『 国家 』 プラトン著
C 哲人統治者のための知的教育
1 「学ぶべき最大のもの」(認識の最高目標)――<善> 第六巻 十五~十七章
2 <善>のイデア=太陽の比喩。第六巻十八章~十九章
3 線分の比喩。第六巻 二十章~二十一章
4 洞窟の比喩。第七巻 一章~五章
5 「魂の向け変え」と「真実在への上昇」のための教育のプログラム。第七巻 六章~十八章
* 哲人統治者のための知的教育 :
《洞窟を抜け出た人》:《イデアに目覚めた人》:《進化完遂した人》:《進化完遂を果した次期人類》:《ホモ・サピエンス・サピエンス・ピロソピー》を育てるための知的教育、その理念を導き出し示し教える師ソクラテスと若者の対話内容となっている。
<教育と無教育>を狭義に捉えているとこれらの説は「うん?なに?どういうこと?」と混乱して、おそらく理解できないでしょう。
若者すべてを(子どものときから)、哲人ピロスポスに育てるための教育をする。
そうした教育をおこなった結果、あらわれた統治者(リーダーというより、単なるだいひょうまとめ役)も当然哲人ピロソポスとしての資質を兼ね備えている。
現代の今は、そのように考えると理解しやすいかもしれません。
洞窟の比喩
一
「ではつぎに」とぼくは言った、「教育と無教育ということに関連して、われわれ人間の本性を、次のような状態に似ているものと考えてくれたまえ」
――地下にある洞窟状の住まいのなかにいる人間達を思い描いてもらおう。光明のあるほうへ向かって、長い奥行きをもった入口が、洞窟の幅いっぱいに開いている。人間達はこの住まいのなかで、子どものときからずっと手足も首も縛られたままでいるので、そこから動くこともできないし、また前のほうばかり見ていることになって、縛めのために、頭をうしろへめぐらすこともできないのだ(a b)。彼らの上方はるかのところに、火(i)が燃えていて、その光が彼らのうしろから照らしている。
この火と、この囚人たちのあいだに、ひとつの道(e f)が上のほうについていて、その道に沿って低い壁のようなもの(gh)が、しつらえてあるとしよう。それはちょうど、人形遣いの前に衝立が置かれてあって、その上から操り人形を出して見せるのと、同じようなぐあいになっている」
「思い描いています」とグラウコンは言った。
「ではさらに、その壁に沿ってあらゆる種類の道具だとか、石や木やその他のいろいろの材料で作った、人形およびそのほかの動物の像などが壁の上に差し上げられながら、人々がそれらを運んでいくものと、そう思い描いてくれたまえ。運んでいく人々のなかには、当然、声を出すものもいるし、黙っている者もいる」
「奇妙な情景の譬え、奇妙な囚人達のお話ですね」と彼。
「われわれ自身によく似た囚人達のね」と僕は言った、「つまり、まず第一に、そのような状態に置かれた囚人達は、自分自身やお互いどうしについて、自分たちの正面にある洞窟の一部(cd)に火の光で投影される影のほかに、何か別のものを見たことがあると君は思うかね?」
「いいえ」と彼は答えた、「もし一生涯、頭を動かすことができないように強制されているとしたら、どうしてそのようなことがありえましょう」
「運ばれているいろいろの品物については、どうだろう?この場合も同じではないかね?」
「そのとおりです」
「そうすると、もし彼らがお互い同士話し合うことができるとしたら、彼らは、自分たちの口にする事物の名前が、まさに自分たちの目の前をとおりすぎて行くものの名前であると信じるだろうとは、思わないかね?」
「そう信じざるをえないでしょう」
「では、この牢獄において、音もまた彼らの正面から反響して聞こえてくるとしたら、どうだろう?彼らのうしろを通り過ぎていく人々の中の誰かが声を出すたびに、彼ら囚人達は、その声を出しているものが、目の前を通り過ぎていく影以外の何かだと考えると思うかね?」
「いいえ、けっして」と彼。
「こうして、このような囚人達は」と僕は言った、「あらゆる面において、ただもっぱらさまざまの器物の影だけを、真実のものと認めることになるだろう」
「どうしてもそうならざるをえないでしょう」と彼は言った。
「では、考えてくれたまえ」と僕はいった、「彼らがこうした束縛から解放され、無知を癒されるということが、そもそもどのようなことであるかを。それは彼らの身の上に、自然本来の状態へと向かって、次のようなことが起る場合に見られることなのだ。
――彼らの一人が、あるとき縛めを解かれたとしよう。そして急に立ち上がって首をめぐらすようにと、また歩いて火の光のほうを仰ぎ見るようにと、強制されるとしよう。そういったことをするのは、彼にとって、どれもこれも苦痛であろうし、以前には影だけを見ていたものの実物を見ようとしても、目がくらんでよく見定めることができないだろう。
そのとき、ある人が彼に向かって、『お前が以前にみていたのは、愚にもつかぬものだった。しかしいまは、お前は以前よりも実物に近づいて、もっと実在性のあるもののほうへ向かっているのだから、前よりも正しく、物を見ているのだ』と説明するとしたら、彼は一体なんと言うと思うかね?そしてさらにその人が、通り過ぎていく事物のひとつひとつを彼に指し示して、それが何であるかをたずね、むりやりにでも答えさせるとしたらどうだろう?彼は困惑して、以前に見ていたもの〔影〕のほうが、いま指し示されているものよりも真実性があると、そう考えるだろうとはおもわないかね?」
「ええ、大いに」と彼は答えた。
二
「それならまた、もし直接火の光そのものを見つめるように強制したとしたら、彼は目が痛くなり、向き返って、自分がよく見えるもののほうへと逃げようとするのではないか。そして、やっぱりこれらのもののほうが、いま指し示されている事物よりも、実際に明確なのだと考えるのではなかろうか?」
「そのとおりです」と彼。
「そこで」と僕は言った、「もし誰かが彼をその地下の住まいから、荒く急な登り道を力づくで引っぱって行って、太陽の光の中へ引き出すまでは放さないとしたら、彼は苦しがって、引っぱっていかれるのを嫌がり、そして太陽の光のもとまでやってくると、目はぎらぎらとした輝きでいっぱいになって、いまや真実であると語られるものを何一つとして、見ることができないのではなかろうか?」
「できないでしょう」と彼は答えた、「そんなに急には」
「だから、思うに、上方の世界の事物を見ようとするならば、慣れというものがどうしても必要だろう。――まず最初に影を見れば、いちばん楽に見えるだろうし、つぎには、水にうつる人間その他の映像を見て、後になってから、その事物を直接見るようにすればよい。そしてその後で、天空のうちにあるものや、天空そのものに目を移すことになるが、これにはまず、夜に月や星の光を見るほうが、昼間太陽とその光をみるよりも楽だろう」
「ええ、当然そのはずです」
「思うにそのようにしていって、最後に、太陽を見ることができるようになるだろう――水その他の、太陽本来の居場所ではないところに映ったその映像ではなく、太陽それ自体を、それ自身の場所において直接しかと見てとって、それがいかなるものであるか観察できるようになるだろう」
「必ずそうなるでしょう」と彼。
「そしてそうなると、こんどは、太陽について次のように推論するようになるだろう、――この太陽こそは、四季と年々の移り行きをもたらすもの、目に見える世界におけるいっさいを管轄するものであり、また自分達が地下で見ていたすべてのものに対しても、ある仕方でその原因となっているものだ、と」
「ええ」と彼は言った、「つぎにそういった段階に立ちいたることは明らかです」
「するとどうだろう?彼は、最初に住まいのこと、そこで<知恵>として通用していたもののこと、その当時の囚人仲間のことなどを思い出してみるにつけても、身の上に起ったこの変化を自分のために幸せであったと考え、地下の囚人達をあわれむようになるだろうとは、思わないかね?」
「それはもう、たしかに」
「地下にいた当時、彼らはお互いのあいだで、いろいろと名誉だとか賞讃だとかと与え合っていたものだった。とくに、つぎつぎと通り過ぎていく影を最も鋭く観察していて、そのなかのどれが通常は先に行き、どれが後に来て、どれとどれとが同時に進行するのが常であるかをできるだけ多く記憶し、それにもとづいて、こらからやって来ようとするものを推測する能力を最もおおくもっているような者には、特別の栄誉が与えられることになっていた。――とすれば、君は、このいまや解放された者が、そういった栄誉を欲しがったり、彼ら囚人たちのあいだで名誉を得て権勢の地位にある者たちを羨んだりすると思うかね?むしろ彼は、ホメロスがうたった言葉と同じ心境になって、かの囚人たちの思わくへと逆もどりして彼らのような生き方をするくらいなら、『地上に生きて貧しい他人の農奴となって奉公すること』でも、あるいは他のどんな目にあうことでも、そのほうがせつに望ましいと思うのではないだろうか?」
「そのとおりだと私は考えます」と彼は言った、「囚人たちのような生き方をするくらいなら、むしろどんな目にあってもよいという気になるでしょう」
「それでは、次のこともよく考えてみてくれたまえ」とぼくは話をつづけた、「もしこのような人が、もう一度下に降りて行って、前にいた同じところに座を占めることになったとしたら、どうだろう?太陽のもとから急にやって来て、彼の目は暗黒に満たされるのではないだろうか」
「それはもう、大いにそういうことになるでしょう」と彼は答えた。
「そこでもし彼が、ずっとそこに拘禁されたままでいた者たちを相手にして、もう一度例のいろいろな影を判別しながら争わなければならないことになったとしたら、どうだろう――それは彼の目がまだ落ち着かずに、ぼんやりとしか見えない時期においてであり、しかも、目がそのようにそこに慣れるためには、少なからぬ時間を必要とするとすれば、そのような時、彼は失笑を買うようなことにならないだろうか。そして人々は彼について、あの男は上に登って行ったために、目をすっかりだめにして帰ってきたのだと言い、上に登って行くなどということは、試みるだけの値打ちさえもない、と言うのではなかろうか。こうして彼らは、囚人を解放して上のほうへ連れて行こうと企てる者に対して、もしこれを何とか手のうちに捕らえて殺すことができるならば、殺してしまうのではないだろうか?」
「ええ、きっとそうすることでしょう」と彼は答えた。
あ