5、意識の進化とは
※自由自在性を持つ
さっきのね、自分や自分や自分の国の良いところ探しができていないという話の原因にはね、理想の自己像というものがあると思うんですよ。
―理想の自己像ですか?
そうそう。一時期、理想の自己像を作るというのがはやった時期があったでしょう?ああいうのは、全然なんの足しにもならないということですよね。
―うん。縛りにこそなれ。
縛りにこそなれね。国も音字でしょうね、理想の国家像というのがあると自分が縛られるということじゃないでしょうかね。
―なるほどねぇ。でも、ある意味ではこうなりたいという理想を持って、そこに向かって進んでいくというのは、すごく正しく聞こえるんですけどね。
そうそうそう
―でもそれが間違っているということですよね。
うん、全然意味がないから。
―きっと木テクとする場所の定義が違うんですよね。その理想の何かになれば自分自身や自分の国に勝ちが出る妥当という定義が、自分たちの自由性を妨げているのかな。
そうだと思いますよ。だから何かになることを目的にするのではなくて、自由自在性を持つことを目的にすればいいと思うんだけど。
―自由自在性ですか?
そうですね。これは進化の要諦だと思うんですよ。フレキシビリティというか、僕はこの言葉を融通無碍という言葉に訳したんだけどね。
―融通無碍。その進化というのは生物学的な進化ということですか。
そうそう。実はね、生物学的な進化が起こる時というのは、究極の自由性の中で起こるんですよね、。
―え?そうなんですか?僕はいろんな環境変化によって、どんどん対ロというか、選択しが立たれていって、もうここに行かないといきんぼびれないから、そこに行ったというような捉え方をしてましたけど。そうではないということですか。
うん。どこにでも行ける状態になって、初めてどこに行くかというのを選べるということです。
―じゃあ、理想像を描いて、そこに近づいていこうとするアプローチから進化は生まれないということですか。
生れないです。
―なんで生まれないんですか?
それは進んでいった先が閉じているというか、限定的になるからでしょう。
―行き着いたとしても、その先には何もないということですか?
ええ。理想像を描いたりするということは、行先を人工的にこしらえることでしょう。良い者をこしらえる。するとその時点で良いか悪いかという判断基準も人工的になりますよね。
―確かに。
その基準に沿ってできあがったものは、もう当然人工的でしょうし、そこから先に発展しようと思うと、その発展自体も人工的にあらかじめつくられていなければならないというかね。人工的なものだから最初から設計に入れてなかったらできないですよ。つまり、発展のしようがない。だから、系としては完全に閉鎖系ですよ。
―それに対して自由度を上げるというのは、開放系の話なんですか。つまり、どこに行くかはわからないけど、でも、何かの時には自由に選べるという・
そうですね。
―自由に選べればその時々で、より良い選択をする可能性も上がるだろうし。しかも行先が人工的に閉じていないから、そn先にもまた360度の可能性が広がっているという感じですか?
―そう。だからそういうときに意識というものを、全方位的に自由な状態にしておけば、一番いいチョイスができる可能性が高くなる。意識おn自由性というか、進化。あるいは生き延びる可能性の高さが確保できるということでもありますよね。
うーん。例えばね、理想像を描くことによって生き延びようとする社会があるじゃないですか。
―はい。
例えば開催んとしての生活の中で生き延びるために、МBAという資格を取ろうというのもそのひとつですよね。「МBAの資格を取った私」という自分の理想像をこしらえて、そこに向かって進んでいくという。
―うん。
多くの場合にはそういうやり方が意規模ビルための手段だと思われているわけですけども。実は全然生き延びる手段にもなんにもなっていなくて、かといって寿命を縮めるわけでも別にないんだけど。簡単に言うと意味のないことをやっているということですか?
―うん。そういうことだと思います。
そんな暇があったら自分の自由度を上げるほうがいいのではないですか、ということですか?
―そう。
どうやったら自由度が上がるんですか、先生。
―やっぱりナレッジモデリングが近道だと思うけど(笑)
意識ですよ。意識のナレッジモデリング。
※「覚醒している時に起こるさまざまな思い」を網羅する
僕はね、人間の発展ということを考えるとね、これから一番のポイントになるのは「意識」だと思うんですよね。
―意識ですか?
うん。なぜなら今では量子力学でも意識の問題がでてきた。工学でも意識がテーマになってきた。これは新しい意識音とらえ方が始まったという意味です。そしてそれらのより進んだ最先端の科学がだんだんだんだんと実生活に直接関連するような分野にも降りてきて、今ちょうど心理学や医学でも意識について新しい捉え方をしようとしているわけです。
―ほう。
つまり、意識というものをどうとらえるかという研究をすることが、人類の一番の得になるというかね。特になるというとおかしいかもしれないけど、例えば意識のエネルギーを使って、新たな物事を生み出していくというところに進めば、この研究は相当や国立つんじゃないかなというような意味ですね。
5、意識の進化とは
※自由自在性を持つ
さっきのね、自分や自分や自分の国の良いところ探しができていないという話の原因にはね、理想の自己像というものがあると思うんですよ。
―理想の自己像ですか?
そうそう。一時期、理想の自己像を作るというのがはやった時期があったでしょう?ああいうのは、全然なんの足しにもならないということですよね。
―うん。縛りにこそなれ。
縛りにこそなれね。国も音字でしょうね、理想の国家像というのがあると自分が縛られるということじゃないでしょうかね。
―なるほどねぇ。でも、ある意味ではこうなりたいという理想を持って、そこに向かって進んでいくというのは、すごく正しく聞こえるんですけどね。
そうそうそう
―でもそれが間違っているということですよね。
うん、全然意味がないから。
―きっと木テクとする場所の定義が違うんですよね。その理想の何かになれば自分自身や自分の国に勝ちが出る妥当という定義が、自分たちの自由性を妨げているのかな。
そうだと思いますよ。だから何かになることを目的にするのではなくて、自由自在性を持つことを目的にすればいいと思うんだけど。
―自由自在性ですか?
そうですね。これは進化の要諦だと思うんですよ。フレキシビリティというか、僕はこの言葉を融通無碍という言葉に訳したんだけどね。
―融通無碍。その進化というのは生物学的な進化ということですか。
そうそう。実はね、生物学的な進化が起こる時というのは、究極の自由性の中で起こるんですよね、。
―え?そうなんですか?僕はいろんな環境変化によって、どんどん対ロというか、選択しが立たれていって、もうここに行かないといきんぼびれないから、そこに行ったというような捉え方をしてましたけど。そうではないということですか。
うん。どこにでも行ける状態になって、初めてどこに行くかというのを選べるということです。
―じゃあ、理想像を描いて、そこに近づいていこうとするアプローチから進化は生まれないということですか。
生れないです。
―なんで生まれないんですか?
それは進んでいった先が閉じているというか、限定的になるからでしょう。
―行き着いたとしても、その先には何もないということですか?
ええ。理想像を描いたりするということは、行先を人工的にこしらえることでしょう。良い者をこしらえる。するとその時点で良いか悪いかという判断基準も人工的になりますよね。
―確かに。
その基準に沿ってできあがったものは、もう当然人工的でしょうし、そこから先に発展しようと思うと、その発展自体も人工的にあらかじめつくられていなければならないというかね。人工的なものだから最初から設計に入れてなかったらできないですよ。つまり、発展のしようがない。だから、系としては完全に閉鎖系ですよ。
―それに対して自由度を上げるというのは、開放系の話なんですか。つまり、どこに行くかはわからないけど、でも、何かの時には自由に選べるという・
そうですね。
―自由に選べればその時々で、より良い選択をする可能性も上がるだろうし。しかも行先が人工的に閉じていないから、そn先にもまた360度の可能性が広がっているという感じですか?
―そう。だからそういうときに意識というものを、全方位的に自由な状態にしておけば、一番いいチョイスができる可能性が高くなる。意識おn自由性というか、進化。あるいは生き延びる可能性の高さが確保できるということでもありますよね。
うーん。例えばね、理想像を描くことによって生き延びようとする社会があるじゃないですか。
―はい。
例えば開催んとしての生活の中で生き延びるために、МBAという資格を取ろうというのもそのひとつですよね。「МBAの資格を取った私」という自分の理想像をこしらえて、そこに向かって進んでいくという。
―うん。
多くの場合にはそういうやり方が意規模ビルための手段だと思われているわけですけども。実は全然生き延びる手段にもなんにもなっていなくて、かといって寿命を縮めるわけでも別にないんだけど。簡単に言うと意味のないことをやっているということですか?
―うん。そういうことだと思います。
そんな暇があったら自分の自由度を上げるほうがいいのではないですか、ということですか?
―そう。
どうやったら自由度が上がるんですか、先生。
―やっぱりナレッジモデリングが近道だと思うけど(笑)
意識ですよ。意識のナレッジモデリング。
※「覚醒している時に起こるさまざまな思い」を網羅する
僕はね、人間の発展ということを考えるとね、これから一番のポイントになるのは「意識」だと思うんですよね。
―意識ですか?
うん。なぜなら今では量子力学でも意識の問題がでてきた。工学でも意識がテーマになってきた。これは新しい意識音とらえ方が始まったという意味です。そしてそれらのより進んだ最先端の科学がだんだんだんだんと実生活に直接関連するような分野にも降りてきて、今ちょうど心理学や医学でも意識について新しい捉え方をしようとしているわけです。
―ほう。
つまり、意識というものをどうとらえるかという研究をすることが、人類の一番の得になるというかね。特になるというとおかしいかもしれないけど、例えば意識のエネルギーを使って、新たな物事を生み出していくというところに進めば、この研究は相当や国立つんじゃないかなというような意味ですね。
そしてそれらのより進んだ最先端の科学がだんだんと実生活に直接関連するような分野にも降りてきて、今ちょうど心理学や医学でも意識について新しいとらえ方をしようとしているわけです。
―ほう。
つまり、意識というものをどうとらえるかという研究をすることが、人類の一番の特になるというかね。得になると言うとおかしいかもしれないけど、例えば意識のエネルギーを使って、新たな物事を生み出していくというところに進めば、この研究は相当に役に立つんじゃないかなというような意味ですよね。
―ほう。
そういうものを例えば、業務のパソコンシステムの中に組み込んでしまう。
―そんなことできるんですか?
簡単ですよ。ナレッジモデリングを使ってシステムを作った時点で網羅性が確保されているから。あとは方向性をね、与えてあげるだけですよね。
―ん?ちょっとわからなくなりました。ナレッジモデリングという手法で何を網羅するんでしたっけ?
人間の意識。
―え?人間の意識って網羅できるんですか?
うん。できますよ。
―あれ?先生、今「意識」っていう言葉をどんな意味で使っているんですか?
あ、そうか。定義が必要だよね。
―うん。階層がずれてたら話が通じないから(笑)その「意識」っていう言葉を別の言葉で言うと何なんですか?
別の言葉で言うと「覚醒している時に起こるさまざまな思い」ということかな。
―「覚醒している時に起こるさまざまな思い」ですか。
そうそう。
―そうなると意識のナレッジモデリングというのは「覚醒している時に起こるさまざまな思い」を網羅していくことですよと。
うん。
―何か網羅するといえば、これは前の本に出ていた京都の女子大生の話に近いですよね。彼女たちが、感情後のリストを読むことで、自分がどんな感情を持つ可能性があるのかを知ると、その時々の自分の感情を表すのにピッタリの言葉をつかうことができるようになるという話と同じ?
そうそう。あれは感情後の話だったけどね、今度は意識で同じことをする。
―なるほど。ただ「意識」と言われてもピンとこないけど、「覚醒している時に起こるさまざまな思いの種類」であれば感情語と同じように網羅の対象にできると。
そうですね。
―意識の発展というのは「覚醒している時に起こるさまざまな思い」の選択肢をどんどん増やしていくことですよと。
そう。
―そして「覚醒している時に起こるさまざまな思い」の選択肢が多ければ、自由度が上がりますよと。
僕はそう思います。
―ところが、今、自分が「覚醒している時に起こるさまざまな思い」というのを、ちゃんととらえている人は、まぁまれですよと。
まれどころか(笑)
―「覚醒している時に起こるさまざまな思い」ぼバリエーションをたくさん知っていれば、自分の意識が今どこにあるのかを的確につかうむことができるようになるし。
そうです。
―そうなれば例えば恋愛もうまくいくでしょうねと。人とのコミュニケーションもうまくいくでしょうねと。
いくでしょうね。だからさっきの話に戻るけどね、そういう発展の方向性をね、業務のシステムの中に組み込んでいくこともできるわけですよ。
―あ。その話してましたね。
うん。
―それはどうやるんですか?
「覚醒している時に起こるさまざまな思い」を表示するだけですよ。
―ほう。ちょっと画面とかは想像できないんですけど。ただ、仕組みとしてはなんとなくわかった氣になってます(笑)
簡単ですよ。
―そうなると、例えば毎日経理の処理をしているだけでも、意識というか「覚醒している時に起こるさまざまな思い」を客観的に見ることになって、意識が発展していくと。
そうですね。こんなのはハウツーでいいと思うんですよね。機械的にできるものは機械でやればいいし。
―ハウツー?
うん。そういう意味では、こういう本というのも役に立つと思うし。やっぱりね、必ず使えるというか、やり方がわkるというのはものすごく大きいんじゃないかなと、という氣がするんですね。
―ほう?
だって、意識の発展というのは、普通は宗教的にというか、さんざん修行した人たちがやっとたどり着くような場所じゃないですか。彼らが最終的にこうじゃないかなとたどり着いた部分のエッセンスを、最初から提供できるというのはとても役に立つのではないかと思うんですよ。
―なるほどね。
もちろん僕はそんな思想家や学者dめおないけど。だけども、非常に平易な論理と言葉でもって織りなしていくというのはやる意味があるのではないかなと思ってるんですけどね。
―うん。
だって、今やインフラは全部そろっているんですからね。
―パソコンもあるし、脳はを周波数変換する方法もあるしと。
そうそう。本もたくさんあるし。類語辞典とか、中村明さんの「感情表現辞典」とかね。インフラはもうそろってるんですからやってみればいい。そう思ってやってきたということはありますね。
※顧客の心理を読み取り組み
―先生、今ね、人間の意識を網羅して客観的にみられるようにするという話が出たじゃないですか。その話で思い出したんですけど、今、せんせいがシステム化しているメンタルプロセッサーっていうのがありますよね?
はい。
―あれの基本はやっぱり、人の心情を網羅して客観視した内容が基盤になりますよね。
そうです。
―同じようなことでね、人の心情ではないけど、人の価値観を可視化しようという研究があってね。東工の工学部の大澤さんという境界がそういうことをやっていたんですよ。僕もちょくちょく研究室にお伺いしてたんですけどね。
うん。
―そこで可視化しようとしていたのは人の価値観ですけど、同じような取り組みを顧客という存在に対してやってきた企業さんって結構多いんですよ。簡単に言うと、顧客の購買動機っていうものを、目に見えるようにしようとしてきた。そうすればもっと売れるようになるだろうという前提のもとでの取り組みですよね。
うん。
―今でも顧客の心理をコントロールするとか、人の心を読めるとか、そういうふうなノウハウ本みたいなものが売れるじゃないですか。
はい。
―そういうのと同じで「顧客の心理を読める」というか、目で見えるズとかにできないものかっていう研究というか取り組みは、僕が知っているだけでも結構な数の企業さんがやっているんですけどね。でも、なかなかうまくいかないんですよね。
ほう。
―それで先生のとこのメンタルプロセッサーの話をしたじゃないですか。その時にね、そういう企業さんの取り組みがうまくいかなかったのは、そもそも顧客の感情というのを最初に網羅していなかったからじゃないかと思ったんですよね。
はいはい。
―だから、彼らが「お客さんが持つ可能性がある感情」として把握している勘定の数がものすごく少ないように感じるんですよ。ちょうど、さっきも言った「京都の女子大生が自分の感情を表現するのに七つの言葉しか使っていなかった」という話みたいにね。
その可能性はありますよね。
―うん。それで、そもそも選択しが少ない感情のどこかにお客さんを無理やり押し込めようとするからうまくいかない。
うん。そういうことで言うとね、一條さんの論理n負い方というのはシェリング風なんですよ。
※ドイツ哲学と感情論理
前の本を書いたときにね、一條さんが現行を見ながら順番を変えていったでしょ。あの手法というか、論理の追いかけ方はね、ものすごく新しい。新しいというか珍しい。あれはシェリングというドイツの哲学者の言う、超越的観念論という技法ですよ。
―超越的観念論?
うん。みんな誰も思い当たらないともうけども、ヘーゲルのような二項対立的な論理の追いかけ方ではない。
―ふ―ん。自分がやっていることだから全くわからない(笑)
自然のうちに「感情論理」を使っているでしょ?
―感情論理?
うん。読み手の感情。
―はいはい。こういうことを伝えたいんだけれど、それが伝わるためにはどういう順序で話をする必要があるか。それを読み手の感情から逆算して話の順序を変えていったということですね。
そうそう。一條さんはそういう感情論理を多様しているでしょ。
―まぁ、意識してはいると思いますけど。
だから、もう何年も私のところに来ていた人たちの中に、あの原稿を読んだときに「この本を読んではj馬手、これまで聞いてきた話の内容がわかった!」と言う人たちが何人もいた。
―よかったじゃないですか(笑)
普通はね、そんなことしないからね。
―ほう?
だからその感情論理を使う段階で「こういうのが欲しいんですよね」という提示というか確認というかがあって。「そうです」という相手からの答えがあるということですよ。
―相手がちゃんといるということですか。
ええ。
―普通の人には相手がいないということ?
相手のことは考えてないということでしょ。
―へえ。
だから、自分の脳の中で他者としてつかんでいる存在が実は、自己内他者であるおとに氣付いていない。自分の中で勝手に作り上げた他者のことを、本当の他者だと思い込んでいるという間違いがあるわけでしょ。
―まぁ、実際に僕がやってるのは後出しジャンケンですけどね。先にこちらから提示するのではなくて、相手が「これが欲しい」と言っている内容を聞いたあとで、「こんなんあるけど、いる?」って言いながらさっきその相手が欲しいと言っていたものそのものをチラッと見せるという(笑)
だから僕は「ビジネスは後出しジャンケンでうまくいく」って言ってる。
うんうん。誰かが商売は大変だって言うたびに「そんなことないですよ」って話をされますもんね。あれにはみんなハトが豆鉄砲くったみたいな顔をしてる(笑)
今思ったけど、そんなタイトルの本があったら読んでみたいっていう人は多いんじゃないの?
―じゃあそのうち出るかも(笑)「ビジネスは後出しジャンケンでうまくいく」っていうのと「商売は後出しジャンケンでうまくいく」っていう本の2冊セットで。
出たら両方かいます(笑)
―(笑)でもね、じこ内他yさと他者の見極めって簡単に言いますけどね。先生も僕も簡単にそういうおと言うじゃないですか。「いや、それは欲望を限ってないからダメなんですよ」とか。「あわよくば狙ってビジネスしても成果出ませんよね」とかね。
はい。
―でも、見ていると自己内他者と他者の見極めって、ものすごい難しそうなんですよね。なんで難しいん
ですかね。
※欲望を限る人は信頼できるのか?
だから、純粋い人の気持ちを汲むということができないからでしょ。
―人の気持ちを汲むことができない?
というか、人の気持ちを汲むことに集中できない。
―なんでできないんでしょうね。
それは自分の主観があるからでしょ。
―自分の欲求が先に立っちゃうからってこと?
そう。だから、一條さんはそれをものすごく客観視する、そいうトレーニングを大量にしたということで、だから言葉の端々から本当御欲望というものが見えるようになったというかね。だから、僕は最初に「ああ、この人、いけるな」と思ったのは何かというと、欲望を限るというその技術を持った方だと。
―はいはい。欲望を限るね。
うん。それの一点でわかるわけですよね、私の判断方法としては。これは信頼できるわけね、一番ね。
―ほう。
結局、欲望を限れないからみんな落とし穴に落ちるわけでしょ。極端に言うと、欲望を限れるか限れないかというおとだけが問題だと。
―もしくは欲望を限る技術を持っているかどうか?
そう。だから、じこ内他者と他者というものの確認方法というのか、理解方法の精密さというのかね。そこにおいて「相手とコミュニケーションがとれるかどうか」がはっきりしてくるのですね。
―うーん。例えば、僕が営業研修する相手の営業マンさんとかのね、営業の現場とか見てると「売りたい気持ち」が先だってて「誰にでもいいから売りたい!」みたいになっているわけですよ。
うん。
―そうすると、相手の話なんて聞いている余裕はなくて、一生懸命売り込んでいく。ところが、いくらこっちが売りたいと思っていたって、相手が解体と思っていなければ絶対買わないわけですよね。
そうですよね。当然。
―だから売り込むよりも前に、まず買う氣があるかないかを確認していったほうが早いし、その確認をするためには相手に聞くのが早いですよと言うんですけど。
確かに。
―つまり僕は「自分の目的を達成するために」相手のことを気黄とするんですね。これは相手ンおためじゃなくて、自分のためにするんですおy。
言い切りますね(笑)
―だってほんとだもん(笑)ところが、僕が見ているクライアントさんの営業マンさとか、営業ウーマンさんでも同じだけど「自分の目的を達成するために」売り込もうとするんですよ。
うんうん。
―そんなところの僕が売り込もうとしても買わない人には売れないよ」と言っても売り込みをやめられない。「買わない人は買わないから、先に買う人を見つけて、その人に売ったらいいんじゃないの」と言ったら「買う人なんて出てこないですよ」という話になっていく。
(笑)
そこで僕が「いや、いるでしょ、100人いたら1人ぐらい」と言うと「いや、100人いたら100人に売りたいんです」という話になっていく(笑)
―そこで僕が「いや、いるでしょ、100人いたら1人ぐらい」と言うと「いや、100人いたら100人に売りたいんです」という話になっていく(笑)
(笑)
―これは自分の目的というか、欲求とか欲望とかいうものの内容を、ちゃんと自分で把握していないということなんですかね。わからないけど。
もちろん。そういうのはだから情報網羅ができていないだけでしょ。
―情動の貸借対照表
情報網羅
うん。
―ああ。自分の情緒自体も池の中の飛び石みたいで「売りたいという氣持ち」と「売れなかったらどうしよう」というこのふたつぐらいしかなくて、その他の選択肢がない状態だということ?
そうです。だから私がね、メンタルプロセッサーを開発した理由もそういうところですよ。そういう全体像をとらえるためのツールというかね。だから、自分の中における情動の貸借対象表みたいなものを持たないいけないってことなんですよ。
―情動の貸借対照表。本の小見出しに使えそうな名前ですよ(笑)
(笑)でも絶えず自分の常道についての情報を網羅しておかないと。そうしないとダブルバインドに入っちゃう。
―どういうことですか?売りたい気持ちはあるけど、売っちゃいけないと思う自分もいる、みたいな感じ御こと?
そうですね。例えばね、商品にちょっと傷があるとしますよ。そうしたら「もしこれが売れちゃったら、あとでクレームになるんじゃないな」ともおもう。だけど、やppり明日の経営会議までには売っておかないと私の立場はないなってなった時に、さあ、どうする?という二重構造になる。そういう意味です。今はそんなことばっかり起こってるんでしょ?
―そこには他の選択肢がないと。
そう。
―例えば「ああ、これ、傷あるな、お客さんからこれ欲しいって言われたら困るな」と。「でも、俺、占いといけないしな」というときに、お客さんから「それ、欲しい」と言われたら「うっ」となってしまう。
そう。こんな時一條さんだったらどうします?
―いや、僕だったらもう売りたいから(笑)お客さんに「欲しい」って言われたとき員「ああ、お客さん、これ欲しいんですか」と聞いたうえで「ただね、これ、ここに傷があるんdねすけど、これでもいいです?」って僕はスパッと言っちゃうんですよ。
うん。普通にいつも言ってますもんね。
―知ってるなら聞かないでください(笑)
ところがね、それを言えない人は多いんですよ。
―まぁ、その気持ちもわからないでもないんだけど。でもその結果、傷のことをごまかしちゃったり、何も説明せずに売っちゃったあとで悩んだりする。
そうですね。そういう問題が出てくるとね、今度は言える人と言えない人というのは、一つの性格みたいなものだということになって、心理学の問題か何かになっていくわけでしょ。あるいは占いみたいな話になってくる。
※タイプ分類と折れ反れ
―ああ。タイプ分類ですね。
そうそう。
―あなたはそれが言えるタイプの人です、あなたは言えない人ですって。
それでまた拘束される。
―私はこういうタイプだと。
私は売れないタイプの人なんだからしょうがないって(笑)
―ダメじゃないですか(笑)
だから、そういう拘束がいっぱいあるわけですよ、今の社会にhあ。
―うーん。
だからね、一條さんみたいにそういうところを排除してやってこられるというのは、ある意味悟りのような話です。
―まったくそんな実感はないですけど(笑)
だってどんな相手が来てもまったく自然に、同じ地歩に立てるじゃないですか。えらそうでもなく、へりくだるでもなく対等に話すし。なかんかこういうことはできないですよ。普通は低くなるか高くなるか、折れるか反れるかでしょう。
―折れるか反れるか?
うん。京都の文化ではね、こういうのを「折れ反れ」というんですよ。折れ反れがわかっているか、わかっていないかということが京都の文化の一番の特徴なんです。あの人に対して俺は折れると。この人に対しては反れると。折れるか反れるかの区別しかない。
―ふーん。
まぁ、そういう判断基準もあるということですよね。ご自身を見てみて、そういう制限からは自由だと思うでしょ?
―まぁ、確かにそういうこと自体を考えないですからね。
そういうのがひとつの、人間関係論的に大事というかね。だから、それは悟りと同じだから。それに一條さんはごくしぜんに、しかも明確に自分の欲望を言葉にして表現するじゃないですか。だいたいの人はあれができないわけだよね。みんな自分の欲望を隠そうとするから。
―うん。隠していますよね。なんですかこれ?僕の分析みたいになってますけど(笑)
まぁ、いいじゃないですか(笑)でもね、そうやって隠すというのがね、情緒的には一番まずいところですよ。欲望をなんとかして隠したがるというのがね。
―確かにね。隠し事があると自分音中で自由度が下がりますからね。大幅に。
うん。だからその隠そうとする行為というか思考がね、どこから出てきているかというおkとを自分音中で一回はっきりさせておかないといけないと思うんですけどね。
―うん。それは個人個人にとっての課題ですね。
そうそう。人に馬鹿だと思われたくないとかね。あるいは恥をかきたくないとか、いろいろありましょうけどね。だからね、さっきのじこ内他者のような考え方に多くの人が引っかかるのは、こうあるべきだというような理想的な自己があるからだとも言えるんですよ。
―なるほどね。
だから観察者としての自己として見てみれば、そういうふうな問題点もはっきり見えてくると思いますよ。
※間主観的なモノの見方とは?
つまりね、今の与野んかにはいろいろな神経症といわれる症状がありますけどね。感情の病として神経症をとらえれば、それは不安神経症だとか、なんとか神経症というふうに診断されるんだろうけど。
―はい。
実際は「こうあらねばならぬ」というふうな理想の自分に引っかかっているだけだとも言えるわけですよ。
―ほう。でも「こうあらねばならぬ」っていう理想像自体も自分自身で作ったわけではないでしょ?きっと。
うん。それは社会自体の機能としてね、社会が個人の中に組み込んだものだとも言えますよね。
―うん。でも社会によって定義された「こういう人がいい人ですよ」という像自体も、社会という確かな主体はないわけだから、あくまでも何か想像上の産物なんですよね。
そうですよ。だから主体というか、形がないもの、実態のないものに縛られているわけ。
―ほう。
だからそれを間主観的とか、世間とか言いますよね。人間というのは、人なのか人間なのか。
―おお。それは面白いですね。「人」という存在と「人間」という存在はちがうよと。
うんうん。
―ちなみに間主観的ってどういうことなんですか?
間主観っていうのは要するに、主観と主観の間を見ているということですおy。
―どういうことです?
だから人と人との間を見るという意味です。他者と自分とのやりとりの中から自分の生き方を見つめるような。そういう見方のことですよ。
―相手を見て自分の生き方を見つけるわけでもないし、自分を見て自分の生き方を見つけるわけでもないと。
そう。誰かと自分との関係というものを見ながら、どう生きるべきか、どうするべきかを決めていくというかね。これは、現象学という学問かあ派生した社会学の取り組み方のひとつですよ。
―観察する学問ですね。
そうですね。
―そして、人と人との間を見ながら生きているのが人間であると。
そうそう。
―ふーん。じゃあ間を見ていくというのは、誰かとコミュニケーションを取ったりすr時にはすごくいいことなんだけど。
うん。
―でも間ばかり見ていると、本当に変なしがらみというか、縛りに縛られて、がんじがらめというようなことが起こる可能性もありますよと。
そうですね。
―じゃあ、間主観的に見るって、あまりいいことでもないんですかね。
いや、いいこととか悪いこととかじゃなくて、そういうひとつの社会学だからね。
―なるほど。
※欲望を限るとビジネスが伸びる
欲望を限るというお話が出てきました。これはビジネスをする上でもとても大切なことだおt思います。実は私のところへビジネスおnご相談にいらっしゃる方は、だいたい売上を上げるとかお客さんの数を増やすという目的を持たれていることが多いです。そこで私は相手の社長さんやご担当者さんに最初にお会いした時には質問をすることになります。「売上をいくら上げたいんですか?」と。
すると社長さんやご担当者さんが答えます。
例えば「利益を1億円増やしたいんです。」という具合です。
そこで私が「1億円でいいんですね?」と聞くと、「いや、できるならもっと」という答えが返ってくる。
「じゃあいくらにしたいんですか?」と聞くと、「いや、延ばせるなら延ばせるだけ」という事和えが返ってくることが実はとても多いのです。でも、これではなんのアドバイスもしようがないのです。
というのも、例えば今の年間の利益が10億円の会社があったとして、その会社が利益を1億円伸ばしたいというときと、その会社が利益を30憶円のばしたいというときとではとるべき方策はまったく違うはずだからです。マーケティング上の仕掛けや販促の方法も絶対に違う。
でも、伸ばせるだけ伸ばしたいとカン上げているとそういう事実には目が向かなくなってしまいます。その結果、あわよくばうまくいくのではないか」という期待だけを持って走り出してしまう。もりとん、あわよくばという期待を持つのは一時的には楽しみかもしれませんが、結果としては獲らぬタヌキになりがちです。
そして同じような例は多くのコンサルタントさんにも当てはまります。
私が色々な出版社さんからの依頼で書籍の販促をしていることから、本を書いているコンサルタントの方々が私のところに自分が書いた書籍の販促の相談に来てくださることも多いのですが、そのほとんどの方が「自分がコンサルティングサービスを提供する時に請求する価格」を自分のホームページや会社説明のパンフレットに書いてないのです。こうしたコンサルタントさんたち、もしくはコンサルティング会社さんが自分たちのコンサルティングサービスの価格をホームページなんどに書かない理由は、ふたつあります。
ひとつめは、予算御多い企業さんからは「最大限の支払い」を引き出したいから。
ふたつめは、よさんが少ない企業さんもなんとかお客さんとしてとりこみたいから。この二つの理由から、自分たちのコンサルティングサービスの価格を提示しないおkとになるようです。
ところがお客さんからしたら、価格が書いていないサービスに問い合わせや申し込みをするのはやっぱり躊躇するわけです。そうすると、コンサルタントさん、コンサルティング会社さんが受け取る問い合わせの数は少なくなるし、その結果、コンサルティングサービスの依頼を受ける件数も少なくなる。
つまりこのコンサルタントさん、コンサルティング会社さんは、自分にとって良かれと思ってやっていることで、かえって自分の首を絞めていることになります。ところでそもそもコンサルタントという職業は、クライアントさんの利益や売上が上がってはじめて評価される職業だと思います。であれば、自分のところに入ってくるお金の額をいかに吊り上げるかと考えるよりも、さっさと仕事に着手してクライアントの業績を上げることに集中したほうが自分の事業にとっても効率がよくなるはず。
もちろん、最初から価格を提示すれば予算がある相手からも「その相手が出せる予算いっぱいの額」は引き出せないでしょう。もちろん、最初から価格を提示すれば予算がたりない相手からは問い合わせすらもらえないでしょう。でも、きっと問い合わせをしてくださる相手はいるはずです。そしてその時には、自分たちが提示した価格を祓ってもらえるかどうかという心配はしなくてもいいはずです。その結果、清々と自分の役割を果たすことに集中できるのではないかなと思っています。
あわよくばという「よくばり心」を捨てて、欲望を限る。こうすれば、階段を一歩一歩上がって行くように伸びていくことができる。
・明確な目標を設定するおと。
・そして、そこからブレないこと。
このふたつの内容をセットにして「欲望を限る」と言っているわけですが、階段を一歩一歩上がっていくような、そのようなやり方で安定して進んでいくビジネスもあるのだと思います。「欲望を限る」というとなんだか悟りの境地のように聞こえますが(笑)実際にはより安らかな気持ちで発展していくための方法である。私はそう思っています。
※自由自在性を持つ
さっきのね、自分や自分や自分の国の良いところ探しができていないという話の原因にはね、理想の自己像というものがあると思うんですよ。
―理想の自己像ですか?
そうそう。一時期、理想の自己像を作るというのがはやった時期があったでしょう?ああいうのは、全然なんの足しにもならないということですよね。
―うん。縛りにこそなれ。
縛りにこそなれね。国も音字でしょうね、理想の国家像というのがあると自分が縛られるということじゃないでしょうかね。
―なるほどねぇ。でも、ある意味ではこうなりたいという理想を持って、そこに向かって進んでいくというのは、すごく正しく聞こえるんですけどね。
そうそうそう
―でもそれが間違っているということですよね。
うん、全然意味がないから。
―きっと木テクとする場所の定義が違うんですよね。その理想の何かになれば自分自身や自分の国に勝ちが出る妥当という定義が、自分たちの自由性を妨げているのかな。
そうだと思いますよ。だから何かになることを目的にするのではなくて、自由自在性を持つことを目的にすればいいと思うんだけど。
―自由自在性ですか?
そうですね。これは進化の要諦だと思うんですよ。フレキシビリティというか、僕はこの言葉を融通無碍という言葉に訳したんだけどね。
―融通無碍。その進化というのは生物学的な進化ということですか。
そうそう。実はね、生物学的な進化が起こる時というのは、究極の自由性の中で起こるんですよね、。
―え?そうなんですか?僕はいろんな環境変化によって、どんどん対ロというか、選択しが立たれていって、もうここに行かないといきんぼびれないから、そこに行ったというような捉え方をしてましたけど。そうではないということですか。
うん。どこにでも行ける状態になって、初めてどこに行くかというのを選べるということです。
―じゃあ、理想像を描いて、そこに近づいていこうとするアプローチから進化は生まれないということですか。
生れないです。
―なんで生まれないんですか?
それは進んでいった先が閉じているというか、限定的になるからでしょう。
―行き着いたとしても、その先には何もないということですか?
ええ。理想像を描いたりするということは、行先を人工的にこしらえることでしょう。良い者をこしらえる。するとその時点で良いか悪いかという判断基準も人工的になりますよね。
―確かに。
その基準に沿ってできあがったものは、もう当然人工的でしょうし、そこから先に発展しようと思うと、その発展自体も人工的にあらかじめつくられていなければならないというかね。人工的なものだから最初から設計に入れてなかったらできないですよ。つまり、発展のしようがない。だから、系としては完全に閉鎖系ですよ。
―それに対して自由度を上げるというのは、開放系の話なんですか。つまり、どこに行くかはわからないけど、でも、何かの時には自由に選べるという・
そうですね。
―自由に選べればその時々で、より良い選択をする可能性も上がるだろうし。しかも行先が人工的に閉じていないから、そn先にもまた360度の可能性が広がっているという感じですか?
―そう。だからそういうときに意識というものを、全方位的に自由な状態にしておけば、一番いいチョイスができる可能性が高くなる。意識おn自由性というか、進化。あるいは生き延びる可能性の高さが確保できるということでもありますよね。
うーん。例えばね、理想像を描くことによって生き延びようとする社会があるじゃないですか。
―はい。
例えば開催んとしての生活の中で生き延びるために、МBAという資格を取ろうというのもそのひとつですよね。「МBAの資格を取った私」という自分の理想像をこしらえて、そこに向かって進んでいくという。
―うん。
多くの場合にはそういうやり方が意規模ビルための手段だと思われているわけですけども。実は全然生き延びる手段にもなんにもなっていなくて、かといって寿命を縮めるわけでも別にないんだけど。簡単に言うと意味のないことをやっているということですか?
―うん。そういうことだと思います。
そんな暇があったら自分の自由度を上げるほうがいいのではないですか、ということですか?
―そう。
どうやったら自由度が上がるんですか、先生。
―やっぱりナレッジモデリングが近道だと思うけど(笑)
意識ですよ。意識のナレッジモデリング。
※「覚醒している時に起こるさまざまな思い」を網羅する
僕はね、人間の発展ということを考えるとね、これから一番のポイントになるのは「意識」だと思うんですよね。
―意識ですか?
うん。なぜなら今では量子力学でも意識の問題がでてきた。工学でも意識がテーマになってきた。これは新しい意識音とらえ方が始まったという意味です。そしてそれらのより進んだ最先端の科学がだんだんだんだんと実生活に直接関連するような分野にも降りてきて、今ちょうど心理学や医学でも意識について新しい捉え方をしようとしているわけです。
―ほう。
つまり、意識というものをどうとらえるかという研究をすることが、人類の一番の得になるというかね。特になるというとおかしいかもしれないけど、例えば意識のエネルギーを使って、新たな物事を生み出していくというところに進めば、この研究は相当や国立つんじゃないかなというような意味ですね。
5、意識の進化とは
※自由自在性を持つ
さっきのね、自分や自分や自分の国の良いところ探しができていないという話の原因にはね、理想の自己像というものがあると思うんですよ。
―理想の自己像ですか?
そうそう。一時期、理想の自己像を作るというのがはやった時期があったでしょう?ああいうのは、全然なんの足しにもならないということですよね。
―うん。縛りにこそなれ。
縛りにこそなれね。国も音字でしょうね、理想の国家像というのがあると自分が縛られるということじゃないでしょうかね。
―なるほどねぇ。でも、ある意味ではこうなりたいという理想を持って、そこに向かって進んでいくというのは、すごく正しく聞こえるんですけどね。
そうそうそう
―でもそれが間違っているということですよね。
うん、全然意味がないから。
―きっと木テクとする場所の定義が違うんですよね。その理想の何かになれば自分自身や自分の国に勝ちが出る妥当という定義が、自分たちの自由性を妨げているのかな。
そうだと思いますよ。だから何かになることを目的にするのではなくて、自由自在性を持つことを目的にすればいいと思うんだけど。
―自由自在性ですか?
そうですね。これは進化の要諦だと思うんですよ。フレキシビリティというか、僕はこの言葉を融通無碍という言葉に訳したんだけどね。
―融通無碍。その進化というのは生物学的な進化ということですか。
そうそう。実はね、生物学的な進化が起こる時というのは、究極の自由性の中で起こるんですよね、。
―え?そうなんですか?僕はいろんな環境変化によって、どんどん対ロというか、選択しが立たれていって、もうここに行かないといきんぼびれないから、そこに行ったというような捉え方をしてましたけど。そうではないということですか。
うん。どこにでも行ける状態になって、初めてどこに行くかというのを選べるということです。
―じゃあ、理想像を描いて、そこに近づいていこうとするアプローチから進化は生まれないということですか。
生れないです。
―なんで生まれないんですか?
それは進んでいった先が閉じているというか、限定的になるからでしょう。
―行き着いたとしても、その先には何もないということですか?
ええ。理想像を描いたりするということは、行先を人工的にこしらえることでしょう。良い者をこしらえる。するとその時点で良いか悪いかという判断基準も人工的になりますよね。
―確かに。
その基準に沿ってできあがったものは、もう当然人工的でしょうし、そこから先に発展しようと思うと、その発展自体も人工的にあらかじめつくられていなければならないというかね。人工的なものだから最初から設計に入れてなかったらできないですよ。つまり、発展のしようがない。だから、系としては完全に閉鎖系ですよ。
―それに対して自由度を上げるというのは、開放系の話なんですか。つまり、どこに行くかはわからないけど、でも、何かの時には自由に選べるという・
そうですね。
―自由に選べればその時々で、より良い選択をする可能性も上がるだろうし。しかも行先が人工的に閉じていないから、そn先にもまた360度の可能性が広がっているという感じですか?
―そう。だからそういうときに意識というものを、全方位的に自由な状態にしておけば、一番いいチョイスができる可能性が高くなる。意識おn自由性というか、進化。あるいは生き延びる可能性の高さが確保できるということでもありますよね。
うーん。例えばね、理想像を描くことによって生き延びようとする社会があるじゃないですか。
―はい。
例えば開催んとしての生活の中で生き延びるために、МBAという資格を取ろうというのもそのひとつですよね。「МBAの資格を取った私」という自分の理想像をこしらえて、そこに向かって進んでいくという。
―うん。
多くの場合にはそういうやり方が意規模ビルための手段だと思われているわけですけども。実は全然生き延びる手段にもなんにもなっていなくて、かといって寿命を縮めるわけでも別にないんだけど。簡単に言うと意味のないことをやっているということですか?
―うん。そういうことだと思います。
そんな暇があったら自分の自由度を上げるほうがいいのではないですか、ということですか?
―そう。
どうやったら自由度が上がるんですか、先生。
―やっぱりナレッジモデリングが近道だと思うけど(笑)
意識ですよ。意識のナレッジモデリング。
※「覚醒している時に起こるさまざまな思い」を網羅する
僕はね、人間の発展ということを考えるとね、これから一番のポイントになるのは「意識」だと思うんですよね。
―意識ですか?
うん。なぜなら今では量子力学でも意識の問題がでてきた。工学でも意識がテーマになってきた。これは新しい意識音とらえ方が始まったという意味です。そしてそれらのより進んだ最先端の科学がだんだんだんだんと実生活に直接関連するような分野にも降りてきて、今ちょうど心理学や医学でも意識について新しい捉え方をしようとしているわけです。
―ほう。
つまり、意識というものをどうとらえるかという研究をすることが、人類の一番の得になるというかね。特になるというとおかしいかもしれないけど、例えば意識のエネルギーを使って、新たな物事を生み出していくというところに進めば、この研究は相当や国立つんじゃないかなというような意味ですね。
そしてそれらのより進んだ最先端の科学がだんだんと実生活に直接関連するような分野にも降りてきて、今ちょうど心理学や医学でも意識について新しいとらえ方をしようとしているわけです。
―ほう。
つまり、意識というものをどうとらえるかという研究をすることが、人類の一番の特になるというかね。得になると言うとおかしいかもしれないけど、例えば意識のエネルギーを使って、新たな物事を生み出していくというところに進めば、この研究は相当に役に立つんじゃないかなというような意味ですよね。
―ほう。
そういうものを例えば、業務のパソコンシステムの中に組み込んでしまう。
―そんなことできるんですか?
簡単ですよ。ナレッジモデリングを使ってシステムを作った時点で網羅性が確保されているから。あとは方向性をね、与えてあげるだけですよね。
―ん?ちょっとわからなくなりました。ナレッジモデリングという手法で何を網羅するんでしたっけ?
人間の意識。
―え?人間の意識って網羅できるんですか?
うん。できますよ。
―あれ?先生、今「意識」っていう言葉をどんな意味で使っているんですか?
あ、そうか。定義が必要だよね。
―うん。階層がずれてたら話が通じないから(笑)その「意識」っていう言葉を別の言葉で言うと何なんですか?
別の言葉で言うと「覚醒している時に起こるさまざまな思い」ということかな。
―「覚醒している時に起こるさまざまな思い」ですか。
そうそう。
―そうなると意識のナレッジモデリングというのは「覚醒している時に起こるさまざまな思い」を網羅していくことですよと。
うん。
―何か網羅するといえば、これは前の本に出ていた京都の女子大生の話に近いですよね。彼女たちが、感情後のリストを読むことで、自分がどんな感情を持つ可能性があるのかを知ると、その時々の自分の感情を表すのにピッタリの言葉をつかうことができるようになるという話と同じ?
そうそう。あれは感情後の話だったけどね、今度は意識で同じことをする。
―なるほど。ただ「意識」と言われてもピンとこないけど、「覚醒している時に起こるさまざまな思いの種類」であれば感情語と同じように網羅の対象にできると。
そうですね。
―意識の発展というのは「覚醒している時に起こるさまざまな思い」の選択肢をどんどん増やしていくことですよと。
そう。
―そして「覚醒している時に起こるさまざまな思い」の選択肢が多ければ、自由度が上がりますよと。
僕はそう思います。
―ところが、今、自分が「覚醒している時に起こるさまざまな思い」というのを、ちゃんととらえている人は、まぁまれですよと。
まれどころか(笑)
―「覚醒している時に起こるさまざまな思い」ぼバリエーションをたくさん知っていれば、自分の意識が今どこにあるのかを的確につかうむことができるようになるし。
そうです。
―そうなれば例えば恋愛もうまくいくでしょうねと。人とのコミュニケーションもうまくいくでしょうねと。
いくでしょうね。だからさっきの話に戻るけどね、そういう発展の方向性をね、業務のシステムの中に組み込んでいくこともできるわけですよ。
―あ。その話してましたね。
うん。
―それはどうやるんですか?
「覚醒している時に起こるさまざまな思い」を表示するだけですよ。
―ほう。ちょっと画面とかは想像できないんですけど。ただ、仕組みとしてはなんとなくわかった氣になってます(笑)
簡単ですよ。
―そうなると、例えば毎日経理の処理をしているだけでも、意識というか「覚醒している時に起こるさまざまな思い」を客観的に見ることになって、意識が発展していくと。
そうですね。こんなのはハウツーでいいと思うんですよね。機械的にできるものは機械でやればいいし。
―ハウツー?
うん。そういう意味では、こういう本というのも役に立つと思うし。やっぱりね、必ず使えるというか、やり方がわkるというのはものすごく大きいんじゃないかなと、という氣がするんですね。
―ほう?
だって、意識の発展というのは、普通は宗教的にというか、さんざん修行した人たちがやっとたどり着くような場所じゃないですか。彼らが最終的にこうじゃないかなとたどり着いた部分のエッセンスを、最初から提供できるというのはとても役に立つのではないかと思うんですよ。
―なるほどね。
もちろん僕はそんな思想家や学者dめおないけど。だけども、非常に平易な論理と言葉でもって織りなしていくというのはやる意味があるのではないかなと思ってるんですけどね。
―うん。
だって、今やインフラは全部そろっているんですからね。
―パソコンもあるし、脳はを周波数変換する方法もあるしと。
そうそう。本もたくさんあるし。類語辞典とか、中村明さんの「感情表現辞典」とかね。インフラはもうそろってるんですからやってみればいい。そう思ってやってきたということはありますね。
※顧客の心理を読み取り組み
―先生、今ね、人間の意識を網羅して客観的にみられるようにするという話が出たじゃないですか。その話で思い出したんですけど、今、せんせいがシステム化しているメンタルプロセッサーっていうのがありますよね?
はい。
―あれの基本はやっぱり、人の心情を網羅して客観視した内容が基盤になりますよね。
そうです。
―同じようなことでね、人の心情ではないけど、人の価値観を可視化しようという研究があってね。東工の工学部の大澤さんという境界がそういうことをやっていたんですよ。僕もちょくちょく研究室にお伺いしてたんですけどね。
うん。
―そこで可視化しようとしていたのは人の価値観ですけど、同じような取り組みを顧客という存在に対してやってきた企業さんって結構多いんですよ。簡単に言うと、顧客の購買動機っていうものを、目に見えるようにしようとしてきた。そうすればもっと売れるようになるだろうという前提のもとでの取り組みですよね。
うん。
―今でも顧客の心理をコントロールするとか、人の心を読めるとか、そういうふうなノウハウ本みたいなものが売れるじゃないですか。
はい。
―そういうのと同じで「顧客の心理を読める」というか、目で見えるズとかにできないものかっていう研究というか取り組みは、僕が知っているだけでも結構な数の企業さんがやっているんですけどね。でも、なかなかうまくいかないんですよね。
ほう。
―それで先生のとこのメンタルプロセッサーの話をしたじゃないですか。その時にね、そういう企業さんの取り組みがうまくいかなかったのは、そもそも顧客の感情というのを最初に網羅していなかったからじゃないかと思ったんですよね。
はいはい。
―だから、彼らが「お客さんが持つ可能性がある感情」として把握している勘定の数がものすごく少ないように感じるんですよ。ちょうど、さっきも言った「京都の女子大生が自分の感情を表現するのに七つの言葉しか使っていなかった」という話みたいにね。
その可能性はありますよね。
―うん。それで、そもそも選択しが少ない感情のどこかにお客さんを無理やり押し込めようとするからうまくいかない。
うん。そういうことで言うとね、一條さんの論理n負い方というのはシェリング風なんですよ。
※ドイツ哲学と感情論理
前の本を書いたときにね、一條さんが現行を見ながら順番を変えていったでしょ。あの手法というか、論理の追いかけ方はね、ものすごく新しい。新しいというか珍しい。あれはシェリングというドイツの哲学者の言う、超越的観念論という技法ですよ。
―超越的観念論?
うん。みんな誰も思い当たらないともうけども、ヘーゲルのような二項対立的な論理の追いかけ方ではない。
―ふ―ん。自分がやっていることだから全くわからない(笑)
自然のうちに「感情論理」を使っているでしょ?
―感情論理?
うん。読み手の感情。
―はいはい。こういうことを伝えたいんだけれど、それが伝わるためにはどういう順序で話をする必要があるか。それを読み手の感情から逆算して話の順序を変えていったということですね。
そうそう。一條さんはそういう感情論理を多様しているでしょ。
―まぁ、意識してはいると思いますけど。
だから、もう何年も私のところに来ていた人たちの中に、あの原稿を読んだときに「この本を読んではj馬手、これまで聞いてきた話の内容がわかった!」と言う人たちが何人もいた。
―よかったじゃないですか(笑)
普通はね、そんなことしないからね。
―ほう?
だからその感情論理を使う段階で「こういうのが欲しいんですよね」という提示というか確認というかがあって。「そうです」という相手からの答えがあるということですよ。
―相手がちゃんといるということですか。
ええ。
―普通の人には相手がいないということ?
相手のことは考えてないということでしょ。
―へえ。
だから、自分の脳の中で他者としてつかんでいる存在が実は、自己内他者であるおとに氣付いていない。自分の中で勝手に作り上げた他者のことを、本当の他者だと思い込んでいるという間違いがあるわけでしょ。
―まぁ、実際に僕がやってるのは後出しジャンケンですけどね。先にこちらから提示するのではなくて、相手が「これが欲しい」と言っている内容を聞いたあとで、「こんなんあるけど、いる?」って言いながらさっきその相手が欲しいと言っていたものそのものをチラッと見せるという(笑)
だから僕は「ビジネスは後出しジャンケンでうまくいく」って言ってる。
うんうん。誰かが商売は大変だって言うたびに「そんなことないですよ」って話をされますもんね。あれにはみんなハトが豆鉄砲くったみたいな顔をしてる(笑)
今思ったけど、そんなタイトルの本があったら読んでみたいっていう人は多いんじゃないの?
―じゃあそのうち出るかも(笑)「ビジネスは後出しジャンケンでうまくいく」っていうのと「商売は後出しジャンケンでうまくいく」っていう本の2冊セットで。
出たら両方かいます(笑)
―(笑)でもね、じこ内他yさと他者の見極めって簡単に言いますけどね。先生も僕も簡単にそういうおと言うじゃないですか。「いや、それは欲望を限ってないからダメなんですよ」とか。「あわよくば狙ってビジネスしても成果出ませんよね」とかね。
はい。
―でも、見ていると自己内他者と他者の見極めって、ものすごい難しそうなんですよね。なんで難しいん
ですかね。
※欲望を限る人は信頼できるのか?
だから、純粋い人の気持ちを汲むということができないからでしょ。
―人の気持ちを汲むことができない?
というか、人の気持ちを汲むことに集中できない。
―なんでできないんでしょうね。
それは自分の主観があるからでしょ。
―自分の欲求が先に立っちゃうからってこと?
そう。だから、一條さんはそれをものすごく客観視する、そいうトレーニングを大量にしたということで、だから言葉の端々から本当御欲望というものが見えるようになったというかね。だから、僕は最初に「ああ、この人、いけるな」と思ったのは何かというと、欲望を限るというその技術を持った方だと。
―はいはい。欲望を限るね。
うん。それの一点でわかるわけですよね、私の判断方法としては。これは信頼できるわけね、一番ね。
―ほう。
結局、欲望を限れないからみんな落とし穴に落ちるわけでしょ。極端に言うと、欲望を限れるか限れないかというおとだけが問題だと。
―もしくは欲望を限る技術を持っているかどうか?
そう。だから、じこ内他者と他者というものの確認方法というのか、理解方法の精密さというのかね。そこにおいて「相手とコミュニケーションがとれるかどうか」がはっきりしてくるのですね。
―うーん。例えば、僕が営業研修する相手の営業マンさんとかのね、営業の現場とか見てると「売りたい気持ち」が先だってて「誰にでもいいから売りたい!」みたいになっているわけですよ。
うん。
―そうすると、相手の話なんて聞いている余裕はなくて、一生懸命売り込んでいく。ところが、いくらこっちが売りたいと思っていたって、相手が解体と思っていなければ絶対買わないわけですよね。
そうですよね。当然。
―だから売り込むよりも前に、まず買う氣があるかないかを確認していったほうが早いし、その確認をするためには相手に聞くのが早いですよと言うんですけど。
確かに。
―つまり僕は「自分の目的を達成するために」相手のことを気黄とするんですね。これは相手ンおためじゃなくて、自分のためにするんですおy。
言い切りますね(笑)
―だってほんとだもん(笑)ところが、僕が見ているクライアントさんの営業マンさとか、営業ウーマンさんでも同じだけど「自分の目的を達成するために」売り込もうとするんですよ。
うんうん。
―そんなところの僕が売り込もうとしても買わない人には売れないよ」と言っても売り込みをやめられない。「買わない人は買わないから、先に買う人を見つけて、その人に売ったらいいんじゃないの」と言ったら「買う人なんて出てこないですよ」という話になっていく。
(笑)
そこで僕が「いや、いるでしょ、100人いたら1人ぐらい」と言うと「いや、100人いたら100人に売りたいんです」という話になっていく(笑)
―そこで僕が「いや、いるでしょ、100人いたら1人ぐらい」と言うと「いや、100人いたら100人に売りたいんです」という話になっていく(笑)
(笑)
―これは自分の目的というか、欲求とか欲望とかいうものの内容を、ちゃんと自分で把握していないということなんですかね。わからないけど。
もちろん。そういうのはだから情報網羅ができていないだけでしょ。
―情動の貸借対照表
情報網羅
うん。
―ああ。自分の情緒自体も池の中の飛び石みたいで「売りたいという氣持ち」と「売れなかったらどうしよう」というこのふたつぐらいしかなくて、その他の選択肢がない状態だということ?
そうです。だから私がね、メンタルプロセッサーを開発した理由もそういうところですよ。そういう全体像をとらえるためのツールというかね。だから、自分の中における情動の貸借対象表みたいなものを持たないいけないってことなんですよ。
―情動の貸借対照表。本の小見出しに使えそうな名前ですよ(笑)
(笑)でも絶えず自分の常道についての情報を網羅しておかないと。そうしないとダブルバインドに入っちゃう。
―どういうことですか?売りたい気持ちはあるけど、売っちゃいけないと思う自分もいる、みたいな感じ御こと?
そうですね。例えばね、商品にちょっと傷があるとしますよ。そうしたら「もしこれが売れちゃったら、あとでクレームになるんじゃないな」ともおもう。だけど、やppり明日の経営会議までには売っておかないと私の立場はないなってなった時に、さあ、どうする?という二重構造になる。そういう意味です。今はそんなことばっかり起こってるんでしょ?
―そこには他の選択肢がないと。
そう。
―例えば「ああ、これ、傷あるな、お客さんからこれ欲しいって言われたら困るな」と。「でも、俺、占いといけないしな」というときに、お客さんから「それ、欲しい」と言われたら「うっ」となってしまう。
そう。こんな時一條さんだったらどうします?
―いや、僕だったらもう売りたいから(笑)お客さんに「欲しい」って言われたとき員「ああ、お客さん、これ欲しいんですか」と聞いたうえで「ただね、これ、ここに傷があるんdねすけど、これでもいいです?」って僕はスパッと言っちゃうんですよ。
うん。普通にいつも言ってますもんね。
―知ってるなら聞かないでください(笑)
ところがね、それを言えない人は多いんですよ。
―まぁ、その気持ちもわからないでもないんだけど。でもその結果、傷のことをごまかしちゃったり、何も説明せずに売っちゃったあとで悩んだりする。
そうですね。そういう問題が出てくるとね、今度は言える人と言えない人というのは、一つの性格みたいなものだということになって、心理学の問題か何かになっていくわけでしょ。あるいは占いみたいな話になってくる。
※タイプ分類と折れ反れ
―ああ。タイプ分類ですね。
そうそう。
―あなたはそれが言えるタイプの人です、あなたは言えない人ですって。
それでまた拘束される。
―私はこういうタイプだと。
私は売れないタイプの人なんだからしょうがないって(笑)
―ダメじゃないですか(笑)
だから、そういう拘束がいっぱいあるわけですよ、今の社会にhあ。
―うーん。
だからね、一條さんみたいにそういうところを排除してやってこられるというのは、ある意味悟りのような話です。
―まったくそんな実感はないですけど(笑)
だってどんな相手が来てもまったく自然に、同じ地歩に立てるじゃないですか。えらそうでもなく、へりくだるでもなく対等に話すし。なかんかこういうことはできないですよ。普通は低くなるか高くなるか、折れるか反れるかでしょう。
―折れるか反れるか?
うん。京都の文化ではね、こういうのを「折れ反れ」というんですよ。折れ反れがわかっているか、わかっていないかということが京都の文化の一番の特徴なんです。あの人に対して俺は折れると。この人に対しては反れると。折れるか反れるかの区別しかない。
―ふーん。
まぁ、そういう判断基準もあるということですよね。ご自身を見てみて、そういう制限からは自由だと思うでしょ?
―まぁ、確かにそういうこと自体を考えないですからね。
そういうのがひとつの、人間関係論的に大事というかね。だから、それは悟りと同じだから。それに一條さんはごくしぜんに、しかも明確に自分の欲望を言葉にして表現するじゃないですか。だいたいの人はあれができないわけだよね。みんな自分の欲望を隠そうとするから。
―うん。隠していますよね。なんですかこれ?僕の分析みたいになってますけど(笑)
まぁ、いいじゃないですか(笑)でもね、そうやって隠すというのがね、情緒的には一番まずいところですよ。欲望をなんとかして隠したがるというのがね。
―確かにね。隠し事があると自分音中で自由度が下がりますからね。大幅に。
うん。だからその隠そうとする行為というか思考がね、どこから出てきているかというおkとを自分音中で一回はっきりさせておかないといけないと思うんですけどね。
―うん。それは個人個人にとっての課題ですね。
そうそう。人に馬鹿だと思われたくないとかね。あるいは恥をかきたくないとか、いろいろありましょうけどね。だからね、さっきのじこ内他者のような考え方に多くの人が引っかかるのは、こうあるべきだというような理想的な自己があるからだとも言えるんですよ。
―なるほどね。
だから観察者としての自己として見てみれば、そういうふうな問題点もはっきり見えてくると思いますよ。
※間主観的なモノの見方とは?
つまりね、今の与野んかにはいろいろな神経症といわれる症状がありますけどね。感情の病として神経症をとらえれば、それは不安神経症だとか、なんとか神経症というふうに診断されるんだろうけど。
―はい。
実際は「こうあらねばならぬ」というふうな理想の自分に引っかかっているだけだとも言えるわけですよ。
―ほう。でも「こうあらねばならぬ」っていう理想像自体も自分自身で作ったわけではないでしょ?きっと。
うん。それは社会自体の機能としてね、社会が個人の中に組み込んだものだとも言えますよね。
―うん。でも社会によって定義された「こういう人がいい人ですよ」という像自体も、社会という確かな主体はないわけだから、あくまでも何か想像上の産物なんですよね。
そうですよ。だから主体というか、形がないもの、実態のないものに縛られているわけ。
―ほう。
だからそれを間主観的とか、世間とか言いますよね。人間というのは、人なのか人間なのか。
―おお。それは面白いですね。「人」という存在と「人間」という存在はちがうよと。
うんうん。
―ちなみに間主観的ってどういうことなんですか?
間主観っていうのは要するに、主観と主観の間を見ているということですおy。
―どういうことです?
だから人と人との間を見るという意味です。他者と自分とのやりとりの中から自分の生き方を見つめるような。そういう見方のことですよ。
―相手を見て自分の生き方を見つけるわけでもないし、自分を見て自分の生き方を見つけるわけでもないと。
そう。誰かと自分との関係というものを見ながら、どう生きるべきか、どうするべきかを決めていくというかね。これは、現象学という学問かあ派生した社会学の取り組み方のひとつですよ。
―観察する学問ですね。
そうですね。
―そして、人と人との間を見ながら生きているのが人間であると。
そうそう。
―ふーん。じゃあ間を見ていくというのは、誰かとコミュニケーションを取ったりすr時にはすごくいいことなんだけど。
うん。
―でも間ばかり見ていると、本当に変なしがらみというか、縛りに縛られて、がんじがらめというようなことが起こる可能性もありますよと。
そうですね。
―じゃあ、間主観的に見るって、あまりいいことでもないんですかね。
いや、いいこととか悪いこととかじゃなくて、そういうひとつの社会学だからね。
―なるほど。
※欲望を限るとビジネスが伸びる
欲望を限るというお話が出てきました。これはビジネスをする上でもとても大切なことだおt思います。実は私のところへビジネスおnご相談にいらっしゃる方は、だいたい売上を上げるとかお客さんの数を増やすという目的を持たれていることが多いです。そこで私は相手の社長さんやご担当者さんに最初にお会いした時には質問をすることになります。「売上をいくら上げたいんですか?」と。
すると社長さんやご担当者さんが答えます。
例えば「利益を1億円増やしたいんです。」という具合です。
そこで私が「1億円でいいんですね?」と聞くと、「いや、できるならもっと」という答えが返ってくる。
「じゃあいくらにしたいんですか?」と聞くと、「いや、延ばせるなら延ばせるだけ」という事和えが返ってくることが実はとても多いのです。でも、これではなんのアドバイスもしようがないのです。
というのも、例えば今の年間の利益が10億円の会社があったとして、その会社が利益を1億円伸ばしたいというときと、その会社が利益を30憶円のばしたいというときとではとるべき方策はまったく違うはずだからです。マーケティング上の仕掛けや販促の方法も絶対に違う。
でも、伸ばせるだけ伸ばしたいとカン上げているとそういう事実には目が向かなくなってしまいます。その結果、あわよくばうまくいくのではないか」という期待だけを持って走り出してしまう。もりとん、あわよくばという期待を持つのは一時的には楽しみかもしれませんが、結果としては獲らぬタヌキになりがちです。
そして同じような例は多くのコンサルタントさんにも当てはまります。
私が色々な出版社さんからの依頼で書籍の販促をしていることから、本を書いているコンサルタントの方々が私のところに自分が書いた書籍の販促の相談に来てくださることも多いのですが、そのほとんどの方が「自分がコンサルティングサービスを提供する時に請求する価格」を自分のホームページや会社説明のパンフレットに書いてないのです。こうしたコンサルタントさんたち、もしくはコンサルティング会社さんが自分たちのコンサルティングサービスの価格をホームページなんどに書かない理由は、ふたつあります。
ひとつめは、予算御多い企業さんからは「最大限の支払い」を引き出したいから。
ふたつめは、よさんが少ない企業さんもなんとかお客さんとしてとりこみたいから。この二つの理由から、自分たちのコンサルティングサービスの価格を提示しないおkとになるようです。
ところがお客さんからしたら、価格が書いていないサービスに問い合わせや申し込みをするのはやっぱり躊躇するわけです。そうすると、コンサルタントさん、コンサルティング会社さんが受け取る問い合わせの数は少なくなるし、その結果、コンサルティングサービスの依頼を受ける件数も少なくなる。
つまりこのコンサルタントさん、コンサルティング会社さんは、自分にとって良かれと思ってやっていることで、かえって自分の首を絞めていることになります。ところでそもそもコンサルタントという職業は、クライアントさんの利益や売上が上がってはじめて評価される職業だと思います。であれば、自分のところに入ってくるお金の額をいかに吊り上げるかと考えるよりも、さっさと仕事に着手してクライアントの業績を上げることに集中したほうが自分の事業にとっても効率がよくなるはず。
もちろん、最初から価格を提示すれば予算がある相手からも「その相手が出せる予算いっぱいの額」は引き出せないでしょう。もちろん、最初から価格を提示すれば予算がたりない相手からは問い合わせすらもらえないでしょう。でも、きっと問い合わせをしてくださる相手はいるはずです。そしてその時には、自分たちが提示した価格を祓ってもらえるかどうかという心配はしなくてもいいはずです。その結果、清々と自分の役割を果たすことに集中できるのではないかなと思っています。
あわよくばという「よくばり心」を捨てて、欲望を限る。こうすれば、階段を一歩一歩上がって行くように伸びていくことができる。
・明確な目標を設定するおと。
・そして、そこからブレないこと。
このふたつの内容をセットにして「欲望を限る」と言っているわけですが、階段を一歩一歩上がっていくような、そのようなやり方で安定して進んでいくビジネスもあるのだと思います。「欲望を限る」というとなんだか悟りの境地のように聞こえますが(笑)実際にはより安らかな気持ちで発展していくための方法である。私はそう思っています。