いずれにしても、意志を意志で追うようなことはなくなる。このようにしてグルグルの中から一歩外に出てみることが大切だと思うのです。ぐるぐるの外に出れば、状況に対する理解もさらに深まります。
どういうことかというと、例えばあなたが「売る」という意志を持っていたとします。そしてその意志が達成できたかどうかという結果は「売れたかどうか」で判断できるとします。こうなると「売れたかどうかという結果は「売れたかどうか」で判断できるとします。こうなると「売れたかどうか」という客観的な指標を手に入れることができる。「売れたかどうか」を考える先には「売れた」イコール「誰かが買った」という理解に達するかもしれません。「誰かが買った」という理解の先には、「買ってもらえた」という理解があるかもしれません。そして、「買ってもらえた」という理解の先には、「誰かが何らかの理由でそれを買った」という理解があるかもしれません。
今ここでは「商品やサービスを売る」という意志に沿って書いていますが、この場合、結局財布のひもを開いて商品を購入するのはお客さんですから、最期には「そのお客さんはなぜその商品を買ったのか」という理解にさかのぼることができるということになります。そして、この「お客さんがその商品を買った理由」は、先の章でご紹介したヒアリングの手法を使うことで確認することができるのです。つまりこれは、最初に自分の意志を提示しておけば、ヒアリングを通じて手に入ったお客さんの情報を使って、自分の意志を達成するための設計図を描くことができるということでもあります。
ゴルフの世界で、初めてグランドスラムを達成した村上隆さんという方は、まさにこのようなやり方で、ゴルフをプレイしていました。どういうことかというと、まず最初にボールがビンの中に入った状態から考えていくのだそうです。今、こうしてボールがビンに入っているということは、その前の段階ではここにボールがあったはずであり、ということはその前にはここにボールがあったはずであり、という具合にして逆算をしていく。そしてすべての逆算が終わったところで、あとはその逆算した地点にボールを運んでいくということをやっていた。
これはビジネスの営業という側面で言えば、すでに売れたというところから逆算していくということと同じです。それが感情論理の逆算をするということであり、お客さんの情報を使って、自分の意志を達成するための設計図を描くということなのです。
七沢
※効果のない「効果的な営業トーク」
今、「売る」という意志の結果を判断する指標を何にするのかというおお話がりました。その中では「売る」という意志が達成できたかどうかという指標を「売る」という意志に求めるということが起こってしまいがちだというお話がありましたが、私も仕事の中で、これとよく似た状況に出くわします。それは営業研修での出来事です。私はいろいろな業種の会社さんで営業研修をさせていただくことがあるのですが、どの会場に行ってmお毎回ひとりは同じ質問をされる方がいらっしゃるのです。
たいていの場合、その質問をしてくださる方は営業の成績が伸び悩んでいることが多いのですが、その質問というのはこういうものです。「私は効果的な営業トークをしているのですが、成約が取れないんです。どうすればいいでしょう?」そして、この質問を聞いたまわりの参加者さんの多くは、うんうんとうなずいている。そこで私が、ホワイトボードにこの質問を書き留めて、もう一度内容を復唱します。
「効果的な営業トークをしているのですが、成約が取れない」この質問でいいですね?と確認すると、勢いよくうなずかれる。そこで、しつこいですが、もう一度同じことを確認します。
「効果的な営業トークをしているのですが、成約が取れない」この質問でいいですね?と確認すると、また勢いよくうなずかれる。まわりの方も、うんうんとうなずかれています。そこで本当にしつこくて恐縮ですが、もう一度確認する。このあたりで、まわりの方の中には「あっ」というような顔をされる方がでて来ます。が、質問したご本人は早く答えを教えてほしいと、けっこうキラキラしたまなざしを私に向けてくださり続けています。そこで私がホワイトボードに書き加える。そこで私がホワイトボードに書き加える。「効果的な営業トークをしているのですが、成約が取れない」ということは、「効果的な営業トークをしているのですが、効果がない」ということですね。
そう質問すると、もう、だいたいまわりの人たちは、「あ~」という顔をして笑い始めます。ご本人はというと、この時点で氣づく方もいれば、そうでない方もいらっしゃる。そこで私が話を続けていく。効果的なトークをしているけれど、効果がない。「効果的」という言葉の意味は「効果gある」という意味ですよね、と。ということはつまり、質問の文章は、「効果があるトークをしているけれど、効果がない」というものになります。
「効果的なトーク」と「効果のなさ」というのは正反対の内容です。では、どちらが正しいのでしょう?実際にはこれは、正しい、町がテいるという問題ではなくて、どちらを自分にとっての現実にしたいのでしょうか?というおお話なのです。つまり、「お客さんの理解が足りないから、こちらが効果的なトークをしているのに買わないのだ」という解釈をすることもできる。一方で、成約が取れないということは、つまり効果がないということで、ということはその時に使っていたトークというのは効果的なものではなかったのだという解釈をすることもできるかもしれません。どちらの解釈もできるわけですが、どちらの解釈をしたですか?ということなのです。
もしも成約を取ることが目的なのであれば、成約がとれるようトークの内容を変えればいいだけのことです。別に成約はいらなくて、「そのトーク」を使い続けたいのであればそれでもいい。ただい、自分がどちらを得欄だのかは自分で把握しておく必要があります。このようなお話をするわけですが、たいてい、質問した方は照れくさそうに笑って、こう言われます。「私が効果的なトークと呼んでいた内容は、私が「効果的だと思い込んでいたトーク」なんですね」と。
なんだかこうして文章にすると分かりきったことのように見えるかもしれませんが、実は実hあ、このような認識というのはいたるところにある。その一つが、この章のお話にあった、「売る」という意志が達成できたかどうかという指標を「売る」という意志に求めるということであったり、今私がお話ししたような効果的な営業トークということであったりします。私も含めて、人間というのはやはり、このような思い込みをしがちなものだと思うのです。その意味で、自己内自己のナレッジモデリングをしていくということは、思い込みから自由になるためのひとつの方法になるかもしれません。営業トークについて考えるときには、またこの話も思い出していただければと思います。
第8章 強い意志と弱い意志
-ビジネスの成果として何を求めるか。それにはまず自分の意志がどこにあるかをしらなければならないですよというおお話ですね。
そうですね。それに意志でおっちゅとぐるぐるしちゃうから。
-そう考えると、いろんなところでぐるぐるぐるぐるしてるんですねぇ。
うん。だからね、それがビジネスで成果が出ない理由だと思うんです、私は。
-なるほどね。意志ですか。
そうですね。まぁ、歴史的には意志の強いものが結局支配者になるというか、まあもちろんインフラも整ってなきゃいけないんだけど、結局は意志の強い者が勝つというような話があるしね。
-そうすると結局、意志が津陽ないと成果は出ないという風にも聞こえるんんですけどね。すると、「私は意志が弱いからダメだ」とかね、そういう発想になっていきかねないと思うんですよね。
それは意志というものには強い意志と弱い意志とがあるからだと思っているというだけであって、実際はそんなことはないと思うんですけどね。
-ん?強い意志と弱い意志がないっていうのは面白いですね。もう少し詳しく聞かせていただきますか?
じゃ、意志の話をしましょうkあ。
お願いします。
※成果を手にする近道
先ほどの会話では歴史的に見たときにはやはり意志の強い人間が勝ってきたという事実があったというお話をしました。その部分だけを聞くと「私は意志が弱いからダメだなぁ」と思う方もいらっしゃるかもしれません。実際に今の世の中では、意志の強さと弱さというものを、先天的なものとして見ている傾向もあります。これは何も現代に限った話ではなくて、歴史的にもその傾向がある。
例えば性格分析だったり、心理分析だったりというのも、そういう意志の強さや弱さが先天的に決まっているという仮説が前提になっているからです。ただし、その結果はというと、「あなたにはこんな傾向がある」ということをただ言われるだけになってしまう。これはあまり意味がないと思うのです。そもそも、もしも意志ンお強さや弱さが先天t系なものであるとすると、意志の話を持ち出した時点で「ビジネスで個人が成果をあげる方法論」はない、という話になってしまいます。
しかし私はそうは思いません。だからこそ、この本の執筆依頼をお受けしたわけですし、今、意志の話をしているわけです。そこでまずご理解を頂きたいのは、私が先ほどから「意志」という言葉を使ってお伝えしているない湯です。私はこの「意志」という言葉を、主体意志という意味で使っています。つまり、この「意志」とは、主体である自分が自分で自分に命令している内容であるということです。
では、「意志が強い」というのはどういうことかというと、自分の中の欲望などがすっきりと整理されていて、方向性がはっきりしている状態であるがゆえに、自分が自分で自分に下している命令がすっきりと聞き取りやすく、そのために自分自身がその内容に従いやすいものになっている状態のことだと思うのです。
こういう理解をしていくと、「意志が強い」とか「意志が弱い」とかいうのは便宜上の表現であることが分かってきます。つまり、「意志が強い」というのは自分の中の欲望が網羅され、かつすっきりと整理されている状態であり、「意志が弱い」というのは自分の中の欲望が網羅されておらず、したがって整理もされていない状態である。このようにとらえると、「意志が強い」とか「意志が弱い」とかいう言葉に惑わされなくても済むのではないかと思います。
ではこの意志の強さを獲得するためには、大きな努力が必要なのかというと、そうとも思わないのです。なぜかというと、自己内自己を網羅してしまった段階で、それらの内容は半ば自動的に整理されていくものだからです。こうして、自分の世久保湯を網羅して整理ができてしまえば、どこに進むかはおのずと決まってくる。なぜなら、生きているということ自体が、より良い状態になっていこうという働きを持っているからです。ですので、意志が強いとか意志が弱いとかいう言葉に振り回されるのではなく、じこ内自己のナレッジモデリングをしていくというのが、成果を手にする近道ではないかなと、私はそう思っています。
七沢
第9章-ビジネスにおける純粋性
-意志が強い、意志が弱いということが先天的なものではないというのはものすごく可能性が広がる話ですね。
うん。でも実際には、強い意志とか弱い意志というものはないと思うんですよね。ある意味で、ひとりの個人の中にも意志が強い部分と意志が弱い部分とがあるわけでしょう?
-そうですよね。それってつまり自分の中で欲望と言われるものが整理されている分野ではすごく強い推進力を得ることができて、一方で自分の中の欲望が整理されていない分野ではどうも推進力が出ないというようなことが起こっているということですよね。
だからひとりの人間の中にもいろいろな面があるじゃない。
-うん。言われてみればそのとおりで。でもそれをやれ「なんとかタイプ」だとか、「なんとkぁパターン」だとかいう風に分類しようとするから無理が出てくる。つまり、実際の自分が持っている要素というのが見えなくなるのではないかと。
私はそう思いますよ。そういう意味で言うとね、易の六十四卦の一つに天籟无妄という卦がるんですよ。
-ほう。卦ですか?
そうそう。この天雷无妄という卦は、ものすごく強い卦なんですね。
-ほう。
ものすごく弱く見えるのに、ものすごく強いという。だからビジネスで成果を上げようというときには、この卦の内容が参考になるというかね。自分の在り方の参考になると思うんですよね。
-ん?ビジネスの成果と卦ですか。
ちょっとつながりが分かりませんが、どういうことかおお話いただけますか?
-はいはい。これは結構面白いんですよ(笑)
※純粋性と心の痛手
今、人をというか自分自身をタイプやパターンに分類しようとすることで、実際の自分が持っている要素が見えにくくなるのではないかというお話がありました。というのも、タイプ分類やパターン分析というものの背景には、このタイプはこうあるべきだとか、このパターンだったらこうあるべきという、いわゆる縛りがあるからです。縛りというテーマで言えば、これは先にお話ししたような理想の自己有像というものとも共通点があります。
つまり、それらのたいぷやパターンや理想像が既定する枠に自分をはめ込んでいかなければならないということになるからです。こうなると、自分自身の良さというものを認識することもできなくなります。
この一方で、こういう枠から完全に自由でいるという在り方もあります。その在り方のことを、易の六十四卦の中では天雷无妄という卦として表しています。これはどういう状態を指しているのかというと、純粋性というか、生き方として「純粋に在る」ということです。では純粋性のメリットは何かというと、心のエネルギーとしてとても強いものを持っているということがあげられます。一方で、今の世の中では純粋であるというのは、ある面では弱いとみなされることも多いです。つまり、純粋であるということは、沢山の知識や方法論を持っているわけではないというおkとになるからです。すると、やっぱり弱いのではないかと思われがちになる。とろこが、物事に対するときの態度というかスタンスということで考えると、純粋であるということは一番安全であると言えるのです。
なぜかというと、純粋であれば、もし何かを間違えたとしても取返しがきくからです。つまり、純粋に生きるということは、心の痛手が少ないということでもあります。例えばですが何かをしようとしたときに、自分で「これはうまくいかないだろうなぁ」と思いながらやっていると、結果としてうまくいかなかったときには痛手が大きいわけです。「ああ、やっぱりなぁ・・・」というような感じになって、二重にショックになる。だけど、そういう先験的な解釈なしに、純粋にやってみた内容というのは、たとえそれがうまくいかなかったとしても、そんなにショックには感じないわけです。仮にうまくいかなかったという「結果」からは絶望というものを味わったとしても、その絶望がまた次のステップになるというか、むしろ、そういう経験を知識として取り込んでいくことができる。
もちろん、こうして経験を通じてできていった知識が、先験的な解釈を生んでいく面もありますから、自分で意識していないとずっとこの純粋性の中にいることはできないと思います。だから一般的には、若いうちには純粋性の中にいるけれども、年齢を重ねていくうちに純粋ではいられなくなって、あらゆる物事の中に先験的な解釈を見つけたりしてしまう。例えば、つかまり立ちをしようとしている赤ちゃんが、つかまり達をしたんだけど、やっぱりコテンと尻もちついちゃったというときに、「もう立つのは無理だ」といってあきらめることはない。ところが大人になっていくと、同じようなことが起こったときに、簡単にあきらめるようになってしまったりします。ビジネス現場で例えば営業マンがどこかの取引先に見積を出して断られたときに、もう見積りが出せなくなるというケースも考えられる。
そして社内では「あの会社さんはもう行っても駄目だから」というような話をして、他の人も「ああ、そうなんだ」と理解してしまったりします。ところがその会社に新しい営業マンが入社してきて、その人が行ったら契約が取れちゃうことがある。その営業マンに「契約、取れましたけど」と言われて、「ええっ!なんで取れたんだ」ということになったりしますし、その結果、なぜか怒りの矛先がその新しい営業マンに向かっていって「あいつはけしからん」となっていったりする。今、いろいろな会社を見ていると、社内でなんだか雰囲気がおかしかったりするような会社には、だいたいこういうことが起こっているように感じます。
いずれにしても、情緒も自己の発達過程で、必要な情緒の種類が移り変わっていく。だから、適切な情緒を適切なタイミングと方法で使う必要があるわけですけれど、例えば競争心というような情緒を、のべつまくなしに使っていると、本当に社内がギスギスしてきたりしまう。それは発達段階のステップを間違えているということだとも言えます。話を天雷无妄という卦に戻すと、この卦の示す内容である純粋性というものを意識しておくと、ビジネスでも成果につながりがりやすいと思うのです。
天雷无妄という状態は、ある意味ですべてを客観視している状態だともいえるわけです。つまりそこには、これが良いとか悪いという判断がない。判断をしていない限り、何が有っても別に痛手を被ることはありません。もちろんそのときには、他党としてペタンと尻もちをついちゃうという、まわりの人から見たら失敗という風に見えることもあるかもしれないけれど、別にその人本人gはそれを失敗とは見ていない。かといってちゃんと立てたとしても、それをタ成功とも見ていない。もっと淡々としているわけです。だからこそ、タイプ分類やパターン分析からも自由でいられるとも言えると思います。そういう意味で、自己内自己の網羅をした後には、こういう段階に近くなるかもしれない。そう思ってご紹介しておきます。
(七沢)
※心安らかなビジネスのために
-天雷无妄っていうのは面白い卦ですね。
そう思うんですけどね。
-ある意味、この天雷无妄という状況は、自己内自己のナレッジモデリングというか、自己内自己の内容、それは欲望だったりすると思うんですけど、そういうことを網羅していった先に出てくるものという感じがしますね。
そうですね。だから、成果というものを生み出す意志にもふたつあってね。自己内自己の内容をすべて網羅したうえで自然発生的に出てくる意志と、自分が何かを「これだ!」と確信した時に出てくる意志とがあると思うんですよ。
-はいはい。
それでこの「これだ!」という確信を基盤にした方向性というか意志にもそれなりの強い力がある。ある意味では自己内自己の中身を網羅していなかったとしても、それらを網羅した時と同じくらいの推進力を持つこともあるわけです。
-うんうん
ですので、信じる者は救われ鵜ではないですけど、革新というものに至れれば、それなりの力が出る。ただし、自己内自己あるいは自分の欲望というものを網羅しない段階で、革新だけで成果を出した人というのは、どこかで失敗する可能性があるわけでね。なぜなら、自分の欲望の中には二項対立的に相反しているものがあるわけですから。その構造を理解しないままにどちらかの方向に突出したとしてもいずれは自分自身に引き戻されることになりますよね。
-そうですよねぇ。また、こういう確信に従っている場合には、精神的にどこか安定しない部分も出てきますしね。
うん。ですので、可能であればやはり、自己内自己や自分の欲望を網羅して整理するところから始めていただきたいと思うんだけどね。
-確信があれば成果はデルかもしれないけど危ないよと。
うん。
-なぜかというと、そこにさっきの天雷无妄のような内容はなくて。
単なる無謀になりますよと(笑)
-字も違いますよと(笑)だから、あなたがもしビジネスで成果を出したいと言うんだったら、意志というものの力が必要なことが分かったうえで、自分の中にある主体自我の内容を網羅していってくださいねと。
そうです。
-その中で、ひょっとしたら、「あ、これだ!」って、確信できるものがあるかもしれないし、そこに向かって進めば成果が出ることもあるかもしれないけれど。実はちょっと危ないところもあるので、可能であればじこ内自己の網羅の作業は続けていってくださいと。
そうですね。その先には天雷无妄というような状態があるかもしれないし。その視点から見ていくと、一時の成果や悩毎や、契約が取れた・取れないとかそういうところではないところで納得できると思いますよと。
-すると心安らかにビジネスもしていけると。
そう思うんだけどね。
-深いですねぇ。