7.意志=方向性を持った意識
※軽薄短小と棚田の文化
まぁ、冗談みたいに言っちゃったけどね。日本にはやっぱりいいところがあるわけですよ。判官贔屓じゃなくてね。
―判官贔屓はダメですよ(笑)
(笑)例えばね、一時期、日本の物作りの技術が軽薄短小だと言われていたことがあったでしょう?
―はいはい。良い意味でね。
うん。良い意味でね。例えば機械類は全部薄く、小さくしていくという。それが日本の特技だった時があったわけですよ。
―はい。
じゃあそれが最近のことかというと、実は幕末のころにも小さな時計をつくったりしていたわけですよ。
―うん。
では、日本人はなぜそういうことをするようになったか、ということでね。僕はそこには棚田の文化というのがあると思うんですよね。
―棚田?
そう、つまりね。日本には平地が少ないから、山の斜面に棚田を作ったりしたわけでしょう?平地がないから、なんとか斜面を使って田んぼの面積を増やそうという工夫ですよね。
―はい。
日本は今も昔も国土のほとんどが山なわけだから。いかにして面積を確保するのかというのと、いかにして水がうまく流れるようにするのかというのがテーマでしょ。だから小さな田んぼからどれだけ多くの生産を上げるか。これはまさに機械類をつくる時の軽薄短小という考え方のもとになっていると思うんですよ。
―はいはい。簡単に言えば、限られた狭い地域でどうやってたくさんの収量を確保すればいいだろうかというのをやっていたのが、現代の物作りにも生きているんじゃないのかということですね。
そうです。それに加えてね、どうも日本には別の思想もあったように感じるんですよ。
―別の思想ですか?
うん。というのもね、これは僕がシステム開発の会社を経営していた時に感じたことですけど、日本人というのはコンピュータープログラムの中のバグを徹底的に全部取り除こうとするんですよ。
ーああ。それって僕音感覚からしても、日本人のシステムエンジニアさんたちにはだいたい共通している特徴ですね。
うん。これは田んぼの中から雑草を一本一本抜いていくのと同じ感覚ですよね。雑草を一本一本抜いていって完璧に処理する。これが日本の田んぼの基本なんです。
―他の圀ではそうではないんですか?
そうですね。だいたい、パッとモミダネを巻いてあとは放っておくとかね。そういうやり方ですよ。
―それはパットモミダネを蒔いておくだけで十分な収量が得られるからですか?
いや、そういうわけでもないと思うけど。例えば苗を一本一本植えていくというような考え方もないわけですよ。
―ほう。ちょっとよくわかりませんが。ただ、実際にはそうなっていると。
そう。
―じゃあなんで日本人は一本一本雑草を抜いたり、苗を一本一本植えたりするんですかね?
だからそうすることで生産性が最大限に上がるからでしょう。
―え?じゃあ、やっぱり他の圀では十分な生産量があったから雑草抜きをしなかったというおとなんじゃないんですか?
いや、僕はそういう国のやり方では収量は少ないけども、それ以外に生産性を挙げる方法をあんまり考えなかったのではないかと思うんですよ。
―え?どういうことですか?
うん。ここにね、日本人の特性があると思うんです。
※伯家神道の「鎮魂」とは?
―ほう。どんな特性なんですか?
それはね、よりたくさんのものを作るぞという哲学というか「稲には稲の最高レベルの力を発揮させてやろうよ」という哲学があったと思うんです。
―ほう。なんでそんなことを思われたんですか?
というのもね、伯家神道にね、「鎮魂」という思想があるわけですよ。これは作法とセットになっているわけですけれどもね。
―鎮魂ですか。何かを慰めるということ?
いや、伯家神道でいう鎮魂というのはね、「物事に最大限の力を発揮させてあげる」ということです。この思想が、生体の持っている最高の能力を発揮させるというか、そのための刺激となるような作法と共に伝わっているわけですよ。
―ほう。生体に、その生体が持っている最高の能力を発揮させると。
うん。日本にはそういう文化があったから、そかもそのために、できることは全部するという気概もあったから。
―その結果、田んぼの中の雑草を一本一本抜くというようなことまでやっていたと。
そうです。だからどんな工業製品にしろなんにしろ、美とか、品位というところを高めていくというのが日本の物作りの前提になっているのではないかなと思うんです。それでね、そういう前提を実現させるためにあったのが、「統合」という考え方だと思うんですよ。
ー統合ですか?
うん。そうやって階層に分けていろいろと考えていくわけだけれども、そのままにしておくとあまり意味がないわけですよ。だから統合という観点が必要になる。
※複雑系の科学と人間の意識
あれもそうでしょう。一時、複雑系の科学というのがはやった時期があったでしょう?あれも結局は階層性の切り分けと統合の問題ですよね。
―ほう。複雑系の科学。
あれはつまり、ひとつの機械が動くにしたって、速く回転する小さな歯車もあれば、ゆっくり回転する大きな歯車もある。そういうものがひとつの機械として動いていこうとする中で、それぞれのパーツや要素をどう調節するか。その調節の仕方によって、いろんな動きが複雑
系に変わっていきますよということでしょ。
―なるほど。
例えば、そういう機械で言えば、それぞれのパーツや要素はお互いに違う空間の位置を使っているわけですよ。
―要するに、いろんなものが複雑に組み合わさってひとつの動きをしているんですよと。だからひとつの動きとしてとらえるんじゃなくて、もっと細かくとらえていったほうがいいですよということですか。
そういう考え方が出てきたということですよね。でもこれまでは、その考え方を基盤にした研究の対象は「人」ではなくて「科学や機械」だったわけです。だから人間の意識がどうなっているんだろうというような研究にはあまり発展がなかったんじゃないかなと思うんですよね。
―なるほどなるほど。人間の意識というのが研究の対象になってこなかった経緯があると。
これまではね。だからそんな状況の中で、人間の意識をとらえようとすると、今日の前にいる人間から出てくるものだけを当てにしがちになる。
―そうそう。だから、例えば情緒を考えるんだったら最初にベースとして情緒についての知識を全部網羅することが必要じゃないかなと思うんですよね。そうやって受け入れ態勢をつくったうえで取り組みをしていけば発展するんじゃないのかなと。だから、階層性を持って物事を把握したうえで、それを統合していくということですよ。
なるほどね。
※意識をシステム化する試み
―ちょっと意識の話が続いているんですけどね。
うん。
―先生の特技というか、考え方の特性には、なんというか物事を機械的なシステムに落とし込むという方向性があるように感じるんですよ、僕。そういう観点から言うとね、意識をシステム化しようというような取り組みもされてたりするんですか?
うん。ここまでのお話というのは、意識をシステム化する時に前提になる話だからね。
―やっぱり(笑)ちなみに意識はどうやってシステム化するんですか?
僕はね意識をシステム化する時に大切なのはね、「意志」だと思うんですよ。
―意志?さっきの話では意志というのは意識に方向性を持たせたものということでしたよね?
そう。意志というのは方向性を持った意識ですよ。僕はその意志が、ものごとを実現するエネルギーであると思うんです。だからその意志を明確にして、物事が実現するエネルギーを高めることが可能なシステムができればいいのではないかと。
―ほう。
このシステムというのはコンピューターの中で動くようなプログラムという意味で使っていますけど、あるいは方法論でもいいし、スキルでもいいと思うんですけどね。そういうものが意識を研究する先にあるのではないのかと思っているんです。
―なるほどね。意志というのは物事を実現するエネルギーであると。
ええ。
―これはどういうことなんですか。意志があったら、なんで物事は実現するんですか?
意志があれば、自分の身体も心も精神も位相が揃うからですよね。量子物理学で言われる、コヒーレントな状態ということですよ。
―位相が揃っているということは、自分の中のベクトルというものがはっきりしていて、なおかつ矛盾する要素がないということですか。
そう。つまりね、自分の中に抵抗がない状態とも言えるわけです。
―自分音中に抵抗gあないから、物事が実現しやすくなると?
そうですね。その時に、フレキシビリティが高い状態というか数多くの選択肢から選べる状態になっていれば、そこにある意志が働いた時には、あっという間に意志が示す方向に進めるという感じですよね。
―ふーん。
だから瞬間瞬間で決めて、瞬間瞬間に移動していくということができる。量子物理学でゼロ・ポイントフィールドという言葉が使われてますけどね、それは実は究極のフレキシビリティがある状態だと思うんですよ。
―なるほど。
これは武道にも通じるところがあってね。瞬間瞬間にパッと移動できるというのが一番いい状態なんです。
―どういうことですか?
例えばね、武道だとしたら相手がこう来るだろうと予測して身構えるとしますよね。その時に予測が外れたら対応が一歩遅れてしまうわけですよ。
―うん。
もしくはやかんを持ち上げる時にね、このやかんは思いだろうと予測してうんと力を込めて持ち上げちゃったとして、もしも夜間の中身が空だったら、持ち上げる力が強すぎてポーンと跳ね上がっちゃう。つまり、予測したり、こうだ!と決めてかかるとすごく無駄なエネルギーを使うことが多いわけですよ。
―そうですよね。じゃ、どうすればいいんですか?
例えばね、やかんだったら何も考えずにこうして取っ手を握ってね、その時の感覚で力の入れ方をかえればいいわけですよ。
―ああ。だからその取っ手を握った時に重さを感じれば、その重さに見合った力を込めるし、軽いと感じたら軽いなりの力を込めると。
そうそう。そうすれば無駄なエネルギーを使わなくて済む。
―はいはい。でもそれって僕たちの日常で不通にやってることじゃないですか?
そうでもないですよ。
―というと?
この話はね、予測というか、予見という話なんですよ。つまり、予測や予見をするとだいたい失敗する。
※予測と情緒のはりつき
―どういうことですか?
良い例が地震ですよ。こういう時期にこういう地震が起こりますよという予測はだいたい外れているでしょ?
―うん?どういうことです?
日本だったら東日本大震災以降、あそこに地震が来るとか、ここに地震が来るとかいうことを学者から予言者までいろいろな人が行っているけど、ほとんど当たっていない。
―だから予測してもしょうがないと?
うん。
―でもそうすると、予防という観念がなくなりますよ。
いやそうではなくて、予測はしないかもしれないけど、できることはやttえおけばいいわけですよ。
例えば日本という国ではその国の特性上、地震は必ず起こるものだと考えられるでしょ。
つまりそれは循環論の中で考えられることなんだから、必要だと思われる対策はしておけばいいですよ。
―ほう。対策はするけれど。
予測をすることに重点を置くのではない。
―ああ。つまり「論理的な予測が外れる可能性」もあらかじめ認識している状態で必要なことをしておくということですか。
そういうことです。100年後、200年後に起こることかもわからないけれども、論理的に予測できることに対する対策というか、必要な備えはしましょうねと。「備えあれば憂い無し」っていうようなことは昔から言われていますからねと。
―ただし予測が外れることもありますよと。
そう。だからね、今の世の中には不安を高めるための予測というのが蔓延しちゃってるでしょ。
―そうですね。
そこには情緒的なものが介在しているわけですよ。でも、論理的に予測する分には情緒的なものが介在する必要はないというかね。なんていうかな。まず現実を知るということが必要だと思うわけですよね。
―なるほどね。もちろん、ある程度予測はして備えはするよと。その結果、備えがあったから被害を防げたという場合もあるだろうし。
うん。
―備えてはいたけれど、備えが足りなくて被害が出ちゃうこともあるかもしれないよと。
そう。
―そもそも、備えていた対象とは違うことが起こって、ひどいことになる可能性もあるわけだけど。
可能性はね。ありますよね。
―うん。
けれど大切なのは、不安を高める予測というのと、やることをやった上で自分の意識の中から手放すというのはまったく別物ですおyということなんです。
―なるほど。不安を高めるのでもなく、投げやりにあきらめるのでもなく。ただ、淡々と、というか。
そうですね。そして、意識のシステム化がもし仮にできるとすれば、そういう価値を持つのではないだろうかと。つまり、不安だったりだとか、あきらめだったりとか、そういう情動の中で振り回されるのではなくてね。絶対安全というわけではないけれど、心穏やかに過ごしていけるし、選択肢は常に広がっている状態をつくり出せるのではないかと。
―なるほど。
心穏やかで、なおかつ選択肢が見えている状態にいれば、そのつど、そのつどの瞬間瞬間で最適な対応もできるのではないかと。
―なるほどね。意識のシステム化が持つ価値にはそういうものがありますよと。
そう思います。
※特殊な会社
企業向けの「ソフトウェア開発」がオーダーメイドだというお話が出てきました。七沢先生と同じく、私も企業向けのシステム開発に携わることがあるので、これは実は厄介な問題なのです。ところで、このお話は「ソフトウェアの開発」に限った話ではありません。
このコラムでもいくつかの事例をお話していますが、私はコンサルタントという仕事をしています。専門は売上アップと集客です。その私のもとには毎月新しいクライアントさんが相談にいらっしゃるのですが、実はそこで毎日同じ質問をされています。
どういう質問かというと「一條さん、うちの業界を扱った経験はありますか?」というものです。
本当に毎回のこの質問を頂きます。
規模を問わず、業種業態を問わず、上場非上場を問わずです。
そして、その質問に対する私の答えを聞いたあとの反応も、まるでハンコをついたように全く同じなのです。
①もし私が「経験ありますよ」と答えると・・・。
「そうですか。でも、うちは業界の中でも特殊な会社ですから・・・」という答えが必ず返ってくる。
②もしも私が「経験ないですよ」と答えると・・・。
「そうですか。うちの業界は特殊ですから・・・」という答えが返ってくる(笑)
結局、私がなんと答えるかに関係なく、みなさん「自分たちは特殊だ」ということをおっしゃるわけですね。
ところで、私はフランチャイズの本部さんや加盟店さんにもコンサルティングをごご提供しています。
その観点から言うと、同じ地域の、同じ道路沿いに並んでいる、しかも同じ商品を販売している、同じ規模のフランチャイズの加盟店さんAと加盟店さんBがあった場合にでも、AさんとBさんとではうまくいく方法が違うのです。
そういう意味では、100社の会社があれば100通りのうまくいく方法がある。つまり、私にとってはどの会社さんが相談にいらっしゃたとしても、まったく初めての経験だということになります。そして、どの会社さんにも必ずその会社さんなりの「うまくいく方法」がある。
だから自分たちは特殊かどうかなんてことは氣にせずに、自分たちがうまくいくためにするべきことに集中すればいのではないかと思うのです。ましてや誰かの専門家の力を借りるのであれば、その専門家を使い倒すくらいの気持ちで楽しめばいいと思うのです。
自分を特殊だと思いたい気持ちには、優越感もあれば劣等感もあると思います。けれど、このふたつの感情は結局は同じ感情の顕れに過ぎないのだと感じます。なぜならどちらの感情も結局は自分の足を引っ張ることになるからです。ですので、もしあなたが何かの取り組みをする際には、ぜひ、自分たちが特殊か特殊じゃないかなんてことはわきに置いておいて、目的を達成することに集中して頂きたい。そしてそのプロセスを楽しんで頂きたいと思うのです。
なんの役に立つのか、それとも立たないのかは私にはわからないのですが、この本にいくつか書かせて頂いたコラムがあなたにとって何かのお役に立つようであれば本当にうれしい。そう思っています。
それでは引き続き、私たちの会話をお楽しみください。
※軽薄短小と棚田の文化
まぁ、冗談みたいに言っちゃったけどね。日本にはやっぱりいいところがあるわけですよ。判官贔屓じゃなくてね。
―判官贔屓はダメですよ(笑)
(笑)例えばね、一時期、日本の物作りの技術が軽薄短小だと言われていたことがあったでしょう?
―はいはい。良い意味でね。
うん。良い意味でね。例えば機械類は全部薄く、小さくしていくという。それが日本の特技だった時があったわけですよ。
―はい。
じゃあそれが最近のことかというと、実は幕末のころにも小さな時計をつくったりしていたわけですよ。
―うん。
では、日本人はなぜそういうことをするようになったか、ということでね。僕はそこには棚田の文化というのがあると思うんですよね。
―棚田?
そう、つまりね。日本には平地が少ないから、山の斜面に棚田を作ったりしたわけでしょう?平地がないから、なんとか斜面を使って田んぼの面積を増やそうという工夫ですよね。
―はい。
日本は今も昔も国土のほとんどが山なわけだから。いかにして面積を確保するのかというのと、いかにして水がうまく流れるようにするのかというのがテーマでしょ。だから小さな田んぼからどれだけ多くの生産を上げるか。これはまさに機械類をつくる時の軽薄短小という考え方のもとになっていると思うんですよ。
―はいはい。簡単に言えば、限られた狭い地域でどうやってたくさんの収量を確保すればいいだろうかというのをやっていたのが、現代の物作りにも生きているんじゃないのかということですね。
そうです。それに加えてね、どうも日本には別の思想もあったように感じるんですよ。
―別の思想ですか?
うん。というのもね、これは僕がシステム開発の会社を経営していた時に感じたことですけど、日本人というのはコンピュータープログラムの中のバグを徹底的に全部取り除こうとするんですよ。
ーああ。それって僕音感覚からしても、日本人のシステムエンジニアさんたちにはだいたい共通している特徴ですね。
うん。これは田んぼの中から雑草を一本一本抜いていくのと同じ感覚ですよね。雑草を一本一本抜いていって完璧に処理する。これが日本の田んぼの基本なんです。
―他の圀ではそうではないんですか?
そうですね。だいたい、パッとモミダネを巻いてあとは放っておくとかね。そういうやり方ですよ。
―それはパットモミダネを蒔いておくだけで十分な収量が得られるからですか?
いや、そういうわけでもないと思うけど。例えば苗を一本一本植えていくというような考え方もないわけですよ。
―ほう。ちょっとよくわかりませんが。ただ、実際にはそうなっていると。
そう。
―じゃあなんで日本人は一本一本雑草を抜いたり、苗を一本一本植えたりするんですかね?
だからそうすることで生産性が最大限に上がるからでしょう。
―え?じゃあ、やっぱり他の圀では十分な生産量があったから雑草抜きをしなかったというおとなんじゃないんですか?
いや、僕はそういう国のやり方では収量は少ないけども、それ以外に生産性を挙げる方法をあんまり考えなかったのではないかと思うんですよ。
―え?どういうことですか?
うん。ここにね、日本人の特性があると思うんです。
※伯家神道の「鎮魂」とは?
―ほう。どんな特性なんですか?
それはね、よりたくさんのものを作るぞという哲学というか「稲には稲の最高レベルの力を発揮させてやろうよ」という哲学があったと思うんです。
―ほう。なんでそんなことを思われたんですか?
というのもね、伯家神道にね、「鎮魂」という思想があるわけですよ。これは作法とセットになっているわけですけれどもね。
―鎮魂ですか。何かを慰めるということ?
いや、伯家神道でいう鎮魂というのはね、「物事に最大限の力を発揮させてあげる」ということです。この思想が、生体の持っている最高の能力を発揮させるというか、そのための刺激となるような作法と共に伝わっているわけですよ。
―ほう。生体に、その生体が持っている最高の能力を発揮させると。
うん。日本にはそういう文化があったから、そかもそのために、できることは全部するという気概もあったから。
―その結果、田んぼの中の雑草を一本一本抜くというようなことまでやっていたと。
そうです。だからどんな工業製品にしろなんにしろ、美とか、品位というところを高めていくというのが日本の物作りの前提になっているのではないかなと思うんです。それでね、そういう前提を実現させるためにあったのが、「統合」という考え方だと思うんですよ。
ー統合ですか?
うん。そうやって階層に分けていろいろと考えていくわけだけれども、そのままにしておくとあまり意味がないわけですよ。だから統合という観点が必要になる。
※複雑系の科学と人間の意識
あれもそうでしょう。一時、複雑系の科学というのがはやった時期があったでしょう?あれも結局は階層性の切り分けと統合の問題ですよね。
―ほう。複雑系の科学。
あれはつまり、ひとつの機械が動くにしたって、速く回転する小さな歯車もあれば、ゆっくり回転する大きな歯車もある。そういうものがひとつの機械として動いていこうとする中で、それぞれのパーツや要素をどう調節するか。その調節の仕方によって、いろんな動きが複雑
系に変わっていきますよということでしょ。
―なるほど。
例えば、そういう機械で言えば、それぞれのパーツや要素はお互いに違う空間の位置を使っているわけですよ。
―要するに、いろんなものが複雑に組み合わさってひとつの動きをしているんですよと。だからひとつの動きとしてとらえるんじゃなくて、もっと細かくとらえていったほうがいいですよということですか。
そういう考え方が出てきたということですよね。でもこれまでは、その考え方を基盤にした研究の対象は「人」ではなくて「科学や機械」だったわけです。だから人間の意識がどうなっているんだろうというような研究にはあまり発展がなかったんじゃないかなと思うんですよね。
―なるほどなるほど。人間の意識というのが研究の対象になってこなかった経緯があると。
これまではね。だからそんな状況の中で、人間の意識をとらえようとすると、今日の前にいる人間から出てくるものだけを当てにしがちになる。
―そうそう。だから、例えば情緒を考えるんだったら最初にベースとして情緒についての知識を全部網羅することが必要じゃないかなと思うんですよね。そうやって受け入れ態勢をつくったうえで取り組みをしていけば発展するんじゃないのかなと。だから、階層性を持って物事を把握したうえで、それを統合していくということですよ。
なるほどね。
※意識をシステム化する試み
―ちょっと意識の話が続いているんですけどね。
うん。
―先生の特技というか、考え方の特性には、なんというか物事を機械的なシステムに落とし込むという方向性があるように感じるんですよ、僕。そういう観点から言うとね、意識をシステム化しようというような取り組みもされてたりするんですか?
うん。ここまでのお話というのは、意識をシステム化する時に前提になる話だからね。
―やっぱり(笑)ちなみに意識はどうやってシステム化するんですか?
僕はね意識をシステム化する時に大切なのはね、「意志」だと思うんですよ。
―意志?さっきの話では意志というのは意識に方向性を持たせたものということでしたよね?
そう。意志というのは方向性を持った意識ですよ。僕はその意志が、ものごとを実現するエネルギーであると思うんです。だからその意志を明確にして、物事が実現するエネルギーを高めることが可能なシステムができればいいのではないかと。
―ほう。
このシステムというのはコンピューターの中で動くようなプログラムという意味で使っていますけど、あるいは方法論でもいいし、スキルでもいいと思うんですけどね。そういうものが意識を研究する先にあるのではないのかと思っているんです。
―なるほどね。意志というのは物事を実現するエネルギーであると。
ええ。
―これはどういうことなんですか。意志があったら、なんで物事は実現するんですか?
意志があれば、自分の身体も心も精神も位相が揃うからですよね。量子物理学で言われる、コヒーレントな状態ということですよ。
―位相が揃っているということは、自分の中のベクトルというものがはっきりしていて、なおかつ矛盾する要素がないということですか。
そう。つまりね、自分の中に抵抗がない状態とも言えるわけです。
―自分音中に抵抗gあないから、物事が実現しやすくなると?
そうですね。その時に、フレキシビリティが高い状態というか数多くの選択肢から選べる状態になっていれば、そこにある意志が働いた時には、あっという間に意志が示す方向に進めるという感じですよね。
―ふーん。
だから瞬間瞬間で決めて、瞬間瞬間に移動していくということができる。量子物理学でゼロ・ポイントフィールドという言葉が使われてますけどね、それは実は究極のフレキシビリティがある状態だと思うんですよ。
―なるほど。
これは武道にも通じるところがあってね。瞬間瞬間にパッと移動できるというのが一番いい状態なんです。
―どういうことですか?
例えばね、武道だとしたら相手がこう来るだろうと予測して身構えるとしますよね。その時に予測が外れたら対応が一歩遅れてしまうわけですよ。
―うん。
もしくはやかんを持ち上げる時にね、このやかんは思いだろうと予測してうんと力を込めて持ち上げちゃったとして、もしも夜間の中身が空だったら、持ち上げる力が強すぎてポーンと跳ね上がっちゃう。つまり、予測したり、こうだ!と決めてかかるとすごく無駄なエネルギーを使うことが多いわけですよ。
―そうですよね。じゃ、どうすればいいんですか?
例えばね、やかんだったら何も考えずにこうして取っ手を握ってね、その時の感覚で力の入れ方をかえればいいわけですよ。
―ああ。だからその取っ手を握った時に重さを感じれば、その重さに見合った力を込めるし、軽いと感じたら軽いなりの力を込めると。
そうそう。そうすれば無駄なエネルギーを使わなくて済む。
―はいはい。でもそれって僕たちの日常で不通にやってることじゃないですか?
そうでもないですよ。
―というと?
この話はね、予測というか、予見という話なんですよ。つまり、予測や予見をするとだいたい失敗する。
※予測と情緒のはりつき
―どういうことですか?
良い例が地震ですよ。こういう時期にこういう地震が起こりますよという予測はだいたい外れているでしょ?
―うん?どういうことです?
日本だったら東日本大震災以降、あそこに地震が来るとか、ここに地震が来るとかいうことを学者から予言者までいろいろな人が行っているけど、ほとんど当たっていない。
―だから予測してもしょうがないと?
うん。
―でもそうすると、予防という観念がなくなりますよ。
いやそうではなくて、予測はしないかもしれないけど、できることはやttえおけばいいわけですよ。
例えば日本という国ではその国の特性上、地震は必ず起こるものだと考えられるでしょ。
つまりそれは循環論の中で考えられることなんだから、必要だと思われる対策はしておけばいいですよ。
―ほう。対策はするけれど。
予測をすることに重点を置くのではない。
―ああ。つまり「論理的な予測が外れる可能性」もあらかじめ認識している状態で必要なことをしておくということですか。
そういうことです。100年後、200年後に起こることかもわからないけれども、論理的に予測できることに対する対策というか、必要な備えはしましょうねと。「備えあれば憂い無し」っていうようなことは昔から言われていますからねと。
―ただし予測が外れることもありますよと。
そう。だからね、今の世の中には不安を高めるための予測というのが蔓延しちゃってるでしょ。
―そうですね。
そこには情緒的なものが介在しているわけですよ。でも、論理的に予測する分には情緒的なものが介在する必要はないというかね。なんていうかな。まず現実を知るということが必要だと思うわけですよね。
―なるほどね。もちろん、ある程度予測はして備えはするよと。その結果、備えがあったから被害を防げたという場合もあるだろうし。
うん。
―備えてはいたけれど、備えが足りなくて被害が出ちゃうこともあるかもしれないよと。
そう。
―そもそも、備えていた対象とは違うことが起こって、ひどいことになる可能性もあるわけだけど。
可能性はね。ありますよね。
―うん。
けれど大切なのは、不安を高める予測というのと、やることをやった上で自分の意識の中から手放すというのはまったく別物ですおyということなんです。
―なるほど。不安を高めるのでもなく、投げやりにあきらめるのでもなく。ただ、淡々と、というか。
そうですね。そして、意識のシステム化がもし仮にできるとすれば、そういう価値を持つのではないだろうかと。つまり、不安だったりだとか、あきらめだったりとか、そういう情動の中で振り回されるのではなくてね。絶対安全というわけではないけれど、心穏やかに過ごしていけるし、選択肢は常に広がっている状態をつくり出せるのではないかと。
―なるほど。
心穏やかで、なおかつ選択肢が見えている状態にいれば、そのつど、そのつどの瞬間瞬間で最適な対応もできるのではないかと。
―なるほどね。意識のシステム化が持つ価値にはそういうものがありますよと。
そう思います。
※特殊な会社
企業向けの「ソフトウェア開発」がオーダーメイドだというお話が出てきました。七沢先生と同じく、私も企業向けのシステム開発に携わることがあるので、これは実は厄介な問題なのです。ところで、このお話は「ソフトウェアの開発」に限った話ではありません。
このコラムでもいくつかの事例をお話していますが、私はコンサルタントという仕事をしています。専門は売上アップと集客です。その私のもとには毎月新しいクライアントさんが相談にいらっしゃるのですが、実はそこで毎日同じ質問をされています。
どういう質問かというと「一條さん、うちの業界を扱った経験はありますか?」というものです。
本当に毎回のこの質問を頂きます。
規模を問わず、業種業態を問わず、上場非上場を問わずです。
そして、その質問に対する私の答えを聞いたあとの反応も、まるでハンコをついたように全く同じなのです。
①もし私が「経験ありますよ」と答えると・・・。
「そうですか。でも、うちは業界の中でも特殊な会社ですから・・・」という答えが必ず返ってくる。
②もしも私が「経験ないですよ」と答えると・・・。
「そうですか。うちの業界は特殊ですから・・・」という答えが返ってくる(笑)
結局、私がなんと答えるかに関係なく、みなさん「自分たちは特殊だ」ということをおっしゃるわけですね。
ところで、私はフランチャイズの本部さんや加盟店さんにもコンサルティングをごご提供しています。
その観点から言うと、同じ地域の、同じ道路沿いに並んでいる、しかも同じ商品を販売している、同じ規模のフランチャイズの加盟店さんAと加盟店さんBがあった場合にでも、AさんとBさんとではうまくいく方法が違うのです。
そういう意味では、100社の会社があれば100通りのうまくいく方法がある。つまり、私にとってはどの会社さんが相談にいらっしゃたとしても、まったく初めての経験だということになります。そして、どの会社さんにも必ずその会社さんなりの「うまくいく方法」がある。
だから自分たちは特殊かどうかなんてことは氣にせずに、自分たちがうまくいくためにするべきことに集中すればいのではないかと思うのです。ましてや誰かの専門家の力を借りるのであれば、その専門家を使い倒すくらいの気持ちで楽しめばいいと思うのです。
自分を特殊だと思いたい気持ちには、優越感もあれば劣等感もあると思います。けれど、このふたつの感情は結局は同じ感情の顕れに過ぎないのだと感じます。なぜならどちらの感情も結局は自分の足を引っ張ることになるからです。ですので、もしあなたが何かの取り組みをする際には、ぜひ、自分たちが特殊か特殊じゃないかなんてことはわきに置いておいて、目的を達成することに集中して頂きたい。そしてそのプロセスを楽しんで頂きたいと思うのです。
なんの役に立つのか、それとも立たないのかは私にはわからないのですが、この本にいくつか書かせて頂いたコラムがあなたにとって何かのお役に立つようであれば本当にうれしい。そう思っています。
それでは引き続き、私たちの会話をお楽しみください。